三十八話
本戦の第二試合は、特戦枠の試合から始まった。
会場は誰もが席を立ち声援を投げかけている。どちらかに送る声援というわけではなく、目の前で行われている戦いの激しさに興奮して、攻撃している方を応援するといった様子だ。
それもそのはず、わざわざ蒼龍軍の闘気使い達が会場の端に立ち、観客と出場者の間に透明な闘気の壁を創って安全を確保するほどに激しい戦いなのだから。
これが特戦枠なのか。
戦っているのは、蒼龍ノ國のヒョウカイと巖亀ノ國のテンライだった。ヒョウカイは初めて会った時には、家名と自分の血に自惚れた鼻持ちならないやつとしか思わなかった。だけど、ジゲンさんと睨み合っても動じない答えがこの戦いにあった。
ヒョウカイは真っ白な氷を創り出してはテンライに投げつけていた。まるで巨大なつららだ。あんなものを食らったら体はぐちゃぐちゃになってしまうだろう。炎のような無形のものでもないから、剣気の刃で打ち消せるとも思えない。扱う技が桁違いだ。
「ジゲンさん、あいつ、あんなに強かったんですね」サンは興奮と言うよりも分析するように言った。
「化け物だな、あれは」
「勝てますか?」
ジゲンの答えは不機嫌そうに細めた目だった。
ジゲンさんでも勝てないのか。
ヒョウカイは氷を創り出しては刀に変えたり、壁にしたりして攻防を繰り広げている。そのヒョウカイと対等以上に渡り合う対戦者も化け物だった。
テンライ、名前から想像できるように雷を扱う彼は、眩い白光の雷を木刀に纏わせてほとんど予備動作もなく相手に強烈な雷撃を放つのだ。ヒョウカイはその速さを見切れないがために、分厚い氷の壁を創りだしては壊されてを続けている。
テンライの白光の雷は一撃で氷を粉砕する。中でも驚いたのが、全身に雷をまとい空を飛んだことだった。雷撃の衝撃を利用しているのかはわからなかったが、ただ浮くのではなく飛翔するのだ。ヒョウカイは左右どころか上も気にしなければならない状態であり、しかも毎回、闘気を使っている。あれではすぐにバテてしまうだろう。
テンライの雷撃や、ヒョウカイの氷が派手な音を立てて、蒼龍軍の闘気使い達が創り出している透明な壁にぶち当たり消えていく。その度に観客は不安などよめきをあげて、決まってそのあとに大歓声を浴びせた。
決着は唐突だった。テンライの雷の槍の如く輝く木刀が天高く投げられ、一気に雷撃が地面を貫かんばかりに降り注ぐ。ヒョウカイの防御のために創り出した氷の天蓋は、無残に音を立てて飛び散っていった。氷が全て崩れて霧散した後に見えたのは、雷の刀を持つテンライに貫かれたヒョウカイの姿だった。
審判がテンライとヒョウカイを離し、救護班が合図を待たずして飛び入りヒョウカイの手当を始める。観客は血が流れているというのに大歓声だ。テンライは観客に向かって手をあげて応えている。まるで愉しむように。
ムカつく鼻持ちならないやつではあったものの、ヒョウカイの諦めない見事な戦いを見た後では同情の念を抱かずにはいられなかった。
「あいつ、大丈夫だよな」サンは思わずカゲツに訊く。
「あんなに救護班の人間が出ているんだから、大丈夫だと思うけど」力ない言葉でカゲツはそう言うと、サンの肩を叩いて観客席を上がっていく。カゲツが付いてくるように目配せした。「あいつの心配もいいけどね、午後は俺達の試合なんだ。人の心配できるほどの余裕はないと思うんだけどね」
サンは納得しながらも再びヒョウカイの方をみる。救護班の治療士たちに囲まれて姿は見えなかった。
もしかしたら、俺はこういう大きな見世物に出るのは苦手じゃないのかもしれない。
そんな気の抜けたことを考えながら、出場者が待機する薄暗い通路の天井を見上げた。堅牢に組まれた木造の天井の奥から、大勢の観客の気配を感じる。特戦枠の戦い熱気の余韻を楽しんでいるに違いない。
サンは緊張をほぐすように肩を回した。案内役が霊通石を介してだれかと話している。打ち合わせが終わったのか、サンに出て行くように手で示して扉を開けた。
