第51話 『羽衣の首輪』
巨獣の暴虐によって天を支える柱が歪み、頭上の亀裂からは海水が漏れ出していた。しかしシオンは、その惨状をまるで最初から何事もなかったかのように綺麗に修復していく。
「なぜ、シオン様がこれほどのご尽力を……?」
レオンの問いかけに、シオンは天井に残る微細な傷を見つめながら、口元をプッと尖らせてみせた。
「ただの暇つぶしのボランティアですわ。……まあ、この規模の修繕など、わたくしの他にできる者などおりませんけれど」
ふと手を止めたシオンは、どこか懐かしむような眼差しで呟く。
「それと……ここへ来て、ようやく分かったことがございますの」
「何ですか、それって?」
ジュンが不思議そうに首をかしげると、シオンは静かに語り始めた。
「かつてわたくしが何度も何度も繰り返させられた、あの理不尽で不条理な転生と転移の数々……。
あのシステム障害で放り込まれた場所こそが、まさしく創造主様の足跡そのものだったのではないかしら」
遠い記憶を愛おしむように、シオンはくすりと微笑む。
「そう考えると、ここはまるで里帰りのような……ちょっとした見回りをしているような気分になりますのよ」
ちょうどその頃、言葉を話し始めて三人の会話に口を挟むようになったリプル(リップ)を傍らに、シオンたちが言葉を交わしていたまさにその時——天界では、神々が雲の上でライトとレフトのじゃれ合いに振り回されていた。
「これこれ、ライト、レフト! 少し大人しくしなさい!」
「アハハハ! そーれ!」
二匹は神々の上着の襟を掴んでは宙に放り投げ、またキャッチするなど無茶苦茶に暴れ回っている。
その騒ぎと切実な悲鳴が、遥か下のシオンのもとまで届いた。
(シオン様、ライトとレフトがやんちゃ過ぎて手に余ります! 『二匹が母親に会いたがって暴れるのです、何とか助けて下さい!』……だなんて、神のプライドにかけて口が裂けても言えんが……頼むから誰か何とか助けてくれ!)
神々が心の中で上げたその悲鳴は、シオンの脳裏へすべて筒抜けであった。
(まったく、あの無能な神々は子供の世話すらできませんの? 困った方々ですわね……)
やれやれと呆れるシオンだったが、傍らにいるリップを見つめるうちに、ライトとレフトが今どのような姿に成長したのか、少しばかり気になり始めていた。シオンはリップの頭を撫でながら、レオンとジュンへ視線を向ける。
「ねえ、あなたたち。ライトとレフトが今どうしているか、気になりませんこと?」
「私も、最近あの子たちがどうなったのか気になっておりました!」
レオンが身を乗り出して応じると、ジュンも深く頷いた。
「では……一度、会いに戻ってみます?」
シオンの提案に「それが良いですね!」とレオンが弾んだ声を上げ、ジュンも嬉しそうに微笑んだ。傍らにいるリップも、何か面白いことが始まるのかとゴマ粒の様な目を輝かせてワクワクしている。ジュンがそんなリップに「これから天界へ行くんだよ」とあれこれ説明している間に、シオンは手際よく転移陣を作り始めた。
「シオン様、では魔王代理のバンガルに何か面白いものでも見繕っていきませんか? あの時のケムケム茸のお返しと言いますか!」
レオンが思いついたように話しかけると、ジュンも同調した。
「そうですね、あの時はあの紫の煙に助けられましたからね!」
「確かに、あの時は助かりましたわ。」
シオンは頷き、一度展開しかけた転移陣をほどいた。
「何か良さそうな、お土産はありますかしら?」
「この竜宮城の着物や羽衣というのはどうでしょう? バンガルは最近お洒落ですし、このようなガウンはなかなか艶やかで良いかと!」
「そうですわね。では二、三着見繕っていきましょう」
羽衣を五着ほど買い済ませたシオンは、再び転移陣を展開した。
