三十七話
観客席に戻ると、ジゲンと門下生の二人が席を確保してくれていた。昼時なのか、ジゲン達は色々な具材を包んだ握り飯を頬張っている。
「おお、よくやったな! 食え食え、売り子が色をつけてくれてな、お前の分はタダだってよ!」
ジゲンは嬉しそうに、サンに座るように促すと竹の葉で包まれた握り飯を手渡した。
「次の試合は、カゲツですよね」
サンの堅い言葉にジゲンは頷く。その目はどこか心配そうだ。
「相手の巖亀が何してくるかが不安だ。巖亀は汚いことを平気でする」
「汚いって、どんなことですか?」
ジゲンは口いっぱいに頬張っていた握り飯を飲み込むと、胸が苦しいのか叩いてなんとか飲み込んだ。
「毒やらなんやら使うんだよあいつらは」ジゲンは荒々しく言う。「昔、烈刀士崩れの巖亀の者とやり合ったことがあってな、あいつらは秘伝の毒があるようで俺はそれをもらっちまってな。一週間昏睡状態、衰弱死寸前、消えない切り傷をもらった。秘術治療なら傷も消えるが、あいつらの毒は〝気〟を破壊するんだ」
「気を破壊する?」
「そうだ、文字通り、練り上げた気を分解しちまうんだ。あいつらの毒も秘術ってとこになる。闘気か剣気かは知らないがな」
「そのこと、カゲツには?」サンは今にも走りだしそうに席を立つ。
「大丈夫だ、伝えてある。俺たちにできるのは」ジゲンは入場の演奏が始まった円形の場に目を向ける。「あいつを信じて応援してやることだ」
会場の観客席の一角に演台があり、そこに楽師たちが数本の竹菅を束ねていくつもの音を同時に奏でる管楽器や、横笛、縦笛、琴や大きな太鼓から小さな太鼓までを揃えて演奏を始めた。甲高くも不思議で神秘的な一定の音色から始まり、抑揚をつけていく笛の音に太鼓などが合流し壮大になっていく。
観客の血沸きだった歓声を浴びながらカゲツが入場してきた。きょろきょろしながらあたりを見ている。なんだか情けないように感じるが、もしかしたら俺もあんな風だったのかもしれないと考えると、見ていられなかった。
カゲツの対戦相手の巖亀は、カゲツの二倍近くある巨漢だった。十六歳かそこらであんなに大きくなれるものなのか。同じことを考えているのか、カゲツも固まっていた。ジゲンさんを見ると、早くも敗北を悟ったのか手のひらで顔を拭っている。
「勝てると思いますか? あいつ」
「カゲツもバカじゃない。お前との時みたいに、何か隠してるかもしれないぞ」
確かに、妙に納得できた。シーナさんとこっそり修行を始めたり、俺の知らないところで新技編み出してたり、あいつは何かと隠れてやるからな。
審判の合図とともにそれは始まった。
ゆっさゆっさと巨躯を揺らして近づく相手から、カゲツは距離をとり続けるも壁に追い詰められた。相手は自分の体の半分以上はある棍棒を持っており、カゲツはその棍棒を二度ほど打ち返すと諦めたように壁に背をもたれたのだ。
降参をすればその棍棒が振り下ろされることはなかった。その降参の時間すら与えないと言わんばかりに容赦なく棍棒が振り下ろされ、壁の一部が崩壊して砂埃が舞う。何がどうなったか見えない状態の中、会場は静けさに包まれていた。
内臓が氷のように冷たくなる思いで砂埃を見つめた。こんな終わり方があるはずがない。
突如、砂埃から何か大きなものがぼろきれのように飛び出して地面を無残に転がった。カゲツの対戦相手だった。ただの肉塊のように抵抗なく転がって止まる姿は、まるで死んでいるようにも見えた。
砂埃が風に煽られて現れたのは、血が流れる片手をだらんと垂らしながらも、しっかりと立つカゲツの姿だった。
「勝者、カゲツ!」
会場が壊れるのではないかというほどの喝采と拍手に包まれた。壁際のカゲツは、落ちそうなほどに身を乗り出して歓声を送る観客達に戸惑いながらなんとか立っている。
カゲツが俺達の方を見上げて、木刀を持った無事な方の手をあげた。勝鬨だ。
サンやジゲン、門下生は席に立ち上がり、届かないであろうにもかかわらずカゲツに声を投げた。だが、カゲツがよれよれと壁にもたれて、救護班に運ばれるのを見て、サン達は顔を見合わせる。
「あいつは剣気を使いすぎたみたいだな。まぁ大丈夫そうだが見舞いに行ってやろう。いつものように無茶したんだろうからな」
サン達は頷いて席を立つ。
