「選ばない王と、選び続ける者たち」
最初に動いたのは、影だった。
床を這う影が、音もなく伸びる。
机の脚を伝い、壁を駆け、天井へと広がる。
逃げ場はない。
“囲まれている”というより、
“最初からここが檻だった”ような錯覚。
『排除を開始する』
その一言で、世界が引き裂かれた。
――来る。
アリアの身体が、反射的に前へ出る。
思考より先に、足が動いていた。
(守る)
理由は分からない。
だが、それだけで十分だった。
「――っ!」
振り下ろされる影の腕。
それを、紙一重でかわす。
床が抉れる。
遅い。
いや、違う。
(見えている)
昨日までより、はっきりと。
影の動きが、線として捉えられる。
「……いけるのじゃ」
自分に言い聞かせるように、呟く。
その背後。
セレナが、影の流れを“読む”。
「右、三つ!」
言葉は短い。
だが、それだけで十分だった。
アリアの身体が、迷いなく動く。
右へ。
三歩。
影の腕が、空を切る。
その隙に――
「今っ!」
リオナが飛び込む。
恐怖は、ある。
だが、それ以上に。
(この人を、守る)
その感情が、身体を押し出していた。
拳を振るう。
影に触れた瞬間、
“重さ”が伝わる。
――効いている。
影が、わずかに揺らぐ。
『……抵抗を確認』
代替の王が、静かに言う。
『だが、無意味』
その言葉と同時に。
影の数が、倍に増えた。
◆
「……増えたのじゃ」
アリアの声が低くなる。
セレナは、すぐに状況を分析する。
「違う。分裂じゃない」
「最初から“複数として存在してる”」
つまり。
個体ではない。
“構造”。
リオナの呼吸が乱れる。
「これ……どうすれば……」
その時だった。
背後の“小さな影”が、揺れる。
弱い。
だが。
確かに、“指示しようとしている”。
(……何?)
セレナが、わずかに目を見開く。
影の流れが、一瞬だけ“止まった”。
そこに、“空白”がある。
「……そこだ!」
叫ぶ。
アリアが反応する。
迷いはない。
踏み込む。
影の密度が、最も薄い一点へ。
「――貫けぇッ!!」
拳ではない。
“意思”で、叩き込む。
影が、裂けた。
初めて。
明確に、“傷”がついた。
◆
『……解析』
代替の王の声が、わずかに変わる。
『未完成個体の残滓』
『戦術補助機能を確認』
“補助”。
その言葉に、リオナが反応する。
「……違う」
首を振る。
「違います」
涙をこらえながら、言う。
「この人は、そんなものじゃない」
理由は分からない。
名前もない。
それでも――
“それだけじゃない”と、分かる。
『感情的誤認』
冷たい声。
『個体は機能である』
『それ以上でも以下でもない』
「違うッ!!」
叫んだのは、アリアだった。
一歩、踏み出す。
影を睨みつける。
「お主には分からぬのじゃ」
「“選ぶ”ということが!!」
その言葉に。
代替の王が、初めて沈黙した。
◆
影が、再び動く。
今度は速い。
先ほどとは、比べ物にならないほど。
セレナの目が、追いつかない。
「速――」
言い終わる前に。
影の腕が、セレナへ伸びる。
間に合わない。
その瞬間。
影が、割って入った。
小さな影。
弱くて、頼りない。
それでも。
確かに、“庇った”。
衝撃。
影が、大きく揺れる。
崩れかける。
「――ッ!!」
リオナの声が、震える。
「ダメ……!」
その時。
声が、聞こえた。
――……だい、じょうぶ……
かすれた、
ほとんど消えそうな声。
でも。
確かに、“そこにいた”。
三人の動きが、止まる。
(……今の)
(誰の……)
分からない。
でも。
涙が、止まらなかった。
◆
代替の王が、ゆっくりと手を下ろす。
『……理解不能』
『未完成個体』
『機能を失っているにも関わらず』
『なお、存在を維持』
ほんのわずかに。
声が歪む。
『非合理』
その一言に。
セレナが、静かに返した。
「合理じゃなくていい」
「それでも残るものがあるから」
リオナも続く。
「名前がなくても、覚えてなくても」
「ここにいるって、分かるから」
アリアが、最後に言い切る。
「それが“存在”なのじゃ」
◆
沈黙。
代替の王が、ゆっくりと三人を見る。
『……再評価』
『未完成個体の排除を』
『優先対象へ変更』
空気が、凍る。
次の一撃は。
今までとは違う。
“終わらせるための一撃”。
三人が、同時に構える。
小さな影が、揺れる。
弱い。
でも。
まだ、消えていない。
(ここにいる)
その事実だけで。
十分だった。




