五十五話
烈刀士の朝には慣れた。
覚醒するのと同時に、各班長の怒声にも似た〝廉潔なる初志、刃をもって示せ! 戦神に選ばれるは我が魂!〟という声に反応して寝台から跳び起きる。
〝戦神に選ばれるは我が魂!〟と答える烈刀士の言葉に、俺はすでに選ばれたらしいんだけど皆そこは気にしないのだろうかと考えたりもしたが、これは己の廉潔なる初志、すなわちなんのために烈刀士になり、なんのために力を振るうのか、それを朝起きて心に締め直す行為なのだと理解した。
白い息を吐きながら壁の回廊に整列して朝陽を拝む。食堂へ移り、沈黙の中で朝食をてきぱきと済ませると、夜番と交代し各々の任に就く。この烈刀士の一日をもうどれほど続けただろうか。戦闘区域に出れば確実に餓鬼が襲ってくる。だが、いまだ鬼は出てこなかった。
今日もいつものように淋しげな戦闘区域の妖魔の森を巡回し、折り返しの目印の岩までやってきた。
ここまで来るのにすでに餓鬼を三体狩っている。ライガは暇そうだ。力が有り余っているのか、もどかしいのだろう、枝を折っては捨てている。
休みの日にはライガの修行に付き合っていた。鬼火とカゲツも訓練に付き合い、四人での連携や技を磨いてはいるが、正直ライガは俺達よりも頭二つは抜きんでて強いのだ。俺達相手では不満なのだろう。
岩を明水が駆け上がり、森の中を見渡しながら班長の持つ小さくて細長い笛を鳴らした。澄んだ甲高い音が淋しげな森に鳴り渡る。この笛には術式が描かれており、妖魔や鬼に聞こえない音を出すのだという。音というものは振動らしく、その振動を調整することによって、妖魔や鬼には捉えられない音を出しているのだ。だが、妖魔の中でも餓鬼は例外で、この音を聞き分ける個体がいるようで、秘術は一見なんでもできるように感じるがそうでもないらしい。
合流を合図する笛の音に応える他の班の笛の音を、五人は岩に寄りかかりそれぞれの方向を警戒しつつ思い思いに過ごした。カゲツは印を結び静かに胡座をかいて座り、鬼火は髪をいじりながら退屈そうに欠伸をかいた。ライガなんかは大儀そうに枝を噛んでいる。明水は岩の上で胡座をかいて、他の班がくるはずの方向をじっと見つめていた。
陽が少し長くなった気がする。少し前なら、葉のない樹々の影が長く森の中を横切っているのに今では短くて濃いものに変わっている。季節が流れているんだなぁと竹の水筒から水を飲みながら考えた。この時期、丘の上の家ではどうしていたっけ。
いつもならばもう笛の音が返ってきてもおかしくないはずだが、音は聞こえてこない。明水が決意したように息を吐いて俺達を見る。
その視線にサン達四人は黙って立ち上がり、奥の森へ歩き始めた明水の後を追った。
ここから先は俺達よりも経験豊富な先輩達の巡回路だ。そう認識すると、景色は変わらないのに空気が乾いたような気がした。
「なにかあったんでしょうか」カゲツの小声が明水の背中に投げかけられる。
明水が腕を上げて止まるように指示した。四人は腰を落として地面に片手をつけて次の指示を待ちながら、それぞれが四方向に体を向けて耳を澄ましながら警戒態勢に入る。
細く甲高い金属質な音が一筋、森の中から聞こえてきた。笛の音だ。
目の前の太くはない木の陰から、先輩烈刀士が三人姿を現した。一体どうやって隠れていたのかと、サンは目を丸くした。カゲツ達も同じようにしていたが、明水さんは知っていたかのように、重々しく真剣に口を開いた。
「なぜ一人いない。何があった」
先輩達の戦装束は汚れ、血が滲んでいるようにも見えた。目はぎらぎらとさせながらも冷静であるものの、その冷静さは沸騰する前の水面のように危うげだ。
「一人がやられた」腕章をつけた班長が短く返す。それは重要ではないと言いたげに。
「鬼か、規模は?」明水が訊く。
「旗印に率いられた三体と交戦。一体を殺すも旗印は退いた。襲撃されたのだ。それにあやつら……。わしらを捕縛しようとした」
明水が首を後ろに引いて、信じられないとでも言うように眉を歪める。
「一人が連れ去られそうになり、代わりにわしが斬った」
明水は顎の無精髭を無意識に触れながら数秒考え、班長の肩を叩く。
「そいつもそう望んだはずだ」明水さんは鬼に攫われたらどうなるかを想像したのだろうか? 目に力無い光が横切る。「食うためか、他のためか」
