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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十四章 烈刀士
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五十六話

 蒼龍(そうりゅう)風斬嵐(ふうぎり らん)は、晴れやかな空の如き笑い声をあげてサンの肩に手を置いた。

「家族からの手紙か。愛とはいいものよな」

 家族、なんだろうか。俺は何も与えられていないけど、ロジウスおじさん達は俺を家族にしてくれるだろうか。そうだといいな。

 サンは顔を上げ鼻をすすり、大事に折り畳んだロジウスからの手紙を懐に入れると蒼龍将に顔を向けた。

「見苦しいところをすみません」

 蒼龍将は楽しそうに話し始める。「おぬしは、ヴィアドラの神をいくつ知っておるか」その問う声には純粋な興味だけがみられた。知識の量を嘲るものも、優越に浸るものもない。「戦神(いくさのかみ)と、童話にはもういくつか出てきますよね」サンは答えた。

「いかにも。おぬしが龍人となり宿した神の想い、その神こそが神の中の神、戦神だ。だが他にもいるのだ。有名なのは、鉄涙命(てつなみだのみこと)天星命(あまつほしのみこと)千雷(せんらい)千手(せんじゅ)(のみこと)だ。耳にしたことはないか?」

 どれもからっきしだ。だけど、千手という言葉は知っている。体術にそういった技の名前があった。五爪(ごそう)城で五爪を相手に、蒼龍将が千手の構えをしていたのを覚えている。それ以外の神様を聞いたことはない。覚えていないだけかもしれないけど。

 サンの記憶を探るように顰めた表情を見た蒼龍将は、微笑みながら南に茫洋と広がる妖魔の森へと視線を移した。

「かつて、この地に神がやってきた。他国が信じる五神とは別の神、そしてよれよりも遥か昔にな。ほとんどの神は去ったが、戦神といくつかの神だけはヴィアドラに残り、人を想い種を遺し賜うた。戦神は魂を地に遺し、我々はそれをずっと受け継いできたのだ。守るために生まれ、守るために生き、守るために戦う。その信念をずっとな。だが時代は変わる。それでも、変わる中で変わってはならぬものもあると、そうは思わんか?」

 変わる中で変わってはならないものか。俺ならなんだろうか。懐にしまったロジウスからの手紙に手を重ねる。感じる温もりが、それを教えてくれている気がする。

 何も無かった鉱山奴隷の俺を拾ってくれた師匠の愛、何も与えることのできない俺を理解できない温かさで見送ってくれたツバキおばさん達。環境は変わって守りたい仲間も増えた。カゲツ、ライガ、鬼火。それでも変わらない想いがある。大切なものを守りたい、大切なものを悲しませたくない想いだ。これが俺たらしめるもの。

「変わってはならないもの……あると思います」

「わかってくれるか。ならば聞かせてくれぬか。おぬしならば、その力をどうふるう」

 蒼龍将の言っている力がなんのことかを察して、サンは目を落とした。俺が呼ばれたのは龍人だからだ。そして力は戦神の力のことだ。この力をどうふるうかだって? まだ扱いきれてもいなければ、自分の意識すら呑み込まれそうなのに。だけど、もしも扱えるなら。

 サンは振り返って北の戦闘区域の方を見る。

「鬼から大切な人達を守るために戦う」

 蒼龍将は息を大きく吸って吐いた。俺から出た望まない言葉を咀嚼するように。

「まえに話したな。まだ、おぬしがここにきて間もない時だったか。白蟻の話だ」

 白蟻に喰われた家をどうするかって質問だったはずだ。

「建て直すって言っていましたよね」

「いかにも。今、ヴィアドラは白蟻に喰われている状態と言ってよい。ヴィアドラが北の民になり、他国と干渉しないのにはわけがある。神が姿を現す以前、祖先は鬼のように黒い髪を理由に他の人間から迫害を受けていた。それから逃れるために、肥沃な南方を棄てて決して楽ではない放浪の果てにこの地へ辿り着いた。ゆえに、時代が進むのと同時に、自らの家族、仲間を守るために生き、戦い、育んできた。それなのに、他国は再び我々から奪おうとしておる。我々は守らねばならぬ、自らの手で大切なものを、ヴィアドラを」

