天上世界
今度は雲の上です。よろしくお願いします。
「……今度は空の上ですか」
一面に真っ白な地面が続く中で、天は呆然と呟いた。手にした小包を見下ろして、大きく溜息を吐く。
白い地面は、立っているのにその感覚がない。一歩歩けば、沈み込むような感覚のあとに上に押し戻される。大きく盛り上がった白が、ずっとずっと遠くに見えた。
どうして彼がこんな所にいるのか。話は数時間前まで遡る。
「天、私雲の国に行ってくるね」
水の都から出て数日。旅を再開した二人が宿で休んでいるときに、リアが急にそう言い出した。ただ少し買い物に出てくる、と同じようなトーンで言われて、一瞬流しかけた。
じゃ、そういうことだから、とリアがさっさと出ていこうとしたところではっと違和感に気づき、慌てて引き留めた。
「待ってください、雲の国? なんでまたそんな所に……。ていうか、一人で行くんですか?」
「まあまあ、落ち着いて。色々と事情があるんだよ。今回は私の用事だから、天はここで待っててね。絶対戻ってくるからさ」
ねー、とにっこり笑って言うリア。片手でリアの腕を掴んだまま、天は額に手を当ててやれやれとばかりに首を振った。
「そういうことじゃないです。雲の国って、入るのも出るのも許可が必要な監獄国家ですよ? 最近はかなり治安も悪化してきていると聞きますし……なんでわざわざそんな所に行く必要があるんですか」
言外に呆れと心配をにじませて言った天とは対象的に、リアはあっけらかんと笑っていた。大丈夫だよ、と繰り返している。
「それだけじゃないんだよ、結構楽しかったりするんだから。それに……」
大きな外套の内側を漁っていたリアは、白い封筒を取り出して天に見せた。じゃーん、とご丁寧に擬音つきで。
「これはね、ちゃんとした招集状。これが入る許可になるってわけ。宛名は私だから、私しか入れないけど」
言いながらリアはひらひらと封筒を振っている。ちゃんと見たいので止めてくださいと天が言えば、すぐに動かすのを止めて表を向けた。
封をしている赤い蝋を見れば、雲の国の公式印が押されている。公式の書類だという証拠だ。宛先もきちんと彼女のものだった。
これを見せられては、天はもう反対などできなくなってしまった。幾ら危険なところでも、公式に呼び出されたのだからリアの身は安全だと思いたい。
「……まあ、いいですけど。どのくらいいるつもりなんですか」
「うーんとね、用事が終わるまでとしか。まあ、帰る頃になったら連絡するよ」
じゃあね、と天の手から封筒を取り返して、リアは部屋を出ていった。今度こそ、雲の国に向かうのだろう。手を振って彼女を見送ってから、天は宿のベッドに座り込んだ。
(……あのひとは一体何者なんだろうか)
旅に出てから幾度となく考えた疑問が頭を巡る。あれだけ強くて、各地で彼女の知り合いだという者たちと出会って。体が小さいくせに、天より随分と年上のようだし。
ふーっ、と長く息を吐き出して全身をベッドに預けた。何か用事があった訳でもないが、どこかに出かけようという気も失せてしまった。そのまま二度寝でもしようと眼鏡を外す。目を閉じれば、すぐに眠気がやってくる。思えば、こんな風になったのも旅を始めてからだ。
眩しい光が、瞼越しに突き刺さる。それから逃れるように寝返りを打っても、光はどこまでもついてきた。
うっすらと目を開くと、一羽の黄色い蝶が天の目の前で静止していた。寝ぼけたまま蝶を見ていると、それはゆっくりと羽を震わせて天の手の甲に降り立った。
『はーい、ごめんね~。ちょっと忘れ物しちゃってさ。持ってきてくれない? 出られないの、頼んだよー』
頭の中に直接声が響く。そこでようやく、あの蝶はリアが飛ばした伝令だと思い至った。
(忘れ物って言ったって、なんなのかくらい教えてくれないと……)
