百一話
心の会話さえできれば分かり合える。俺はそれができることが当然だと思っていたのかもしれない。國とを動かすのも人、ならば通じる。だが、それはあまりにも単純すぎた。戦神が宿った龍人として、言葉が通ずるものだと、特別なのだと高を括っていた。そういうことなのだろう。
サンは黒き枷に目を落とし拳を握り絞めた。横にいる炎魔はサンの肩を労うように叩くと一歩前に踏み出した。
「なぁ豪雹、あんたにしてみればこの戦は烈刀士を丸々消し去る千載一遇の好機」態とらしく炎魔は手をひらひらさせる。「肯定も否定も結構。俺が勝手に話してるだけだからな。古臭くて頭の堅い連中がヴィアドラの民の未来を奪うなら、良心が悖るといえども致し方ない。だが、四國には今だ憲律に篤く烈刀士を支持する者達がいるよな。その筆頭の荘園とは決着がついたのか? ありとあらゆる犠牲を払った安寧が、十年前より揺らいでるようじゃないか」
ありとあらゆる犠牲。蒼龍将の兄である海風が総士だった頃、元老院の名の下に荘園連合との会合に出向いた軍は、そこで襲撃に遭った。軍は被害甚大、敵である荘園主と水面下で手を結び、元老院を裏切り、海風の腹心でありながらこれを討った豪雹の仕業だった。その所業のために払われた犠牲。
「この状態で烈刀士を排除したら、荘園側に元老院との戦の口実を与えることになる。あんたのことだ、これも対処済みだろう。だけども変だな。肝心要のバルダス帝国艦隊は沖から動かないようだ」
豪雹が深い溜息をついた。
「よく囀る」
炎魔は短く嗤い声をあげた。
「帝国との取引は、元老院だけのものだろうか」
他の将達は、当然だと声をあげ、豪雹だけが静かに太く白い眉を寄せて先を促す。
「そのうち荘園とも取引するんじゃないか? 皆もご存知であろうが、荘園は元老院が治める四國の京、里、町よりも外周に位置する。人里離れた場所には荘園以外に何があるだろうか。妖魔の森だ。あんたらは國の中に妖魔の森があるのに、わざわざ遠方の氏族の森から資源を得ている。なぜだろうなぁ」
笑みを湛え、思案するように宙を見上げる炎魔は、ちらりと豪雹に目をやる。
「答えは明白。荘園の近くの土地を勝手に開拓しちゃあ戦は免れない。妖魔の森、妖魔の森には銀霊樹がある。荘園は元老院と帝国の取引を真似るだろうな。帝国は戦略物資を狙ってのことだろうから、結局双方と取引する。烈刀士に匹敵する武具を持った荘園か。めでたく戦乱の世の幕開けってわけだ」
さらに口を開きかけた炎魔を机を叩く音が制止する。それは四軍の将官、連合頭の一人だった。
「御託はもうよい。そこまで考えていない我らと思うか? よもや貴様、そこの腑抜けと同じことは言うまいな」
腑抜けと言われ顎で示されたサンは、少し心にくるものがあったが、この際気にしないでおこうと独白し、炎魔を見る。連合頭の言う通りで、炎魔の話からは解決法が出てこない。
「烈刀士の信仰心に訴えかけるのさ」
筋書きはこうだった。戦神の魂の依代である龍人が行うことは、即ち戦神の御意志。その龍人が筆頭となり烈刀士の信念をもって闘うのであれば、敗北もまた神の御意志と受け止めなければならない。もしそうならなければ、私怨による烈刀士の戦、これは滅ぼすに値する。
結局、戦になるということだ。サンが啀むと炎魔は真面目な顔でそれを制した。
「だがな、兵と烈刀士、氏族同士は戦わせない」
「ほぉ」
豪雹が椅子に腰を下ろして、机の上に手を組む。先を促すように言葉を待つのを見て、炎魔は続けた。
「元老院としてこの朱雀炎魔、僭越ながら戦神の御意志を確かめたく」炎魔は静かに笑む。「これで俺が負けたら、豪雹、元老院の好きにすればいい。俺が勝てば烈刀士は生かせ。俺が烈刀士を束ねる」
豪雹が鼻で嗤った。同じように他の者も嗤う。サンも同じような気持ちだった。
烈刀士の中には炎魔の名前を聞いて目を輝かせる者もいる。だけど、烈刀士将でありながら國を抜けた人間に、誰がついてくる。
「大層な自信、相も変わらず傲慢で無謀。十年の放蕩で何も変わらぬとはな。まぁよい。どの道、おぬしが斃れることは烈刀士の終焉。生きても、それなりの道理がわかる貴殿なら、風斬よりはましであろう」
「なら、決まりだな」
炎魔は狡猾な笑みをサンに向けた。
烈刀士の陣に向かうため小舟に乗り込んだサンは、係留索をほどきながらカゲツの言葉を聞き流していた。
「なんだってそんなことになるのさ。死ぬかもしれないんだぞ」
カゲツの言葉に耳を貸さずに、サンはそのまま櫂を握った。正面に座り今にも破裂しそうな薬缶のような顔のカゲツの言葉はもっともだ。サンは数回漕いで腕を止めると、カゲツを見返す。
「他に方法があったかよ」
カゲツは何かを言い返すが、それも耳に入ってこなかった。
炎魔は言った。天幕を出て、カゲツが囚われている牢まで行くまでの間のことだ。サンは炎魔に勝てる気がしなかった。ゆえに、こう洩らした。
「ヴィアドラは龍人の力を失うかもしれない」
炎魔は鼻で一笑に付した。
