5 対決、決着、依頼の終結――それから、それから?
ミハイルが俺を連れてきたのはコロニー旧市街の廃工場の中だった。
独立戦争時の空襲で壊されたまま放置されていたのだろう。瓦礫のなかに湿った空気がじっとり充満している空間だった。疑似太陽光の光は、砲撃で穴が空いたらしき屋根の隙間からしか注いでこない。なんとも陰気な場所だった。
しかし、俺は感心してもいた。ミハイルが俺との対決場所に、薫地区のどこかではなく、中立地帯の旧市街を選んだことに。そのへんは同じ蓬莱百貨店の外商部員として礼儀をわきまえている、そういうことだろうか。
とはいえ、だ。柘榴を人質に俺をこんなところに連れ込むのは、どう考えても蓬莱百貨店の内規に反するやり方だった。
だから俺はこう声を放った。
「如何に担当区域の利害が対立したとて、外商部員同士の揉め事は禁忌のはずだが」
「知ったことか」
ミハイルが忌々しげに口を開く。
「あの茘枝騒動は貴様の仕業だろう。薫の奴らは激怒している。俺の面子を潰されたからには、気がすまないんだよ」
「懲戒解雇になるぞ」
「構わんさ。その場合の再就職の当ては、薫と話をつけてある」
「なるほどな」
俺は納得したばかりに軽く頷く。
なまぬるい闇のなかで、俺の黒髪がざわり、と風に靡いた。いつも髪の奥に隠している右頬の傷が疼く。やれやれ、ここが明るい場所なら丸見えだ。
それはそうと、大事なことをもうひとつ聞き出さなければいけない。
「柘榴はどこだ」
「この廃工場内に置いてるよ。安心しな。お前さんをなんとかできりゃ、嬢ちゃんには何も用はない」
「同じ百貨店の店員を攫うとは、思い切ったことをしたもんだな」
俺の半分呆れ声に、ミハイルは不貞腐れたように語を返す。
「そうでもしてやらないと溜飲が収まらない程度に、俺は怒っているんだよ。情けねぇ元脱走兵のおっさんにこんな目に遭わされるとは、こんな屈辱ねぇよ」
「……俺の素性に詳しいようだが、ちょっと訂正が必要だな。俺は脱走したわけじゃない」
途端にミハイルの声が爆ぜた。
「同じことだろ!」
仄暗い廃工場に響く声は忿懣やる方ない、といった響きだった。
それを聞きながら俺は思う。ああ、やっぱり、俺の過去はそこそこ周りには筒抜けで、そこそこ侮蔑を持って語られる類のやつなんだな、と。今更でしかないが。
「ここのコロニーの独立戦争時、なんでも基地のバーで酔い潰れた挙句に厭戦をぼやいて逃げ出したって話じゃねぇか! 情けないったらありゃしねぇ!」
俺は思わず小さく笑みを刻んでしまった。
「厭戦をぼやいた、なんてやたら格好いい物言いだな、照れるぜ」
そうしてから俺は、ミハイルが突きつけてきた己の素性を、丁寧に訂正する。極めて淡々と。
「俺はただ、休暇中にバーで『死にたくない』ってぼやいただけだ。それを憲兵に聞きつけられて営倉にぶち込まれた上、除隊になった。それだけのことだ」
「それでも体よく戦地から逃げ出したことには、変わらねえじゃねぇか! 俺は! そういう奴が一番むかつくんだよ!」
そのミハイルの怒声を耳にして俺はようやく気づいた。
――ああ、彼の俺への憤りは、薫地区でのあれこれに始まったことじゃないんだな。
同時に、頭に木霊する、幾多の声。かつて投げかけられた、数多の嘲りの言葉。
――お前は卑怯者なんだよ――。
――口は災いの元とはよく言ったもんだな――。
しかしながら、状況は俺を暗い回想に浸らせてくれるほど呑気なものではなかった。
攻撃は急だった。
目の前から、ミハイルの姿が急に消え失せた。そして奴が高く上に飛んだのだ、と気づいたときには、頭上から銃撃が降ってきた。俺は咄嗟に身を捩り、弾を躱わす。それでも数弾は俺のオーガンジーのスーツを掠め、袖を僅かながら焦げさせた。
俺は後ろに飛びのきながら、愛用の銃を懐から出す。いつこういうことがあってもいいように弾は込めてあった。外商部員にとっては日常は時に戦地と同じなのだ。それはミハイルとて同じことだろうが。
