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次の日の学校は、平和そのものだった。
なぜか南浜が隣の席になっていて、しかも机をくっつけていて体を寄せてくる上に、クラスの男子からはカッターや包丁などを投げられるくらいで、特に変わったことはない。
昼休みになって廊下を歩いていると、車いすの女の子と目が合った。
きこきこと車いすを動かして、俺の元へ。
「や、おにーさん。昨日はごちそうさま」
笑って言う。俺も「ああ」と小さく笑い返した。
「なんか、あのあといろいろあったらしいね。西村さんに聞いたよ」
「そうだな」
土下座とかね。
「わたしとの決着も、忘れないでね」
ふふふ、と笑いながら言う。そして、そのままきこきこと車いすを動かして去っていった。
「あの子はどうやって倒す気なのん?」
すぐ後ろに気配。俺はその気配を察知していたので、特に慌てることはなかった。せいぜい「どひゃーっ! びっくりしたいつの間に後ろにいたんだよーっ!」と口にしたくらいだ。
「どうやってもなにも、俺はあの子のアイテムを知らない」
後ろにいた西村と向かい合って言う。西村は「あ、そっか」と小さく口にした。
「じゃ、昨日はせいぜい冬深くんの対策でも考えたのかなん。それとも――」
すっと、目を細くして、
「ボク、かな」
西村は口にした。
「あいにくだが、西村と戦って勝てる気はしないな」
「ふふん、でしょでしょ」
西村は軽く構えて数発のジャブを俺の眼前に撃って口にする。
それもぎりぎりだ。風圧で、俺の体は数メートル下がる。
「なんなら、格闘術でも教えてあげよっか?」
裏拳、そして、回し蹴り。なにか思うところがあったのか、ずいぶんと低い回し蹴りだ。
「教えてくれるならぜひともと言いたいとこだけど」
いいのか? と続ける。
「ちょっとくらいなら、別にいいよん。付け焼き刃の知識に負ける気もないしね」
そう言って、西村はちょいちょいと俺を手招きした。
そうしてやってきたのは柔道場。俺たちは、柔道着を来て向かい合っている。
「授業とかではやってるよねん?」
ふー、と息を吐いて西村は構えている。なんだかこう、隙のない感じだ。
「ま、一応。ただ、自信はない」
「ふーん。そかそか」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて、俺のほうを向く。
「試しに、ちょっと投げてみてよ」
そして、小さく手招きする。
「いいのか?」
「できるなら、ねん」
彼女は笑って言った。
両手は下げていて、抵抗する気もないようだ。俺は一気に距離を詰め、彼女の襟首を掴んでそのまま投げに……
「あれ?」
視界が反転した。そして気づけば、俺の体は横たわっていた。
「大丈夫?」
西村が顔をのぞき込む。俺がぽかんとしていると、
「いわゆる返し技って奴だねん。どんな姿勢から投げられても、投げ返すことは不可能じゃないんだよ」
ぬふふ、と笑いながら言う。
「……でもそれ、難しいんだよな?」
俺はゆっくりと立ち上がって言う。
「ま、ね。上手な人が相手なら難しいんだけど、大地くん、動きが素直だからなあ」
素直……ねえ。言われてみても、どういうことなのかよくわからない。
「簡単に言うと、」
びゅ、と音がして、拳が目の前に。
「こういうことだよ」
俺は顔を後ろに反らしたのだが……ボディに軽く、拳が当たる。
「大地くんは素直なの。顔を殴ろうとしたら顔しか殴ろうとしない。戦いっていうのは、騙し合いでもあるんだからね」
「……なるほど」
確かに、戦いにおいて言うなら、俺はこういった策略を巡らせることは少ないかもしれない。正面からぶつかり合って勝つだけが勝負じゃない、か。なるほど。確かにそう言われれば、そうだ。
まして俺は百の槍という、様々な能力を付与できる武器を持っているのだ。そういった、裏の裏をかく戦術というものも、必要なのかもしれない。
試しに俺は彼女の胸元に手を伸ばす。それを彼女に払いのけられる寸前にコースを変えて、彼女のお尻を撫でてみた。
俺が得意げにしていると、ガチで殴られた。
「さて。んじゃ、もっと練習する?」
拳をごきごきと鳴らしながら言う。
「お手柔らかに頼むよ」
俺は顔を抑えてそう口にした。
それから、何度も投げ飛ばされて、なんとなく近接戦闘のコツは掴みかけた。
その前に何度も心が折れかけたが、西村は意外と解説が丁寧で、俺は彼女にいろいろ励まされながら、トレーニングを続けた。
「寝技は完璧だねん」
タオルケットで胸元を隠しながら彼女は言った。
「と言われてもよくわからないな」
俺にはそんな自覚は全くないので、そう言う。
「すごかったよ。何度も意識を失いかけたもん」
「それは俺もだ。西村の締め付けはキツすぎる」
「かもねん。ふふふ、締めるのは得意かな」
クスクスと言いながら、彼女は制服を着る。
「ま、接近されたときの対処は、なんとなくわかったでしょ? 冬深くんと戦闘になっても、これで五分くらいにはなるんじゃないかな」
彼女はそう言った。確かに、近づかれてもなんとかできるという自信もついた。
無論、相手は武器を持っているのだが、それはこちらも同じだ。槍のほうが間合いが長いため、こちらのほうが有利。近づかれても、今日のことを思い出せばいいのだ。負ける気がしない。
「しかし、西村は俺にこんなことを教えていいのか? これで俺が強くなったらどうする」
俺はそんなことを口にした。
「ボクはキミに負けるつもりはないよ。ただ、冬深くんの防御が厄介なのは、ボクも同じだからねん」
東山とほぼ同じ理屈というわけだ。
一応、彼と戦う場合の対策も考えているわけだが……それは口にしないほうがいいだろう。彼女は確かに親切だが、時折、鋭い目で俺を見ることがある。
床を見ると汗やらなにやらで少し汚れている。彼女がしゃがみ込んで、「綺麗にしないとねん」と言って掃除を始めた。
彼女の真意は、計りにくい。無邪気な顔をするときもあって、妖艶な表情をするときもあって。
そしてなによりも、あの最強の狂獣とどう戦えばいいのか。
お掃除をしている西村を見て、そう思わざるを得ない。
それからなにか起こるかとも思ったのだが、それからは特になにも起きず、俺は、早々に学校を出た。
早めに家に帰り、いろいろと考えをまとめる。
この戦いのこと、参加しているメンバーのこと。
それぞれが、胸にいろいろな思いを抱えて戦っている。
それに比べ、俺はどうだ。
俺は、どうしてこの戦いに参加しているのかもわかっていない。
願いごとやらなにやらに興味はあるが、それも、単なる興味によるものだ。
目的があるわけでもない。強い意思があるわけでもない。
なら俺は、どうしてこんなに頑張っているんだろうか。
東山に、西村に利用されて。
大きく息を吐く。
考えても、答えなんて出てこない。
ただ必死に、戦っているだけ。
なぜ、か。
それは、今は考えないほうがいいというようなことを、東山も言っていた。
ならそれに従おう。
今は、戦おう。
窓から俺の部屋に入り込もうとしている南浜を必死に抑え込みながら、俺はそう思った。