 蒼龍将はその目に熱いものを湛えて、噛みしめるように言った。この人はヴィアドラを愛しているのだ。師匠が無色(むしき)を愛したように。

「モルゲンレーテも腹のうちが見えぬゆえ、気をつけよ。皆気づいておらぬが、ヴィアドラは危険な状態だ。二つの大国がヴィアドラに干渉しておる。弱みを見せれば、狼が奪い合う肉のように引き裂かれるであろう。この話は、おぬしにも大いに関係あることだ。先の元老院からの手紙、あれは召喚状、これからそれがしと四國の代表が集う元老院へ向かうのだ」

 龍人の力を手に入れて後悔したのは、扱いに困ることと、なんとなく皆と距離ができていることの二つだった。それだけで両手がふさがった状態なのに、こんなにも大きな後悔がふってくるとは。

 サンは再び國の方へと帰ることだけに光明を見出した。もしかしたら、みんなに会う時間があるかもしれない。それくらいは許されるはずだ。お土産はどうしようか、そんな想いを隠すようにひどく真面目な顔をして蒼龍将に頷き返した。


 てっきり、庶民からしたら雲の上の出来事と言ってもいいヴィアドラの運命を決める議会に呼ばれるのだから、馬車の迎えでもくるのかと思っていた。だが、そんなものはない。それもそうだ。こんな遠い辺境地で、妖魔の森の中での送迎を立候補する者はいない。もしあったとしても、御者と馬車を守るのは蒼龍将と俺しかいないわけで、そんなのだったら國まで歩いて行くのが最善だ。

 だが、不思議と妖魔と出くわすこともなく森を進んで行った。土期(つちのき)にも関わらず鬱蒼としている妖魔の森にも、どうにか木々の間を縫って落ちてきた雪が浅く積もって白い道を敷いていた。そのどこに続くかもわからない浅い雪道が張り巡らされた妖魔の森を二日進んだあるとき、蒼龍将がふと口を開いた。

「モルゲンレーテの者達は、それがしが思ったよりも仕事をしておるようだ」

 どういうことかを尋ねる眼差しを感じたのか、蒼龍将は言葉を続けた。

「モルゲンレーテの星官(せいかん)やらが砦にいないのは気づいておったであろう? あの者達には南側の巡回を命じていてな。思ったよりも妖魔の気配が感じられん」朗々と明るい声で蒼龍将は言った。

 そういえば、シーナさんは前線に行くと言っていた。烈刀士の儀式の前に再会したけど、そこは今歩いているこの妖魔の森のどこかだ。そのとき、今は森の巡回を任されているって言ってたっけ。

「龍人は、モルゲンレーテをどう思う?」

 おぬしと呼ばずに、龍人と呼んだのは気まぐれではないだろう。蒼龍将は他国どころか烈刀士以外をあまりよしと見ていないような話し方をする。烈刀士であり龍人である俺が、どういった考えなのかを知りたがっているんだ。そんなこと俺にはどうでもいいのに。ただ、ロジウスおじさんや師匠が守りたかった無色(むしき)の町、無色の未来、そして新たにできた仲間達、大切なものを守るだけでいいんだ。國とかヴィアドラとか、そんな大きなこと俺にとっては意味はない。

 少し前を歩く蒼龍将の表情は読み取れない。さて、どう答えようか。

「そうですね、俺はモルゲンレーテのことを知らないので。ただ、戦技大会の前に修行をつけてくれた人がいて、その人は良い人だなと感じました」

 蒼龍将は黙ったままだ。こういう空気は嫌いだ。今なら餓鬼の笑い声を歓迎できるかもしれない。

「なにも見返りを求めずに力を貸す。不気味な奴らよ。そんな奴らが一つ提案してきたことがあってな。この森の巡回であった」

 その理由はシーナさんが言っていた気がする。烈刀士の数が減って、南の森の巡回に手を回せないから、モルゲンレーテ星官が手伝っていると言っていたはずだ。星教国は信心深く思いやりに溢れている、モルゲンレーテはそんな国なのかもしれない。

「この森には、なにがあるか知っておるか?」

 記憶に新しい、忘れもしない場所がある。自分の心の闇と戦い、烈刀士になるために信念を捧げた場所「龍人の祠ですか」サンは思い返すように呟いた。

 蒼龍将は頷くも、それだけではないと付け加えた。「妖魔の森には特別な木があってな、それを〝銀霊樹(ぎんれいじゅ)〟と呼ぶ」蒼龍将は振り返り、サンの戦装束を突いて見せた。「この装束は銀霊樹から紡がれた糸でできておる。絹のようで鋼の強さをもつのだ。気を流し込むことによって、その糸は性質が変わる。糸でなくとも用途は実に多様。しかしそれが加工できるのは烈刀士の職人くらいしか残っておらん」

