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終章

「いい天気だ」


 ん~っと背伸びをするアリスに、付き添っていたテイトが、げっそりとした顔で言った。


「なにを呑気なことを……」

「ふふん。まぁ、頑張れ、テイト」


 国王の妹として王宮に居を構えることとなったアリスは、前王妃が使用していた右の翼棟が与えられた。

 国王の寝室にも近いためか、それこそ恋人のように足繁く通うラディ一世の姿が使用人たちに目撃されているという。


「いいですよ、ご主人さまは人ごとなんですからぁぁぁ~~っ」


 王女付きの従者として、女官長直々に指導を受けているテイトは、覚えることも山ほどあって泣き言をいうようになった。

 それでも、アリスから離れていかないどころか、堂々と王女付きを名乗っているあたりさすがであろう。この頃は、アリスに関することで女官長との衝突も少なくないと聞く。


「オレだって勉強中の身だ」


 むっと口の端を曲げたアリスは、不服そうに少しだけ背の高いテイトを見上げた。

 王女として礼儀作法や勉強、舞踏などを優秀な教師陣から個別に教わっている最中のアリスは、それこそ一日中、部屋に閉じこめられていることが多い。こうして息抜きに、こっそりと抜け出してくるしか、自由に動き回ることもできないのだ。

 どうやらアリスの存在は、国中を震撼とさせたようで、公式に披露目が済んだ今もなお、外は騒がしい。国民の多くは、新しい王族の誕生を心から喜び、迎えていたが、舞踏会に居合わせなかった貴族の中には侮る声も少なくない。私生児であり、しかも半分は平民の血を引くアリスが、第一王位継承権を持つことに不満を抱いているのだ。

 けれど、表舞台へと上がることのないアリスは、そんな批判をもろともしない。噂は耳に届くが、どこか遠い国の出来事のように感じるのだ。


「アリスティナ嬢……ぁっと、失礼。王妹殿下」


 ふと聞こえた声に、アリスが顔を向けると、アロウが膝をついてお辞儀をしていた。


「これまで通りでいい。堅苦しいのは性に合わん」


 アリスは苦笑した。


「そうもいきませんよ。……しかしまぁ、陛下にも驚かされました」


 立ち上がったアロウは、頭を掻いた。


「――結局、我々は陛下の掌で踊らされていたというわけだ」

「おじ様!」


 アロウの後ろから現れた人物に、アリスは目を輝かせた。


「殿下、こちらでなにを? 確か、今の時間帯は、歴史学を学ぶはずでは」

「ぅっ」


 アリスは、テイトに救いを求めるように見るが、彼は首を竦めていた。

 家族としては情が深く、優しい公爵であるが、仕事となると口うるさくなるのが難点だ。それもすべてアリスを思えばこそと理解しているが、こうしてさぼっているところを見つかるのは心臓に悪い。


「テイトも、殿下の甘言に乗らないように。おまえは、諫める立場なんだぞ」

「は、はい!」


 バルフィック公爵に気圧されて、直立不動となったテイトは、慌てて敬礼をした。

 アリスを見つけたというのに、公爵に知らせもせず、アリスに付き添っていたという話を人づてに聞いたときの公爵の顔は見物であった。もし、彼が報告していれば、公爵はラディ一世に妙な言いがかりもつけられることもなく、王女奪還という名誉を賜っていたかもしれないのに。

 それを根に持っているのか、テイトに対するトゲは日増しに強くなるようであった。


「それと、いくら王城の敷地内とはいえ、不埒な考えを持たない者がいないとは限りません。テイトが少しばかり腕が立つとはいえ、供が一人とは感心しませんな」


 王座に最も近い人物であるアリスの周辺は、厳重な警備が張り巡らされている。また拐かされるのではないかとラディ一世も心配しているようで、アリスが知らないところで衛兵が常に見回っているのだ。


「兄様がディーを貸してくれないからだ」


 思わずアリスがそう言い返すと、バルフィック公爵の眼差しがほんの少しだけ柔らかくなった。


「オレがここに来ても、まだ一度しか顔を合わせたことはない。兄様は意地悪して、ディーを隠してしまうから」

「専属騎士を却下されたのでしたな」

「そうだ。ディーがオレのために兄様にそう申し出たのに、兄様はすげなく拒否をした。これでは、オレが屋敷にいたときより会えないではないか。こんなに近い場所にいるというのに」


 むくれるアリスの頭をバルフィック公爵がぽんぽんと叩いた。

 それはまるで、屋敷にいた頃のような親しげな仕草に、アリスはバルフィック公爵を見上げた。


「陛下は、殿下をディアスに取られたようで悔しいのだろうな」

「……それは、わかっている」

「寂しいのならば、殿下が会いに行ってさしあげればいい」

「こ、公爵殿!?」


 大人しく見守っていたアロンが素っ頓狂な声を上げる。


「はははっ、たまには陛下を困らせるのもいいだろう。私たちは、陛下の被害者だからな」


 バルフィック公爵は、ラディ一世に振り回されていた期間のことを忘れずにいたらしい。

 実は、アリスとディアスの微妙な関係に気づいたラディ一世が、アリス誘拐を機にいろいろと考えを巡らせたようだ。影で黒い噂のあったロット卿の真相を探るために、カルロットを婚約者に仕立て上げ、ロット卿を側に置いた。

 ラディ一世に信用されることで気を大きくしたロット卿は、周囲に触れて周り、公然と賄賂を受け取っていたようだ。その確たる例が、橋の建築である。多額の金品と引き替えに、建築を勝手に約束していたのだ。

