第7話 家族への連絡『改稿後』
第7話 家族への連絡
冒険者組合の二階に用意された小部屋は、護衛というより監禁のための場所に見えた。
窓は一つ。扉の外には監査局の騎士が二人。室内にあるのは簡素な机と椅子、それから通信機能を利用するための青い結晶だけだった。
クオリアは椅子へ腰を下ろし、机の上に置かれた結晶を見つめる。
《通信機能が解放されています》
《フレンド検索、個人通話、家族共有回線が利用可能です》
ようやく、家族と連絡が取れる。
それだけのことなのに、指が動かなかった。
何を話せばいいのか分からない。
ゲームを始めた。存在しない種族になった。黒天竜に追いかけられた。世界を止める能力が発現した。犯罪者として拘束されかけ、正体不明の影に「帰ってこい」と呼ばれ、これから王都へ連れていかれる。
開始から一時間にも満たない出来事としては、あまりにも情報量が多い。
何より、アリアと約束していた。
危なくなったら、すぐにログアウトする。
その約束を、すでに守れていない。
「怒られますね」
背後から声がした。
振り返ると、扉の横にカリウムが立っていた。塩酸は部屋の隅で、通信結晶を興味深そうに眺めている。
「勝手に入ってこないでください」
「護衛です」
「監視では?」
「似たようなものです」
「否定してくださいよ」
軽口を返しても、気持ちは晴れなかった。
クオリアが再び結晶へ視線を戻すと、カリウムの声が少しだけ柔らかくなる。
「家族へ連絡するのが怖いですか」
「怖いというか……何を言っても心配させるだけなので」
「では、嘘をつきますか」
「それは嫌です」
「なら、心配させるしかありませんね」
簡単に言われ、クオリアは眉をひそめた。
「無責任ですね」
「心配とは、相手を大切に思うから生まれるものです。完全に避けることはできません」
カリウムは窓の外へ目を向ける。
「何も知らされず、後からすべてを知るほうが苦しい場合もあります」
妙に実感のこもった言葉だった。
クオリアが何かを尋ねる前に、塩酸が結晶へ手を伸ばす。
「使わないなら、分解してもよろしいですか」
「駄目です」
「残念です」
余計なことをされる前に、クオリアは結晶へ触れた。
《家族共有回線を起動します》
《登録情報を検索中》
《接続候補を四名確認しました》
画面に名前が並ぶ。
アリア。
マリア。
アリス。
カリス。
全員、すでにB&Eへ接続している。
「もう入ってる……」
自分が安全を確認してから始めるはずだった。
おそらく、予定時刻を過ぎても連絡がなかったため、待ちきれなくなったのだろう。
クオリアは一番上の名前を選択した。
《アリアへ通信を接続します》
呼び出し音は一度しか鳴らなかった。
『兄さん!?』
耳元で叫ばれ、クオリアは反射的に顔を離した。
『遅い! 遅すぎるのじゃ! 開始してから何分経ったと思っておる! 通信は繋がらぬし、現実の身体は眠ったままじゃし、ログアウトもしないし!』
「落ち着け。ちゃんと生きてる」
『ゲーム内でその言葉ほど信用できぬものはないのじゃ!』
怒鳴り声の向こうから、複数の声が聞こえてくる。
『アリア、代わって! お兄ちゃん、今どこ!?』
『怪我してない? 変なところに連れていかれてない?』
『兄様、現在地を送ってください。迎えに行きます』
一斉に話され、何を答えるべきか分からなくなる。
「一人ずつ話してくれ」
『では妾からじゃ!』
『ずるい!』
『最初に繋がっただけでしょう!』
『議論している場合ではありません』
通信の向こうで揉め始めた。
普段なら呆れるところだが、今はその騒がしさがありがたかった。
家族の声だ。
現実と同じ声で、いつも通り言い争っている。
黒天竜も、影も、監査局も関係ない場所が、確かに残っている。
「みんな、もうログインしたんだな」
『連絡が取れなかったからじゃ!』
アリアが即答する。
『兄さんの開始地点を探そうとしたら、妾たちまで別々の場所へ飛ばされたのじゃぞ!』
「別々?」
『はい。私たちも種族ごとに開始地点が異なるようです』
落ち着いたカリスの声が入る。
