8.王妃と王子
「フィリップス、フィエールの姫が気に入らないとのことですが」
「母上まで。お叱りですか」
「そうね、それはそうだと思いませんか?」
次の日の午後には母王妃に呼び出されていた。
「わたくしは女性ですよ、あなたの母ではありますがね。
わたくしは8歳の時に陛下との婚約を結び、しきたりに従って15歳まで陛下にはお会いしませんでした」
「え?」
「あなたは知らない慣習ですか?
余りに幼いときにお互いに知り合うと、兄妹のようになり夫婦としての関係が危うくなるから、挙式の日程が決まった日に初めて正式に顔合わせをする、というのが皇帝家から続く家訓です。
わたくしたち王家と婚約した姫には、恋をするチャンスがありません。ですので、婚約者の姿絵を見たり手紙のやりとりをしたりして、恋のまねごとをするのです。侍女たちもせっせと煽ってきますのでね、お会いする日まで7年間、内緒ですと侍女に言われて、そっと陛下を遠くから拝見したりしました」
「そんな慣習があったのですね」
「そうです。
今は学園に通いますので、王太子妃はわたくしよりも早い時期に王太子に会いました。
けれど、ジョージは、婚姻の式の3日前まで王女とお会いすることはありませんでした。それでもあなたも知っているように、あのように甘やかな関係を築き上げております」
「よいですか、あなたは何か誤解しているかもしれませんが、幼いときからあなたと会うことを許されていた姫君は、あなたの妃に迎えられることはないのです」
伏せられている王子の目には、反抗的な色が宿っていた。古い慣習を軽蔑しているのだろう。
「あなたは、フィエールの姫に何度手紙を差し上げました?
もちろん婚約者への贈り物として、装飾品や布を一緒に送りましたよね」
「いえ、母上、それは」
「フィリップス、どういうことですか」
「いえ、わたしはフィエールの姫との婚約は、形だけのものだと思っておりました」
「形だけのもの、ですか?」
「はい。皇国への言い訳のようなものだと」
「では、婚約者への贈り物として買い上げた数々の宝飾品はどうしたのです」
「そんな、母上、数々というほどでは」
「誰が持っています」
「はい」
「取り戻しておいでなさい」
「え?」
「許されません。
わたくしの婚約時代には、陛下から折に触れて装飾品が贈られてきました。見せてあげましょう」
王妃は、きれいな刺繍布で飾られた宝石箱を手元に寄せ、中から次々と宝飾品を取り出した。
「これは陛下から最初にいただいた髪飾りです。8歳の時です。これを髪に差せるよう、髪を結ってもらえる日を楽しみに待ったものです。
これは、春にいただいたブローチです。桜草の花の形をしておりますでしょう。陛下のお手紙には「この花を見るとき、ブローチをつけた君の笑顔を思う」とありました。
王妃は丁寧な手つきで数々のアクセサリーを順に取り出し、王子に見せていった。
「わかりますか。こうしてわたくしはゆっくりと陛下に恋をいたしました。
あなたの王子資増額は、婚約者との縁を深めるための費用です。
婚約者に恋をさせることもできず、王家に嫁いだ姫が一生心の支えにする手紙や衣装、宝飾品すら贈ることもせず、せっかくの3年を無駄に過ごしたうえ、初めて顔を合わせた日にあなたは何をしました」
「母上」
「姫の手が気に入らないと言ったそうですね」
「フレデリックですか」
「ちがいます。あなたは侍従の耳に届く場所で婚約者の手に剣ダコがあって、手を取りたくないと言ったのですよ」
「姫がくださったハンカチを懐に入れずに侍従に渡したそうですね」
「はい。
はっきり言いますが、あのように武骨な手で美しい刺繍をしたと言われても信じられるわけがありません」
この子はなんという阿呆なのか、王妃はもう説明するのも嫌になっていた。ため息をついたが、姫のために言うべきことは言おうと努力した。
「よいですか、姫君が刺した刺繍というのは、姫が一刺しすれば姫のお手作りというのです。わたくしが陛下に初めてお贈りしたハンカチの刺繍は、最初のひと針を侍女の指さす場所に何とか刺して、侍女が完成させたものの最後のひと針を、侍女が手を添えて刺させてくれたのです。
あのように複雑な王太子紋や王子紋を10代の姫が完成させることができるとでもお思いですか。姫の刺繍というのは、自分の侍女はこれほど優秀なのだと人に見せているのです。
乳母と教育係は一体あなたに何を教えてきたのです」
王妃の声は次第に低くなり、凄みすら帯び、王子が怯むほどになった。
「妾はようわかった。そなた、王国がフィエールを頼みとして守ったのはそなた自身ではなく、帝国の血である、と、そう思うておるのだな。
よいか、妾は今、そなたを皇国へやったほうがよかったと思うておる。
たとえそなたを皇国へやろうとも、子をなさねば血は渡らぬ。のお、第三王子よ」
え~っと、コワイですねぇ~。王妃陛下は、第三王子に不妊の処置を施して、婿に出す手もあったんだ、辺境伯と不仲になるくらいなら、おまえが犠牲になる方が王家と王国の為になるのだ、とおっしゃっていますね。
フィエール辺境伯家の始祖は皇太子ベニステラ卿 (現在もその名と血を継いでいるベニステラ公国の始祖)と同腹の皇女カンディステラ、これに対しドナティエール家の始祖は皇帝の弟フェロステラと侯爵家の娘マリステラです。
第三王子はこの意味をわかっていませんが、血筋を追えばフィエール家が皇帝の直系、ドナティエール家は傍系に当たります。何のために二重にフィエールの姫を王家に入れるのか、そのあたり理解が及んでいません。王家は、カンディステラの名を持つ姫を王家に入れ、今代で血筋をひとつにしようとしているのですね。
現在、戦力的にも、外交的、つまり、ベニステラ公国との関係性においてもフィエールがドナティエールを上回っています。
どうしてもカンディステラが欲しい、これが王家の立場です。




