番外編EX3-5 顔合わせ会
応接室に入ってから数分も経過しない内に、俺は後悔した。
今回は場所だけ貸せば良かったのである。立ち会う必要は一切ないというのに、どうして他家の縁談会場に出席してしまったのだろうか。迂闊だった。
横に長いテーブルの左右でかなりの温度差があり、正直に言ってかかわりたくない。
向かってLゲート側に座る男性は黙り込んだまま冷たく対面席を睨んでいる。向かってRゲート側に座るオークと女騎士のバカップルは他人に見えないだけの位置で手を握るスキンシップに勤しんでいる。
「粗聖水でございます」
本気で外に出ようかと考えていると、ペネトリットが氷水の入ったコップを出席者に配り始めた。ウェルカムドリンクのつもりなのだろう。
「ペネトリットの奴、お茶汲み係を毎回買って出ている。……妙だな」
「何よ。雪か槍でも降ってくるとでも言いたげね。妖精にだって博愛精神はあるのよ」
その博愛は、白々しい愛、と書いてはくあいと読まないだろうか。
氷の浮かぶコップには、冷たさを表して水滴がついていた。
「新世界は聖水を飲料にしているのか。贅沢なのか罰当たりなのか」
「まあ、冷たくて美味しい聖水」
「前回と比較すれば多少、質を上げているな。喉がシュワっとして心地良い」
「ちぃ、オークめ。これでも浄化されないなんて」
「魔王軍幹部を見くびるな。俺を浄化できるとすれば、神格がじきじきに力を込めた水か味噌スープぐらいなものだ」
仕方がない。信用できないという点で信頼のおけるペネトリットだけを残して退室して、後で責任問題に発展するのは困る。渋々と室内に留まって、早く顔合わせが終わる事を願った。
表情からは判断できないが緊張しているのだろう。聖水を半分以上一気に飲んで喉を潤したゼルファが、口を開く。
「このたびの不躾な招待に応じていただき、感謝する」
「確かに不躾だった。が、魔王軍に捕らわれた妹の安否を確認するためだ。仕方あるまい」
「エリックお兄様、私は捕らわれている訳ではありません。私は自分の意思で魔王軍幹部ゼルファと共にいるのです。本日は、彼との結婚を前提としたお付き合いの許可をいただきたいと思います」
「ありえん、魔王軍を敵として戦った妹が言う言葉ではない。捕虜を呪いで洗脳するのが魔王軍のやり方か」
「そうよ、卑怯者の魔王軍!」
「違います。私は洗脳などされておりません」
「嘘よ、騙されないで。オークに捕まった女騎士が正気を保てるはずがないじゃない」
「その通りだ、私は騙されない。妹は連れ帰る」
始まる前から分かっていた事であるが、話は穏やかには進んでいない。
女騎士の兄らしきエリックは、何故かペネトリットをセコンドにエデリカの返還を要求している。
もちろん、ゼルファはエデリカを洗脳していないので濡れ衣なのだが、エリックを信用させるだけの材料がない。そんな状況では、顔合わせも交際もあったものではない。
「家長の座は私が継いだ。今ならエデリカを私が守ってやれる。安心して家に帰るんだ」
「今はそういう話ではなく、ゼルファと私の仲を認めていただきたいのです」
「エデリカが正気であれば、オークを夫として選ぶはずがないだろう。やはり洗脳されているのだ」
「私は正気だと何度も! 信じていただけないのであれば、仕方がありません。家との縁を切らせてもらいます」
「愛する者が家を捨ててまで俺を選ぼうとしてくれている。それは誇らしい事だが、妹を救おうとするエリック殿の行動もまた家族愛あっての事。どうか、冷静に話を聞いてもらえないだろうか」
「妹をおかしくしておいて、キサマが言うな。魔王軍幹部!」
ペネトリットを引き離して解決するのなら今すぐ実行するが、それだけでは収まらない。ペネトリットが口を挟む間もないぐらいに議論はヒートアップしている。
「まったく見苦しいものね。知能と言葉がある者共が、ただただ自分の主張のみをぶつけあって歩み寄ろうとしないなんて。創造神はこんな事を望んで人を形作った訳ではないというのに、寂しい光景だわ」