「行きますわよ」
シオンの合図とともに転移陣が光を放ち、一行はさっそうと天界の転移門前へと降り立った。
その瞬間——ライトとレフトの二匹は、何かを察したようにピンと耳を立てた。まだ見ぬ母親の気配(波動)を完璧にキャッチし、慌てて転移門の前へと駆け寄って待ち構える。その急な行動に、追いついた神々が尋ねた。
「どうしたというのだ?」
「母様が来た!」
「神々の母……? 誰が来たというのだ?」
神々が首をかしげてキョトンとする中、二匹は嬉しそうに尾を振る。
「だから、母様だよ! 門の向こうに、今到着したんだ!」
重厚な扉が音を立てて開く——。
門が開くと同時に、二匹は「母様!!」と飛びつかんばかりに声を上げた。
シオンは目の前の青紫色と赤紫色の二匹をじっと見つめる。あの小さな卵だったのが想像もつかないほど、その身体は見上げるほど大きく成長していた。
「おぉ……! ずいぶん大きくなったな」
レオンの口から感嘆の声が漏れる。
「お前たち、会ったこともない母親のことが分かるのか?」
「もちろんだよ! この温かい気配は、卵の中からずっと感じていたからね!」
シオンが愛おしそうに二匹の首元へ手を伸ばし、優しく撫でてやると、二匹は気持ち良さそうに喉をゴロゴロと鳴らした。
それを見たジュンが「本当だ、手触りもフカフカじゃないか! まるで大きな猫みたいだな!」と笑いながら、フサフサの毛並みに手を埋める。
するとシオンは、先ほど手に入れた羽衣を取り出した。その両袖をライトとレフトの首にそれぞれ巻きつけると、袖口のボタンを反対側の袖穴に通し、特製の首輪にして仕立ててやったのだ。
この美しい羽衣は、竜宮城の乙姫様が直々に仕立ててくれた特注品であった。
首元を彩られた二匹は、誇らしげに胸を張り、嬉しそうに尾を振る。そして、ますますシオンへ甘えるように声を上げた。
「おいらたちも一緒に母様と旅がしたい! いつも一緒が良いんだ!」
甘えるように声を上げる二匹に、シオンは穏やかに言い聞かせる。
「ですが、あなたたちは魔界のマソ溜まりから生まれ出る魔獣を餌にしているのでしょう? お前たちがここからいなくなると、人間界や魔界が困ってしまうのですよ」
シオンになだめられ、二匹は少し残念そうにしつつも納得したように耳を伏せた。
神々は、二匹がそんな欲求を抱いていたことなどまったく知らなかったのである。今まで幼く、見たこともない姿をした二匹との接点がなかったため、念話も繋げず会話すらできずにいたのだ。
その時——予期せぬ訪問者たちの姿を目にした神々は、慌てふためいて右往左往と大パニックに陥っていた。
シオンはこの神々が右往左往する様子を見るのか少し楽しみでもあったのだった。
「人間界と……ほれ、ルールルにも知らせよ! 今宵は晩餐会じゃ!」
「シオン様! 今宵は盛大な晩餐会を!」
三至高神たちまでもが慌てて駆けつけ、天界は大騒ぎとなるのだった。
だが、驚きはそれだけでは終わらなかった。シオンたち一行が到着したすぐ後から、人間界からはザートナル国王と騎兵団長が、そして魔界からは魔王代理のバンガルと古参幹部数名が次々と姿を現したのだ。
実は転移陣をくぐる直前、シオンが念話で天界へ向かうことを事前に伝えていたのだった。それを知らなかったのは、右往左往する神々だけである!
中でもバンガルは、隠しきれない笑みを浮かべてウキウキとしていた。シオンから「お土産がある」と知らされていたからだ。
さらに気が利くことに、それでしたらと魔界の古参幹部たちはシオンのために、魔国製菓の新商品『ブラック茸の里』という甘味まで茶会用にと持参していた。
神々すら翻弄し、配下や他国の王までをも完璧に動かしてしまう——流石は真の魔王、シオンであった。
(第52話へつづく)




