077.理想の計画
正澗溝穣秭万垓京兆億万、そして四〇三八番目。
実際にはそれよりもっと多い可能性の中から、唯一私に応えてくれた存在。
そんなシノミヤは今、異常を抱えている。
……正確には、私とシノミヤになる前の彼との合意の元で封鎖された記録。
忘却の彼方の其れを取り戻そうとするような素振りは、以前から垣間見えていた。
私に刷り込まれた記憶以外を持ち合わせていなかったシノミヤは、この世界に触れて、体験を重ねるごとに「これはなんで起きるのか」「どうしてこうなるのか」と疑問を口にしていた。
例を挙げるなら、シノミヤはこの星を照らす恒星の名に興味を持ったり、呼吸に酸素を必要とするのか、魔法とは何か、魂に残った封印された体験とこの世界を擦り合わせて理解を深めようとすることが良くある。
それ自体は構わないことだ。
興味を持ち、理解し、シノミヤはそれを武器にしているから。
けれど、問題は別。
シノミヤは人間に寄りはじめている。
過去はなんであれ、シノミヤは今はもう混沌と同じ存在だ。
この世界で人間としては生きていけない。生きてはいけない存在であるにも関わらず、周囲に人間が集まりつつある。
ミエレという存在を抱いてしまったのもよくない。アレはシノミヤとダンジョンにとって碌な存在ではない。できれば早く処分したいところだけれど、今のシノミヤはそれを受け入れないと思う。
「産まれたてのときは可愛かったのになー」
星獣から簒奪した支配領域の掌握と利用できる資源の分析、森に放った配下の観察、ダンジョン内の侵入者の吸収。それからシノミヤに頼まれたフェルの船作りに、ダンジョンの改築。
これまで星獣に邪魔をされて身動きが取れなかったものがまとめて押し寄せてきた。
そして私がシノミヤと物理的に距離ができた間に入ってきた二人の人間の女。
こうなる前に女型のモンスターを呼び出せていれば良かったのに。後悔しても遅い。
星獣をどうにかしなければそんなモンスターを呼び出す余裕もなかったのだから、したところで意味もないのだけど。
それにしたって、配下のモンスターを殺すなんて。
以前、スライムを殺してしまったことはあるけれど……あれは明確な事故だ。寝ぼけて踏みつけてしまっただけ。
今回のコボルドパピーを落とし穴に放り投げたのは事故でもないし、ゴブリンたちにしたように戦闘中だった訳でもない。
「前は毎朝コボルドに起こされて"ふみゅう"なんて可愛く鳴いてたのに」
産まれたてのシノミヤは可愛いもので、一度眠ると寝起きは赤子のように言語能力が低下してしまっていた。近頃はそんな幼さも消えてしまって、今では時々思い詰めたような顔さえ見せる。
なんでなんでと気になったことを口にして大人を困らせる子供から、自分は何者かを考える思春期になってしまった。
「グレイスとネクロフェルワイアムに腑分けをしたのは成功したはずだったのに」
人間の心というものは読めない物だ。
シノミヤが壊れてしまわないように、その罪を、その咎を、処理し切れない感情を外に顕現させて分離してきた。
結局、それで齎された安定はシノミヤにとっての余白に人間性を宿らせつつある。
「星獣……セルヴィエルにサリエルク。やってくれたものね」
天視偽と呼ばれるサリエルクの特殊個体を吸収したことで彼ら星獣の言語を多少は解読することができた。
天陽、天視。この惑星を照らす恒星とこの惑星の命と闘いの歴史。その結果としてこの北の果てに追いやられたサリエルクたちが新たな北の民を歌で洗脳し生み出した幻想。
ミストフォークと昏き霧の森。この土地はサリエルクたちの嘘でできていた。
人々が語り継いだ歴史そのものが全て嘘、偽物。かつて北の地を滅ぼしたのはサリエルク。凄惨は天視に敗北し山に逃げ出し森に霧を張った。
二度とその存在に見つからぬようにと。
そんな厄介な存在は、最終的には自分たちが生み出した洗脳された獣たちを元に、シノミヤが産み落としたネクロフェルワイアムに山を追いやられ、抜け殻の白の雄鹿を囮に森から逃げ出した。
小悪魔爆乳シスターを求めていたシノミヤには申し訳ないけれど、ネクロフェルワイアムの誕生は痛快だった。サリエルクたちの侵した罪の再利用。狂わされた獣共の逆襲。死者たちにサリエルクの能力は通じず、更にはシノミヤはダンジョンの在庫の中からこの北の地でもっともセルヴィエルに近づいた人間のパーツまで引き当てた。
予想外の痛快な勝利。星獣の群れは捨て駒を囮にして大移動を開始した。
あれらが何処に逃げようと構わない。フェルの骨を少し拝借して、情報も記録した。分析に時間は掛かるだろうけれど仕方ない。今、この時この地に存在しないのならば、力をつけたあとに世界と共に滅ぼせばいい。
それでいいはずだったのに。
「ちゃんとシノミヤの完成系は殺して行ってた訳ね。腹が立つ」
シノミヤは星獣の前に姿を現しすぎた。混沌は未来を手繰る星獣にとって相性最悪の存在だろう。真っ当にひとつの道を歩むことなどないのだから。
それでも、今のシノミヤを見れば奴らは大当たりを引き当てたと言ってもいい。
完全なる混沌との同一化を果たしたシノミヤが君臨する筈だった未来。
私の一番求めていた理想の計画は既に崩された。
ただでさえ他所に比べて酷いスタートを強いられたというのに、まだ困難を与えられるなんて、いったいどれだけこの世界は私を嫌っているのだろうか。
そんなことを考えながら、私はタスクをこなしながら今後のことを考える。
とりあえず、シノミヤの現状については気をつけて観察しないとダメね。
試しに、シノミヤが欲しがっていた船をふざけたデザインにしてみよう。
ちゃんとシノミヤがダンジョンを、モンスターを、私を。何よりも大切に思っているか確かめるために。
「でもその前に……」
コアルームに帰ってきたシノミヤに心配をかけさせないで! と全力タックル。
「ごめんて」と言いながら優しく受け止めてくれる。
少しだけ許しかけた。でも、私のことだってこうやってちゃんと抱き止めてくれないと本当にあの女殺しちゃうからね?
それからわざと作ったボウルを見せてみる。フェルには骨を返すついでに既に取り付け完了済み!
タイヤが云々と言い出して来たのでまたタックル。うへへ、二回目のぎゅ。
私のことを相変わらずバカだと思って笑っているシノミヤに三度目のぎゅ。
うん。やっぱりシノミヤは私のものだ。
人間らしさなんて忘れて、悩むなんて無駄なことはやめて……くだらないことをして笑っていればいいの。
そうすれば、私が全てを与えてあげるんだから。




