表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/31

2.陰キャのハーフエルフが調子に乗るなよ!

「一ノ瀬訓練生」


 名前を呼ばれ、鈴花は一歩だけ前に出た。


 整列している同期の視線が一斉に注がれる。


 頭上にはギラギラと照りつける太陽が輝いており、容赦なく彼女の肌を焼いた。


 セイタカアワダチソウが茂るだけの東京湾の埋立地に、復興省の警察官訓練学校はあった。

 有刺鉄線が設置された金網のフェンスに囲まれただだっ広い敷地に、薄汚れた鉄筋コンクリートの建物と米軍払い下げのプレハブ施設が並んでいた。


 訓練生はここで徹底的に基礎能力を鍛え上げられ、採用された復興省警察局の配属先で専門的な研修を受ける。


 学校というよりは、新兵の訓練キャンプのような施設だった。二〇時に就寝し、四時――非公式にはその三〇分前――に起床する。そんな生活にもすぐに慣れた。


 訓練教官の罵声を浴びながらグラウンドを走り、基礎体力を向上させる単調なトレーニングを繰り返し、無理やりに胃に詰め込んだ食事を吐き出さないように我慢する。


 ときには障害物だらけのコースを走り、高所から飛び降り、泥のなかを匍匐前進する。


 繰り返される一対一の近接戦闘訓練、チームでの都市型戦闘訓練、一日に数百発を撃つ射撃訓練。一〇〇時間を超える座学のプログラムで、さまざまな分野の知識を叩き込まれる。


 マッチョなだけの脳筋は必要とされていない。


 そんな警察官訓練学校での一ノ瀬鈴花は、ちょっとした有名人だった。


 優秀な成績を記録し、第四〇期のなかでは頭ひとつ抜き出ていると目されていた。

 第二世代の魔王因子中毒者(チタニア・ジャンキー)であるハーフエルフだったということもある。復興東京でもエルフは希少だったし、ハーフエルフも珍しいものであることに変わりはなかった。


 彼女の名前を呼んだ訓練教官は、厳しい表情のまま言った。


「今回の総合選抜試験も一位だ。おめでとう」

「ありがとうございます、教官」


 第四〇期の訓練を担当する主任教官である千石警部は口髭を蓄えた白髪混じりのベテランで、かつては警察局の組織犯罪対策課にいた筋金入りの叩き上げだった。


 彼は鬼教官らしい一分の隙もない敬礼をした。


 薄汚れた訓練用のカーゴパンツにタンクトップ姿の鈴花は、踵を揃えて答礼した。

 同じように、隙のない完璧な敬礼だった。


 警察官訓練学校で毎月ある総合選抜試験は、座学の成績と実戦訓練の総合成績を競い合う定期テストのようなものだった。


 鈴花は上位の常連で、何度か一位にもなっていた。

 憧れや羨望の眼差しを向ける者もいれば、嫉妬の感情を向ける者もいた。

 警察官訓練学校と言っても、人が集まれば派閥が生まれるものだ。

 それはどこにでもある学校の教室や会社の職場と変わりないことだった。


 鈴花は自分のことを快く思っていない連中がいることを知っていたし、理解もできた。

 得体の知れない施設出身のハーフエルフが幅を利かせているのは我慢ならない、というのは当然のことだった。


 彼女は意に介さなかった。

 そんなことにいちいち取り合っていては身が持たないし、だから誰ともうまく距離を取っている。

 

