その二
「なんでオレがこんなところに……」
額に手を当て、はぁ~と嘆息したアリスは、茂みに隠れる二人を後方で見守っていた。
すでに陽は高く昇り、たなびく雲の間からときおり覗く。
アリスは、むせ返るような新緑の匂いに包まれながら、大木に腕を組んで寄りかかった。気分は、保護者だ。
「お姉様を悲しませる兄様なんか、僕が懲らしめてやるっ」
鼻息も荒く宣言する彼に対し、隣で身を潜めるテイトが声援を送った。
「その意気ですよ、セルリックさま!」
いつもは仲の悪い二人だったが、こういうときは団結するのか、互いに顔を見合わせると頷きあった。
二人とも男にしては可愛らしい容姿をしているから、はたからみれば微笑ましい光景だったのかもしれない。
(まさか、ウィルの耳に入ってるとはな。ディーがキレないといいが)
テイトと並んで座っているのは、セルリック・ウィル・オル・サンセット。ディアスの弟だ。
年齢はアリスよりも一歳年上なのだが、将来義理姉になるアリスを慕って「お姉様」と呼んでいる。
亜麻色のさらさらとした髪に、榛色の大きな双眸をした天使のような容貌を持つウィルは、兄弟でありながら端麗な容貌のディアスとは似ていない。どちらかといえば、母親似だろう。
初めて会ったときは、それこそ美少女にしか見えなかったが、今は背も伸びて少し少年らしくなった。
けれど、天使の微笑みと称される無邪気な笑みだけは、変わらなかった。アリスを実の姉のように懐いてくれるところも。
ウィルのほうが年上だが、子犬のように駆け寄ってきたりするところは、本当に可愛らしくて、とても年上には見えなかった。
「――様? お姉様ったら」
「ああ、すまない。ぼんやりとしていた」
振り向いたウィルが、必死に声をかけてくれていたようだ。
むぅっと拗ねたように唇を尖らせたウィルは、子供っぽく頬を膨らませた。
「どうせ僕なんか、兄様の足元にも及びませんよ~だ」
「セルリックさま、いじけてる場合じゃありませんよ。オーラントさまが、あの女の毒牙にかかってもいいんですか!」
「あっ、そうだった。お姉様、見て下さい! 今日もあの女は、兄様に馴れ馴れしく……っ」
顔色を変えたウィルは、指を指して訴えた。きいぃぃぃっと悔しそうに、地面に生える雑草を引き抜いていく。その姿はまるで、発狂した女のようだ。
アリスを盲目的に慕っているウィルは、アリス以外の女性がディアスに近づくのをよしとしなかった。アリスが傷つくと思っているらしい。
ウィルの気持ちは嬉しかったが、アリスにしてみればありがた迷惑だった。
(どうしたものか)
ディアスにつきまとう女がいるという噂を聞きつけたウィルは、城で働く父親の手伝いついでに、ディアスの様子を窺っていたらしい。そしたら、噂通りカルロットが現れて、勤務中だというのにディアスにべったりとくっついて離れなかったようだ。
腹を立てたウィルが、「お姉様を悲しませるおつもりですか」とディアスに猛然と抗議したようだが、軽くあしらわれたのだという。
自分では相手にしてもらえないと悟ったウィルは、ならばアリスだったら無下にできないだろうとここまで無理やり連れてきたのだ。
『兄様なんか、お姉様に冷たい目で見られて、落ち込めばいいんだ』
と、ウィルは考えているらしい。それに便乗したのが、同じくカルロットの存在を快く思っていないテイトだ。
アリスは、読書の時間を楽しもうとしていたのに、手を組んだ二人のせいで台無しにされた。それはもう見事な連携で、異を唱える隙さえ与えてくれなかった。
(火遊びくらいで、目くじらを立てるものではあるまい)
そもそも貴族に浮気はつきものだ。
ウィルたちの両親のように、想い合っている者はほとんどいないだろう。互いに一目惚れをして、そのまま結婚するなど、貴族の中では珍しい。
もちろん、それが叶ったのは、公爵夫人の家柄がよかったからだ。バルフィック公爵家に嫁ぐに相応しい身分でなかったら、周囲の人間に引き離されていたかもしれない。
「なぜオーラントさまは、受け入れておられるのでしょう。いつもならば、寄せ付けもしないというのに」
「僕にもわからない。あの程度の容姿なら、そこら中にいるし。兄様の趣味を疑うね」
不思議そうに小首を傾げるテイトに、ウィルはそう吐き捨てた。
ロット卿の溺愛する末娘だから、ディアスも突き放すことができないのかもしれない。兵士の育成に携わっているならば、ディアスとも関わったことがあるはず。
もしロット卿に師事していたならば、愛娘を冷たくあしらうまねはできないだろう。
「ウィル、テイト、帰るぞ。こんなところで時間を潰してなんになる」
痺れを切らしたようにアリスは、二人に声をかけた。
(それに、兄様がいつ現れるかわかったものじゃないからな)
できれば会いたくない、というのが本音だ。
アリスは、ちらりとディアスのほうへと視線をやった。遠目からでも彼の美しさは際だってみえた。
長身で、すらりとした手足。王室近衛隊の朱金の制服が、この上もなく似合っていた。
その彼の腕に甘えるように巻き付いているのは、カルロットであった。四日前とは形の違う、細長い帽子を被っていた。
少し離れたところには、取り巻き二人。カルロットとディアスが並んだ姿を見て、キャーッと歓声を上げ、はやし立てていた。
お似合いですぅ~と口々に言われ、カルロットも満更ではなさそうで、ディアスの胸に頭を預けた。とたん、取り巻きたちが嬉しそうな声を上げる。
そんな彼女たちを迷惑そうに見つめるのは、ほかの近衛兵であった。
カルロットたちのせいで傍観に徹しているようだが、その手には木刀が握られていた。どうやら、鍛錬の最中だったようだ。カルロットたちがいてはなかなか再開できないようで、ひとり、またひとりと顔をしかめながら宿舎へ戻っていった。
だれも注意する者はいないらしい。
その様子を観察していたアリスは、さすがに眉を潜めた。
あまり関わりたくないのだが……。
しかし、見過ごすわけにはいかない。
動き出そうとしたアリスの気配を察したのか、ウィルとテイトが目を輝かせて見上げてきた。
「お姉様、ついに行かれるんですねっ」
「ご主人さま、ボクはこっそり応援しています!」
なんとも心許ない声援を背に、アリスはゆっくりとディアスたちのほうへ向かって歩き出した。