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ある皇帝の追憶⑤


 祖母の後ろ盾もあって、帝国内でも戦を好まぬ者たちが、私の側に近寄ってくるようになった。

 そこに至ってもまだ遠巻きにしているのは、私に魔力がないせいだが、彼らは、第四皇子とその派閥が事あるごとに唱えるように、他国を攻めて自国を強国と為すなど、夢物語だと理解している者たちだ。

 むしろ、ゆっくりとではあるが土壌を改良し、農作物の収穫高を目に見えて増やしている私の方が、国を富ませると信じてくれる者たちでもある。

 最後の一押しが足りないと、祖母とマクエス卿が頭を抱えている時、ディーバイ王国の第三皇子、ハイマン殿下が、私のもとを訪れた。

 王国の代表として、あからさまに私の後押しをすることは避けて、まず、皇帝に挨拶をし、私とは、面識があるが故の()()()の表敬訪問である。

 我が父が、まだ成人前の他国の第三王子に、すぐに拝謁を許したのは、先日の流星嵐(メテオストーム)が効いている。

 ハイマン殿下はにこやかに「王立学園の卒業試験で、とんだお騒がせをいたしました。面目次第もございません」と言葉ばかりは丁寧に、下手に出ていたそうだが、それを信じる者などいない。

 彼に同行した王立研究所の研究員に、軍艦を見学させてほしいというのが表向きの要件で、本来は軍事機密であり、日頃から皇室の影が徹底して他国の間者を排除しているものを、旧式の一隻に限定してとはいえ、即座に許可したのは、猟犬が強者に腹を見せたに等しい。

 この研究員は、造船に関してはずぶの素人、あくまで個人的な興味だと強調されても、そういう建前を用意されたことに感謝すればいいのか、馬鹿にするなと怒ればいいのか、我が国の首脳陣たちは、苦虫を潰したような顔をしていたに違いないと、いまにして思う。

 大雑把に分ければ、第四皇子と同種の皇帝がそこまで譲歩したのには、祖母の軛が相当に効いていたものと思われる。

 しかし、おかげで我が国の船は、世界一沈まないと言われるまでになる。

 軍艦を一通り見分したこの研究員に、船底を細かに区切り、密閉できるよう改造することを勧められたからだ。

 そんなこととは知らない私は、再会したハイマン殿下に、どこか釈然としない気分のまま、エリス嬢との結婚及び、彼女の懐妊を祝う言葉を送り、その返礼という形で、彼女の兄であるというバーランド子爵を紹介された。

 まず、帆船をつぶさに観察できた喜びを伝えてくるこの男が、魔法研究の第一人者として名高いことは、エリス嬢について調べた過程で、私も知ることとなった。

 しかし、魔法と聞けば、心の奥底で薄っすら何かを期待して、それが絶望に覆い尽くされる過程をくり返してきた私は、この時、ただ怪訝に思っただけだ。

 バーランド子爵は言う。

「カイラス殿下には魔力がないのではなく、相反する属性の魔力が拮抗して、打ち消し合っているものと思われます。すぐに私を信用するのは難しいでしょうが、これは我が妹の見解でもありますので、彼女に免じて、お手を繋がせていただく無礼をお許しいただきたい」

 魔力なしとして、徹底的に貶められてきた私は、唖然とするばかり。

 バーランド子爵は、何をどうするのかを丁寧に口頭で説明したあと、実際に「魔力合わせ」をマクエス卿相手にやって見せた。

「うむ、むぅ。大変な才能でありますな」

 それなりの年齢に達した男たちが、手を取り合って真剣な顔をしている様はどこか滑稽であるが、マクエス卿はしきりと感心し、唸っていた。

 それだけバーランド子爵の魔力操作は繊細であり、世界を股にかける商会を牛耳る祖母でさえ、自在に魔力の性質を変えるなど聞いたことがないと言う。

 エリス嬢も、それができるらしい。

 当初は、彼女がこの役目を仰せつかっていたと聞いて、本当に自分に魔力があるのか大いに疑う一方、ハイマン殿下の鋭い視線の意味がわかったような気がした。

 当時五歳であった私は、一生をかけても返せない恩を与えてくれたエリス嬢に感謝こそすれ、恋情など抱くはずもなく、せいぜいが淡い憧れであったはずだ。

 むしろ、顔を合わせることもない母や姉に求める温かさを、彼女との短い邂逅と、いまだ遣り取りを続けている手紙から感じ取っており、その思考と情の深さ、時代の先が見えているのではないかと思わせる幾多の暗示に、私は信仰にも似た思いを抱くようになってゆく。

