第2話 人の子
我らからしてみれば人の一生など、脆く儚い。
動物や虫などと比べれば長い一生も、何千年と生き続ける我らと比べてしまえば短いとしか言いようがない。
ましてやそんな人の子が光り輝く瞬間なんて星の瞬きのように一瞬で、簡単に見逃してしまう。小さい小さいその存在の輝きは弱く、頼りない。
生にしがみつくその様は滑稽で、死に恐怖するその様はなんとも痛々しい。
しかし、その一方で死を望む人の子の姿は何故だかやけに虚しくこの目に映るのだ。
死にたいと願う人の寿命があと五十年。生きたいと願う人の寿命があと数ヶ月。理不尽な現実は容赦なく人へと襲いかかる。いつどんな時も運命とは残酷で、いとも簡単に裏切るもの。
もし『時間』というものを分けることが出来たのなら、きっと人はもう少し楽に生きられたのかもしれない。
しかしそれが出来ないからこそ、人は様々なカタチで生にしがみつくのかもしれない。
限られた時間しかないがゆえに焦り、限られた自身の一生を早く終わらせたいと思うのかもしれない。
その真意は人に生まれなかった俺には到底分かり得ないのだけれど。
人時計はその限られた人の時間を指し示す。いくつもの文字盤と、それに添えられた針によって。
時を”取り締まる“我らは様々な時間を映し出す。それが一日の時間であったり、一年の時間であったり。そして時に人の寿命から、新しい命が生まれる時間まで。この世に溢れる全ての”時“を我らはこの掌に収めている。
しかしそんな我らでさえ、その時間を操ることはできない。なぜならそれがこの世界の定めであり、変えようのない天命だからである。
だから俺にできるのは気まぐれに決められた時間をただ指し示すだけ。それが相手の望む結果であろうとなかろうと。
炎に包まれた大輪が暗闇に咲き誇ったあの晩。予想通りあの少年は店へとやって来た。
息を切らし泥だらけになった少年は、そんな事は気にならないとでも言うように俺の目を見つめた。しかしその瞳は微かに揺れていて、その裏に恐怖が隠されていることを物語っていた。しかし、少年は決して俺から目を逸らさない。恐怖に怯えるその瞳は今にも崩れてしまいそうなのに。
俺は思わず頰を緩めた。
やはり人の子は面白い。いや、この少年が面白いと言うべきか。
なんでも見透かしてしまうこの瞳から逃げ去るのがごく普通のことなのに、この少年は瞳が揺れようとも手足が震えようとも背を向ける事はない。
一体何が、彼をここまで奮い立たせるのか。使命感か正義感か、はたまた同情か。彼にとって双子の片割れの存在は一体何だと言うのだろうか。
俺はそれを知りたくて懲りずに少年の前に姿を現し続けてしまう。
しかし、少年よ。君はいつまでここに立っていられるのだろうね。
俺は興味があるんだよ。君のように強い意志を持って立ち続ける人間が、残酷に訪れる運命の前でどんな顔をするのかが。
「さあ、これが片割れの寿命だよ」
冬馬の弟が手術を終えてからの一週間、人時計の針は右へ左へと大きく振れ続けた。まるで重さを測りかねる天秤のように、ゆらり、ゆらりと。一人の人間の寿命を決めかねているように、ふらり、ふらりと。
やがてそれは彷徨うのをやめた。ピタリと動きを止めた後はカチ、コチ、と規則正しく機能している。
やはり運命とは残酷である。これを決めるのが神なのか、それとも別の何かなのか、それは俺さえも知らない。
大きく”左“へと振れた人時計が少年の瞳に映し出される。
「あと四ヶ月といったところだね」
俺の声が聞こえているのかいないのか、冬馬は目を大きく見開いたまま人時計を見つめている。その顔は絶望というより、信じられないといった表情をしていた。
冬馬の手が小刻みに震える。
そしてゆっくりと黒色の瞳がこちらを向いた。その目の中に俺の顔が映っているのがわかる。
「なん、で……」
今にも消えてしまいそうな掠れた声。いつも明確な意志を持って言葉を紡ぐ彼に、それは似合わない。
「なんで、なんで……!!」
まるでその先の言葉が見つからないとでも言うように、彼はその三文字を繰り返す。そしてやっとの事で絞り出した言葉は、なんとも情けないものだった。
「手術、したのに……」
冬馬は冷たい床へと座り込む。自然と体の力が抜けてしまったかのように、ペタンと手をつく。
ただでさえ小さい冬馬の体が余計に小さく見えた。
「どうして……!!」
鼓膜を裂くような大きな声が狭い店内に響き渡った。
理解できない現実を、行き場のない感情を無理やり何処かへ投げ捨てるように冬馬は声を上げる。喉が裂けてしまうような痛々しい声が、夏の夜空の下を彷徨い続ける。
「定めだよ」
自分でもわかる、冷たい声だった。
「これが変えようのない現実」
人の力では決して変える事のできない事実。
「これが君たち双子の運命だ」
やはり人という生き物は脆い。弱く、か細く、壊れ易い。
どんな人間も結局、根本的な部分は一緒なのだ。この少年も弱い一人に過ぎない。
冬馬の瞳が水面のように揺れた。目尻から流れ出るそれは人の言葉で言うところの”ナミダ“。俺がそれを流す事はない。
次々と流れ出るその原理も、止め方も知らない。それを流す人の子の心情など到底理解できない。
頰を伝い床へと落ちる雫は、丸いシミを作っていく。
俺はその雫が流れる様を、ただじっと見つめていた。




