3.お前の警官人生を僕にくれ
「お前が同期を半殺しにしたハーフエルフか? くっくっ」
警察官訓練学校のなかで一番まともな部屋である応接室のソファに座る男は、入ってきた鈴花の顔を見るなりそう言って笑った。咥え煙草で新聞を読んでおり、用意された灰皿には吸い殻が山盛りになっている。
「ゴリラみたいな女やなくてよかったわ」
男は新聞を丁寧に折りたたみ、煙草を吸い殻の山に捩じ込んだ。
粗野な笑い方をする、胡散臭い男だった。
「一ノ瀬鈴花訓練生です」
鈴花はむっつりとした顔のまま敬礼をし、応接室のドアを閉めた。
背筋を伸ばし、休めの姿勢で直立する。
独房生活は一週間で解除されたが、彼女は通常の訓練プログラムには復帰していなかった。あんな騒ぎを起こして元のクラスに戻れるわけがなかったし、なにより誰もが一ノ瀬鈴花を敬遠していた。そうして一人で訓練を続けるなか、千石教官に応接室にいくように指示されたのだ。
理由は説明されなかった。
「愛想ないなあ」
「よく言われます」
色つきの眼鏡をかけた男は、値踏みするような視線をこちらに送ってきた。
灰色が混じった黒髪を整髪料で撫でつけて、頭には狐の耳。腰の後ろからは狐の尻尾。
フォクシーと呼ばれる魔王因子中毒者で、ハーフエルフよりも珍しいな、と鈴花は思った。
「お前が半殺しにした二人は退学したわ。怪我は治っても、精神的には立ち直れん。ちょっとした虐めのつもりが、圧倒的な暴力で反撃されたらな。訓練以外でホンマの意味で痛めつけられる覚悟が完了してへんから、トラウマになってまう。そんなやつは使いものにならん」
「そうですか」
「お前は違うみたいやな、一ノ瀬。誰かを痛めつける覚悟と、自分が痛めつけられるという覚悟は裏表や。ゴブリンに殺されかけて、頭のネジ外れとるんか?」
「どうでしょうか。自分ではわかりかねます」
目の前の男が何者なのか、鈴花にはわからなかった。ただ、警察官訓練学校の内情や鈴花の経歴を知っているところを見るに、復興省の人間であることは間違いない。
「ええね。僕が何者か、観察して考えとる顔や」
男は立ち上がると、鈴花の近くまでやってきてランウェイを歩くモデルのように一回転した。
「さて、僕は何者や? 気になることがあるなら、質問に答えてもええよ」
鈴花は小首を傾げて、改めて男の全身を見た。
スーツは上等なブランド。時計も靴も眼鏡もだ。復興省のまともな役人の給料で買えるものではない。それに警察官訓練学校での横柄な態度。
「あなたは復興省警察局、それも組織犯罪対策課の刑事ではないですか?」
「ほお、なんでまた組対やと?」
「ここにくるのであれば人事局か警察局の関係者だと思いますが、訓練学校の内情を知りすぎています。個人的なツテがあるからでしょう。吸い殻を見るにずいぶんとおまちになったようですから、千石教官がわたしに応接室にいくように命じるまで熟考したのではないかと。千石教官は、かつて組織犯罪対策課でした。ご面識があるのでは? 千石教官はあなたにあまりいい感情を持ってはいないようですね」
男はなにも言わなかった。先を促されていると判断し、鈴花は続けた。
「それにあなたのスーツや時計、靴に至るまで、復興省の職員が購入するものとしては高価すぎます。押収品ではないでしょうか。組織犯罪対策課の刑事は、囮捜査で犯罪組織の人間に成りすます際に、押収品を利用してそれらしい格好をすると聞きました」
それに、と彼女は言った。
「靴下だけは安い日用品です。量販店で三足が数百円で売っているような。本当にこだわりがあるのなら、靴下も高級品にするでしょう」
それを聞いた男は、スーツの裾を上げて靴下を確認する。
「いやあ、しょうもないとこまで見られたな。確かにこの靴下は三足で九八〇円や。押収品に靴下なんてないんよ。あったとしても、誰かがはいとった靴下なんていややんか」
男はおざなりな拍手をした。
「ええね。見るとこ見とるし、推察する力も見事や。確かに僕は組対の警察官や。榎本晋作。風紀取締特別行動係の係長。階級は警部」
「風紀取締特別行動係……」
組織犯罪対策課には警部に率いられたいくつかの特別行動係が存在しているが、風紀取締特別行動係は、麻薬・銃器の密売・売春などを専らに担当しているセクションだ。もちろんそれらに絡む殺人事件も担当しており、警察局では花形の部署だった。
「その榎本警部がわたしになんのご用ですか」
「単刀直入に言えば、お前をリクルートしにきた」
榎本は鈴花の身長に合わせて身を屈めた。
色眼鏡のレンズ越しに目線が合う。
フォクシー特有の縦長の虹彩には、獲物を捉えたかのような剣呑な光があった。
「一ノ瀬、あんな騒ぎを起こしたんや。卒業しても警察局の巡査を拝命できると思うな。なんの躊躇もなく仲間を半殺しにできるやつを組織が抱えられるか」
「では、なぜわたしをリクルートするのですか」
「そんなやつにしか任せられん仕事があるっちゅうことや。お前は訓練学校での成績は優秀やし、物事を見る目もなかなかええ」
榎本は鈴花から離れ、ソファに座り直した。
「それにハーフエルフ」
そう言われて、鈴花は自分の耳に無意識に触れた。
中途半端に長い、尖った耳。
「耳長百貨店は知っとるか?」
「耳長……? ああ、〈ビスカム・デパート〉のことですか。エルヴン・マフィアの」
