ep.12:静寂の草原、業を背負う影
あれからどれくらい歩いただろうか。
人を殺すことになる。その行為に対するわだかまりは、喉に詰まった異物のように消えず、重く胸の奥に居座っていた。
しかし、冷酷なまでに時は過ぎ、運命は刻一刻とその時に向かって歩き続けていた。
街道の分岐点。今回の任務には同行しないことが決まったレオ、ロイド、エイダ、カッシュの四人は、拠点であるブラスの街へ向かう道へと分かれていく。彼らは一度も振り返ることなく、沈みゆく夕陽の残光を背負い、夕闇に溶け込むようにその姿を遠ざけていった。
後に残されたのは、ヨルグ達四人だけ。
彼らの足音が完全に途絶えると、街道には急に世界から音が消え去ったかのような静寂が訪れた。吹き抜ける風は冷たく、枯れ草を揺らす乾いた音だけが、どこか殺風景な街道に寂しく響いている。
ビクトリアは無言のまま懐から羊皮紙を取り出し、足元の乾いた土の上に広げた。
「……ここから先は四人だ。次の獲物はここいらを縄張りにする盗賊団だな」
羊皮紙の上で、手配書の男が歪んだ笑みを浮かべている。インクの染みのような顔が、薄暗がりの中で不気味に浮かび上がった。ビクトリアの鋭い視線が三人を射抜く。
「頭目は元傭兵。腕は立つみたいだな。……だが、それ以上にたちの悪い噂がある」
彼女の指が、粗末な紙に描かれた男の喉元を冷たくなぞる。
「奪った金品だけじゃ飽き足らず、略奪した村の人間を……自分たちの『獲物』として森へ放ち、狩るのを娯楽にしているとのことだ」
アッシュが短く舌打ちをした。その拳には、ロイドが命を落としたあの光景から続く、冷めやらぬ憤怒が獣のような熱を帯びて宿っている。その瞳は、ただ前方、深い闇を湛えた森の入り口を睨みつけていた。
ヨルグの中で、ロイドを「ゴミ」のように扱ったあの村人たちの顔と、娯楽のために人間を狩るこの盗賊団の姿が、醜悪な像を結び始めていた。
「……獣と何が違う?」
ヨルグの問いに、ビクトリアは冷たく言い放つ。
「獣以上に始末が悪いね。言葉が通じ、理由を持って他者の尊厳を奪うんだからさ」
彼女は折り畳んだ手配書を再び懐に仕舞う。周囲の木々が風にざわめき、まるで彼らの密談を盗み聞きしているかのように不吉な音を立てた。
「明日には拠点に踏み込む。……これは仕事だ。甘っちょろい正義感は捨てろ。ただ、確実に仕留める。それだけだ」
四人だけになった街道は、これまで以上に広く、荒涼として感じられた。
ヨルグは剣の柄に指をかけ、その冷たい鋼の感触を確かめる。先ほどまではレオたちがいた場所には、今はただ冷たい夜風が通り過ぎるだけだ。
獣を狩るのとは全く別の、血と泥に塗れた「人殺し」の業。それを背負う覚悟を、ヨルグは静かに固めていた。
「日は暮れた。今日はここで野営するぞ」
ビクトリアの言葉に、アッシュとランスは無言で頷く。
四人は街道を少し外れ、草原の緩やかな傾斜地を選んだ。背の高い草を剣の腹で薙ぎ払い、簡単な寝床を作る。湿った土の匂いが立ち込め、夜の帳が本格的に下りてきた。
焚き火が爆ぜる音だけが、静かな草原に響く。火の粉が夜空へ吸い込まれ、消えていくのを、ヨルグはぼんやりと眺めていた。
レオたちがいなくなった静かな夜は、自分たちが抱える業の重さをより一層際立たせているようだった。
「食事は各自で済ませろ。明日は朝一番で踏み込むことになるぞ」
ビクトリアが短く告げると、各々が干し肉を手に取る。
