9.ジガ城にて
ジガ城は、下に立って見上げれば丘陵の稜線を背負って聳えている。灰色の石を積み上げて造営されており、地味で無骨な印象を与える。
城門でマクニール子爵の代官が一行を迎えた。
「次姫さま、ようおいでになりました」
「じい、3か月ぶりか。変わりないか」
「ありがたく存じます」
ジガ城を取り仕切っているのは、辺境伯家後嗣の代官を務める老騎士ホーリーだ。その下にはマクニール子爵の未来の副官として選ばれた壮年の女性と青年が仕えている。
その日の晩餐は、ホーリーがまだラ・フィエールの騎士団を率いていたころの、次姫とコーエンおよびエル率いるバックアップ隊 対 騎士団若手の追いかけっこの思い出話で盛り上がった。
エイプリルは幼少時から、将来の姫隊のために遊びを取り入れた訓練を重ねていた。城下町での追いかけっこはその一環で、何年にもわたって定期的に行われていた。
その最後となった回、ついに騎士隊を欺いて一晩行方を眩ました。次の朝、騎士隊が負けを認めて犬を放った。犬は、汚れた作業着を着て園丁を手伝って大根を抜いていたふたりの少年にじゃれかかった。
大根の葉っぱを握りしめたまま、大きな犬にとびかかれて尻もちをついたエイプリルとコーエンの話は、コーエンから苦笑いを、陪食していた兵たちからは笑い声を引き出した。
翌朝、隊が城を離れる時、騎士ホーリーは姫の前に片膝をつき別れの言葉を述べた。
「次姫さま、これでお別れとなりましょう。王都でもお健やかに」
エイプリルは少し考えていたようだったが、右手を差し出して言った。
「騎士ジョットレイ・ホーリー。我が名はエイプリル・カンディステラ・ラ・フィエール」
ホーリーは一瞬固まったが、やがて顔を上げ剣帯から鞘ごと剣を外し、エイプリルの差し伸べられた手に、剣の柄を軽く乗せた。
「マイレディ、わが愛は常に姫とともに」
「受けましょう」
エイプリルは首に巻いていた刺繍の入った細長い布をほどき、捧げられた剣の柄元に結んだ。
緊張した場面にもかかわらず、マイケルの手元で待機していたシューネがエイプリルの隣にやってきた。大きな狼犬を止めようとする者は誰もいない。
「シューネ、ああ、じいにあいさつに来たのね。
ホーリー、シューネです。あなたにあいさつに来たのでしょう」
「おお、シューネか。相変わらず大きいのぉ、姫を頼むぞ」
ホーリーはそう言ってシューネの頭を軽く撫でた。シューネは、へっへっと息を吐きながら膝をついているホーリーの頬をペロリと舐めた。
思いがけないことで中断されたドラマティックなシーンが再開するが、ホーリーの左手に大きな犬がともにいるので、見ている者たちの微笑みを誘ってしまう。
「じい、ありがとう」
「は。忠誠はお館さまに捧げておりますが、わが愛は姫のものにございます」
「呼んだら迎えに来るのですよ」
「はい、いつなりとも」
それは、奇妙な誓いだった。騎士の誓いはただひとりに捧げられるもので、忠誠と分けて愛を捧げるなど誰も見たことも聞いたこともない。まして、妻でも恋人でもない、孫のような姫君に愛を捧げるとは何だろう?
そこにいる者は誰も古いふるいロマンスを知らなかった。
ホーリーはエイプリルと姉ローズの武技と戦略の師のひとりであり、幼い日々の戦姫教育を担当した。その頃膝にのせて語り聞かせた戦姫と騎士の物語にこのシーンがあるのだった。
それは、騎士が忠誠を捧げた主の姫君が、父に捧げた忠誠以外の人生の命数を騎士に求め、対価として再び相まみえることを誓い、身に着けた上衣を与えて別れる場面だった。その時騎士は、人生を捧げることを求める戦姫に対して、愛を捧げる。彼の愛は、自分の命にはなく、姫の命、すなわち姫が生き延びてくれることにあるから。
戦姫は、戦いに赴く騎士に再び会うまで生き延びることを求め、騎士も人質として敵国に嫁ぐ戦姫に、生きることを求めたのである。彼らは物語の最後に誓いを果たした。
ホーリーは、これが別れとなることはない、と姫が約束したことを知った。
気の毒だったのは、ジガ城で補佐教育を受けているふたりだったろう。気分が高揚したホーリーから叱咤激励を受け、猛烈なスケジュールで城と上道の管理と戦闘指揮を叩き込まれることになったのだった。
「俺はいつ姫君のもとに駆け付けることになるやもしれぬ。1日も早く俺なしで城を守れるようになるのだ」
ジョットレイ・ホーリーは意気軒高に自分の戦場に戻っていくことを得た。




