第1部 第9話「おい…まさかそんな…!?」
――夜。
街の明かりが、少しずつ遠ざかっていく。
ブロロロロロ……。
黒い車は、人通りの少ない道路をひたすら走り続けていた。
車窓の外を流れていく街灯。
次第にまばらになっていく建物。
そして、いつしか周囲には、暗闇に包まれた景色ばかりが広がるようになっていた。
車内。
後部座席では、麗子が身体を小さく縮めていた。
左右には、あの三人組。
前方には、黙々と車を運転する白髪の男。
逃げ道など、どこにもない。
麗子は何度も窓の外へ視線を向けていた。
ドアを開けて飛び出せば、逃げられるだろうか。
大声を上げれば、誰かが気づいてくれるだろうか。
そんな考えが頭をよぎるたびに、左右に座る男たちの存在が、彼女を現実へと引き戻していた。
――逃げられない。
何度も、そう思った。
何度も、どうにかして逃げ出す方法を考えた。
しかし、車は止まらない。
やがて――。
街灯すら、ほとんど見当たらない場所へと入っていった。
ブロロロ……。
エンジン音が低く響く。
そして、ゆっくりと車の速度が落ちていく。
キキッ。
停車。
麗子の身体が、わずかに前へ揺れた。
「…………」
何が起きるのか分からず、彼女は緊張した面持ちで周囲を見回した。
すると、隣に座っていた部下の一人が、無言でドアを開けた。
「降りろ」
短く、冷たい命令。
「……っ」
麗子は息を呑んだ。
それでも逆らうことはできず、恐る恐る車から降りる。
そして――。
「…………」
周囲を見回した麗子は、目の前にある建物を見上げた。
そこにあったのは、古びた巨大な建物だった。
外壁には大きなひびが入り、ところどころ塗装が剥がれ落ちている。
入口付近に設置された看板は錆びつき、窓も古びていた。
建物全体から漂っているのは、長い間、誰も使っていない廃墟のような雰囲気。
今にも崩れそうな外観を前にして、麗子は思わず呆然と立ち尽くした。
「……ここ、どこなの……?」
恐る恐る問いかける。
しかし、返事はない。
三人組は、麗子の質問など聞こえなかったかのように、建物へ向かって歩き始めていた。
「…………」
麗子は、その場から動けなかった。
――怖い。
何をされるのか分からない。
どこへ連れてこられたのかも分からない。
目の前にある建物が何なのかすら、見当もつかない。
分からないことばかりだった。
すると、先を歩いていた三人組の一人が、ふと足を止めて振り返った。
「中に入れ」
「……嫌です」
麗子は即答した。
見知らぬ男たちに連れてこられた、人気のない場所。
しかも、目の前にあるのは、どう見ても怪しげな建物だ。
自分から進んで入る理由など、あるはずがなかった。
しかし――。
「…………」
左右から、別の二人が麗子の腕を掴んだ。
「ついてこい」
「やっ……!」
麗子は慌てて抵抗した。
「離して……!」
必死に腕を引こうとする。
けれど、男たちの力は強く、思うように身体を動かせなかった。
恐怖で足が震え、呼吸も次第に浅くなっていく。
「……怖い……」
かすかな声が、夜の静寂へと溶けていった。
だが、男たちは立ち止まらない。
麗子は両腕を掴まれたまま、その古びた建物の入口へと引きずられるように連れていかれた。
◆
ギィィィィ……。
古びた扉が、耳障りな音を立てて開いた。
麗子は身体を強張らせながら、恐る恐る内部へと足を踏み入れた。
そして――。
「…………え?」
思わず、足が止まった。
麗子は目を見開き、目の前に広がる光景を凝視した。
「…………」
言葉が出ない。
先ほどまでの外観からは、絶対に想像できない光景が広がっていたのだ。
巨大な空間。
遥か上方まで続く高い天井。
優雅な曲線を描く豪華な階段。
鏡のように磨き上げられた床。
壁面を彩る美しい装飾。
そして――。
天井から吊り下げられた、巨大なシャンデリア。
無数の光が、室内を煌びやかに照らし出していた。
その光景は、あまりにも非現実的だった。
外側は、今にも崩れそうな古びた建物。
しかし、その内側には、まるで別世界のような豪華な空間が広がっている。
「…………」
麗子は、口を半開きにしたまま立ち尽くしていた。
数秒間、何も言えなかった。
やがて、ようやく唇を動かす。
「……何、これ……」
一歩、後ずさる。
「外と中が……全然違う……」
当然の反応だった。
どう考えても、普通の建物ではない。
いや、そもそも、これほどの内装を備えた建物が、どうしてあんな廃墟のような外観をしているのだろうか。
麗子の頭の中には、疑問が次々と浮かんでいた。
しかし――。
三人組は、そんなことなど気にも留めていなかった。
「ついてこい」
「いや……ちょっと待って……」
麗子が困惑した表情で声を上げる。
「ここ、何なの? どうして外と中がこんなに違うの……?」
当然、男たちは答えない。
それどころか、再び彼女の腕を掴んだ。
「待って……!」
抵抗する間もなく、麗子は豪華な廊下へと連れていかれた。
カツ。
カツ。
カツ。
四人分の靴音が、広い廊下に響き渡る。
麗子は不安そうに周囲を見回した。
壁には、額縁に収められた豪華な絵画が並んでいる。
巨大な柱が等間隔に立ち、窓には長いカーテンが垂れ下がっていた。
さらに、廊下の途中には、何のために置かれているのか分からない巨大な像まで設置されている。
「…………」
麗子は、思わず眉をひそめた。
「……本当に何なの、ここ……」
不気味な外観。
豪華すぎる内装。
そして、説明を求めても何も答えない男たち。
あまりにも不可解な状況に、麗子の頭は混乱するばかりだった。
やがて――。
三人組は、長い廊下の奥にある一つの扉の前で立ち止まった。
ガチャ。
扉が開く。
麗子は恐る恐る室内を覗き込んだ。
そこは、拍子抜けするほど普通の部屋だった。
簡素な家具。
整えられた寝具。
壁際に置かれた小さなテーブル。
少なくとも、先ほどの豪華な空間と比べれば、ごくありふれた部屋に見えた。
「…………?」
麗子が不思議そうに室内を見回していると、三人組が彼女へ視線を向けた。
「中で大人しくしていろ」
「えっ――」
バタン!!