 そんな存在が相手では、妻としたところで安心できないハイマン殿の心情が、いまの私ならば理解できる。

 もちろん、それをわざわざ口にする気はない。同じ男として癪であるし、皇帝が他国の外交官に弱みを見せるなどあってはならないことだからな。

 私は、幾分、国が豊かになったからといって、恩を仇で返すような真似はしない、国にもさせないと心に誓った。

 食に、次いで気持ちに余裕が出てくると、大半の者たちは、この平和を持続させたいと願うようになる。その力をもって他国を蹂躙せよと喚く者たちもいるにはいたが、我が国をここまで富ませるきっかけとなった人物が隣国にいるのだから、当然、そちらはさらなる発展を遂げているわけだ。

 それでなくとも遥かに強国であった王国に、どのように対抗しようというのか? 流星嵐(メテオストーム)を忘れることもできないぞ?

 そして、私を魔力持ちの皇子として生まれ変わらせた、あの一手。

「では、お手を失礼」

 バーランド子爵は年も性別も違うが、さすがは兄妹。よく見ると、エリス嬢に似ていた。

 ああ。彼女は、はじめて会った幼児にも、やさしく温かかった。

 奇跡のような申し出を素直に信じまいとする、これまでの苦労や屈辱で頑なになっていた心が解れる。

 ほっと力を抜いた私は、手の平から、じんわりと温かなものが染みてくるのを感じた。不思議ではあるが、不快ではなかった。

「ああ、これは光と闇の属性です。どちらかを少しばかり増やしてやれば、両方の属性魔法が使えますが、どちらを優位にしますか?」

「光を!」

 通訳してくれたマクエス卿に目で問うまでもない。私は自分の口で即答していた。

「では、参ります」

 彼にとっては、さして難しいことではなかったのだろう。

 わずかに足されたその魔力は、他者のものであるのにもかかわらず、まったく違和感を感じさせない。それほど私の魔力に近付けられていた。

 それがどれほど高度なことか! しかし、幼い少年が、その時感じたのは、己の体を満たす未知の力。

「これが、魔力!?」

「感じられましたね。それでは、それをゆっくりと私の魔力に合わせて動かしてみてください」

 バーランド子爵に誘導され、私はその場で、マクエス卿と「魔力合わせ」を行えるレベルまで、魔力操作を習得した。いや、させられた。

「こちらでは十歳で、魔法を使えるようにするのでしたか? それまで毎日、できるだけ続けてください。繊細な魔力操作ができるに越したことはありませんし、魔力量の増加も見込めますから」

