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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十五章 紅の漣
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七十八話

 カゲツ、鬼火、ライガともう一人、懐かしい顔が部屋にやってきた。繋ぎ目のない、ね滑らかな彫刻のような銀色の杖を持ったシーナだ。

 モルゲンレーテの星官の長衣は何処へやら、長靴にぴっちりとした革ズボンを入れ込み、よく鞣された薄手の革の上着を着ている。首元を紐で閉じるシャツというものを着た姿は機能的だ。革の帯には小瓶がいくつも留められているし、小さくて角張った嚢なんかは小瓶を綺麗に並べて収納できそうで、ロジウスおじさんが欲しがりそうだった。

「わたしね、国に帰ることになったのよ」

 シーナは寝台に腰掛けて、サンの動かない体に目を落としながら静かに言った。

「今まで、モルゲンレーテの人達はどこにいたんですか?」

 サンの言葉に、ライガ達も気になっているのかシーナに目を向ける。

「わたし達は、南の霊樹の森——君達には妖魔の森ね。そこを見回っていたわ。賢者の痕跡や霊獣の調査をしながらね」

「調査って言ったら、あんたらは龍人の祠にも興味を持ってたよな」

 ライガの横槍に、シーナは口に笑みを作ってライガに向き合う。

「そうよ。わたし達は戦力の応援に来たつもりだったんだけどね。どうやら――」シーナは立ち上がり、腰に手を置きながらサンに目を向けた。「――お偉いさんは、龍人がどうやってオルスを継承させてきたのか、その技術が気になってたみたいなの」

「なんだ? 自分は関係ないみたいな物言いじゃねぇか。あんただって星官ってやつなんだろ?」

 シーナは目を細めて口を結ぶと、重そうに首を振ってライガを見据えた。明け透けな息を一つ吐いてから、何かを受け入れるようにゆっくりと頷いた。

「そうね。そう見えるわよね。確かにわたしは星官よ。けど、世界が平和になるように本気で考えて動いている人達もいる。わたしだってそう。星官だって怪しい者ばかりじゃないのよ。それでも、その平和に辿り着くための方法は人によって違うの。龍人の力の継承の技は、その方法の一つになるみたいでね。筆頭星官のタルワーニヤ様は、わたしには教えてくれなかったけど、龍人の力の継承は画期的なのよ。国を守るという純粋な人の意志を継承する。それって、つまり死なないのと一緒だから。意思を持つ自分の魂を他者に宿らせることだもの」

 部屋の扉が叩かれて返事を待たずに開いた。顔を覗かせた烈刀士がカゲツを見て「時間だ」と短く言ってすぐさま去った。

 サンと目が合ったカゲツが、肩を竦めてからぎこちなく「任が待ってる」と言って視線を落とした。

「同情はいらないぞカゲツ。ありがたいけど、虚しくなるだけだからな」サンは歯を見せて笑みを作った。

 カゲツがシーナの方を向いて深く頭を下げた。

「修行の御恩は忘れません。また、ヴィアドラに来てください」

 シーナが頷くと、カゲツはライガ達と部屋を出て行った。静まり返った部屋で、サンは枯れた落ち葉の音のないシーナの横顔を見た。窓の外に向ける目は、何かを見たくて向けているわけではなさそうだ。

「シーナさん、大丈夫ですか?」

 シーナは外の一点を無表情に見つめて黙っている。サンが飲み込む唾の音が聞こえて、ようやくシーナが口を開く。

「良い友達ね」

 確かに、良い奴らだ。任の前に顔を見せてくれたりするのだから。

「はい。口喧嘩が絶えませんけど、良い奴らです」

「大切なもの。それを守るためならなんでもできる」

 そう言うシーナの横顔には熱が感じられなかった。まるで、そんな時があったと間遠に見るような目をしている。だが、それが急に美味しいものを出されたように明るくなった。目線を上げたからかもしれない。その目で俺を見据えてくる。

「西の方で面白い話があったわ。スバニア騎士国っていう国があって、そこの騎士は鎧を纏わないのが流儀なんですって。けど、ある高名な騎士が老人を救おうとして手足を失ってしまったの。騎士生命の終わりね。絶望に伏す彼を救ったのは、彼に救われた老人だった。老人は放浪の鎧技師で、スバニア騎士国の流儀に反して彼のために鎧を作ったそうよ。その鎧は彼の意のままに、本物の手足と変わらない働きをしたっていう物語でね」

 サンは切れの悪い声でシーナの話を遮った。

「俺にその鎧を着ろってことですか?」

 シーナは楽しそうに笑った。

「かっこいいかもね。けど、わたしが言いたいのはそうじゃないの。ごめんね、師匠の話し方が抜けなくって」シーナは咳払いをすると、サンの寝台に腰掛けてサンの腕を指で突っついた。「鎧は、彼の意識を拾って動いていたそうよ。生き物の体は、脳から動かすための命令みたいなものを受けて動いているの。けど、命令を出そうとしている感覚はないでしょ? それは感覚が体に染み付いているからよ。君は、その命令を拾って体に届けるための道がなくなっているわけだけど、それを踏まえて思いついたの。皇燕(こうえん)将の烈火(れっか)さんって、闘気で炎の巨人を自分の手足のように動かすじゃない。それと同じように、あなたも自分の体をオルスの鎧で包んで動かすことができるんじゃないかしら?」