天の手から離れた蝶は、消えること無く再び天の目の前で静止する。まるで天が動くのを待っているようだと思って、そういうことかと体を起こした。
「あなたが案内してくれるんですか?」
一度ぐうっと伸びをして、ベッドから降りる。その動きを待って、蝶は扉を突き抜けて言ってしまった。それを追いかけて天は、リアの泊まっていた部屋に入る。
「……散らかし過ぎでは」
一日しか泊まっていないとは思えないほど物の散乱した部屋を眺めて、ここから探すのかと少し辟易したような気持ちになった。が、蝶が教えてくれるはずだと気持ちを切り替える。
蝶はひらりひらりと舞いながら、大きく積み重なった荷物の山に止まった。
そこか、とその山に近づけば、蝶はまたひらりと飛び立った。これ以上のヒントはくれないらしい。
仕方なく、なるべく山を崩さないように見ていった。蝶が止まったのがそうならば、魔力が見えるはず。
蝶が止まったであろうところをじっと見つめる。一つ一つに視線を移していると、ぼんやりと輝くものを見つけた。
一言「すみません」と誰に言うでもなく呟いて、それをそっと手に取った。片手で収まる程度の茶色の小包。重さはほとんどない。中身が気になるところだが、勝手に中を見ることは憚られる。結局、何も見ずに懐へしまい込んだ。
「さて、リアさんの忘れ物が見つかったのはいいんですが」
雲の国への行き方など分からない。それに、持って行ったところで中には入れまい。天は許可を持っていないのだから。
どうしたものかと頭を悩ませながら、取り敢えず探してみようと宿の外に出た。どうやって行くのかとか聞いておけば良かった、と思っても後の祭りだ。
あてもなく歩いていると、空からまた蝶が飛んできた。今度は緑色。その蝶が天に止まる前に、手を伸ばして蝶に触れた。
先程と同じように、リアの声が頭に響く。雲の国への行き方を告げる声。「忘れてた、ごめんね」と全く申し訳ないと思ってもいないような調子で言われて、呆れがため息となって口から出た。
蝶に着いていけばいいと言われたので、大人しく着いていく。ひらりひらりと飛んでいるように見えて、意外とスピードが早かった。早足になりながら、進んでいく。
歩いていくと、段々市街地の中央へ向かっていく。そういえば今泊まっている町は、雲の国の真下にあるのだったか。
蝶は一つの建物に止まった。建物というより、数本の柱が経っている中に何かがあるような場所だ。
「こんにちは。天上への移動者ですか?」
そこに近づくと、全身を白い布に包んだ男が天に話しかけた。天が頷くと、男はさっと説明もせずに中心に案内した。
そこにあったのは魔法陣。見たこともないほど複雑なもの。男はもうすでに元の場所に戻っている。注意書きなどはどこにも書いておらず、まるでやることなんて分かっているだろうと言わんばかりだった。
魔法陣ならば、とにかく魔力を流してみたらいいのだろうか。魔法石を握りしめて、天は魔法陣の中心に立った。
自分の足から魔法陣に魔力を流すイメージで、どんどん魔力を込めていく。魔法陣が発光しだして、起動するまではそう時間はかからなかった。
体が宙に引かれる感覚。ブワリと強い風が吹いて、それが彼の体を上へ上へと運んでいるのだった。
空に浮かぶ感覚は慣れず、ぎゅっと目を瞑って体を丸める。そうしているうちに、風が止んだ。
恐る恐る目を開ける。天の眼前に広がるのは真っ白な空間だった。地面を見れば、彼の体を支えているのは霧のような雲で。なるべく下は見ないようにしながら、遠くに見える巨大な門を目指して天は前に歩いた。
懐にしまった小包は無事だったが、なんとなく手で持っていたほうがいい気がして取り出す。片手に小包、もう片手には魔石を持って彼は進んでいった。
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