「…私は魔力操作は、さして上達しなかったのだが」

 ハイマン殿下が恨めしそうに呟いていたが、属性魔法の極致に至っているのだから、それで十分であろうと、いまの私であれば言うだろうな。

 その時の私は、ただただ歓喜に包まれて、周りに人がいなければ、ディーバイ王国のある方角に向かって額ずき、感謝の祈りを捧げていたであろう。

 私はすでに、祖母やマクエス卿の教えを受けて、ディーバイ王国の王族たちの思惑を知ってた。

 私を皇帝にすること。それが成った暁には、この帝国を豊かにし、半永久的にディーバイ王国に戦を仕掛けぬよう貴族を、民をコントロールする。

 それには海軍をより強くすることも含まれている。

 どれも私の思いと合致する。あとは帝国が王国と対等たらんとすればよい。

 その後も、ハイマン殿下は事あるごとにフカラス帝国を訪れた。私が皇子だった時も、皇帝になった後も。

 彼自身、外交官となり、幾多の国々を巡っているが、そこに妻の姿があることはまれだと聞く。

 エリス・ティナ・ディーバイ。聖女の影に隠れてはいるが、知る人ぞ知る、王国の守護天使。

 ディーバイ王国を訪れれば会うことも可能だろうが、私もおいそれと国を空けられる身分ではなくなってしまった。

 幸いにして、手紙の遣り取りはいまも続いている。こちらの影から、あちらの暗部を経由しているので、内密話だとて可能だ。

 卑怯だとは思いながら愚痴をこぼせば、励ましの言葉と何らかの示唆が返ってくる。

 ある時から我が帝国では、大洋を航海する際、猫と木魔法の使い手を船に乗せるようになった。

 猫は鼠を捕る。密室空間と化した場所で、人々の癒しにもなる。

 対して、木魔法の使い手が行うのは、船の修繕か? それももちろん可能だが、彼らのおかげで、船上でも新鮮な野菜や果物が食べられるようになった。

 海風に吹かれながら齧り付く、トマトやきゅうり、オレンジの味は格別だ。

 船内食に変化を与えるに止まらず、船乗り特有の病にかかる乗組員が激減した。

 何か礼をしたいと手紙を送ると「できたら、こんな植物を探してほしい」と、絵入りで返事が来た。

 伸びた蔓の先に、黒と緑の縦縞の実が生り、中身の赤い部分は可食だという。

 軍船はもちろん、各商船に触れを出す。

 見付けてきたのは祖母の商会の船乗りたちで、隣の大陸では、自然に蔓を伸ばし、生った実が、ごろごろとあたり一面に放置されていたらしい。なんでも現地の者は、悪魔の実と呼んで、恐れているのだとか。

 土地の持ち主に小遣い程度の金を渡して、それこそ採集し放題だったらしいが、さすがに長の旅路で、すべて乗組員の腹の中に収まってしまった。

 ひと月を越えるとその実は腐り始めるらしく、捨てるくらいならば、その前に食べてしまって一向にかまわないのであるが。最初は恐る恐るだったものの、食べてみれば汁気も多く、甘く美味だったと伝聞すれば、少々恨めしいような気分にもなる。

 幸い、彼らが持ち帰った種は、帝国の風土に合ったとみえて、無事に芽を出し、たくさんの実を付けた。貝殻による土壌改良が進んでいたのも追い風になったようだ。

 あまりの豊作にうれしい悲鳴を上げていると、エリス嬢から手紙がきた。先に送った種は、王国では夏にしか芽吹かないようで、一年中収穫できる帝国の気候を羨ましがっていた。こちらは同じ暑さでも、空気がからりとしていて、過ごしやすいから余計だろう。

 彼女によれば、余剰分は、種と皮を除いて煮詰めるとよいとのこと。空気が入らないよう瓶詰めにすれば、一年間は保存が利くそうだ。

 この西瓜と、西瓜蜜は、フカラス帝国の特産品になった。

 甘味料としてもそれなりの値が付くのに、これを摂取していれば夏バテ知らず、冬は風邪をひかないというのだから、薬に近い扱いで、他国に高く売れる。帝国内では、一般の各家庭にも常備されることとなった。

 大小の規模を問わず、多くの商会が先を争って仕入れていたのだが、ある年から、ディーバイ王国より、冷凍及び冷蔵の機能を備えた荷馬車隊を率いて、魚介や西瓜を買い付けにくる者が現れた。帝国に来る際は、魔道具の機能を使わず、安価だがしっかりした織り目の布地を大量に積んでくる。

 着々と麦や米の収穫高も上がっており、フカラス帝国は、以前とは比べものにならないほど豊かになった。エリス嬢が書いて寄越した通り、「国民が一人も飢えることのないように」するのも夢ではない。

 帝国人は、たいてい青い目をしている。髪も金茶が主流で、あとは色が濃いか薄いかの違いだけだ。そして、皆、日に焼けている。

 その中でも私が、緑寄りの青い目、黒に近い濃い色の髪を好むことを知っているのは、祖母とマクエス卿と、ハイマン殿くらいではないかな? これは完全に刷り込みというもので、私の妻たちが皆ふくよかなのは、帝国人はそういう女性を美人と思っているからだ。他意はない。

 当時、私は三歳だった。子供の記憶など、普通は当てにならない。

 だが、茫漠とした荒野で、奇跡的に出会った一輪の花を忘れる者がいるだろうか。くり返し、くり返し思い出せば、その姿は薄れるどころか、日増しに鮮明になってゆく。

 会う度に、有能な外交官が私に向ける視線に、牽制の意味が込められていると気付いたのは、いつの頃だったか。

 ああ。だが、ハイマン殿よ。

 あれ以来、一度も会う機会がないばかりに、私の中のエリス嬢は、永遠に少女のままであるのだよ。



お読みいただき、ありがとうございます!

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ここまでお付き合いくださいまして、本当にありがとうございましたm(_ _)m

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