 サンは無理だと言おうとして口を開いたが、言葉が出てくることはなかった。羽衣状態の光剣は、想像と意識だけで動かしている。体もそうだと言うのだろうか。

「確かに、言う通りかもしれません」

 サンは眉を上げて朝焼けのように目に明るいものを湛える。

 その目を見つめるシーナは、微笑むも、陽の落ちた東の空のような目で扉に向かった。

「君には大切なものがあって、まだ守れる」

 扉を閉めるシーナが、首を少し傾げて戯けたように微笑む。前髪がかかる目は、しかし乾いた風に揺れる花のように儚かった。

 サンは、そんなシーナの横顔に言葉をかけることも、微笑み返すこともできずに、扉が静かに閉まるのを見つめていた。


 独りで寝台の上に寝そべり、木の梁が走る天井と、蔀窓から覗く変わり映えのない景色を眺めるのは酷く退屈だった。

 シーナさんが去った日に皇燕将が様子を見にきたときは緊張したが、その後の日からは定期的に様子を見にきてくれる雑士以外部屋に訪れる者はいなかった。そこでようやく解放感を味わったが、それも今ではお腹いっぱいだ。

 本音を言えば、もうこのままでもいいと投げやりになる気持ちも大きい。体が動かないのだから任にもつけないし、もしかしたらロジウスおじさん達のところに帰れるかもしれないと考えることだってある。だけど、毎晩烈刀士達が帰還してきて砦が賑やかになると、部屋に独りでいるにも関わらず動悸がしてくる。

 俺は何もしていないのだ。

 朝になり、雑士の一人がやってきて俺の面倒を見てくれる。体を拭き、衣を変え、食事を摂らせてくれるのだ。排泄の世話は恥ずかしくて、何日経っても慣れない。俺が話しかけないと会話が生まれることはなかった。それがまた、俺に無力さを刻み込む。

 今日も雑士がやってきた。一六才くらいの青年で、初めて見る顔だった。きっと砦内ではなくて、施設広場で働いているのかもしれない。それなら初めてなのも納得がいく。

 龍人の世話という仕事を終えた青年は、水の入った桶や手拭い、衣を纏めて立ち上がった。

 俺はいつも通りに礼を言うと、色の明暗しか変わらない蔀窓の紙芝居に目を向けた。火季の元気いっぱいな太陽は、今日も世界をお節介なほど照らしている。

「呑気だなぁ龍人様は」

 聞き慣れた高い声がして入り口の方を振り向くと、やはり真が立っていた。木刀を一本だけ片手に持っている。

「これから稽古か?」

「誰が稽古してくれるんだよ」

 真が言いたいことはわかる。蒼龍将は忙しく、大好きな叔父さんに構ってもらえないことにへそを曲げているのだ。

「そうだな」サンは以前話した内容を思い出して、蔀窓から外を覗く真に笑みをみせる。

「稽古、つけてやろうか? 俺も暇を持て余してるんだ」

 真が横目で笑っているサンを見ると、鼻を鳴らした。

「できない理由はなくなったのかよ」

 サンは首を振りながら挑戦的に笑みを零す。

「いいから木刀振ってみろ」


 それから毎日のように真は部屋にやってきた。寝台や箪笥を荒々しく壁に寄せて空間を造ると、そこで剣術が収められた道を繰り返し行うのだ。鋒が下がっているとか、腰を落とすとか、呼吸のしかたをいちいち口に出したが、真は思いのほか素直に耳を傾けて実行した。

「気の使い方を教えてよ。俺、剣気の使い方があんまりうまくいかないんだ」

 以前、扉を気で閉めたのを見て相当な可能性を秘めていると感じたが、どうやら体に巡らせるのは苦手らしい。

「剣気は、練り上げた気を一定の大きさで体の芯に染み込ませていく感じだ。そうだな、柔らかくて細い管に押し込んでいく感じって言ったほうがわかりやすいか?」真の力んだ眉に続いて口が歪むのを見て、サンは脳みそをこねくり回すように目をぐるりとさせる。

 ナガレさんやシーナさんは神経という言葉を使っていたな。剣気が体に巡るのを感じるのが神経や血管のせいなら、説明がつくかもしれない。

「体の隅々まで血管や神経は通っているらしい。それらが細い管だと考えて想像するんだ。その管に流すように気を一定量流していくんだ。一気に流そうとすると、それは受けつけてもらえずに気は消えてしまう。だから、一定量を保って巡らせていくんだ。慣れれば巡らせる時間も短くなっていく」

 真の気が部屋に充満していくのを感じて、サンは笑った。

「それじゃあ駄目だ。漏れてるぞ」

 真は強張っていた肩を落として息を荒くさせる。

「わかんないよ」

 真の吐き捨てる声に忍笑いながら、サンも久々に気を握ってみる。体に感覚がなければ巡らせることもできないだろう。それでも、光り輝くような気を感じるのは気持ちが良かった。

「あ、兄さん。羽衣を見せてよ」

 見世物じゃない。そう口を開こうとしたが、気を握る感覚は心地がいい。その感覚を思い出し、光のように体に満ちた気を収束させて解放する。

 白焔の如き揺らめきが、サンの体を包み薄緑がかってゆく。やがて薄い白緑の羽衣に全身が覆われる。象るのは、狩衣と戦鎧を交えたような姿だ。サンの肌は輝くような雪色に染まり、顔には鮮血の隈取りが浮かび上がる。黒い虹彩は蛍の光にも似た緑色に変わった。

 星の輝きを宿したような神がかった姿に、真は木刀を落として魅入っていた。そして寝台から身を起こしたサンを見て、口をぱくぱくさせる。

「に、兄さん」

 真の瞠いた目に、サンは首を傾げて見せるもすぐに自分の体を見下ろして目を丸くした。

「なんで。首から下は動かないんじゃないの?」

「そうだ。動かな――」

 サンはそう言って、上げたばかりの腕を見て言葉を失った。

「体、動いてるじゃん」

 サンと真は、荒い呼吸に笑みを浮かばせて頷きあった。

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