「キャッ!!」
扉が勢いよく閉じられた。
麗子は驚いて飛び上がり、慌てて扉へと駆け寄った。
ガチャガチャ!!
「開けて!!」
扉の取っ手を何度も引く。
しかし、扉は開かない。
「お願いだから!!」
ドンドン!!
今度は両手で扉を叩いた。
「ここから出して!!」
何度も、何度も。
必死に助けを求める。
しかし――。
返事はなかった。
「…………」
麗子は扉に手をついたまま、力なく俯いた。
「お願い……!」
声が震える。
「誰か……助けて……!」
その声は、誰もいない廊下へ虚しく響いただけだった。
◆
――どれくらいの時間が経ったのだろう。
麗子は、部屋の隅に座り込んでいた。
膝を抱え、じっと扉を見つめている。
壁には時計が掛かっていた。
秒針は、規則正しく時を刻み続けている。
チク。
タク。
チク。
タク。
時間は確かに進んでいた。
しかし、何も起きない。
誰も来ない。
扉が開く気配もない。
ただ、静かな時間だけが流れていく。
「…………」
麗子は、ゆっくりと膝を抱える腕に力を込めた。
静かだった。
あまりにも静かすぎた。
外から物音が聞こえるわけでもない。
誰かが話している声も聞こえない。
まるで、この部屋だけが世界から切り離されてしまったかのようだった。
だからこそ――。
怖かった。
何をされるのか分からないという恐怖。
いつまでここに閉じ込められるのか分からないという不安。
そして、あの白髪の男が何を考えているのか、まったく理解できないこと。
それらが、麗子の心をじわじわと追い詰めていた。
その時だった。
コン。
コン。
「……っ!?」
麗子の身体が、びくりと跳ねた。
弾かれたように顔を上げ、扉を見つめる。
もう一度。
コン、コン。
「…………」
麗子は息を呑んだ。
やがて――。
ガチャ。
扉が、ゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは、先ほどの白髪の男だった。
そして、その後ろには、あの三人組が控えている。
「…………」
白髪の男は、にこやかな笑顔を浮かべていた。
まるで、友人の家を訪ねてきた客を迎えるような、ごく自然な表情だった。
「やぁ」
「…………っ!」
麗子は慌てて立ち上がった。
そして、男のもとへ駆け寄る。
「お願いします……!」
必死に顔を見上げた。
「ここから出してください……!」
しかし、男は困った様子すら見せなかった。
むしろ、麗子の訴えが聞こえていないかのように首を傾げる。
そして――。
「私の秘密基地は、どうだったかな?」
両手を大きく広げ、誇らしげに室内を示した。
「心が踊るだろ?」
「…………」
麗子の表情が、引きつった。
「全然……踊りません……」
心が弾むどころではない。
先ほどから、驚きと恐怖の連続なのだ。
男は、そんな彼女の返答を聞くと、実に楽しそうに笑った。
「はっはっは!」
まるで、最高に面白い冗談を聞いたかのようだった。
そして――。
「それは無理だよ」
あっさりと言い放った。
「…………っ!」
麗子の表情が強張る。
男は、悪びれる様子もなく続けた。
「せっかく来てもらったんだ」
「今から楽しんでもらわないとならないからね」
「……何をするつもりなの……?」
麗子の声が震えた。
嫌な予感がする。
この男が、まともなことを考えているとは思えなかった。
男は、麗子の問いには答えず、背後にいる三人組へと視線を向けた。
「用意を」
「はい」
三人が、揃って返事をした。
そして――。
麗子の目の前に、横一列で並んだ。
「…………?」
麗子は、困惑した表情で三人を見比べた。
何を始めるつもりなのか。
まったく分からない。
三人組は無言のまま、互いに向き合うように構えた。
そして――。
パンッ!!
