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灰に帰さぬ想い

白銀の奇跡が去った離宮の寝室は、凍てつくような静寂に支配されていた。

レグナードが暖炉の焔から強引に奪い返した冊子は煤に汚れ、端が熱で無惨に縮れている。それは、ルナリアが人知れず綴り続けてきた日記だった。


「……君は、主の心を焼こうとしたのか?」


レグナードの低い声が、パチパチと爆ぜる火の音に混じる。その問いに、ソフィアは力なく頷いた。


「それが……ルナリア様の、最後の願いだったからです」


絶句するレグナードを前に、ソフィアの意識は数時間前──まだ夜が明ける前の、主との短い邂逅へと深く沈んでいった。




静まり返った部屋で、ルナリアは机に向かっていた。

その手元には、年季の入った一冊の日記帳。ふと顔を上げた彼女に呼ばれ、歩み寄ったソフィアの胸には、得体の知れない予感が走っていた。


「ルナリア様……?」


「お願いがあるの。ソフィア、もしよ……もし、私がこのまま目覚めなかったら」


ルナリアは困ったような、どこか清々しい微笑を浮かべ、日記の表紙を愛おしそうになぞった。


「これを……燃やしてほしいの」


ソフィアの顔が、恐怖に凍りつく。


「どうして……どうしてそんなことを仰るのですか」


「必要ないの。みんなの……あの方の幸せに、私はいらないのよ」


その穏やかな、あまりにも純粋な自己否定。

ソフィアはすべてを理解した。この主が誰を想い、その恋をどう結末づけようとしているのかを。溢れ出す涙を止められず、ソフィアは震える声で絞り出した。


「どうして……どうして貴女様だけが……そんな悲しいことを」


ルナリアは答えなかった。ただ、窓から差し込む柔らかな月光のような微笑みを、その唇に湛えているだけだった。




現実へと引き戻されたソフィアの視界には、かつての主の願いを果たすべく灰に帰そうとした「心」が、レグナードの手の中にあった。


「貴方に、これを読む資格があるのですか?」


ソフィアの鋭い問いに、レグナードは沈黙で応じるしかなかった。


「そんな中途半端な気持ちで、ルナリア様の心に踏み込むなんて……許せません」


ソフィアはレグナードの前に両手を突き出した。


「返してください。貴方はソレイア様の王婿筆頭候補。その立場をお忘れなく」


日記を握るレグナードの指に、白くなるほど力がこもる。


「……返したら、これはどうなる」


「もちろん、燃やします。それがルナリア様の遺志ですから」


「ダメだ」


間髪入れぬ拒絶だった。


「だから、貴方にはそれを持つ資格が──」


「わかっている。けどこれは、僕がこの先、僕自身で在り続けるために必要なんだ」


悲痛でありながら、氷のように冷静な低い声。その響きに含まれた天才ゆえの、そして一人の男としてのあまりに傲慢な「執着」。ソフィアは深く溜め息を吐いた。


「……本当に、魔術師って傲慢ですね。どこまでいっても自分勝手で……」


その痛烈な皮肉に、レグナードは自嘲の笑みを浮かべるしかなかった。



レグナードは煤けた日記を大切に懐に抱き、本城の玉座の間へと足を向けた。

シリウスが導き出した「祈り」の仮説、そしてルナリアが自らの命を削って姉を救ったという残酷な真実。それを告げる決意は、玉座に座す国王夫妻の言葉によって氷が砕けるように瓦解した。

ルナリアが深い昏睡に陥り、二度と目覚めぬ可能性があることを告げた時、玉座に座す国王と王妃は顔を見合わせ「……そうか」と、安堵にも似た吐息を漏らしたのだ。

ソレイアが倒れた時に見せたあの狂乱、あの憔悴、あの身を切るような絶望はどこへ消えたのか。同じ血を分けた実の娘であるはずなのに。

レグナードの内で、魔力が不安定にかつ激しく渦巻いた。その時、先ほどのソフィアの言葉が脳裏を鋭く突き刺した。


『魔力量だとか、属性だとか……そんな、下らないもののために』


(……ああ。本当に、その通りだよ。魔力保持者なんて、傲慢で自分勝手な、救いようのない愚か者だ)


レグナードは国王に向かって優雅に、けれど心臓を凍りつかせるような最敬礼を捧げた。


「レグナード・クローヴィスは、第一王女ソレイア殿下の王婿候補を辞退させていただきます」


静まり返る玉座の間。

驚愕に目を見開く国王を射抜くように、彼は告げた。


「私の求める方は、ただ一人。ルナリア・エルフェルト第二王女殿下のみです。承諾いただける場合のみ、この力は引き続きお国のために捧げましょう。もし、それ以外の返答であれば……」


それ以上の脅し文句は不要だった。レグナードの全身から溢れ出した濃密な魔力の奔流。

その圧力に国王は顔を真っ青にさせ、震える膝を隠すように何度も首を縦に振るしかなかった。

その後、レグナードは意識を取り戻したソレイアの元を訪れた。


「身体の調子はどうですか?」


レグナードの問いに、ソレイアは往時と変わらぬ屈託のない笑顔を見せた。


「レグナード様。ルナはどうしていますか?」


「……どうしてそれを僕に?」


「だって、お二人は両想いでしょう?」


「は……?」


あまりに唐突な言葉に、レグナードは虚を突かれた。


「私が暗闇の中にいた時、ルナの声が聞こえたの。『また会おうね。大好きだよ……ソル』って。そしたら急に明るくなって、みんながいたわ」


レグナードは、その言葉を胸を抉られるような思いで聞いていた。


「あれはきっと、ルナの別れの挨拶……。あの子、私のことを『ソル』って呼んだから。もうずっと前から、呼ばれなくなっていた懐かしい愛称だもの」


頬を伝う一筋の涙を指で拭いソレイアはにっこりと、けれど慈しむように微笑んだ。


「私はレグナード様じゃなくても幸せになります。だから貴方は、ルナリアの傍に。あの子の目覚めを、ずっと待ってあげてください」


レグナードはソレイアを静かに見つめ、ふっと憑き物が落ちたような笑みを浮かべた。


「……似ているね」


「え?何がですか?」


「貴方たち姉妹は、本当によく似てますよ」


レグナードの言葉に、ソレイアは太陽のように輝かしい笑顔を向けた。


「だって双子だもの!」


その明るさがレグナードには眩しく、そして切なかった。

彼は懐の日記をそっと確かめる。これから、ルナリアが隠し続けてきた「心」を紐解くのだ。たとえそれが、自分を責める刃であったとしても、彼はその痛みと共に彼女の目覚めを待つと決めた。

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