「厄介な連中でな。メガコーポのRCTとはズブズブやし、武闘派で稼ぎも手広い。特に面倒なのが、連中が復興東京に売り捌いとる麻薬や」
「ティンク・パウダーですか。ここ数年で爆発的に流行していますよね」
「そのとおり」
榎本はくつくつと笑って、シガレットケースから取り出した煙草を咥えて火を点けた。
禁煙が叫ばれている昨今にしては珍しい、チェーンスモーカーのようだった。
「復興東京の違法薬物市場はいまやティンク・パウダー一色や。アメリカでも同じ。覚醒剤もコカインもヘロインも売れへん。おかげで麻薬をシノギにしとった組織は大変や。南米のカルテルは大混乱やし、ゴールデン・トライアングルのケシ畑は収穫すればするほど赤字。ヤクが売れんからマフィアやヤクザが首を吊るなんざ、笑い話にもならん」
紫煙を吐いて、榎本はひどく皮肉げに笑った。
「従来のヤクよりもカジュアルで安心安全、それでいて圧倒的な多幸感。キメセクにもぴったり。魔王がいた異世界の妖精――ティンカー・ベルを原材料にしたティンク・パウダー。〈ビスカム・デパート〉のニューヨーク本店の専売で、いまなら期間限定大安売り。ご連絡は各支店の担当者まで」
すらすらとそんなことを言う榎本は、麻薬ディーラーにしか見えない。
ティンク・パウダーが異世界産だというのは眉唾だろうが、そういう尾ひれがついている。
「まあ、ホンマに売り言葉のとおりなら、まだええ」
榎本は短くなった煙草を、吸い殻の山に捩じ込んだ。
「ティンク・パウダーにはな、魔王因子を活性化させる有害反応がある」
そんな話は聞いたこともなかったので、鈴花は押し黙った。
「もちろん、こいつは科学的に立証もなんもされてへんけどな。事実、ここ最近ゴブリン化した連中の大半は常習者やった。これはティンク・パウダーの本場、アメリカでも顕著やが、復興東京ではよりヤバい意味を持つことがわかるやろ?」
「……はい」
鈴花は眉間に皺を寄せ、小さく言った。
復興東京は魔王因子の汚染濃度が世界で一番高い都市だ。それはつまり、魔王因子が活性化して魔王因子中毒者になる可能性が高い人間が、最も多く暮らしている街ということになる。
魔王因子が活性化したからといって、すべてがゴブリンになるというわけではないが。それでも、魔王因子中毒者の分母が多ければゴブリン化事案の数は増えるだろう。
もしかしたら、ショッピングモールでゴブリンになった客もそうだったのだろうか。
「一ノ瀬、僕はこれでも組対の警官や」
改めてそう言った榎本の声には、どこか真剣な響きがあった。
「耳長百貨店の東京支店をどうにかして、ティンク・パウダーを復興東京から締め出す。そのために、お前の警官人生を僕にくれ」
「……潜入ですか」
ハーフエルフである鈴花をスカウトする意味があるとしたら、それしかなかった。
エルヴン・マフィアは、エルフかハーフエルフしか構成員になることはできない。魔王因子中毒者のなかでもエルフやハーフエルフは希少だったし、それだけにすでに警察官になっている者は面が割れている可能性が高かった。
だが、正式に警察官になっていない訓練生なら別だ。騒ぎを起こして扱いに困っている訓練生がいて、それがたまたま成績優秀であったとしても、それだけで警察局の警部がわざわざリクルートにやってくるわけがなかった。
「潜入捜査官になれば、お前は巡査を拝命する。せやけど、記録はすべて抹消や。訓練学校の入学時から、全部な。復興省人事局のデータベースにも記録されん。お前が警官やと証明できるのは、僕とお前自身や」
新しい煙草を取り出そうとして、榎本はそれをやめた。
代わりに名刺を応接机の上に置く。
「一日やる。その気があるなら連絡してくれ」
「断ったらどうなりますか」
「どうもならん。僕は二度と現れん。そしてお前は、訓練学校を卒業しても、引き取り手は民警にもない。就活サイトにでも登録して、気になる企業の面接でも受けるんやな」
鈴花は別に功名心や出世欲があるわけではなかったし、潜入捜査官であっても誰かを助ける警察官であることに変わりはない。それに、榎本の話が本当だとするなら、ティンク・パウダーを取り締まることでゴブリン化事案を少しでも減らせるかも知れない。その犠牲者も。
机上の名刺を一瞥し、鈴花は息を呑んだ。
拳を握り、ゆっくりと開き、もう一度握る。
答えは一日考えるまでもなかった。
自分が決めた生き方を、変えることなどできない。
鈴花は榎本を真っ直ぐに見据え、凛然と言った。
「やります」
「そうか」
榎本は机に両手を置くと、勢いよく頭を下げた。
「一ノ瀬、よろしく頼む」
額が机にぶつかる音がして、鈴花は面食らった。
このときは榎本晋作という男は胡散臭いが、ひょっとしたらまともなところもあるのではないかと思った。脅迫や暴力行為、詐欺まがいの手口や買収もあたり前。成果のためなら独断専行も辞さない強引な捜査手法で、〈蛮刀〉榎本と陰口を叩かれている、筋金入りの不良警官であることを鈴花が知ったのは少しあとのことだった。
彼女は表向き警察官訓練学校を退学し、記録はすべて抹消された。
疑問に思った者もいたが、やがて誰も彼女のことを口にしなくなった。
こうして――一ノ瀬鈴花は巡査を拝命して警察官になった。
誰に知られることもなく。