一人目が、隣に立つ二人目に肩パンする。
続いて。
パンッ!!
二人目が、三人目の肩を叩く。
さらに。
パンッ!!
三人目が、一人目の肩を叩いた。
「…………?」
麗子は、何度か瞬きをした。
今、何が起きたのだろう。
三人は顔色一つ変えず、同じ動作を繰り返している。
パンッ。
パンッ。
パンッ。
パンッ。
一定のリズム。
一定の動き。
そして、説明のない謎の儀式。
麗子の表情が、少しずつ固まっていく。
「な……何なの……?」
三人は答えない。
ただ、ひたすら肩パンし合っている。
パンッ。
パンッ。
パンッ。
パンッ。
やがて――。
三人が、ぴたりと動きを揃えた。
そして、声を合わせて叫んだ!
「ポポンゴー!!」
「ひっ!?」Σ(゜Д゜)
麗子の肩が跳ね上がった。
「…………え?」
理解が追いつかない。
何を言ったのか。
どうして叫んだのか。
そもそも、ポポンゴーとは何なのか。
疑問ばかりが頭の中を駆け巡る。
三人組は、もう一度声を揃えた。
「ポポンゴー!!」
「いや……何……?」
麗子は、思わず一歩後ずさった。
しかし、白髪の男は、そんな彼女の反応を見て楽しそうに笑っていた。
「はっはっは!」
そして――。
「ポポンゴー!!」
男まで、一緒になって叫んだ!
「…………」
麗子の顔から、みるみる表情が消えていく。
「何なのよこれぇぇぇ!!」
思わず、心の底から叫んだ。
しかし、誰も説明してくれない。
三人組は、相変わらず肩を叩き合っている。
「ポポンゴー!!」
男も叫ぶ。
「ポポンゴー!!」
「ちょっ……意味が分からない!!」
麗子は頭を抱えた。
「誰か説明して!!」
だが――。
説明する者など、誰一人としていなかった。
それどころか、状況はさらに悪化していく。
白髪の男が、突然、上着を脱ぎ捨てたのだ。
「……え?」
麗子の視線が、男の動きを追う。
そして――。
「えええ!?」Σ(゜Д゜)
思わず後ずさった。
「ちょ、ちょっと待って!?」
しかし、男はまったく気にしていない。
「はっはっは!」
愉快そうに笑いながら、三人組の輪の中へと入っていった。
パンッ!
パンッ!
パンッ!
今度は四人で、順番に肩を叩き始めた。
一人目。
二人目。
三人目。
そして、白髪の男。
四人が交互に肩を叩き合い、奇妙なリズムを刻んでいく。
パンッ!
パンッ!
パンッ!
パンッ!
そして――。
「ポポンゴー!!」
「ポポンゴー!!」
「ポポンゴー!!」
「ポポンゴー!!」
四人の声が、豪華な部屋いっぱいに響き渡った。
「…………」
麗子は、完全に固まっていた。
何故。
何のために。
どうして。
そもそも――これは何なのか。
考えれば考えるほど、理解できなくなっていく。
さっきまで、麗子はこの男たちを怖いと思っていた。
もちろん、今だって怖い。
自分を無理やり連れてきて、部屋に閉じ込めたのだから、恐怖を感じるのは当然だった。
しかし――。
その恐怖に、別の感情が混ざり始めていた。
困惑。
呆然。
そして、どうしようもないほどの理解不能感。
(何……?)
(何なの、この人たち……?)
(私は……何を見せられてるの……?)
目の前では、四人の男たちが楽しそうに肩を叩き合っている。
パンッ!
パンッ!
パンッ!
パンッ!
「ポポンゴー!!」
「ポポンゴー!!」
「ポポンゴー!!」
「ポポンゴー!!」
「いやああああああ!!」
麗子は、とうとう耐えきれずに叫んだ。
「助けてええええええ!!」
その悲痛な声は――。
豪華なシャンデリアが輝く、城のような建物の中へと虚しく響き渡っていった。
◆
そして――。
この日、麗子は知ることになる。
この古びた建物の内部には、外観からは想像もできないほど豪華な秘密基地が存在することを。
そして何より――。
そこに住む人間たちは、普通ではなかった。
常識では理解できない行動。
何を考えているのか分からない言動。
そして、何の説明もなく繰り返される、謎の掛け声。
「ポポンゴー!!」
麗子にとって、それは恐怖の象徴であると同時に、理解不能な悪夢の始まりでもあった。
こうして――。
麗子の「秘密基地」初体験は、恐怖と、豪華な城と、意味不明な掛け声に包まれて幕を開けたのだった。
――続く。




