4.一ノ瀬鈴花巡査
榎本にリクルートされてからしばらく、鈴花は〈ビスカム・デパート〉とは関係ない犯罪組織に潜入し、何度か逮捕されては釈放された。
恐喝や傷害という典型的なチンピラの所業もあれば、兵隊として抗争で人を殺したこともある。警察官らしさというものを徹底的に削ぎ落とすOJTのようなものだった。
何度目かの逮捕と釈放を経てチンピラにぴったりの経歴になった鈴花は、榎本に呼び出されて新東京タワーと称されている電波塔の展望台デッキに向かった。
鈴花が生まれる前に存在していた東京タワーは魔王チタニアと一緒に吹き飛び、その跡地に建設された新東京タワーは高さ六〇〇メートルを超える電波塔で、復興東京のランドマークであり観光名所だった。
チケットを購入し、エレベーターで三五〇メートルに設置されている展望デッキに向かう。
凄まじいスピードで上昇する四角い箱のなかで、鈴花は宙に浮くような気持ちになった。
展望デッキは全面ガラス張りになっており、晴れた日には七〇キロ先の景色まで見えることがウリだったが、雑然とした復興東京の景色のなにが楽しいのか鈴花にはわからなかった。
「僕はこの街が割と好きでな」
ぼんやりと景色を眺めていると、少し距離を取って並んだ男が独り言のようにそう言った。
榎本だった。いつもと同じ、押収したブランドもので身を固めている。
対する鈴花はジーンズにパーカーという地味で冴えない格好で、二人が並ぶとまるで貧乏学生とチンピラだ。
「はあ、わたしにはよくわかりませんが」
「一ノ瀬、それはお前が復興東京生まれやからや」
それは考えもしなかったな、と鈴花は思った。
「魔王因子中毒者が比較的まともに生きていける街なんぞ、この日本では復興東京くらいのもんや。特に僕が生まれたみたいな田舎では、文字どおりのバケモン扱いやからね」
なにかを思い出したのか、榎本はおかしそうに笑った。
「そら、隣人がファンタジー世界の住人になったら誰でもいやか。くっくっ」
「フォクシーの魔王因子中毒者は、エルフよりも珍しいですよ」
「そらそうよ。ま、僕みたいなもんを受け入れてくれるんが、この復興東京というわけや」
魔王チタニアと一緒に吹き飛んだ、かつての東京二三区と、千葉県、埼玉県、神奈川県の一部が復興東京特別行政市と呼ばれている都市の全容だ。榎本の言うとおり、世界中から魔王因子中毒者を含めたあらゆる人種を引き寄せているブラックホールのような街。
ここにはなんでもある。
成功と失敗。
栄光と挫折。
名声と醜聞。
富と貧困。
少しの正義とあらゆる犯罪。
「今日はなんの用件です」
「僕がお前に用があるとしたら、それはひとつだけや」
「また別の組織に潜入ですか」
「ああ。そやけど、研修期間は終わりや」
榎本はスーツの内ポケットから、四つ折りにしたチラシを取り出した。
それを受け取った鈴花は、怪訝な顔をしてチラシを見た。
「秋葉原のカレー屋のアルバイト募集?」
「ここにいって、新メニューを注文してこい」
「言っている意味がわかりませんが」
「〈ビスカム・デパート〉東京支店の戦争担当副支配人がやっとる店や」
「……本当ですか?」
鈴花は眉間に皺を寄せると、さらに怪訝な顔になった。
「神村籐子。支配人のノエル・エーデルワイスのお気に入り。飛び切り腕の立つ殺し屋やぞ」
チラシには「アットホームな職場だよ♪」というセリフと一緒に、ポニーテールにエプロン姿の神村店長の写真が掲載されていた。鈴花とそう違わないと思われる年齢で、粗い印刷であるにもかかわらずびっくりするくらいの美人だ。
「飛び切り腕の立つ殺し屋?」
「そのチラシを見せるな。僕も自信なくなってくるわ」
「わたし、飲食のアルバイト経験はないのですが」
「アホ。ホンマにバイトする気か。この店のメニューはチキンカレーしかないんやけど、新メニューの注文は、耳長百貨店への推薦を希望する隠語や。組織へのリクルートは人事担当の仕事やけどな、他のラインの副支配人は人事担当への推薦枠がある。神村はリクルートには熱心やないから、これでゆるっと募集しとる」
「〈ビスカム・デパート〉の戦争担当社員になれということですか」
「耳長百貨店の花形や。それに言うたやろ、神村はノエル・エーデルワイスのお気に入り。潜入するなら近づいておいて損はない。ティンク・パウダーの取引の情報、ニューヨーク本店からの物流ルート、あらゆる情報を抜いてこい」
「……わかりました」
鈴花はチラシを再度四つ折りにして、ジーズンの尻ポケットに突っ込んだ。
「ああ、それから。これを持ってけ」
手渡されたのは時計だった。
鈴花にはあまり似合わない、カール・F・ブヘラの腕時計。
「研修からの卒業祝いや」
「はあ?」
榎本には似合わない言葉に、鈴花は困惑した。
「くっくっ、そんな顔するな。これからが本番やぞ、一ノ瀬。長期間の潜入は、精神にくるからな。時計を見る度に思い出せ」
「?」
「お前は警官や」
「……はい」
どうせ押収品なんだろうな、と鈴花は思った。
左手首につけると、地味な格好にはまったく似合っていないのが自分でもわかる。
「一ノ瀬鈴花巡査」
榎本は周りに誰もいないことを確認して敬礼をした。
「職務に精励して市民の期待に応えるよう、健闘を祈ります」
鈴花は背筋を伸ばして榎本を見据えた。
だが、敬礼はしない。
そっと腕時計を触った。
お前は警官や、という言葉が保証されるような気がして、彼女は苦笑した。




