【最終楽章】最後の瞬間まで君が
いよいよ、俺は死ぬ。
振り返ってみると、楽しいことばかりだった。
にわかに、油と機械の匂いが充満する艦内で、あの日の香りを見つけた。鉢巻からだ。
出撃する際、隊長がこの鉢巻に香水をかけてくださった。
「まさか、教え子を行かせることになるなんてな……」
隊長は、潜水学校時代の教官だった。
この人の目が潤うのを見て、俺は「鬼の目にも涙」ということわざの意味を知った。
今更知っても遅いだろうけど。
「艦の中は臭いからな、ふりかけてやろう。
これは、『金木犀』の香りだぞ」
その香りに涙がこぼれそうになって、堪えた。
「ありがとうございます」
「武運を祈る」
このときの隊長の泣きそうな、たくましい表情を、俺は死んでも忘れられない。
そろそろ敵艦に到達したころだ。
ここまでたどり着くのに、敵に見つかり、沈んでしまう可能性あるらしいから、奇跡と言えよう。
あとは、死ぬだけだ。
誇りを持って、最後まで勇ましく。
ふと目を閉じると浮かぶ地元の高台の景色に、手が震える。
ーーー死にたくないと、初めて思った。
お父さん、お母さん、寿音、茅ヶ崎のみんな、
……花奏ちゃん。
会いたい。会いたい。会いたい。
今だって、君の音が耳にこびりついて離れない。
目線を左手首に落としたら、あのG弦が目に入った。
ああ、そうだ。
俺は、君の未来を守りたいんだ。
君がこれからもずっと、その花のような音色を奏でられるように。
花奏ちゃん。
君は今、何を思っていますか? 幸せですか?
俺と出会ってくれてありがとう。
このG弦を持っているから、君と会えたから、俺は今も一人の人間として、強くいられる。
いつか、その強さというものが報われるときが来たのなら。
–––––––君にまた会いたい。
–––––––音を重ねたい。
君のこれからが幸せでありますように。
俺は、花奏ちゃんを、愛しています。
『金木犀の季節に』完