 そう思っていた。


          ◆◇◆◇◆


「はあ、もう、最悪」


 眉間に皺を寄せて、鈴花は目の前の惨状に肩を落とした。


 クラスにわかれて座学を受ける教室棟の裏で、彼女がせっせと世話をしてきた家庭菜園が見事にぐちゃぐちゃになっていた。収穫が近かった夏野菜――トマトが台無しだ。


 警察官訓練学校の伝統で、総合選抜試験に一位になると外出許可をもらうことができる。

 帰るべき家がない鈴花は外出を申請しない代わりに、教官から許可を得て家庭菜園をやることにした。唯一覚えている母親の趣味だったし、施設にいたころもやっていたからだ。


 親しい友人もいない上にインドア派なので本当はゲームでもしていたいところだったが、生憎とここは外部との連絡を固定電話でしか許されないような世界だ。


 鈴花は麦わら帽子を被り直すと、その場にしゃがみ込んだ。


 畑は見事に踏み荒らされており、どう考えても人の仕業だった。青々と育っていた立派な茎はへし折られ、食べごろになりかけていたトマトの実は土に塗れて潰れている。


 程度の低いいやがらせだな、と鈴花は思った。


「っ!」


 なにかがすぐ近くに投げ込まれた。


 目をやると、トマトの実だった。

 さらに何個かが投げ込まれ、そのひとつが鈴花にぶつかる。


 潰れたトマトから汁が飛び散り、鈴花は深いため息をもらした。

 教室棟の上階のどこかから投げられているが、位置まではわからない。


「陰キャのハーフエルフが調子に乗るなよ!」


 何人かの笑い声。


 鈴花は肩をすくめた。座学までのわずかな自由時間を荒らされた畑の片づけに使うと、彼女はトマトの汁に塗れたまま教室棟の三階に向かった。


 腹が立つかと言われれば、それはそうだ。だが、あのショッピングモールで死を実感して以来、彼女はそれに比べればどんなことも大したことはない、という感覚になっていた。


 平然と教室に入ってきた鈴花に、視線が一斉に注がれた。そこには様々な感情が交錯しており、無関心、少しの同情、好奇と愉悦、そんなあれこれだった。


 その理由は簡単で、彼女に割り当てられた教室机がなかった。

 規則正しく並べられた机の列のなか、ぽっかりと空白ができてしまっている。


 どこからか、くすくすという笑い声がした。


 鈴花は自分の机の運命を察して、教室の窓から地上を見た。

 案の定、投げ捨てられている。


 こういうことは突然、なんの前触れもなくやってくる。

 放っておくとエスカレートするだろうがどうしたものかな、と鈴花は思った。


 むっつりと押し黙り、腕を組む。


 それが途方に暮れているように見えたのか、一人のクラスメイトが立ち上がった。


「やめろよ! 一ノ瀬は俺たちの大切な仲間じゃないか!」


 精悍な顔つきと鍛え上げられた身体が目につく日置という男で、成績優秀でリーダーシップもある。典型的なジョックで、第四〇期の中心的な人物だった。

 いかにも正義漢ぶっているが、その仕草は大仰で言葉は棒読みだ。


「優秀な一ノ瀬なら、机くらいなくたって平気だよな?」


 一部の訓練生が声を出して笑った。

 そして、そのなかの一人が刺々しい声で言ってくる。


「ちょうどいいから、ハーフエルフは外でお勉強しなさいよ」


 トマトを投げつけられたときに聞こえた声と同じだったので、鈴花はその女に言った。


「雛菱、もうすぐ収穫できそうだったのよ。まったく。陰キャのハーフエルフをイビれて満足?」

「はあ? あたしは別になにもしてないけど?」


 雛菱はモデルのような大人びた美人で成績も優秀。男女を問わずに人気があるし、取り巻きも多い。同期のなかの女王のようなもので、警察官訓練学校という狭い世界で暮らすには、彼女に気に入られるかどうかはとても重要だった。


「ハーフエルフがあたしに言いがかりつけてくるんだけど。ひどくない?」


 彼女がそう言うと、


「ひどーい」

「ヒナちゃん可哀想」

「謝りなよ」


 だのと取り巻きが口々に囃し立てた。


 彼女たちのような教室の一軍には鈴花は目の上のたんこぶで、グループにも入らない一匹狼が同期で一番優秀だというのは、実に面白くないことだった。どれだけ権勢を誇っても、「結局は一ノ瀬鈴花に敵わない」とその他大勢から思われている気がしてしまう。


