第7話 提灯
「冬馬!おまたせ!!」
日が沈みかけた夕刻。青かった空は淡い橙色が滲み、少しずつ絵の具を混ぜているようだった。
大きな夕日は友人の顔を照らし、その足元には長い影を作り出していた。
昼間よりは幾分かマシな暖かい風が頰を掠める。
「それでどこ行くんだ?」
オレの家の裏手にある小さな山の麓で、悠星と待ち合わせをしていた。
この山の上であるという祭りに向かう人たちが次々と坂道を登って行く。カラン、コロン、と下駄を鳴らしながら浴衣姿の男女がオレたちの横を通り過ぎた。
「……時計屋さん」
悠星は不思議そうな顔をして頭を傾げる。
短い黒髪が夕日の光を浴びてキラキラと輝いた。
「さっき電話で言ってた?」
「……うん」
「本当にあるのか?」
「あるよ!オレそこですごい綺麗な人に会ったんだ!」
ふーん、と斜め上を見ながら考え込むようにした友人は、上へと続く坂道を眺めてからオレと目を合わせた。
「まあ、行ってみようぜ!」
力強くオレの肩を叩いて先を歩き始める。その後ろ姿を追いかけるように、慌てて足を動かした。
オレンジ色の光を纏った夕日は坂道の上に沈んでいる。まるで夕日に向かうようにオレたちは坂を登り始めた。
道に敷かれたアスファルトは所々めくれ上がり、土がむき出しになっている。その隙間から生えた名も知らぬ花を横目に前を向き直した。
祭りのせいかいつもより行き交う人は多く、その顔は皆生き生きしているように見える。
「そういえば、祭りでは花火も上がるんだぜ!」
一歩先を歩いていた悠星が思い出したかのように振り返って言った。
「まあ規模は小さいけどな」
悠星は、ははっと笑って前を向き直す。
少しずつ暗くなる外の景色さえ祭りを楽しみにしているようだった。空にはくすんだ黒色がその手を広げ始めている。
高台に近づくにつれ辺りがだんだんと明るくなる。立ち並ぶ屋台の灯りが漏れ、祭りを盛り上げる太鼓の音が近づいてきた。
人が賑わう祭り会場の手前でオレは足を止めた。
そんなオレに気づいたように、数歩遅れて悠星も立ち止まった。
「ここか?」
「ああ、この上だ」
オレは石階段を見上げる。街灯もない階段は暗く、頂上が見えない。そのせいか前よりも階段が長く感じた。
思い切って一段目を登れば、両脇に並ぶ樹木がザワリと音を立てた。祭り会場から漏れる微かな光が、この場の不気味さを際立たせている。夏には不釣り合いな冷たい風が首を触った気がした。
「俺が電話で言ってた時宵神社だな」
悠星はオレの後に続いて階段を上る。その顔はこの暗さからくる恐怖ゆえか、頰が引き攣っているように伺える。
頭上を覆うようにかぶさる枝には、風に揺れて音を立てる葉が何枚も引っ付いている。その色は暗すぎて確認することができない。
木々の隙間から白い月が見えた気がした。
長い石階段を登り終えれば、石造りの鳥居がオレたち二人を出迎えた。
躊躇なくそれを潜り、二匹の狛犬の間をすり抜ける。古い社は藍色に染まりかけた空を背に怪しく佇んでいる。
「おいおい、本当にこんなところに時計屋があるのか?」
「この奥だ」
オレは社の裏手にある森を指差す。
悠星はその指の先に目を向け顔を青ざめさせた。
「はあ?この中に入るのか!?」
慌てたようにオレの腕を掴んだ悠星が可笑しくて思わず笑ってしまう。
「なんだよ、怖いのか?」
挑発するようにそう言えば、目を大きく開けてから眉を寄せた。
「こ、怖くねえよ!」
オレは待っていたその言葉を合図に森へと踏み込む。
「じゃあ行くぞ」
「待てよ!冬馬!」
オレの後ろをついてくる悠星の気配を感じながら前を見据える。
今までここに来た時は日も高く、明るかったためこんなに先が見えなかったことはない。
蝉の声が聞こえない森の中はやけに静かで、足元の草を踏む音が大きく感じた。夏の虫の音が遠くから聞こえる。
この先にあの時計屋があるはずだ。木々に囲まれるように立つあの店が。
しかし、それは一向に姿を現さない。
もう着いてもおかしくないはずなのに、森が開ける気配はない。
どれだけ進んでも辺りには木、木、木ばかり。オレは同じような木ばかり立つ森を見渡した。
嫌な汗が背中を流れる。
店が、ない。
あるのは大きな木ばかり。その先に見えるのは闇ばかりで、足元を照らす灯りは頼りない月の光だけ。
「冬馬?どうした?」
悠星の心配したような声が森の中に響く。
「……ない」
「え?」
何かが木の枝から飛び立った気がした。
「店が、ない」
その事実を口にした途端足元から崩れ落ちる感覚がした。
ありえない。そんなはずはない。
オレはたしかにこの森の中であの店を見つけたんだ。そして眩いほどに光り輝く数々の時計に囲まれた、あの人と……トキセさんと出会ったんだ。
「おい冬馬!?」
オレは重い足を動かして前へと進む。
そんなはずはない。ないはずがないんだ。だってあれは夢だというには余りにも……。
悠星の追いかけてくる足音を背に受けながら、オレは必死に足を動かした。
するとぼんやりとした灯りが木々の隙間から差し込んだ。
手を伸ばすようにその光に向かえば、辺りはどんどん明るくなってくる。その光の中へオレは飛び込んだ。
ドンドンドン、響く太鼓の音が鼓膜を揺らす。屋台の灯りと提灯の灯りが夜の闇を負けじと照らしている。
溢れかえる人の波がその光の中で賑わっていた。
「ここ、祭り会場じゃねえか」
追いついて来た悠星が息を整えながらそう口にした。
どうやらあの森は高台にあるこの祭り会場と繋がっていたようだ。
オレは後ろを振り返る。そこにあるのは灯りひとつない暗い森だけ。
走ったせいか心臓がばくばくと忙しない。
「ほら、なかっただろ?時計屋なんて」
「……ああ」
そんなはずはないと思いながらも、その反面どこかでそんな予感はあったのかも知れない。
人気のない場所に立つ店に、客のいない店内。人の寿命を示すという人時計もあまりにも非現実的過ぎる。
「お?あれヒロとトシじゃねえ?」
悠星が人混みを指差す。そこにはたしかに見慣れた友の姿があった。
「おーい!ヒロー!トシー!」
その声に二人が振り返る。手を振る悠星に、ヒロとトシが手を振り返す。
「ほら冬馬も行くぞ!」
「……ああ」
これ以上は考えても無駄だと、悠星の後を追いかける。
チリン……__。
喧騒をかき分けるようにして耳を撫でるようなその音が真っ直ぐに届いた。
オレは反射的にその音のする方へ振り返る。
白い毛を身に纏った小さな獣が青い目を光らせてこちらを見ていた。




