20. エンディング
「だからね、私は大丈夫。石を戻しに行こう?」
「嫌だ」
消え入るような声が即答する。凉はさらに続けた。
「嫌だよ。励化線がなくなったら、AHT細胞を作れる気がしない」
軽く伏せられた瞼が、涙を堪えようと力んだ。
葵は、穏やかな笑みを浮かべ、前に出た。そして、凉の両手をしっかりと握った。
「できるよ」
力強い声だった。驚いた凉が、顔を上げる。
自信に満ちた熱い眼差しが、まっすぐ見据えていた。
「できる。だって、夢を見ることすら諦めたどっかの誰かさんに、もう一度夢を見させてくれたんだよ? そして、叶えてまでくれた。絶対できるって」
「でも、また失敗するかもしれない」
凉の瞳が、不安そうに下を向く。
葵は、凉の両手を握る力を少しだけ強めた。
「それが普通でしょ? 原因を分析して、また挑戦すればいい」
「一回だけじゃ済まないかもしれない」
「そうなったら、二回でも三回でも、何回でも挑戦すればいい。もし他の人から非難されても、私は凉の味方だよ? いつか絶対に、AHT細胞を作れるって信じているから」
葵の両手が、凉の手から離れる。葵は大空を仰ぐと、両腕を目一杯広げてこう叫んだ。
「いつか、たあぁぁぁぁっくさんの命と、未来をね! 凉は救ってくれる! 神様が保証してくれなくても、私が保証する!」
堂々とした声が、高尾山頂で叫んだときよりもしっかりと、まるで上空に刻みつけるように響いた。もし天界が存在するなら、きっと届いているに違いない。
「何だよそれ」
凉が震える声で呟く。やがて、笑みが浮かんだ。
「意味わかんねえ」
そのまま、肩を震わせながら顔を隠すように俯いた。
葵との出会いから約十年。ずっと傍にいるのが当たり前だが、いつ旅立ってしまうかはわからない。そんな関係が続いてきた。『天才少年』ではなく、『夕凪凉』を見てくれる数少ない人物。『天才少年』でいるための動機となる唯一無二の存在。だからこそ、助けたい。絶対にAHT細胞を完成させる。そう思い、努力し続けた。
今になって、ようやく理解した。助けられているのは、自分のほうだと。
無念とは違う感情が、涙となって溢れる。
外界と隔たれた孤独な空間。そこに満たされる冷たい虚空。そんな凉にとっての世界に、温かな温度が入り込み、肉体・精神すべてを抱擁する。
凉は、唇をぐっと噛み締め、震える口を開いた。
「そんな風に言われたら、信じるしかねえだろ」
笑い交じりの涙声が零れる。
葵は、安心したように微笑した。
「もう大丈夫だね」
応じるように、凉が目元を拭って顔を上げる。
葵は凉の隣に来ると、両手をメガホン代わりにして足元の血盟士団にこう叫んだ。
「おーい、ハゲのおじさ――」
「ストップストップ」
凉がすかさず呼び止め、葵に代わって大声で呼び掛ける。
「団長。封印石戻すから、今すぐ蔵王まで連れて行ってください!」
帝都に集中していた視線が、一斉に凉たちのほうに集まる。
「いいのか?」
田村が訊ねると、
「はい!」
葵が即答した。遅れて、凉も頷く。
眼下の極限まで張り詰めていた緊張感が、途端に消滅していくのがわかった。険しかった団員たちの顔には、どこか安堵した表情が浮かぶ。
凉は柵から手を離し、葵の腕を引いた。
「行こう」
葵は元気よく頷いた。
「また凉と山登りだ」
「今度は自分ばかりズカズカ進まないでくれよ?」
「わかってる。でも、あんまり遅いと流石に置いてくよ?」
そんな軽口を叩き合いながら、二人は立体駐車場を降りていった。
二人を待つ間、下にいた団員たちは全員妖化を解いた。千路も拳銃を下ろし、静かに安堵の息を吐く。
帝都は、その場で崩れるように跪き、頭を抱えた。
「最低だ。ごめんなさい。本当に、ごめんなさい――」
泣きじゃくる声が、地面に何度も何度もそう呟き掛ける。その隣に、千路がしゃがみ込んだ。慰めの言葉を掛けたり、肩を抱いたりということはせず、ひたすら無言で寄り添う。
そんな中、最初に田村が口を開いた。
「今後について、しっかり考えないとな。二度と失敗は許されないぞ?」
田村の視線が団員たちを一巡し、最後に千路を捉えた。
「もし五年前の時点で鬼が死んでいたら、今回は間違いなく最悪な結末を迎えていた。だから、その……結果的に、お前たちには救われた。ありがとう」
田村が決まり悪そうに頭を下げる。千路は、化元体備蓄所の焼け跡のほうを向きながら、口を開いた。
「三橋にも直接言ってやってください」
「無論、そのつもりだ」
田村は頭を上げると、途端に口先を尖らせた。
「しかし、何が『私情を持ち込むような真似はしません』だ。平然と嘘吐きやがって」
「申し訳ありません」
今度は、千路がばつの悪そうに頭を下げた。田村が溜息を吐く。
「だいたい、お前が鬼を飼い続けていたなんて思いもしなかった。そんな人間じゃなかっただろ。一体、誰から影響を受けたんだか」
田村の目が、背中を丸めて泣き続ける帝都の姿を捉える。同じく、その背中を視界に収めた千路の目が、わずかに細められた。
ようやく、立体駐車場から凉と葵が並んでやってきた。
途中、凉が段差に躓き転倒した。気づいた葵が、足を止めて手を差し出そうとしたが、その間に凉が自力で立ち上がった。
もう大丈夫。二人はそう示し合わすかのように、頷いた。
2014編はそのうち投稿します。