 だが、ラディ一世が許可しなかったことで、賄賂を渡した人物が怒り狂い、すべてが露見したというわけだ。

 カルロットの件もあり、名門と謳われたヴァンヅェー家はすっかり地に落ちてしまった。

 親子揃って刑の執行を待っているというが、重刑は免れないだろう。なんといってもカルロットの場合、王妹殿下誘拐の指示を出していたのだから。

 ヴァンヅェー家に連なる者たちは、当主一家が犯した罪の大きさに恥じ入り、肩身の狭い生活を送っているという。

 カルロットと共謀していたバルフィック公爵の甥であるヴァルトン子爵は、身分を剥奪され、国外追放となった。実行犯は、終身刑を言い渡され、辺地にある刑務所にいれられている。

 ヴァルトン子爵の両親もさすがに愛想を尽かしたようで、バルフィック公爵が命じるようにも先に縁を切ってしまった。息子が王女誘拐という大罪を犯してしまったことを重く受け止めているようで、公爵の目を避けるように田舎に買った別荘に引っ込んでしまったという。


「さて、私たちはそろそろ失礼をしよう。……落ち着いたら、屋敷に訪ねて来なさい。みんな喜ぶ」

「おじ様……はいっ」


 身分も立場すら変わってしまったが、バルフィック公爵たちとの繋がりは消えなかった。

 近い将来、義理の娘となるアリスを穏やかな眼差しで見つめたバルフィック公爵は、勉強に戻りなさいと釘を刺すことも忘れなかった。


「テイト。しっかり武芸に励み、今度はちゃんとお守りするんだぞ。私たちの代わりに」

「はい」


 真剣な眼差しで頷いたテイト。

 それを見て安心したように目尻を下げたバルフィック公爵は、にこやかに手を振るアロウを引き連れて去っていった。

 ロット卿の失脚により、再びラディ一世の右腕としての地位を取り戻したバルフィック公爵は、精力的に働いている。以前にも増してラディ一世を叱咤し、行動に目を光らせているようだ。

 またラディ一世もディアスやバルフィック公爵を信頼し、ディアスに至っては片時も離さないという寵愛ぶりに、宮廷におけるバルフィック公爵家の存在は、揺るぎないものとなった。アリスが妻となった暁には、ますます繁栄することだろう。


「よしっ、テイト。兄様のところへ襲撃しに行くか!」

「しょ、正気ですか!?」


 テイトは、あわあわと慌てた。

 てっきり部屋に戻ると思っていたのだろう。

 バルフィック公爵の言葉を忘れたのかと、出来た従者らしく諫めてみるが、アリスはまったく怯まない。


「おじ様が言ったんだ。困らせてやれ、と。婚約者に会いに行って、どこがいけない? こうなっているのも、もとを正せば兄様のせいなのだから」


 胸を張って答えたアリスは、意気揚々と歩き出した。

 そのあとを、ご主人さま~と情けない声を出しながら、テイトが追いかけてくる。

 アリスは、くすりと笑みを零した。

 宮廷での暮らしは、まだ慣れていない部分も多く、窮屈に感じることもあったが、アリスの周りは平和であった。

 こんな日々がいつまでも続けばいいと思う。

 兄がいて、ディアスがいて、テイトたちがいる。そんな暮らしが。


(真に愚かなのは、オレだったということか)


 一人で悩んで、勝手に勘違いして……。

 今振り返れば、馬鹿だなと思ってしまう。

 けれど、それがあったからこそ、今のアリスが在るのだ。


「ディーは、いるか?」


 我が物顔で執務室に入っていったアリスを出迎えたのは、政務の最中であったラディ一世とその横で護衛にあたっていたディアスとその同僚であった。


「よく来たね、アーリー」


 許可もなく突然入室してきたアリスに対し、極上の笑みを浮かべたラディ一世が自分のところへと招く。

 しかし、アリスはラディ一世を無視すると呆然としているディアスに抱きついた。


「兄様。兄様のことは好きだが、ディーはオレのものだ。独占するのは許せない」

「アリス……」


 感極まるディアスと対照的に、ラディ一世の口元が引きつった。

 しかし、好きという一言が効いたのか、ため息を吐くと渋々と貸し出しの許可を与えた。


「……やはり、婚約など認めなければよかった」


 悔やむような声を背に、アリスはディアスの手を取ると回廊を駆けだした。

 テイトの制止する声も無視して。


「アリス? どうしたの?」

「なんだか、走りたい気分なんだ。……仕事の邪魔をしてすまない」

「僕は嬉しかったよ」


 ディアスは、繋いだ手に力をこめた。


「アリスのほうから会いに来てくれて」

「ディー……」

「陛下にもいいお相手を見つけないとね。じゃないと、いつまでも邪魔されてばかりだ」


 そう嘯くディアスに、笑いながらアリスも同意してしまった。

 走っている二人を見て、何事だと目を丸くする宮廷人の視線も気にならなかった。

 こうして馬鹿なことを平気で一緒にやってくれるディアスの存在が嬉しかった。


(ありがとう、ディー。オレを見捨てないでいてくれて)


 伝わる人肌の温もりが、なによりも愛おしかった。

 これからもずっと一緒だ。

 もう、籠の中に閉じこめたとは思わないだろう。

 これは、自分たちで考え、選んだ道だから。

 アリスは、ディアスと出会えたことに、心から感謝した。


遅くなりましたが、無事、完結しました。お読みいただきありがとうございます。

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