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月明かりの導き

「……はい、今日の講義はここまで。課題は次回の授業冒頭に回収するから、忘れないようにね」


レグナードのどこか掴みどころのない、それでいて有無を言わせない声が響く。かつてのような周囲との極端な壁は薄れたものの、相変わらず「若き伯爵」にして「学園最高の魔道研究者」という肩書きを、彼はひどく面倒そうに背負っていた。

資料を抱えて廊下に出ると、窓外には雲一つない抜けるような蒼穹が広がっていた。初夏の陽光が、世界を眩いほどに祝福している。


(……さすがは『太陽姫』の御成婚日。出来すぎた空だね)


今日、第一王女ソレイアは公爵家嫡男カイゼルと挙式をする。独り言ちて歩き出したレグナードの背後に、足音もなく近づく影が一つ。


「おや、どうしました? こんなところで物思いに耽って。らしくありませんね」


黒いローブを翻し、薄笑いを浮かべて現れたのはシリウスだった。レグナードは無視を決め込んで歩速を上げたが、シリウスは楽しげに肩を並べてくる。

職員室の目前まで来たとき、二人の生徒がおずおずと進み出てきた。


「あの……シリウス先生」


「はい、何かな?」


「課題に『月の光草』が必要なんですけど……学園の温室にはもう咲いていなくて。どこか手に入る場所、知りませんか?」


薬草学の教師も兼任しているシリウスは、困ったように眉を下げたあと、わざとらしく隣のレグナードに視線を流した。


「そうですね……。それなら、クローヴィス先生にお願いしてみてはどうでしょう?」


「……おい」


「クローヴィス先生の住居には、それはそれは美しい地上の楽園(エデン)のような温室があるんですよ」


シリウスの言葉に生徒たちの瞳がパァァと輝く。レグナードは天を仰ぎ、深く重い溜息を吐き出した。


「……わかったよ、後で研究室に寄ればいい。少しなら分けてあげるから」


話を切り上げようとドアに手をかけた瞬間、背後から「クローヴィス先生ーっ!」と叫びながら別の生徒たちが駆け寄ってきた。


「廊下は走らないって、いつも言ってるよね……で、僕になんの用?」


「先生、雪を降らせる魔術ってご存知ですか!?」


「……は? 雪?」


あまりに唐突な問いに、レグナードはこめかみを指で押さえた。


「あのさ、授業でもやったと思うけど。天候を操るってのは、本来なら自然の摂理を力ずくでねじ伏せる不合理極まりない行為なんだよ。これだけの大規模展開なら、まず上空数千フィートの気流を完全に捕捉して、水系統の凝縮術式と風系統の拡散制御をミリ単位で同期させる必要がある。さらに、広範囲の比熱(ひねつ)を奪い去って断熱膨張を強制的に引き起こす『熱力学の逆転工程』まで組まなきゃならない。合理的に考えて、一人の術者が維持できる魔力消費効率を完全に逸脱してるんだ。そんな無駄、誰がやるって──」


「でも先生! 降ってるんだよ、雪!」


生徒の叫びに弾かれるように、レグナードとシリウスは顔を見合わせた。レグナードは職員室の中へ足早に踏み込み、窓際に近づくと迷わず窓を全開にした。

そこには、あり得べからざる光景が広がっていた。

抜けるような青空から音もなく、真っ白な雪が舞い降りている。それは地面に触れた瞬間にすーっと光に溶け、積もることはない。その一粒一粒が、まるで意思を持っているかのように優しく世界を撫でていた。

城の方角からは人々の歓声が聞こえてくる。


「さすが太陽姫の結婚式だ!」


「王族は気合が入ってるな、この時期に雪を降らせるなんて!」


誰もが、ソレイアの婚礼を祝う城の魔術師たちの余興だと思い込んでいた。

けれど、レグナードは違う。

差し出した手のひらに落ちた雪の、圧倒的に純粋で温かな「気配」。


「……っ!」


レグナードはローブを翻し駆け出した。

背後で「レグナード・クローヴィスが走ってる!?」という驚愕の声が上がる中、シリウスだけが窓の外を眺めて微笑んでいる。


「レグナード……あなた、転移が使えたはずでしょうに」


はやる気持ちを抑えきれず、もはや転移の術式を編む時間すら惜しんで走るその背中に、シリウスは静かに言葉をかけた。


「さすが『月姫』だ。目覚めるタイミングまで、完璧じゃないか」




レグナードは荒い息を吐きながら、離宮の温室のガラス扉を開けた。色彩溢れる花々と透明な水の噴水。彼が五年の歳月をかけて創り上げた、この世で最も安全な箱庭。

カツン、カツン。

静まり返った温室に、彼の革靴の音だけが響く。

期待よりも恐怖、恐怖よりも歓喜。

制御不能な感情に、彼の魔力が不安定に揺れる。

レースの天蓋が張られたベッドへと近づいた時、その奥の空気がふわりと揺れた。長い髪が宙に舞い、一人の少女がゆっくりとこちらを振り向く。月のように静かで、それでいて温かな優しさを持った微笑み。

声が出ずただ立ち竦むレグナードを見て、ルナリアはクスリと笑った。


「……レグナード様。髪、伸びましたね」


(最初の一言がそれ?合理性も奇跡的な再会の風情もあったもんじゃない)


レグナードはいろいろな思いを飲み込むように笑うと、迷わず彼女のもとへ駆け寄りその身体を力一杯、掻き抱いた。

確かな体温、柔らかな息遣い。

戻ってきてくれた。

その事実だけで、もう十分だった。


「…………っ、あ……」


こみ上げてくる思いが涙となって溢れ出し、レグナードは彼女の肩に頭を預けて肩を震わせた。

やがて顔を上げた彼は、ルナリアの額に自分の額をコツンとくっつけ、震える声で言葉を紡いだ。


「……おかえり、ルナリア様」



窓の外では、季節外れの雪がまだ舞っていた。

その雪は、触れた人々の怪我や病を治し、大地を再生させていく。それはかつて、孤独な少女が誰にも知られず捧げ続けてきた『祈り』が、今度は祝福となって世界に降り注いでいるかのようだった。

ここまで本編をお読みいただき、本当にありがとうございました。ひとまずこちらで物語は最終話となりますが、これからはエピローグとして、番外編をのんびり綴っていけたらと思っております。

ここまでお付き合いいただけたこと、とても嬉しく思っております。


もしよろしければ、評価やブックマーク、ご感想などをいただけましたら、これからの励みになります。


これからもゆるりとお楽しみいただけましたら幸いです。

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