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1幕 言ノ葉

千紅がこんなにも足や腕を擦り切れさせても走ることを辞めない理由、それは。高熱で浮かび上がったおぼつかない足取りで、いつの間にか四家の内の一族、李家の寵愛された次期妃候補として確約されている李 静夏の喉元に刃を突きつけてしまっていたからだ。自分でも驚いたのだ。気づけば、豪奢な寝室で寝ている李 静夏を殺そうとしていた事実に。心当たりは何も無かった。李家に侵入して刃を突きつけている状況、それを監視役に見られたのでは、たまったものではない。幸いにもまだ気づかれていないようだと悟り、静かに部屋を出ようとすると、か細くて繊細な声が部屋に響いた。

「ねぇ。どなたですか。」

バレてしまった驚きと、これから待っているであろう罰の数々への恐怖、愛されているんであろう声の呑気さに苛立ちを覚えつつ、ゆっくりと後ろを振り返った。元々この女の事は好きではなかった。この女は幼少の頃からまるで玉のように大事に抱えられてきたのだ。入内も決まってすらいないのに、誰もがこの女の入内を信じていた。彼女は優秀であったし、優美であった。バケモノ呼ばわりされる自分とは違い、白蓮と呼ばれる彼女を、幾度もその差を恨んだか数は知れない。振り返ると、悠然とした態度であった。繊細な声とは裏腹に、ただこちらを見つめてくる美しい瞳があった。彼女の目は星のように光って見えた。

「なぜ怯えていないのよ。」

「なぜ、と仰いましても。」

「怯えるに値しないということ?」

「えぇ。まぁ。そうですね。でも、わたくしを刺してくれてもよかったのに。」

とんとんと、俗世とは離れたかのような優美な笑顔で喉元を指先で叩く。

挑発なのか、それとも護衛を呼ぶための時間稼ぎなのかと頭を巡らせているうちに、その女が言葉を吐いた。

「あなたのお名前を知りたいですわ。教えて頂きたいです。」

なんだ、この女は。変な女だ。彼女を物に例えるとしたら、歪な形をしている壺のようだ。

「さぞ、愛されて育ってきたのね。凶器を持っている私にも顔色1つ変えないなんて。」

こちらとしては、鋭利な刃物を手に持っているだけでも震えが止まらないというのに。この理解不能な状況にも落ち着いてはいられないというのに。

「その、衣服。女官でございましょうか?しかし、色は、白。令嬢が身につける色でございますよね?ですが、、、」と、言葉を濁す。自分でもわかる。令嬢が纏うはずの色に似つかわしくない、薄汚れ、所々破れ落ちた服を着ているからだ。暗がりに目が慣れてきたのか、相手はこちらをじっくりと見物しだしたので、拳を固く握りしめた。

「こんな所で時間を潰してはいられないわ。醜態を晒してしまったのだから。」

「もう、行かれるのですか。」

「うるさい、あなたには関係の無いことよ。父様に叱られる。まだ護衛には気づかれていないようだけど、もし露見したとしたら私は諦める。周りに言うなりなんなりして。私は潔く死ぬわ。」

「あらまぁ。」

「なんなの。驚いた顔をして。」

「初対面でいきなり、死ぬだなんて自死を仰がれたことはなかったもので、、驚きですわ。なぜこのような行動に至ろうとしたのかは分かりませんが、落とし前をしっかりつけようとする性質をしていらしているのですね。」

「驚くべき点が違うように思えるけど、、」

「まぁ、この場に逢えたのも運でございましょう。口外することは致しませんわ。」

「え?」

決めたはずの覚悟が揺らぐ思いがして拍子抜けする。

「だって、なんだかあなた愛らしいのですもの。いつしかまた相見える日を心待ちにしておりますわ。その際はわたくしと友人になって下さることをお約束してくださいね。それが口外しないための条件ですのよ。」

おかしな条件だと思い、それと同時にまた会うこともないかと思い頷いた。なぜなら、入内前の令嬢同士は会うこともできず、それぞれの宮殿にいることを縛られるからだ。また、自分は到底選ばれることはないだろうと確信をしてすらいた。それに加え、彼女はきっと自分を知らないだろう。どこの家の者か、令嬢であるのか、女官であるのか、ただの殺害未遂をした罪人であるのか。

「わかったわ。」

「ありがとう。行っても宜しくてよ。何かあればわたくしが対応いたしますわ。」

この頃は、まだ知らなかった。すぐにこの女と再会することになってしまうという事実を。





「はぁっ、はぁっ、、早く、帰ら、なければっ、!」

「見つかったら、終わりだわ、」

そう呟きながら、誰もいない回廊を走っている。李家と明家は大分距離があり、熱に浮かされた身体では思うように進めなかった。

ただでさえ、酷い扱いであるのにさらに酷くなる未来を創造するだけで吐き気がした。身体は重く、たった少しの距離も無限のように感じられる。殺害未遂で捕まっては事だし、静夏によって取り成してもらったとしても疑いの目はかけられるに違いない。なんてたって、犯人でない確証はどこにも無いのだから。走りながら、硝子越しに映った自分を見た。頬はこけ、熱により頬が赤らんでいる。靴なんてもっていないからと裸足で走ってきた足は腫れ上がり血が滴っていた。髪も不衛生な状態であり、どこからどう見ても令嬢には見えぬ姿。明家に徹底的に隠されてきた自分の存在。明家しか知らない、自分が生きているという証拠。今捕縛されたとて、明家に娘は居ないという認識が広がっているので信じても貰えないだろう。このまま消えてしまいたい。でも、消えられない。単に、死への恐怖に怯えているということもあるが、消えられない事情がある。だから、走らねばならない。生きないといけない。目的のために、屍になってでも泥をすすってでも生きていかなければいけない。

もし死んでもすぐに生まれ変わって、、、、。

「、、、誰だ。」

低い、男の声がした。背後から。

「、、ひゅっ、」

発したはずの声はかすれ声となって、音を鳴らした。

「誰だと言っている。李家に何用だ。侵入者か。」

「私、私、は」

駄目だ。信じて貰えない。明家には娘はいない。

「その風貌、、奴隷か?なぜここへ。」

振り向けない。怖い。怖い。怖い。怖い。相手が誰で、どんな人物であるのか、何も分からない。

「奴隷、、じゃ、ない、」

「そうか。まぁ、よい。ここで出会ったが運の尽き。何用で来たかは知らないが、侵入者には変わりはない。白い衣服を着て誤魔化そうとでも思ったか。」

「、、、、明家の、明家直系の娘、です」

「は?」

「だから、明家の」

「いやいや、は?、、、やはり奴隷か。明家直系には娘などいない。傍系にしか娘はいないはずだが。」

「、、、やっぱり。」

「何か言ったか。」

「いえ。、、、、殺しますか?私を。」

「まだ殺さぬ。お前が誰であるか知るまでは。」

「そうですか。」

震える手を握りしめ、さっき懐に入れたばかりの鋭利な刃物のある場所に手を添えた。

「、、、やけに落ち着いているな。」

「いえ。」

少しずつ、少しずつ、自身の懐の奥深くへと手を近づける。

「、、怪しい。企んでいるな。何かを。」

「企んでなどいません。無実です、私は。ですが、、無実の私をこれ以上疑うのであれば、」

そう言って、懐からついに引っ張り出した刃物を振り向きざまに突きつけた、!


はずだった。

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