「謝ってやれよ、一ノ瀬」


 日置がにやにやと笑いながら近づいてくる。


「謝って許してもらえるなんて、ハーフエルフでよかったじゃない。ゴブリンみたいに撃ち殺していいなら、いますぐあたしが撃ち殺すのになあ」


 雛菱がくすくすと笑った。


 教室には悪意と無関心、少しの同情だけがあった。

 誰も鈴花を助けようとはしない。


 彼女は不意に、いままで忘れていた初老の面接官との会話を思い出していた。

 我ながらバカみたいな話だが、いま自分は殴られている。


 そして、面接官の言ったとおり、教室の大半は誰かが助けてやってくれないか、と思っている。善人の振りをして。結局のところ、わたしを助ける誰かも、わたしだった。


 鈴花は組んでいた腕を解いた。


 その右手首を、近づいてきた日置が掴んだ。力任せに引きずっていこうとする。


「日置、そんなだから戦闘訓練でわたしに勝てやしないのよ」


 鈴花は相手が反応するよりも早く、右手を開くなり手首を返して縦にし、右足を一歩踏み込んだ。同時に踏み出した足に体重を乗せ、身体を伸ばすようにして肘を振り上げる。


 それだけで、彼女の右腕がするりと抜けた。


「あ?」

 間の抜けた声を、日置がもらす。


 鈴花は振り解いた右手の拳を握り、踏み込んだ右足を外側に払った。


 日置の体勢を崩すと同時に半身になり、右脇腹に強烈な一発を喰らわせる。


 鍛え上げられた腹筋などものともしない、内臓に突き刺さるような一撃だった。


「うげっ……!」


 奇妙な声を上げて、日置が膝から崩れ落ちた。


「げはっ、おえっ」


 腹部をおさえて丸くなり、胃のなかのものをぶち撒けている。


 鈴花はまったく容赦せず、床にうずくまる日置のごつい身体を前蹴りで吹き飛ばした。


 ごっ、という鈍い音。


 その様子を遠巻きにしていた訓練生といくつかの机を巻き込んで、日置が教室の床を派手に転がった。自分の吐瀉物に塗れて、日置は完全に意識を失っていた。


「誰かを殴るなら、自分が殴り返されるということを考えないの?」


 誰もがその様子を呆然と眺めているしかなかった。


「雛菱、わたしを撃ち殺すと言った?」

「え、ちょっ……」

「本当に殺したいなら、そんなことを言う前にやればいいと思うけれど」


 鈴花はぞっとした顔でこちらを見ている雛菱の前に立った。

 彼女の取り巻きも、顔面を引き攣らせて黙りこくっていた。


「わたしならそうする」


 両親を殺したゴブリンを、本気で殺してやると思ったあのとき。もし警察局の対策チームが対物ライフルでゴブリンの頭を吹き飛ばしていなければ、間違いなく自分が殺していた。

 その確信が、彼女にはあった。


 ハーフエルフ特有の濁った碧眼に殺伐とした光を灯して、鈴花は言った。


「殺す覚悟がないのなら、そういうことは言わないことね」

「ふっざけんなよ! 頭おかしいんじゃない!? ちょっとからかっただけじゃん! 普通こんなことする!? 教官に言って――」


 鈴花はなにも言わず、彼女を蹴り飛ばした。


 雛菱は机を薙ぎ倒し、教室の壁に背中から激突した。


「あっ……!」


 短い悲鳴をもらして、そのまま床に倒れ伏す。


 鈴花は平然とその背中を踏み抜いた。


「ぐえっ!」


 背骨が軋む感覚に、雛菱がカエルみたいな悲鳴を上げた。

 女王の威厳もなにもない、ただの怯える女の声だった。


「さっきも言ったけれど、誰かを殴ったら殴り返されるのよ。暴力は平等で、誰にも安全地帯なんてものはない。それを理解した上でものを言うことね」


 わたしはそれを、身をもって理解している。少なくともあのショッピングモールに現れた怪物の前では、彼女の両親も、彼女も、あるいはどんな身分の人間も平等だった。


 鈴花は教室を一瞥すると、これ見よがしに嘆息した。


 それからなにもなかったかのように教室を出ていき、投げ捨てられた机を拾って教室に戻った。そして、まち構えていた千石教官に事情を説明し――独房に入れられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