鬼は人を喰らう。これは紛れもない事実だろう。烈刀士になるために龍人の祠で見たシキの記憶。その中でシキの母親が捌かれるのを見た。あの時の俺は確かにシキで、母親が捌かれるのを見ることしかできない己の無力さに怒り狂ったのを生々しく覚えている。
「だが、それは重要ではない。犠牲はつきものだ」班長が息を荒くして言った。
その言葉に明水は頷いて先を促す。サン達は正気を疑うような目で、当たり前の様子でいる先輩烈刀士達を見た。
仲間が死んだのに重要ではない? そんなのはおかしい。ほら見ろ、カゲツが今にも最上級の嫌味と皮肉を撒きちらかそうと息を荒くしている。鬼火はなんとか状況を理解しようと腕を組んで黙っているし、ライガは……相変わらずなにを考えているのかわからない。
それでも、ライガは嫌悪を示してはいない。まさか、先輩たちと同じ意見なのだろうか。
そう考えてサンはライガから目を逸らす。そういえば、鉱山から逃げたときに、あの二人の兄弟を囮に使ったのはライガだった。俺達のこともそうやって利用するのだろうか。そんなはずはない。あの賢者と戦ったとき、利用することはしなかったんだから。
「北の沿岸沿いに野営地があった。黒地に赤い太陽は、あれはバルダス帝国の国旗だろう」
バルダス帝国。赤と黒の制服に身を包んだ、赤銅色の髪に明るい茶色や髪の毛と同じ赤銅色の目をした異人。無色で起こった夕黒事件によって、バルダス帝国商人達はあまり港に寄らなくなったようだったが、なぜこんな北部にいるのだろうか。商人だから、新たな交易品を求めて四國の手が及ばない北の地に踏み出したのかもしれない。だとしたら彼らにとって最悪の選択となるに違いない。皆がお伽話だと思っている鬼が本当に実在していて、その縄張りの中に入ったのだから。
「ありゃ、軍人だろうな」
「とにかく砦に戻り、将にそのことを伝えなければな」明水はサン達に目で合図を送ると南へ向かって走り出す。「ぼけっとするな、急ぎ砦に戻る!」
砦はいつもと変わらない。若干いつもより早く帰ってきて息を荒げた俺達に、梯子守が珍しくちらりと視線を寄越してきた以外は。
いつものように真が髪と同じようにつんつんとした態度で俺を覗いてから、生きていることを不満そうに去っていく。死んでいないことに不満を抱かれるのは少々癪ではあるものの、こうして毎回気にかけてくれる人がいるのは嬉しいものだ。真の不満そうな顔は、憎しみというよりも何かを隠すための仮面という事がばればれだからそう感じるのかもしれないが。
砦の南広場には、今日も鍛冶職人が奏でる鉄を叩く音が響き、戦装束の修繕に取り掛かる女達の屈託のない笑い声が時折風に乗って聞こえてくる。木士が増設中の建物に使う木材に鉋を走らせ汗拭う姿、木槌で木材を打ち込む音に親方の怒鳴り声、陰で戦ってくれているモノノフ達の活き活きとした姿があった。
広場には見慣れない牛車が停まっていた。幌を掛けた荷台を持つ牛車の御者台には、俺よりも数個上だろう細身の青年と、無愛想な顔をした老人がいた。二人は目がそっくりで親子に見える。その二人は御者台から下りると、荷台の後ろに回った。
「便りが来たようだ」
明水が顎をしゃくって牛車を示した。
三つ月に一度来る手紙なのだという。砦に骨を埋める覚悟で来た烈刀士にも家族はいる。カゲツのように農家の家族がいる者、家業を継いだ兄一人を國に置く者もいれば、名高い一族の家名と誇りを背負った息子に手紙をしたためる父を持つ者。そういう人達から送られてくる手紙がやってきたのだ。
仕事の手を休めて大勢が続々と集まり始めていた。
広場に下りると、すれ違った狩人の一人が新人烈刀士にも手紙がきていると教えてくれた。ロジウスおじさんやキリ師範、ジゲン師範代から手紙が来ているのかもしれない。
サンは少し舞い上がる気持ちを押し殺しながらカゲツ達をみる。皆そこまで期待していないとでも言いたげな目をしている。
「俺、とってくる」
サンはそう言って牛車に集まる人達を掻き分けて近づいていった。牛車の老人に新人烈刀士と気づかれたのか、背伸びをして俺を指差す。
「あんたは新人さんか」
サンは手紙を受け取りに来たと伝えると、老人は荷台に足をかけて体を一段高くして、息子であろう青年に声を張り上げる。
