クレームブリュレ
「行きますよ。それっ」
ベラ=クベルドンの声を合図に、大きなクマのぬいぐるみが投げ上げられた。
「――風よ」
アビゲイル=ベグネの呪文が唱えられるとともに、ぬいぐるみがふわりと受け止められ、やがて静かに着地した。
それをもう一度ベラが拾い上げ、投げ、アビゲイルの呪文が唱えられ――その一連の動作を、もう何度繰り返しただろう。
今日の学園での授業は終わり、いつもの三人は、デピス家の応接室で何やら特訓に勤しんでいた。
「二つ目の罪は、困っているエリカ嬢を助けないばかりか嘲笑ったこと。思い当たるのは、魔力測定試験の時のことですわ」
クローディア=デピスは、その様子を見ながら状況を整理した。
「アビーの魔法が暴走して、エリカ嬢を吹き飛ばし、池に落ちたところをいつもの調子で高笑いしてしまった、あの出来事に間違いありませんわね」
クローディアの言葉に、アビゲイルは首を傾げる。
「魔法の暴走は、昔はよくありましたわぁ。でも、お母様に魔法制御のタリスマンを頂いて身に付けて以降は、全くなくなったはずですわぁ。あの時どうして暴走が起こったのか、今でもよく分かりませんわぁ」
ところで、とアビゲイルは続けた。
「いつまでこの特訓を続ければよろしいんですのぉ?」
風が、クマを受け止める。
「吹き飛ばしたエリカ嬢を受け止めて助けるための特訓です。より滑らかに、より素早く、より確実に、呪文をマスターしていただかないと。はい、残り十回ですわ! 終わったら、クレームブリュレを食べてよろしいですわ」
厳しい言葉がクローディアから放たれるが、アビゲイルとしてはご褒美の存在が大きかったようだ。
「が、頑張りますぅ」
「……これ、私も大変です」
ベラも珍しく不服を口にした。
そうして、なんとか残り十回をやり終えると、その瞬間からアビゲイルの表情は切り替わっていた。
「まさに至福、ですわぁ」
自身の表情が示すところを台詞にしながら、アビゲイルはスプーンを構え、お目当てのスイーツへと振り下ろす。
「この硬いカラメルの層をコツコツと叩いて、砕くところからクレームブリュレは始まっているのですわぁ」
耐熱の皿の上では、火魔法で焼き固められたカラメルの層がその上部を覆っている。サクサクとあるいはパリパリと薄氷を踏みしめるような音とともにそれを割ると、ようやく下部のカスタード生地が顔を出す。
「このカスタードも、ねっとりと柔らかくて濃厚な味わい。カラメルの苦味と食感とも相まって、一つのスイーツとして完成するのですわぁ」
陶然といった様子でアビゲイルが堪能しているところを横目に、自身もクレームブリュレを味わいながらベラも言った。
「本当に美味しいです。アビゲイル様のようにスラスラと言葉が出ないのが悔しいくらいです」
「それは何よりですわ。さて、前回の反省を活かして、魔力測定試験については、あらかじめベラに何が起きるか未来を見てもらうのが良いかと思うのだけど、いかがかしら?」
クローディアの提案に、ベラは頷いた。
「それが良いですね。では見てみましょう」
測定試験は、明日8月25日に差し迫っている。さっそくベラは水晶玉を取り出すと、両手をかざして集中し始めた。
「むむむ。そうですね……。アビゲイル様のタリスマンが、エリカ嬢に持ち去られています。それで魔力が暴走する訳ですね。で、その暴走にエリカ嬢自身が巻き込まれてしまう、と。あ、やっぱり池に落ちますね」
当然のようにオチまで未来を見ると、ベラは両目を開けた。
「と言うことは……せっかくアビーに風魔法の特訓をしていただいたのに、そのアビーが魔力暴走状態では、助けられる者も助けられませんわね」
悩ましげにクローディアが言う。
「そんなぁ。特訓は無駄ですかぁ」
衝撃を受けた様子のアビゲイルに、ベラが笑顔を見せた。
「大丈夫ですよ。なんとかできると思います」