焚き火の明かりが彼らの顔を赤く染め、影を長く伸ばす。誰一人として談笑はしない。四人の業狩りたちは、それぞれの思考と、迫りくる人殺しという任務の重圧と共に、草原の闇に身を沈めていった。
深夜、焚き火の爆ぜる音だけが周囲を支配する中、隣に座っていたアッシュがふと立ち上がり、ヨルグに目配せをした。
無言のまま二人で立ち上がり、野営地から少しだけ離れた場所まで歩く。
夜風が火の粉の匂いを運び、草原の草が足元でカサカサと鳴った。
「……あいつさ、ロイド。昔、酒場でとんでもない喧嘩をしたことがあってな」
アッシュが苦笑しながらぽつりと切り出した。
「素面の時はあんな風なくせに、酒が入ると決まって『俺の斧は世界を二つに割れる』なんて吹聴して回るんだ。結局、酔い潰れて自分の斧を枕にして寝ちまったんだけど、朝起きたら斧の柄にビクトリアに『世界を割る前に頭を割れ』って書かれたらしくてさ」
ヨルグは想像してしまい、思わず吹き出した。
「……そりゃひどいな。ロイドらしい」
「だろ? あいつ、その文字を消せなくて三日くらいその斧を大事そうに担いでたんだ。酒臭い顔して、誇らしげにさ」
語るアッシュの声には、あたたかな懐かしさが混ざっていた。ヨルグもまた、酒瓶を抱えて笑っていたロイドの姿を思い出し、短い笑い声を漏らす。けれど、アッシュの表情がゆっくりと翳り、視線が夜の闇へと彷徨った。
「……でも、もういなくなっちまったんだよな」
アッシュがこぼしたその一言に、夜の静寂が重くのしかかる。ヨルグは言葉を失い、冷たい夜風の中で、ただアッシュの背中を見つめることしかできなかった。
二人の間に、やり場のない沈黙が広がる。
その時、不意に背後の草が鳴り、人影が現れた。焚き火の光を背負って立っていたのはビクトリアだ。彼女は静かに足を進め、二人の隣に並ぶと、闇の先を見つめながら口を開いた。
「業狩りなんてものはな、生きても死んでも自分がここにいた証ってものが残せれば満足だ、みたいなくだらない連中の集まりだ」
ビクトリアの声は、冷ややかでありながら、どこか諦念のような響きを孕んでいた。
「あいつが生きていた証は、ここにも、そこにも残ってる……だから、悲しむ必要はないさ」
彼女は自分の胸とヨルグの胸をドンと叩き、悲しげに笑って見せる。
それだけ言ってビクトリアは振り返りもせず、ただ暗闇を見据えたまま、その場に立ち尽くす二人を置いて去っていこうとする。その背中は、どんな感情を押し殺しているのか、ヨルグには読み取ることができなかった。
ただ、彼女が叩いた胸の奥が、ジンと熱く痛む。
アッシュはビクトリアの背中を見送った後、自分の拳を握りしめ、夜空を見上げた。月明かりのない闇の中で、星々が冷たく瞬いている。
「……あの人なりに、ロイドのことを気にかけていたんだろうな」
アッシュの呟きは、草原を渡る風に紛れてすぐに消えた。
残された二人は、しばらくの間、焚き火が爆ぜる音だけを聞きながらそこに立っていた。
明日には「人殺し」の仕事が待っている。その重圧から逃れるように、彼らはゆっくりと、再び焚き火の明かりが灯る野営地へと足を進めた。
眠りにつく前、ヨルグは剣の柄を抱きしめるようにして横たわった。
明日、自分が死ぬことがあれば、自分には何が残るのだろうか。そんな問いが脳裏をよぎる。
しかし、今はその答えを出す余裕などない。
ただ、冷え切った草原の夜が、彼らの呼吸を静かに包み込んでいた。