差し込む陽の光に手を翳しながら会場の中へ入って行く。この前見たときよりも会場が小さく感じた。踏み固められた土の感触は変わらない。それでも、不安がそわそわと胸のあたりを彷徨い、意味もないのに地面を確かめるように足で叩いてしまう。
「緊張するな、俺」
対戦者が会場に入ってきた。朱色に橙色の鮮やかな火の鳥の刺繍を施した戦装束を纏う相手は、皇燕ノ國の者だった。なんと相手は女だ。同じ年頃だろう、なんだかやりづらい。挑戦的な笑みを浮かべながらこちらを見据えてくる様子から、緊張しているようには見えない。
「おい、玉なし。テメェのケツの毛まで焼き尽くしてやるよ」
さっきの言葉は撤回だ。やりづらくはなさそうだ。女性でもこんな言葉遣いをするのか。衝撃と悲しみを胸に覚えたものの、審判の試合開始の合図をともにそれは消し飛んだ。
「あたいは朱雀家の鬼火! 覚えておきなさい!」
オニビは手を合わせて広げる。何もなかった手の間から炎が渦巻きあっという間に烏の倍はある炎の燕が出来上がり、それを投げつけてきた。皇燕、燕ってことか。だけどあれぐらいなら……。
サンは剣気を練り上げ、一気に腕から木刀を伝わせて放つ。炎の燕はサンに触れる前に頭から切り裂かれて空気を焼く音とともにあっけなく消えた。
「それくらいでいい気にならないでよね」
オニビは普通の燕と同じ大きさのものを創り出すと同じく飛ばしてきた。だが、先ほどのものとは違う。まるで一つ一つが意思を持ったかのように宙を飛翔してこちらにやってくる。いやらしい、左右と上からの挟み撃ちだ。
咄嗟に後ろに飛びすさり一気に剣気の刃で振り払おうと、腰に木刀を構える。横にゆらゆらと浮かぶ気配を感じて見てみると、拳大の透明な気に包まれた小さな炎があった。その炎は押さえつけられているのを嫌がるように気の中で渦巻いている。
これは……いつの間に。
そう思った瞬間、それが爆音を立てて強烈な衝撃を発した。身体全体を振動させるそれは爆発だ。つんざく糸のような音だけが聞こえて、地面を感じるまで上下左右がわからなかった。まずい、立たなければ。
そう考えるとともに胸部に三つの鋭い痛みと、焼けた鉄でも押し付けられたのかと思う強烈な熱さが襲う。
さっきの飛翔していた三つの燕が当たったのだ。咄嗟に胸を触る。切り傷のようなものはないが火傷があった。
そうか、致命傷を与えないくらいの闘気ってことか。
闘気との戦い方は心得ていた。皇燕の者と戦うことになるとわかると、ジゲンさんに助言を求めたからだ。その時に教えてもらったことを思い出していた。
闘気で顕現されるものは、火のようであっても火ではない。性質はそれと似たようなものだが、それは術者の想像と意思によって創り出されたものだから、見た目で惑わされてはいけない。火のように見えて冷たかったり、普通の火よりはるかに熱かったりする。
オニビってやつの火は見た目は派手だが、身を切り裂くほどのものではない。なら、剣気を鎧にして纏えば損傷は抑えられるはずだ。
サンは剣気を全身に巡らせて、包まれる想像をする。全身に意識を巡らせるのは至難の業で、すぐにできるとは思えなかった。そして、それをさせてもらう時間などなかった。
耳鳴りが治まってくると観客の圧力が戻ってきた。いつの間にか横に回ったオニビが繰り出した大きな火球が轟々と空気を焼いて近づいてくる。人など簡単に呑み込む大きさを持った火球が回転しながら地面を穿ち迫る。
これはまずい。
炎に全身を呑まれる感覚などそうそう味わえるものじゃない。シーナさんとの修行のときだって呑まれたことはないのに。
全力で地面を蹴って炎の玉から体を投げ出す。全身を剣気で覆ったものの、戦装束の端の部分は焼け焦げていた。真面目に食らっていたら本当にまずかった。四つん這いからなんとか立ち上がろうとして、尻がやけに涼しいことに違和感を感じて手を当てて、サンは驚愕に魂を震わせた。
なぜ尻が出ているんだ!
