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太陽の陰に月は満ちる  作者: さくる
番外編
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太陽の残照、騎士の誓願

庭園を去るソレイアの足取りは、どこか吹っ切れたように軽やかだった。その後ろを三歩離れて歩くカイゼルは、手の中にある一枚の羊皮紙の重みに、言いようのない苦さを感じていた。

それは、ルナリアに渡されるはずだったもう一つの未来。王都に次ぐ栄華を誇る都市の『大公任命書』だ。王族としての籍を残し、ソレイアの臣下として生きるなら、彼女にはその地位と贅沢な暮らしが約束されていた。


「……よかったの?」


カイゼルの問いに、ソレイアは足を止めなかった。ただ、黙って後ろ手に白く細い手を差し出す。カイゼルはその手に、渡せなかった任命書を恭しく捧げた。

ソレイアは立ち止まり、その紙を見つめることもなく指先から小さな火花を散らした。高価な羊皮紙は、一瞬にして音もなく灰へと変わり、秋風にさらわれていく。


「……守られていたのは、私の方だった」


ポツリと溢れた独白に、カイゼルは胸を突かれた。

空を仰ぎ、大きくため息を吐き出す彼女の背中は、先ほどまで妹を抱きしめていた「姉」ではない。一国の運命を背負う「王」の孤独を纏い始めていた。


「魔力を持たない妹を、私だけは愛してあげようとずっと思っていたの。それが、妹の魔力を奪ってまで稀有な属性で生まれた私の、唯一の役目だって……」


「ソレイア様……」


「私は特別なんだって、ずっと思っていた。けれど、違ったみたい」


自嘲気味な笑みを浮かべる彼女に、カイゼルは複雑な思いを抱いた。

正直に言えば、カイゼルにとってルナリアは「苦手な存在」だった。何を考えているか分からず、会話の続かない、魔力すら持たない「空っぽの王女」を彼は心底軽んじていたのだ。


(……俺は、何を見ていたんだ。あんなに澄んだ目をした人を、不純物だなんて)


先ほど垣間見た彼女の知性は、自分たちが必死に積み上げてきた魔道の理をあざ笑うほどに高く鋭かった。カイゼルは己の浅はかさを恥じた。


「……ルナリア様が『愛し子』だから、そう思うのかい?」


「いいえ。ルナリアはね、愛し子だから特別なわけじゃない。あの子が特別だったから、愛し子になったのよ」


ソレイアは振り返り、真っ直ぐに前を見据えた。


「私なら、耐えられない。もし立場が逆で、私が魔力もなく離宮に閉じ込められていたら……きっと願ってしまうわ。『こんなに辛い世界なら、いっそなくなっちゃえ』って」


カイゼルは言葉を失った。ソレイアの吐露は、光の中にいた者が初めて自覚した「心の闇」だった。

絶望の淵に立ちながらも世界を呪わず、むしろその理を愛し、矛盾すらも「完璧な形の一部」だと微笑んだルナリア。その精神の気高さは、魔力という物差ししか持たなかった自分たちを音もなく粉砕していた。


「私はルナリアみたいには、きっとなれない……だからこそ、決めたの」


ふと視線を感じ、カイゼルは学院の建物を見上げた。

三階の窓枠に頬杖をつき、退屈そうにけれど全てを見透かしたような薄笑いを浮かべてこちらへ手を振る男──レグナード・クローヴィス。


(……全部お見通しかよ……性格の悪いやつ)


カイゼルは、自分の不甲斐なさに頭をカリカリとかいた。あの傲慢な魔導師が、なぜあれほどまでにルナリアに執着したのか。今なら少しだけ理解できる。彼は、自分たちが見ようともしなかった「真実の光」を見抜いていたのだ。


「カイ! 私はね、ルナリアがいつでも帰ってきたいと思えるような国にするわ。誰もが、自分を特別だと思えるような国に!」


太陽の光を浴びてニパッと笑う彼女は、間違いなくこの国の『太陽姫』だった。

陰りを知ったからこそ、その光は以前よりも強く温かく地を照らしている。


「……ソレイア様。貴女は間違いなく、俺にとって特別な存在ですよ」


カイゼルは周囲に誰もいないことを確認すると、王配としての仮面を脱ぎ、夫としての顔で笑った。


「その光が陰に飲まれぬよう、俺が全力で支えていくからさ。もちろん、君の一番近くでね」


ソレイアは嬉しそうに笑うと、いつものようにカイゼルの腕に自分の腕を絡めた。


「うん! よろしくね、カイ」


歩き出す二人の影が、秋の午後の光に長く伸びる。

かつて離宮の窓から空を見上げていた少女は、今、本物の翼を手に入れて飛び立った。そして残された者たちもまた、彼女が愛したこの世界を、より佳き場所にするために歩み始める。


鏡合わせの双子が選んだそれぞれの幸福。

その物語のプロローグは、ようやくここで本当の結末を迎えたのだ。

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