その三
足音に気づいたのか、ディアスが視線をこちらへと向けた。
とたん、大きく見開かれる双眸。
「アリス! なぜ、ここへ?」
嬉しそうに破顔したディアスは、まとわりつくカルロットをやや乱暴に剥がすと、アリスの元へと走り寄ってきた。
「ウィルとテイトが、うるさいんだ」
「ああ。ごめんね、迷惑をかけて」
そっとアリスの頬に手を当てたディアスは、ウィルという言葉ですべてを理解したようだった。
「でも、君の顔を見られたから感謝しないと。ここ数日会えなかったせいで、アリス不足だったんだ」
腰を落としたディアスは、親愛をこめてアリスの柔らかな頬にキスをした。
「! まさか、企んだか?」
「ふふっ、なんのことかな」
いたずらっ子のように瞳を輝かせるディアスに、アリスは頭痛がするようだった。
ウィルを冷たく追い払えば、彼がどんな行動を取るかなんて、兄であるディアスがわからないわけない。
カルロットは、いいように使われたようだ。
エサをまいて、アリスが自ら現れるのを待っていたのだろう。健気といえば聞こえはいいが、周囲を巻き込んでの茶番劇に、アリスは小さく唸った。
「――ッ、オーラント様! その方はどなたです!?」
眦をつり上げたカルロットが、アリスから引き離すかのようにディアスの腕を自分の方へと引き寄せた。
先ほどまで仲良さそうだったというのに、アリスが現れたとたん、カルロットに向ける視線は冷たくなった。存外に邪魔だと言いたそうな眼差しに、けれどカルロットが気づくことはない。
ディアスの関心を自分に戻そうと必死になるカルロットを薄く微笑みながら見下ろしたディアスは、死を宣告するように告げた。
「アリスは、この世で一番大切な人だよ」
「! そ、んな……」
愕然とした顔で立ちすくむカルロット。
今耳にした言葉が信じられないようだった。
カルロットの手が力なく落ち、ふらりとよろめいた。それを取り巻きたちが駆け寄って支えた。
「カルロット様!」
「しっかりして下さいませ」
しかし、彼女たちの励ます声もカルロットの耳には入っていないようだった。呆然とするカルロットの視線の先には、睦まじいディアスとアリスの姿があった。
「いつまでいるの?」
そう問いかけるディアスは、カルロットの存在を綺麗さっぱり忘れたようだった。その美しい蒼目に映るのは、仏頂面のアリスだけだ。愛おしむような眼差しが、アリスを包み込んでいた。
「バカか。もう帰るに決まってるだろ」
抱きついてこようとするディアスの胸をとんと押して離れたアリスは、呆気に取れられているほかの近衛兵に気づいて、ディアスを睨み上げた。
「迷惑をかけるならば、辞めてしまえ」
「アリス……?」
「お前は、王室近衛隊に選ばれた人間というのに、近頃の態度は目に余るものがあるな。オレの耳に届いてるのはわかっていて、自らを貶める行為に走るとはな……。見損なったぞ、ディー。そんな中途半端な覚悟ならば、近衛兵など辞めろ。今のお前がすべてを捧げ仕えるのは陛下だろ。なのにこの体たらくはどういうことだ。女にうつつを抜かし、職務怠慢なんてな」
「僕は……」
切なそうに目を細めたディアスは、ぐっと拳を握りしめた。
そのとき、遠くのほうが騒がしくなった。
焦ったような顔の衛兵が、息を切らしながら駆け込んでくる。
「へ、陛下が、近衛師団の演習を見学にいらっしゃるそうだ!」
一気に、空気がぴんっと張り詰める。
衛兵の声が聞こえたのか、宿舎から近衛兵が飛び出てきた。それまでのグダグダとした態度が嘘のように、ぴしっと壁際に沿って整列をした。
その場から動けないでいたカルロットたちも、顔色を変え、邪魔にならないよう隅へと移動し、頭を下げた。
けれど、ディアスだけは、物言いたげにアリスを見つめていた。
「アリス、僕は……」
「急がないと叱られるぞ? オレもさっさと退散する。またな」
「あ……」
とっさにディアスが手を伸ばすが、一瞬遅かった。身のこなしの軽いアリスは茂みの中へと消えていった。
「オーラント、早く並べ!」
叱責する同僚の声に、伸ばした手をゆっくりと握りしめたディアスは、硬い表情のまま身を翻した。