ミハイルの金髪がわずかな光にきらりと光るのを目視し、俺はそちらの方向に銃弾を放った。久しぶりだが、腕はなまっていない。それを裏付けるように、弾は奴の左肩を掠った。非常に惜しいが、ここで奴を殺しても話はややこしくなるばかりだから、それでいい。
ミハイルの動きが一瞬止まる。俺はその隙にミハイルに向かって風を切って飛び掛かる。長い髪が頬を擽り、やはりこういうときは邪魔だな、という思いが意識の向こう側をよぎる。そうして奴の腹に回し蹴りを食らわせる。食らわせながら、叫ぶ。
「たしかに俺は情けねえおっさんだがな! だからといって腕がなまってるわけじゃないんだ、舐めんな、若造!」
倒すに十分な打撃だ。俺は手ごたえを感じて、いったんミハイルから飛びのく。
ところが、奴は倒れなかった。
そして次の攻撃はより苛烈だった。ミハイルがまた高く跳躍したのだ。しかも、なんてことだ、俺の頭上を飛び越して。そして背後に回り込み、俺の背中を銃身で強く殴りつけてきた。
「ぐっ……!」
息が詰まる。詰まりながらも、俺も銃を奴の身体へと翳す。翳しながらも、また上に飛んだミハイルの動きを目で追う。だが、奴の黒い影は恐ろしいほどに俊敏で、俺の動体視力ではとても追いつかない。
そう、奴の動きはまるで「人間ではない」ようなハイスピードだった。
――ということは。
だが、脳に疼いた答えを口にする前に、ミハイルの銃が再び唸る。いつのまに移動したのか、左前からの銃撃だった。俺はなんとかその方角に銃をぶっ放す。
そして瓦礫が散らばる床を転がり、なにかの機械の残骸らしき塊の陰に身を潜めた。
ミハイルの声が廃工場内に響き渡った。
「往生際が悪いぞ! 楊!」
「ミハイル。お前は改造兵か」
物陰から息を弾ませながらの俺の問いに、答えはない。つまりそれは、真実ってことだ。
俺は残骸にもたれかかりながら、嘆息する。
――だったら、恨まれるだろうな。俺のような人間は、特に。
しばらくの沈黙ののち、その述懐を裏付けるような言葉が鼓膜を擽った。そして、声とともに、一歩一歩こちらに近づいてくる足音も。
「お前みたいな狡い男の……しかも……老いぼれに負けてたまるかってんだよ……舐められてたまるかってんだよ……」
恨みの色濃い言葉が俺の耳を打つ。
俺といえば、すでに銃は下に降ろしていた。それはそうだ。奴は改造兵で、俺は生身の人間。だったら、勝つ見込みはない。なるほど、俺を薫地区に連れ込むまでもなかったわけだ。俺は小さく自分を嗤う。
やがて、ミハイルの姿が座り込んだ俺の目前に見えてきた。仄かな光を反射した奴の金髪が、この場に似合わずきらきらと煌めく。奴の顔つきといえば逆光なので、窺うことはできない。だけど、きっと怒りの色が濃いものなんだろうと想像する。
――やめてくれよ。お前の気持ちはわからないでもないが、そんな恨みを向けられる謂れも、俺には、ないんだ。
そう言ってやりたかったけど、多分無視されるだろうから俺は口を噤む。
そして、頭に突きつけられた銃口の冷たさに、ゆっくり、目を瞑る。
その瞬間、天が裂けた。
いや、天がどうかなったわけではなかった。廃工場の屋根に大きい音とともに、突然亀裂が走り、同時に疑似太陽光のひなびた光が空間にぱあっと広がったのだ。そして白い光のなかを、ものすごいスピードで「降って」くる黒い影がある。
ミハイルの視線と銃口は途端にそちらへと跳ね、俺は目を見開く。そして、その影――いや、小さな人影の正体を認め、俺とミハイルの口から驚きの声が爆ぜた。
「柘榴!」
果たしてその小さな黒い人影は、彼女だった。ボブカットの黒髪とキャンディのような黒い瞳、そして赤い唇が天から注ぐ光に鮮やかに照らされる。
そして俺は唖然とした。
なぜなら、その動きも「人間のものではなかった」からだ。
声も出せない俺の頭上では、人ならざるもの同士の戦いが始まっていた。もはや俺の目にはふたりの影の区別がつかない。ふたつの人影が、廃工場のなかを跳び、跳ねる。同時に銃撃の音も耳を打ち、ふたりが空間を縦横無尽に駆け回りながら、銃を撃ち合っていることがわかる。