「おいタヨリ! 新人さんの手紙分けて置いておいたろ! こっちに寄越してくれんか」
タヨリと呼ばれた青年の名前に聞き覚えがあったような気がしたが、青年は俺をちらりと見て忙しそうに笑みを見せると、手紙の束を投げ渡して「あんた達は俺の誇りだ」と言ってまた荷台の中へと消えていった。
手紙は数十通あった。これは俺達の班ではなくて、肆ノ砦にいる新人烈刀士の分を纏めてあるようだ。手早く宛名を確認していくが俺の名前はない。もう一度、今度は少しゆっくりと宛名を確認していく。鬼火に数通、カゲツに一通、ライガに一通。やっぱり俺の名前がない。この数ヶ月ロジウスおじさんや師範達に手紙の返信はしていない。烈刀士になったことを一通出しただけで、大切な人に手紙を出すことを忘れていたなんて。
キリ師範はシトウ師匠に感謝をや近況を伝えなかったことを後悔していた。そのことを思い出し、サンは取り返しのつかない喪失感を胸に抱いたままカゲツ達の元に戻る。
三人に手紙を渡すと、カゲツが大儀そうに家族からの手紙を開く。ちらりと俺の方を見て「手紙来なかったのかい?」と訊いてくる。今は皮肉も聞きたくない。俺は手紙の束を見せて「それよりこれ配るほうが先だろ」と言って階段を上がって砦の中に入ろうとした。
サンは砦の中から出てきた明水とぶつかりそうになるも、明水はそんなことは気にも留めずにサンの腕を掴んで耳打ちしてきた。
「迎陽に行け。蒼龍将殿が呼んでいる」
その声は疑問に満ちていた。なぜ呼んでいるのか俺こそ訊きたいのだけど。今は一人にしてほしいというのに。
だが、そもそも烈刀士将は自分の砦を滅多に離れない。壱ノ砦にいるはずの蒼龍将がはるばる肆ノ砦にやってきて俺を呼んでいる。きっと大事なことなのだろう。サンはそう考えると手紙の束を明水に押し付けて階段を駆け上がった。
迎陽には、戦装束ではなく袴姿の蒼龍将が南の広場を見下ろして立っていた。ヴィアドラ人らしい長い黒髪を後ろで一つ結びにして、背筋を伸ばしながらも堅物さを感じさせない柳の葉のような立ち姿は、武を意のままに操ることが自然体と言わせる戦士の風格があった。
蒼龍将の背中には愛刀の大太刀が布に包まれて括られていた。こんなにも大物を扱うのは剣気無くしてありえないだろう。蒼龍将は武人らしくがっしりとしてはいるが、どちらかというと細身だからだ。それでも落ち着いた戦士の風格には流石としか言いようがなかった。
サンが挨拶をするよりも早く、蒼龍将が楽しそうに口を開く。あの屈託のない明朗快活とした声だ。
「見えるかのぉ。皆喜んでおるわ。三つ月はあっという間に感じるが、それでも待ち遠しいものだ。おぬしもそうであろう?」
蒼龍将は懐から三通の手紙を取り出し、サンに手渡した。
「それがしは今先ほどここに着いてな。おぬしを呼ぶつもりであったから渡そうと思っておったのだ」
サンは安堵から緊張すら解く笑いをこぼして、送り主を見る。〝〈無色流〉道場師範キリ〟〝ロジウス・ペイルス〟〝元老院代表・天星輝陽太朗〟見慣れた名前に笑みを零しながら、初めて見る名前に眉を顰めた。
「天星輝陽太郎って誰ですか?」
蒼龍将は広場を眺めていた笑顔のまま口を動かす。「ヴィアドラに法を敷き管理する元老院、その代表よ。名ばかりのな。今は蒼龍軍総士、漣豪雹が仕切っているようなものだが」蒼龍将は目だけを動かしてサンを見る。「気にするな」
漣家ってことは、あの氷海と一緒か。そういえば、氷海は儀式の前の試練で消えてしまったけど、どこに行ったのだろうか。烈刀士になると意気揚々と声を上げた五爪城での姿からは、烈刀士を諦めるとは思えなかったけど。
読まんのか? と目で訊いてくる蒼龍将に頭を下げると、サンはロジウスの手紙を開きゆっくりと読みたい気持ちをなんとか急き立てて目を通す。報告を後から聞いたことに対する怒りなどは一切感じない。
――ともあれ、お前さんが烈刀士になったのは驚きだぞ。ツバキのやつ、最近外出が多くなってな、つけてみたらなんと、近所にお前さんのことを報告しておった。あいつは泣いて喜んでたぞ。お前さんはさぞや立派になったのだろうな。私は先日、後継人に診療所を任せて暇になってな、もし帰ってくる事があったら寄ってくれ。うまい団子と、可愛い茶娘を見つけた――
時が経っても変わらぬ暖かさに、こみあげるものが抑えきれなかった。