 サンは「それを狙ってるって言いたいんですか? モルゲンレーテが?」と笑いを滲ませて言った。蒼龍将は少し疑い深いのだろう。そんなふうには見えなかったけど。

 蒼龍将は相変わらず歩き続けていた。サンはなんとか沈黙を破ろうと口を開いて言葉を待ったが、なにも出てこない。

「烈刀士の砦におるものは知らないだろうが、巷はちゃぶ台をひっくり返したような騒ぎでな。モルゲンレーテ星教国の次は、バルダス帝国を国に招くのだから至極当然というものよ」

 バルダス帝国が援助をしにきたと言うのだろうか。酒場や、港にいた帝国人を忘れない。体格が良くて、赤銅色の髪に橙色の目、嫌味にさえ見える気品を振りかざすあの国の人間が、人を助けることなんてあるのだろうか。


 妖魔の森は、落葉樹が素っ裸になる土期の最も寒い氷土月(ひょうどつき)でも、陽射しが地面に弱々しく手をつくことしかできないほどに鬱蒼としている。木々の幹には苔がびっしりと生え、僅かに光を帯びていて、木のどれもが悲痛に歪んだように身を捩って生えている。そんな妖魔の森を数日進み、ようやく森が切れた。川を挟んで向こう側は、葉を落としたブナの木が寒そうに佇む森が広がっていた。

 あの森は覚えている。カゲツと戦技大会の表彰式の後に、烈刀士の儀式に参加するために歩いた森だ。あの時は妖魔の森に入ったことがない、龍人でもない俺だった。懐かしさが抑揚のない川の音に流されていくのを感じながら、今頃カゲツ達はどうしているのだろうかと思いを馳せた。無事であることを祈ることしかできない。

 蒼龍将が気を纏って羽衣を顕現させる。そして、跳躍してふわりと放物線を描き軽々と川を飛び越えて見せた。

「おぬしは戦技大会で羽衣を顕現させたと聞くが、どうだ、今のはできるか?」

 サンは川の向こう側から声を張り上げて訊いてくる蒼龍将の声に、やってみますと答えた。

 莫大な気を収束させることによって羽衣となる。羽衣は剣気に似ているが、剣気よりも更に収束させる最上位の技だ。これは集中力というよりも、自分の猛る信念の焔を光の絹糸にするような全力をかけた技だ。強力でとても危険、間違えれば暴力的なまでに己を破壊してしまいそうな技。戦神の力に似ているかもしれない。

 皆を守ることを考えると湧き上がる熱を腹の奥底で感じる。光のような燠火にも感じるそれを焚きつけていく。熱風吹き上げるその自分の気を、想いという手で収束させていく。高揚感と、危なげに力を解放させたいと武者震いする心の蝶番を川の滔々とした静けさで抑え込む。溢れんばかりの気を身体中に感じて、空をも飛べる想いで跳躍する。

 川を飛び越えて、手をつくこともなく自然と着地したことに驚くこともなく、心に抱くこの力の心地よさに溶けてしまいたくなった。

 頭に鈍痛を感じて振り向いた。蒼龍将が危うげな獣を嫌悪するかのような顔をして、鞘に収めた刀を突き出していた。控えめに鞘で俺の頭を叩いたらしい。

〝力に呑み込まれてはだめ、その力はなんのためなのかを忘れないでね〟

 シーナさんの言葉が自然と頭をよぎった。そうだ、これは守るための力だ、心地いいがこれに全てを委ねてはいけない。

 サンはそっと、己の内側で輝き生きる力を解いていく。自分の体を纏っていた薄い翡翠色の揺らめく気が、ほつれた糸が風に溶けていくかのように霧散していった。

「まだ、相当の集中が必要なようだな龍人」

 蒼龍将は意地悪い笑顔を見せてから、快活な笑い声を森に響かせて歩き始める。腰に刀を戻しながら振り向き「だが、筋はよい。その調子だ」と柔らかい毛布で包むように言った。

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