やがて、ぎゃっ、と大きな叫び声がして、片方の人影が落下し床で大きくバウンドする。
その声は、柘榴の声ではなかった。
俺がようやく立ち上がり柘榴の側に駆け寄ったときには、すでにミハイルは柘榴の手により手錠をかけられて転がされていた。奴の顔つきといえば、茫然自失と言ったところだ。そりゃそうだろう。まさか「嬢ちゃん」と侮っていた柘榴にこんな目に遭わされるなど、ミハイルにとっては想定外の屈辱だろうから。
それでも奴は床に転がったまま、俺を爛々と光る青い目で睨みつけてくる。その根性は立派だよ、と俺が内心で独りごちたとき、ミハイルがようやく言葉を発した。
「ひとつ教えろ。貴様……薫の玉に何をしやがったんだ……?」
俺は肩をすくめた。まったくもってこの状況下でもそれを問うとは、やはりいい根性だ。
だったら俺も教えてやらねばなるまい。
「時計を狂わせただけさ」
「時計だと?」
「ああ、薫の玉の茘枝製造に関わる体内時計を狂わせた。そのおかげで、茘枝の醸造タンクでは二十四時間ほど余計に醸造時間がカウントされているはずだ」
ミハイルが目を剥く。
すると、そうよ、次は私が喋る番、とばかりに柘榴が俺の言葉を引き継いだ。
「醸造時間がそれだけ長くなれば、茘枝の薬効成分は過剰発酵で失われるよね。そうなりゃ茘枝は名前の通りただのお菓子よ」
「……毒を仕込むより汚ねぇやり方だな」
「仕方ないじゃない。人死を出さずに茘枝の商品価値を下げるにはそれしかないんだから」
舌ったらずのハスキーボイスで柘榴は淡々とミハイルに言ってのける。
そうしてから、柘榴はミハイルの手錠がかけられた手首をぐっと掴み、彼を引きずりあげた。そして、ミハイルに前を歩かせながら、廃工場の外へと去っていく。まるで、俺の存在など気にしない、そうと言わんばかりの颯爽とした足取りで。
それでも彼女は俺の視界から消える前に一度だけ、ゆっくりと俺の方を振り向いた。
艶やかな赤い唇を可憐な笑みに緩ませて。
俺の背筋を脂汗が流れる。同時に、こんな言葉が口から漏れた。
「……あいつは……柘榴であって、柘榴じゃ、ない……」
それから数日が経過し、薫の玉でのトラブルが解決され、茘枝の品質が元に戻った旨の報道がコロニーに流れた。どうやら俺と柘榴の今回の仕事は無事、統治委員会に報告されたらしい。それゆえの処置だろう。
報告の結果、委員会で好地区と薫地区の代表者の間ではさぞかし火花が散ったことだろうが、それはもう俺の知り得る範囲の話題ではなかった。
蓬莱百貨店、ひいては崑崙コロニーの日常は過ぎゆく。
のどかで退屈な雑踏、嘘めいた疑似太陽光、そして豪奢なシャンデリアの白い光。それらの下で俺たちは生き、暮らしていく。飽きることなく。飽きることすら許されず。
それでも、俺を心底驚かせるニュースにこの世界は事欠かないようだ。
ある日、店内で所在無げにしていた俺に近寄ってきた人影があった。俺はそれが誰かを判別し、思わず身を強張らせる。
それは、あの廃工場での出来事以来、一度も顔を合わせていなかった柘榴だった。
なんと挨拶すればいいものか、迷っているうちに彼女はさりげなく俺の隣にぴたりと立った。動揺する俺の視界をボブカットの黒髪、赤い唇、そしてキャンディみたいな黒い瞳が掠める。
そしてその黒目がくりっと動き、俺の顔を捉えた。
それもこんなことを俺の耳元で囁きながら。
「私、今度ミハイルの後を継いで、薫地区の外商部員になったの。これからは、同じ外商部員として、どうぞよろしくね」
「はぁ!?」
思わず売り場にいるのにも関わらず、素っ頓狂な声を上げてしまった。そんな俺を面白げに見やりながら、柘榴はあの時と同じように颯爽と去っていく。
赤い唇にも、あの時とまったく同じ笑みを浮かべたままで。
了
柘榴の正体と崑崙コロニーの成り立ち等詰めていったら「いけおじ豊穣祭」既定の30000字に収まらなくなったので作品としてはいったんここでピリオドです。すみません。
いずれ長編化するつもりですので、そのときはまたおいでくださるとうれしいです‥‥‥。
つるよしの




