孤独な日々
アレスとエレナの婚礼の式から一月が経った。
初夜での宣言通り、アレスがエレナの部屋を訪れる事は一度も無かった。
夫と妻なのに顔を合わせるのは公の場のみ。 エレナの孤独は日々深まるばかりだった。
鬱々とした気持ちで過ごすエレナに、実家から着いて来た侍女のフィーアが呆れた様に言った。
「エレナ様、部屋に閉じこもってばかりなのは良くないです。このままじゃ皆に存在を忘れられてしまいますよ」
「……」
「お茶会を開いて貴族の夫人や令嬢と交流しないと駄目です。最近では引きこもりの王太子妃なんて失礼な噂も耳にします」
フィーアは乳母の娘で幼い頃から共に育った乳兄弟に当たる為、エレナには遠慮なくものを言う。
「お茶会なんて、とてもそんな気になれない」
新婚早々夫に拒絶されたこの状況で、楽しくお茶を飲む気になんてなれない。
希望も自信も、初めての恋と共に心粉々に砕けてしまったのだから。
「王太子殿下との仲が上手くいかないからって、こんな風に引きこもっていてはますます距離が開いてしまいますよ」
「……」
「暗い妻より明るい妻の方が魅力的に決まってます。明るくていつも楽しそうにしているのがエレナ様の取り得だったじゃないですか?」
「そんな事言ったって……簡単に立ち直れる訳無いでしょ? 子供の頃からずっと憧れていたアレス様に完璧に拒否されたんだから」
名前だけの妻。しかも一年後には離縁されると分かっているのに、明るく振る舞うなんて、とても出来ない。
「フィーアには全部話したでしょ?それなのに 私がどれだけ落ち込んでるか分かってくれないの?」
エレナが行き場の無い悲しみをぶつける様に訴えると、フィーアは小さな溜め息を吐いた。
「初夜の話は忘れていません。正直あんまりな扱いだとは思いましたから。でもエレナ様は今でも王太子殿下が好きなのですよね?」
「それは……もう何年も憧れてたんだから簡単に嫌いになったりは出来ないわ」
だからこそ苦しくて仕方がない。
「だったら簡単に諦めたら駄目です。まだ時間はあります。一年後には王太子殿下の気持ちだって変わるかもしれないじゃないですか?」
「アレス様の気持ちが変わる?」
「そうです。今は嫌われていても、エレナ様の頑張りによっては愛して貰えるかもしれないじゃないですか。何もしないで泣いて諦めてエレナ様はそれで満足ですか?」
フィーアは早口でまくし立てて来る。
「満足なわけない」
「それなら頑張るべきです。王太子殿下に愛されたいのなら」
「……私はアレス様と離れたくない。愛される妃になりたい」
どんなに冷たくされても、アレスへの想いは消えないのだから。
「エレナ様なら大丈夫ですよ」
ニコリと微笑む幼なじみに、エレナは泣きそうな気持ちになりながら頷いた。
フィーアに励まされ気持ちを切り替えた。と言っても何をすれば良いのか分からない。アレスの態度は頑なだし、そもそもめったに話す機会が無い。
顔を合わせる機会は公式の行事だけで、その貴重な時でも周りには常に大勢の人間が居るから、個人的な話はし辛かった。
それでも距離を縮める為にはお互いを知る事が大切で、それは会話無しには成り立たない。
「アレス様は馬がお好きなのですか?」
僅かな機会を逃さずに話しかた。
「……」
でもアレスはエレナに目を向けながらも、返事をする事なく、直ぐに前を向いてしまう。
(む、無視?)