『現在は全員、通信だけ繋がっています。まだ合流できていません』
「危険な場所じゃないか?」
『お兄ちゃんが最初に聞くこと、それなんだ』
マリアの声に、わずかな笑いが混ざった。
『私は大丈夫。花畑みたいな場所にいる。案内役のお姉さんも優しいよ』
『私も平気。図書館から始まった』
アリスが続ける。
『ただ、外に出してもらえない。適性検査が長い』
『私は神殿です。今のところ危険はありません』
カリスも問題なさそうだ。
最後に、アリアが少し間を置いて言った。
『妾は……洞窟じゃ』
「洞窟?」
『暗いが、危険ではない。たぶん』
「たぶんって何だ」
『案内人がそう言っておる』
「案内人の“たぶん”は信用するな」
自分の経験から出た忠告だった。
カリウムと塩酸が揃って不満そうな顔をする。
『兄さんはどこにおる?』
聞かれると思っていた。
クオリアは一度息を吸った。
「初心者街のエルディアにいる」
『なら、すぐ向かうのじゃ』
「待ってくれ」
『なぜじゃ』
「これから王都へ行くことになった」
通信の向こうが静かになった。
ほんの数秒。
先ほどまで騒がしかったからこそ、その沈黙が重かった。
『……どうして?』
マリアの声だった。
「少し、問題が起きた」
『少し、で王都へ連れていかれるの?』
「説明すると長い」
『長くてよい。全部話すのじゃ』
逃げられない。
クオリアは諦め、起きたことを順番に話した。
ギアスという種族。
黒天竜ノクス。
世界へ命令する能力。
監査局の拘束命令。
謎の影。
そして、誰も座っていない王座の幻。
話が進むほど、通信の向こうから声が消えていった。
すべて説明し終えた時、最初に口を開いたのはアリアだった。
『ログアウトするのじゃ』
「できない」
『なぜじゃ』
「重要イベント中らしくて、項目が使えない」
『そんなのおかしいではないか! ゲームなのじゃぞ!』
「俺もそう思う」
『運営へ連絡する』
カリスが冷静に言う。
『現実側から緊急停止を試します』
「危険じゃないか?」
『兄様が戻れない状態のほうが危険です』
反論できなかった。
『私たちも王都へ向かう』
アリスの言葉に、クオリアはすぐ首を振る。
「駄目だ」
『どうして』
「俺を狙っているものがいる。近づけば巻き込まれる」
『もう巻き込まれてるよ』
マリアの声は、先ほどまでより低かった。
『お兄ちゃんが帰ってこない時点で、もう関係ないなんて言えない』
「でも――」
『兄さん』
アリアが遮った。
怒鳴ってはいなかった。
静かな声だった。
『妾たちは、兄さんに守られるだけの存在ではない』
「そういう意味じゃない」
『同じじゃ』
言葉が胸に刺さる。
『兄さんはいつも、自分が危険な役を引き受ければよいと思っておる。妾たちを心配させるくらいなら、自分一人で抱えればよいと』
「……そんなことは」
『ある』
即答だった。
『今もそうじゃ。危ないから来るな。巻き込まれるから離れろ。全部、兄さん一人で決めておる』
何も言えなかった。
心配させたくない。
危険な目に遭わせたくない。
それは本心だ。
けれど、そのために家族から選ぶ権利まで奪っているのだとしたら。
『妾は、兄さんの妹じゃ』
アリアの声が、わずかに震えた。
『守られるだけの人形ではない』
通信越しなのに、泣くのを堪えているのが分かった。
『怖いなら、怖いと言えばよい。助けてほしいなら、そう言えばよい。なぜいつも、大丈夫なふりをするのじゃ』
クオリアは机の下で拳を握った。
怖い。
黒天竜に殺されかけた時も。
影に触れられた時も。
監査官に連れていかれる今も。
本当は、ずっと怖かった。
「……怖いよ」
声に出すと、驚くほど素直に認められた。
「何が起きてるのか分からない。俺が何なのかも、あの影が誰なのかも分からない」
自分の声が情けなく震える。
「王都へ行って、戻ってこられるかも分からない」
通信の向こうで、誰かが息を呑んだ。
「だから、来てほしくない。でも……」
言葉が詰まる。
助けてほしい。
一緒にいてほしい。
その一言を言うのが、黒天竜へ立ち向かうより難しかった。