オニビの甲高い笑い声が聞こえてきて身の毛がよだつ。あいつの炎を受けるときに無意識に全面しか守れなかったんだ。尻なんて気にしない……盲点だった。
「だから言ったろこの玉なし野郎! 毛ぇ焼くってよ!」
後ろから空気を焼く炎の音がして、尻どころではなくなったサンは飛び起きて、剣気を練り上げて高速で地面を駆ける。
遠距離には近距離、定石だ!
オニビの眼前まで迫り木刀を交差に構えたサンは目を疑った。オニビは見事な構えで正拳突きを繰り出し、木刀を振るう前にサンの鳩尾を打ち据え、背負い投げでそのまま後ろに投げ捨てたのだ。
上下逆さまに見えるオニビの見事な投げの格好を見ながら、勝てないかもしれないという思いがよぎる。続いて地面に落ちた衝撃で思考が吹き飛び息が詰まった。
なんて強いんだ。闘気と戦い方だけじゃなくて、扱い方を教えてもらえばよかった。サンは頭を振る。何言ってんだ、師匠から受け継いだ剣術に、やっと身につけた剣気だぞ。
自分の意思の弱さに歯がゆさを感じてサンは荒々しく立ち上がると、全身の剣気を一振りに集中させて思い切り振るった。剣気は蜃気楼のように空気を歪ませて地面を穿ちオニビへ迫る。
オニビはそれを驚いた様子で飛びすさり回避すると、最初に放ったものと同じ炎の燕を投げつける。サンはそれを躱す。それを目で追うと、予想通り燕は真っ直ぐと飛翔して壁にぶつかって砕けた。同時に空中に四つほどの透明な気で覆われた炎の玉が浮かぶ。
そういうことか、あの燕がやけに大きくて速く、そのくせ打ち消しやすいのは、壊れた後にあの爆発する玉を相手の周りに配置するためなんだ。
見切ったり、覚悟しろオニビ。
相手の体術に気をつけて接近戦に持ち込もうと、腰を落として駆ける構えをとる。やけに尻に風を感じて自分の姿を想像して顔が熱くなる。尻丸出しで必死に走って、絶対赤くなってるだろうし……なに想像してるんだ俺は!