心が折れそうになりながらも、気を取り直して言葉を続ける。
「アレス様は時々遠乗りに行かれるそうですね?」
「……誰に聞いたんだ?」
やっと返って来た返事は酷く不機嫌そうな声。
「あ、あの……噂で……」
「余計な詮索はするな」
「詮索? いえ、私はそんなつもりでは……ただ私も馬が好きなんで一緒に遠乗りに出られたらと……」
アレスが一層不機嫌になったのを感じ、慌てて弁解する。それでもアレスの態度は和らがなかった。
「俺の言った事を忘れたのか?」
「え?」
「一年後にお前を離縁すると言ったはずだ」
「そ、それは忘れていません」
「だったらくだらない事を言うな」
アレスはエレナを冷たく拒絶する。その態度に傷付きながらも、顔に出さないようにして答えた。
「くだらないとは思いません。一年は夫婦として過ごすのですから……私は仲良く暮らしたいです」
「別れる事が決まっているのに、そんな事をして何の意味が有る?」
「何の意味って……」
アレスの気持ちを変えたい。離縁しないで、本当の夫婦になりたい。ただそれだけだった。
けれど、アレスには言えない。
(迷惑がられるのは分かってるから)
黙ったままのエレナに、アレスは無表情に言った。
「俺はお前と馴れ合う気は無い。遠乗りに出たいなら好きにすればいいが、俺に関わろうとするな」
公務が終わり部屋に戻ってからも、気分は落ち込んだままだった。アレスはなぜこれ程までに頑ななのだろう。
「エレナ様、どうしたのですか?」
「フィーア……アレス様と話したんだけど、相変わらず冷たくて……」
「そんな直ぐに気持ちが変わる訳有りませんよ」
「そうだけど」
頭で分かっていても、悲しくなるのは止められない。
「アレス様はどうして私が嫌いなのかな?」
婚礼の式を迎える日まで、まともに会話も交わした事が無かった。それなのに、どうしてこんなに徹底的に嫌われてしまったのだろう。
「そうですね」
フィーアはエレナの姿を、上から下まで眺めながら言った。
「エレナ様は見かけは完璧です。金髪も翠の瞳もサリアでは珍しいですが、本当に綺麗です」
「……フィーア?」
フィーアが誉めて来るなんて珍しくて戸惑ってしまう。
「エレナ様が一目で嫌われてしまう可能性は低いです。かと言って内面なんてほとんど知られてない。と、言うことは……」
「と言うことは、何?」
「王太子殿下は結婚自体が嫌だったんじゃないですかね。エレナ様じゃなくても嫌われてたんですよ」
「それなら、どうして結婚したの?」
嫌なら初めから断れば良かったのに。
エレナの言葉に、フィーアは呆れた顔をした。
「嫌だから断るなんて出来ないですよ。王太子だからって我が儘が通じる訳じゃ有りません。エレナ様との結婚は国王陛下と神官長様が決めた事なのですから」
サリアでの最高権力者は国王。
続くのが、王妃と神官長。
神事を重要視するサリアでは、昔から神官の力が大臣よりも強かった。そしてその神官の長である神官長は代々エレナの実家カーナ公爵家の当主が務めており、現在の神官長の位にはエレナの父のガルダが就ている。
(アレス様は国王陛下の命令で無理やり結婚させられた?)
二十才の王太子と十七才のカーナ家の姫の結婚は、皆が祝福するものだった。
エレナ本人も、心から幸せだと思っていた。でも、アレスにとっては苦痛でしかなかったのかもれしない。
(アレス様……)
自分の存在がアレスを苦しめているのかもしれない。そう思うと、辛くて仕方なかった。
それから何度かアレスに会う機会が訪れたけれど、距離が縮む事は無かった。しつこくならない様に気を付けながら笑顔で話しかけても、アレスは冷たくエレナを拒絶する。
婚礼の式から二月が過ぎても、エレナの気持ちがアレスに伝わる気配は全く無かった。
「エレナ様、大丈夫ですか?」
フィーアが慰めてくれるのも、習慣の様になっている。
「大丈夫、さすがに慣れたわ」
もうアレスに優しくして貰える日なんて、永遠に来ない気がする。
「こんな事に慣れるのもどうかと思いますけど……でもエレナ様は十分頑張りました」
「その言い方……もう諦めろって言う事?」
「それも考えて良い時期ですよ」
フィーアの言う通り、アレスの事は諦めた方が楽なのかもしれない。
(でも無理……)
冷たくされても、アレスを好きな気持ちは不思議なくらい無くならなかった。