「一人にしないでくれ」
沈黙の後、アリアが小さく息を吐いた。
『最初から、そのつもりじゃ』
『うん』
マリアが続く。
『絶対に追いつくから』
『王都で合流しましょう』
カリスの声には迷いがない。
『こちらも最短経路を探す』
アリスも淡々と言った。
けれど、その言葉の奥には確かな熱があった。
『だから兄さんは、勝手に消えてはならぬぞ』
「ああ」
『約束じゃ』
「約束する」
今度こそ、軽く扱ってはいけない約束だった。
通信が切れる直前、マリアが思い出したように声を上げる。
『あ、お兄ちゃん』
「何だ?」
『綺麗な女の人についていってないよね?』
クオリアは無言で、部屋の外にいる獣人の少女を見た。
開いた扉の向こうで壁にもたれ、こちらを待っている。金色の瞳と目が合うと、不機嫌そうに眉をひそめた。
「……助けてもらった人ならいる」
『女?』
「そうだけど」
『アリア、聞いた!?』
『聞いたのじゃ! 名前は! 種族は! 年齢は!』
「今その話をするのか!?」
通信の向こうで騒ぎが再開する。
先ほどまでの重い空気が、少しだけ和らいだ。
クオリアが通信を切ると、部屋には静けさが戻る。
カリウムは穏やかに笑っていた。
「良い家族ですね」
「騒がしいですけどね」
「騒がしさは、生きている証拠です」
塩酸も頷く。
「ちなみに、黒耳さんという呼び名は報告しなくてよかったのですか」
扉の外から、矢が飛んできた。
塩酸の頬を掠め、背後の壁へ突き刺さる。
「次にそれを言ったら、当てる」
獣人の少女が、弓を下ろしながら言った。
「聞いていたんですか」
「扉が開いている」
「途中から閉めてくれてもよかったのでは」
「護衛対象から目を離せない」
少女はそれだけ答えると、廊下を歩き始めた。
「出発だ。監査官が待っている」
クオリアは立ち上がり、通信結晶から手を離す。
心の中にあった重さは消えていない。
だが、一人ではない。
今は離れていても、家族は同じ世界にいる。
王都へ向かっている。
それだけで、先ほどより足が動いた。
階段を下りると、組合の入口にヴァルガスと騎士たちが待っていた。
「連絡は終わったか」
「はい」
「では移動する。転移門まで護送する」
ヴァルガスが歩き出そうとした、その時だった。
建物の外から激しい鐘の音が響いた。
一度ではない。
短く、何度も、街全体へ危険を知らせるように打ち鳴らされている。
冒険者たちが一斉に立ち上がった。
「警戒鐘……?」
受付の女性の顔色が変わる。
外から衛兵が駆け込んでくる。
「北門に魔物の群れ! 森から大量に出現しています!」
「規模は」
ヴァルガスが尋ねる。
「確認できただけで三百以上! さらに――」
衛兵は息を整える間もなく続けた。
「群れの後方に、黒天竜がいます!」
組合内に動揺が広がる。
クオリアの背中を冷たい汗が伝った。
ノクスが追ってきた。
森を抜け、街まで。
視界に赤い文字が浮かぶ。
《特殊個体、黒天竜ノクスが接近しています》
《対象の目的を解析中》
《解析完了》
《目的:クオリアとの接触》
討伐でもない。
捕食でもない。
接触。
ノクスが森で告げた言葉が蘇る。
『見つけた』
さらに警告が追加される。
《観測者が行動を開始しました》
《現在地:エルディア北門》
影もいる。
黒天竜もいる。
そして、その二つが同時に街へ迫っている。
ヴァルガスが剣を抜いた。
「転移門への移動は中止だ」
「では、どうするんですか」
「北門へ向かう」
男はクオリアを真っ直ぐに見た。
「奴らの目的が貴殿なら、貴殿にも来てもらう」
逃げれば街が襲われる。
向かえば、再びノクスと影に対峙することになる。
ゲームを始めてから、選ばされてばかりだった。
それでも今度は、迷う時間すら必要なかった。
「行きます」
家族へ、消えないと約束した。
だからこそ、生きて戻るために原因と向き合わなければならない。
クオリアは騎士たちと共に組合を飛び出した。
遠く、北の空。
街壁の向こうから、黒い翼がゆっくりと持ち上がる。
その真下では、森から伸びた巨大な影が、街へ向かって這い寄っていた。