「お前がまず魔族と手を繋いで見せろ、ペネトリット」
早々に飽きたペネトリットはもう俺の肩に座っているし。
個人的にはゼルファを応援したいものの、俺はただの第三者。そも、議論を解決に導くための道筋を見出せていない。
エリックが俺に審査を頼んできたのなら協力し、妹は素で筋肉フェチです、と喜んで審査結果を伝えるのだが、今はまだ口を出すべきではないだろう。
できるとすれば、例えば、文字通りであるが水を差すぐらいか。
「皆さま。飲み物でも飲んで、少し落ち着かれるべきですわ」
三人の喉が渇いたタイミングを見計らっていたのだろう。どこかに消えていた女騎士、オクタヴィアがワイングラスを乗せたトレーを運び入れる。
「これは……我が家の酒だな」
「そうですわ、エリック様」
「丁度良い。私も少し頭に血が昇っていて、この場を祝うのを忘れていた。どうだろうか。議論はさておき、まずは乾杯しようではないか。……それとも、闇の勢力は光の勢力の酒を飲めないか?」
「いや、喜んでいただこう。エデリカも、さあ」
オクタヴィアはエリック、ゼルファの手元にワイングラスを置いていき、最後にエデリカの傍で立ち止まる。
「騎士オクタヴィア、お久しぶりですね」
「わたくしごとき、覚えていたようですね」
「貴女のような優秀な騎士を覚えているのは当然でしょう」
若干の間を挟んで、最後のワイングラスが置かれた。置き方はやや乱暴だった。
「あの酒、臭うわね。ちょっとテイスティングしないと」
「勤務時間中だぞ」
余った酒を探して飛び立とうとしたペネトリットの足を掴みながら、彼等の乾杯を見守る。
「妹との無事の再会に――」
居酒屋ではないので、三人は行儀良く少量を一口含む。
その瞬間、ネットリとオクタヴィアが笑ったのは気のせいだろうか。
ワイングラスを一早く置いたのは、エデリカだ。彼女は何を思ったのか、自分のパーソナリティたる騎士の鎧の止め金に手をかけて、落とす。
「さっそく薬の効果が。おほほっ、これで終わりですわ、エデリカっ」
「何が終わりなのよ。楽しそうな話なら私も混ぜて」
「しっしっ、アッチ行きなさい、妖精!」
インナーさえも捲り上げて、上半身ほぼ裸となったエデリカ。脱ぎ癖のある酒乱はいるだろうが、たった一口で裸になるとはサービス精神が高過ぎる。
「――エリックお兄様。私は無事ではありません。この背中全体の火傷。腹部の電撃痕。盾を貫通して腕まで達した投石の傷。すべてゼルファに刻まれたものです。残念ながら私は彼に完敗しました」
その体は、戦いを生業とする騎士である事を加味したとしても、随分と傷が深かった。
「エ、エデリカ。呪い返しを飲んでいながら、何を??」
「この体を見てもまだ分かりませんか。命をかけた相手に惹かれる事が、そんなにおかしいでしょうか! ゼルファは強かった。私を全力で受け止めてくれる程に強かった。それだけの器量を持った男に惚れて、何が悪いのですか!」
必死にうったえるエデリカに、エリックはたじろぐ。
「呪い返しが一切効果を見せていない?? まさかっ、本当に呪われても洗脳されてもいないというのか。い、いや、ありえないっ。相手は魔族、しかもオークなのだぞ。妹が惹かれるはずがない。想像以上に強い呪いがかけられているだけだっ」
「私ではなく、ゼルファを見てください。私の言葉でも信じられないのなら、誇り高き魔王軍幹部の彼を見てください」
エリックの目がゼルファに向く。
沈黙を守っていたゼルファは……突然、吐血して床に倒れていく。
「なッ」
「ダ、ダーリンッ?!」
「ゼルファさんっ」
「よっしッ」
吐血を見たゼルファに応接室が凍り付く――一匹、ガッツポーズを決めていた奴もいるが。そんな中、誰よりも先にエデリカが介抱に動いたものの、ゼルファ本人が片手で制した。
「グハッ。血に、触れては、ならんッ。毒だ!」
 