オニビの繰り出す小さな燕たちが飛翔して俺を狙ってくる。燕を木刀で斬り捨ててなんとか近づこうとするが、燕の数が多くて打ち消すので精一杯だ。オニビを確認すると、片手で燕を繰り出し、もう片方の手の上で何やら炎を集めているようだった。
大技ってところか。遠隔はああやって力を集めるんだな。だったら、あれは必殺の一撃に違いないわけで、なんとかして阻止しないと、負ける。
いつもなら焦りが沸くはずだったが、尻を晒す羞恥、圧倒的な実力差に諦めの境地に辿り着き、焦りは微塵もなかった。戦いを諦めたわけではないことが自分の腹のそこで熱となって主張してくる。負けなければいい、そのためにどうするか。ただそれだけがサンの中にあった。
今は完全に相手の土俵で戦っている状態だ。これを打ち破るにはこちらの土俵に上がらせること。剣術、接近戦。だけど、速さが足りない。速さ……。
そのとき、白い焔の鎧を纏い、キリを圧倒したカシの姿をサンは思い出した。
師匠は剣気使いだった。あれが剣気のなせる技なら、その足元でもいい、俺にできるんじゃないか。頭の中で一つの作戦が閃いた。サンはニヤリと笑みを作ると、一気に剣気を足元に集中させていく。
サンはとにかく相手の周りを走るようにして攻撃を躱していた。その間もオニビが溜める炎は密度が濃くなっていき、それを重そうにそれを掲げている。そしてついにオニビは攻撃をとめて両手でその炎の塊を持つと、自分の足元に思い切り叩きつけた。せっかく溜めた力を地面に叩きつける行為に、サンも何が起きるのか走るのをやめて様子を見る。
オニビが両手を広げて天を仰ぐように掲げた。それに呼応して地面に広がった炎が集まり形をつくっていく。
それは上半身だけの炎の巨人だった。両手に炎の剣を携え、その巨大な剣をサンに振り落とす。会場は歓声を忘れそれに魅入っていた。
「エンマ兄ほどじゃないけど、あたしも負けてないでしょお!」
オニビの狂気に満ちた絶対的な自信の叫び声が嫌によく聞こえた。なんて技だ。人じゃないだろうあんなの。剣気とか、もう次元が違うじゃないか。
思わず魅入っている自分の余裕に苦笑して、サンは落ちてくる巨大な炎の塊を横に飛んで回避した。こんなに大きいと、剣なのだろうが塊のようにしか見えない。というより、これは特戦級の強さじゃないのか? どうなっているんだ。
オニビの誰に向けているのかわからない狂気じみた叫び声が聞こえてくる。エンマ兄だって? 誰だよそいつは。そんなことはどうでもいい。こんなものに当たれば絶対に無事では済まない。見かけよりも炎の熱気は感じられないが、振り下ろされる炎の剣は重々しく地面を震わ、死を連想させる。審判を横目で見るが介入しようか見極めているようだ。このまま終われない。
サンはかつてないほどに集中させた気の量に身震いした。これが扱えるはわからない。それでもやるんだ。観客席で誰かが叫んだのが聞こえてきた。観客はどうしたんだろうか、誰の声も聞こえない。まぁ、どうでもいいか。
足元に集めた気を剣気として体に纏わせる。師匠のようにはいかないだろうけど、いける。
文字通り、サンは矢のように一直線に空気を貫いて飛翔する。たった一歩の踏み込みとただの突き。体を塵に変えてしまいそうなほど暴れる力に体が壊れると感じた。剣気よりも熱くて重くて心を滾らせる気を収束させて剣気とする。それを全て集中させた突きだ。
気のせいか、突き出した木刀は翡翠色の揺れる焔の刀のようだった。だが、見据えるは目の前の炎の巨人の腹だ。巨人が俺の攻撃を防ごうとしたのか、はたまた迎え討とうとしたのか何かしらの動きをしたようだがもう遅い。
巨人の腹に翡翠の焔の刀が突き立ち穿ち進んでいく。オニビの闘気を削る感覚が伝わってくる、これは……感情だ。オニビが強烈な劣等感に抗う苦しみ、それを挫くことこそが生きることだと信じて疑わない信念、それを貫く強い意志が、俺の強くなるための信念と負けたくない意志と削り合う。
巨人の腹を貫き、オニビの前に突きの姿勢で止まった時にはもう剣気はなくなっていた。炎の巨人も空気に消えていた。突きの姿勢のままオニビの顔を睨み上げる。オニビの複雑に絡む多様な怒りを湛えた歪んだ視線が俺を見下ろしている。こいつはまだ諦めていないのだ。尚も抗おうとしているのだ。オニビが歯ぎしりをして、炎を纏わせた拳を引き絞った。
俺も負けられない。
サンは拳をかするように躱すと、二刀による無色流桜舞の〝道〟を叩き込んだ。