「百年いなかったんだ、今更変わらんさ。それで、お前は何かやろうとしているな? それは俺には言えないことか?」
サンは開いた口が軽いことに驚いた。この人なら、わかってくれるかも知れない。そう縋るような思いがあったのかも知れなかった。
「鬼は樹から産まれる。鬼は森が家なんだ。それを人が奪った。だから鬼は家を取り返そうとしている。それが二千年も続いてる。だから、俺はその家になる」
「なるほどな。お前が鬼の家になるための力の根源になろうってのか」
サンは驚いたように目を開き炎魔を見上げた。
「おいおい、伊達に世界をふらついてきたわけじゃない。世界じゃ、鬼のことを悪魔、闇、混沌の権化なんて呼ぶが、あいつらの名前はウラドだ」
シーナさんもそう言っていた。カグラも、鬼ではなくウラドと呼ぶように言っていた。
「それでもまぁ、命削ってウラドに家を与えようなんて酔狂な奴はいなかったな。世界のどこでも、ウラドは人間の敵だ」炎魔は少し思考を巡らせるように曇天の空を見上げて、喉の奥で笑う。「それでウラドが砦を襲うことがなくなれば、俺は楽ができるな」
今度はサンが笑った。
「俺もあんたを死なない程度に殺してやる」
「そりゃあ楽しみだ」
たったそれだけの会話だった。だけど、その会話を話せば俺がやろうとしていることをカゲツに言うことになる。だから、サンは舟を漕ぎながら黙っていた。
烈刀士の陣である河岸につくと、サンは森の前で足を止めた。
すぐに森の低木から人が姿を現した。烈刀士だ。顔は緊張しており、手には矢を番えた弓を持っている。樹々の上からも気配を感じるところ、歓迎はされていないようだった。
「あんたは、龍人だな。俺は壱ノ砦のもんだ」
蒼龍将は壱ノ砦の将だ。ならば、この男は蒼龍将の意志についてきた者だろう。
「龍人様は、どっちの味方なんだ。蒼龍将と戦って、かと思ったら烈刀士を守って……」
サンは一歩踏み出して男を見てから森の気配するところに目をやった。一人一人に話すように。
「俺は龍人だ。ヴィアドラのために闘っている。烈刀士の想い、氏族の想い、元老院の想い、民の想い。立場は違えど、みんな大切なもののために毎日生きてる。そんなみんなの想いが、ヴィアドラなんじゃないかと、俺は思う。だけど、今のように対立してしまう。みんな自分が正しいと信じてるからだ。だけど、正しいも間違いもない。互いを受け入れて、苦しくても寄り添う。それで初めて皆のヴィアドラが築ける、俺はそう思う」
ほんの一呼吸の間。サンは目を瞑り己の内側に目を向ける。暖かく収束する光。それは龍人となってからずっと側にある光。戦神と先代龍人達の魂。彼らは話かけずとも、俺を見ている。サンは目を開けた。
「戦神はヴィアドラの剣として、意志として魂を遺した。それはヴィアドラを守るだけ、敵を切り刻むだけのためだろうか。龍人である俺は戦神を近くに感じ、違うと断言する。これはヴィアドラの未来への道を切り拓く剣。皆の想いを力に振り下ろす剣だ。だから」
サンは己の信じるものを握る。守るために闘う。それこそが、本当の強さなのだ。
「俺を信じてくれ」
「信じてくれって……」
男は狼狽した様子で森を振り返る。数人の烈刀士、氏族が森の影から姿を現す。一様に同じ表情だった。
「俺が元老院と戦う」
「龍人様がここにいるってことは、それが戦神の示す道。一人では行かせられねぇ」
「そうだ。龍人様がきたってことは戦神様の思し召し、俺らが黙って見てるわけにはいかねぇさ」
そうだ、と次々と声が上がり、森の影から人が現われる。頷きながら顔を上気させた者、刀を抜き身で携えた者、矢筒を背負い直しながら出てくる者。皆、意志は堅く、敬虔だった。
炎魔の予想が当たったのだ。皆、戦神の思し召しだと思っている。これで俺が負けたら彼らはどんな想いをするのだろうか。炎魔は烈刀士を排除しようとする豪雹を止められるだろうか。止められなければ、彼らは死んでしまう。勝ったとしたら、どんな未来があるだろうか、烈刀士は元老院を受け入れるだろうか、元老院もまた烈刀士を受け入れるだろうか。寄り合うことができるだろうか。
戦神は確かに俺に宿った。俺を選んだのだ。それはなぜだ。鬼と人を和解させるかもしれないからか、この闘いでヴィアドラを一つに繋ぐためなのか?
答えはもうすぐ出るだろう。そして、それを得るためにも——。
「俺一人が戦う。皆の想いを背負い、龍人である俺が戦わなければならない。そのために俺はある」
「そんな、龍人様だけ犠牲になるような真似はさせられませぬ」
氏族の一人がそう力強く言う。そして、その言葉に僅かな疑問を、サンは抱いた。
〝愛は犠牲にあらず、されど犠牲によって愛を知る〟
かつて師匠が言った一度だけの言葉を思い出し、それがなぜか腑に落ちた。
「俺は犠牲になるつもりは毛頭ない。守るために闘うだけだ」
サンはそう言って白緑の羽衣を纏い、カゲツの差し出す愛刀、心・通を鞘から抜いて白刃を閃かせて河の中央目指して飛翔した。