「んなぁおめえさん達、次の試合見て行かんのかに。特戦枠の戦いっちゅうに」楊枝をくわえながら、値踏みし撫でるような目をした男が、たった今下りてきたのだろう通路から一行に話しかけてきた。その男の後ろには青年の門下生が二人いた。一人は体格が重厚でがっしりしていて、もう一人は優しそうで細身だった。
「忙しいんでな」ジゲンはそう言って楊枝をくわえたその男の横を通り過ぎる。
「わしらから出してるテンライの力、見んくていいんかね。その無色の子とさっきの子、なかなかやりおるからに。戦うことになるかもしれんよ」
「俺たちは急いでるんでな。それに」ジゲンは男の身なりを上から下へと視線を往復させる。「巖亀の人間が嫌いでな」
ジゲンはサン達を促して観客席の間の階段を登っていく。サンもそれに続いた。
先程からじっと見てくる巖亀の門下生二人の視線が気になるが、目を合わせないようにしてサンは二人の横を通り過ぎる。
体格のいい巖亀の門下生の一人に腕を捕まれ、驚くとともに反射的に振りほどいて睨みつける。
「なんだよ。こっちは急いんでだよ」
「いや、すまない。まさかと思ったんだ」体格のいい青年は律儀に謝ると、後ろにいる細身の青年と共に、楊枝をくわえた男とどこかに行ってしまった。
カゲツは屏風に囲まれた寝台で、上半身を起こして絶望的な顔をして一行を迎えた。傍らには、ナガレさんがいた。
サンはナガレの顔を見る。ナガレはジゲンとサンをひと睨みすると、カゲツの方を向いて残念そうにため息をついた。
「すみません。これが精一杯です。あなたの左腕は骨が砕けてしまっていて、二度と物を掴むことはできないでしょう」
「で、ですが僅かに動くんです。なんとかなりませんか」カゲツが痛むのであろう腕を見ながら、苦痛に顔を染めてやっとこさ指を曲げる。
ジゲンは無念を噛みしめるように目を閉じて首を振る。
「駄目でしょう。私の技でできないのなら望みは薄いでしょうね。君の悲しみはわかります。でも、これは君が選んだ選択なんですよ」
カゲツの震える息と共に落ちそうになる涙を見て、皆言葉を呑み込み視線を落とした。サンは何か違和感というか、僅かな疑問を感じて、俯いたナガレの横顔を見た。
ナガレさん、笑ってないか。あれ、笑ってるだろ。
「でも、もしかしたら……」ナガレはそう言ってカゲツの目を見据える。カゲツは溢れた涙をさっとぬぐい、その先の言葉に儚い希望の全てを賭けてもいいと言わんばかりに目に光を湛える。
ジゲンの場違いな感嘆のため息が聞こえ、サンはほっとして息をはいた。他の二人はわけがわからないと、カゲツと同じようにナガレの言葉を待っている。ジゲンは呆れてものが言えないのか、じっとりとした目をナガレに向けた。
「治せるかもしれません」
「最初から治せるんだろが!」ジゲンがナガレの頭をひっぱたく。
ナガレはさっと崩れた髪を掻き上げて「まったく」と吐き捨てるように言った。
「いいかいジゲン、治療して欲しければ私の楽しみを取らないでくれ。でも、まぁ、カゲツ君の絶望から生まれた希望の光は最近味わったどの蜜よりも甘美だったよ。お礼に治療をしてあげよう」
カゲツはこの状況の説明を切に願っているのだろう、目が真剣に訴えている。
「ところでカゲツ、あいつの一撃を片手で受けたのか」
ジゲンの言葉に、カゲツはナガレの治療を不安げに横目で見ながら答える。
「あいつ、直前まで気を練り上げてなかったんです。だから俺もなかなかうまくいかなくて、だいぶ焦りましたけどね。ですが、俺が諦めたと思ったんですかね。あいつ、一気に殺気と共に気を練り上げて剣気に変えたんです。身体能力だけなら完全に負けてましたけど、凄まじい量の気を練り上げてくれたおかげで、俺も同等の気を練り上げることができたんです。そこでとっさに左手で盾を想像して剣気を纏わせていなしたんですけどね、この様でした。あとはサンに食らわしたものと同じです」
「剣気の刃か。だがなぁカゲツ、もう少し威力の調整をした方がいいぞ。巖亀のやつ、まるで死んだ肉団子状態だったからな」
カゲツは頑張りますと言ってからサンの顔を見て、眉を顰めながら探るように言う。
「あの技は俺との戦いで使わなかったよね。影でこそこそ新技編み出すなんて卑怯なんじゃない?」
「お前が言うかよ!」サンは思わず溢れた笑いとともにいった。
「お前達、次の試合は三日後だ。今はしっかり休めよ」
救護室は笑いで包まれ、気を利かせた看護士が一行に握り飯を持ってきてくれた。皆で握り飯を食べながらの会話はあっという間にすぎていき、気がつけば夜になっていた。




