百話
――愛とは常に残酷な結果を生むのだと。血が繋がらぬ子を想い、重い病にかかっていた師匠が最後の命の灯火を人斬りに賭したのも、蒼龍将の息子を想い烈刀士将まで昇りつめた死して後已む生き方も、どちらも愛ゆえの行動。どちらも悲しみを伴う。――だから、そう思わずにはいられない。
愛は人を駆り立て、如何なるものをも貫く力を生む。だけど、燠雀灰花が贈ってくれた言葉――燠火のように小さくとも決して消えぬ。真の炎を秘めたるは、ぶれず消えずの心なり、のように、貫く覚悟がなければなにも成せはしない。そして、それは大切なものさえも傷つけることがある。
サンは己が求める本当の強さが、大切なものを守れるのか、傷つけてしまうのかわからずに重い息を心の内で吐く。
四軍の本陣となるは、蒼龍ノ國〈龍流京〉の大門の外れにある、港から大門を一望できる小高い丘にあった。天幕と柵で覆われた本陣は、柵の内側に秘術使いを配置し、秘術によって蜃気楼のような揺らめく薄い壁で周囲を護っていた。秘術使いでなければ姿も気配も感じられないその透明な壁は気から創り出された技に対抗する気の壁だ。いつぞやの戦技大会で見たことがあった。
戦う烈刀士は全員が剣気や闘気といったなんらかの秘術使いであり、一騎当千とはいかずとも、生身の兵士ならば百、二百は容易く屠れる。ほとんどの元老院議員は烈刀士を軽んじているが、この壁を展開させている漣豪雹は烈刀士を侮っていないという証左であり、同時に烈刀士側がどれだけ不利なのかを思い知らされる。
所々ささくれが目立つ丸太を組み上げて設えた突貫的な本陣は、突貫的ではありながらも四國の獣を多様な——多くは鬼を屠る勇ましい——姿で描いた威厳ある刺繍が天幕に施され、門には四國それぞれの軍旗が曇天の下で翻っている。軍旗は安定しない風にやかましくはためき、連合という仲間でありながらもヴィアドラとしては一枚岩ではない。そんな皮肉に見えて、サンは苦い笑みを一つ浮かべた。
先を尖らせた丸太の壁が配置された門前にそいつはいた。長い黒髪を一つ後ろで結わえて風に靡かせ、端正ながら凛々しい顔立ちの男。今はその男の象徴とも言える酒瓶か瓢箪は見られず、胸元をはだけさせた豪奢な着物だけが彼らしかった。
朱雀炎魔。生きているであろう鬼火の敬愛する兄であり、烈刀士の元皇燕将であり、皇燕にそのものありと言わせる、呑ん兵衛だ。
「悪いな」
そう言う炎魔の目には額面どおりの色はない。それどころか、少し愉しそうだ。手に黒い手枷が握られ、それは顎を開けて待っている。
「そんな物をつける必要があるのか。俺は烈刀士側にもついていないんだぞ」
「誰がそんな言葉を信じるんだって。なに、喰われそうになったら俺がお前を守ってやる」
炎魔は忍んだ戯笑を浮かべる。
「あんたは信用ならない。蒼龍将側にも元老院側にもつかないはずが、今は元老院に片足突っ込んでる。そのくせ、俺を守るなんてめちゃくちゃじゃないか」
炎魔がいなければ、空から降ってきた大量の矢によって今頃死んでいたかもしれないが、この際それは無視した。
「おっと、元老院につかないとは言ってないぞ。それに、元老院のほうが現実的だぞ。さぁ観念して手ぇだしな」
暴れるつもりは毛頭ない。サンは手を出した。冷たい枷は重く吸い付いてくるような感触だった。事実、この手
枷は黒く力を吸うように己の内側を、背骨の中に悪寒を駆け巡らせる。
「滅神鉱か」
「そうだ。気を練ってもらっちゃ困るからな」
滅神鉱から作られたものがどういった働きをするかは知っている。蒼龍将と元老院へ向かう途中に出会った刺客の黒刀、バルダス帝国の兵士の持つ槍斧、その全てが同じものだった。滅神鉱で造られた武器は、打ち合ったり斬られたりすると、体の内側に抱いた気を砂のように崩してしまう。そして、まるでガラスの瓶に詰められたように気から隔絶される。
そんな得体の知れない技術を、元老院はバルダス帝国から資源と交換するという。
この手枷程度だと、体の動きを維持するほどの気は握っていられるが、新たに大きく練上げようとすると悪寒と共に背骨が震えるような感覚に陥り、握った気が砂のように崩れて消えてしまう。
サンは腹を括り、堂々と手枷をされて炎魔に牽かれていった。
「お前、刀はどうした」
「舟に残してきた」
炎魔は呆れた顔でサンを見る。
「モノノフともあろう者が。まぁ俺には関係ないな。その手枷に衝撃は与えるな。滅神鉱は衝撃に反応する。感情の揺らぎもだ。気を練上げようとすれば心が震えるからな」
なるほど、とサンは思った。滅神鉱から作られた武具との打ち合いで気が崩れていくこと、羽衣が削がれていくことには気づいていたが、体に触れているだけで気が練れなくなる理由は思い至らなかった。気は感情の影響を強くうける。感情は心の波だ。滅神鉱は、その波に反応するということなのだろう。
天幕の垂れ幕を潜り、静まった重い空気の中に歩みを進めるのは酷く億劫だった。平常心で話し合いに向かわなければ血を血で贖う結果を招くことになる。これ以上戦火を広げるわけにはいかない。ここからは言葉が刀になる。戦いを断つか、口火を切るか。
天幕の中には数十人の男達が重厚な卓を囲んで、その上に広がった地図に目を落としていた。入り口辺りからでは地図上に配置された駒の位置は掴めないが、河を挟んで駒の多い方が元老院側であるのは疑いようがない。そして、その数十倍。
大きな卓の一番奥の席には兜無しの大鎧を纏う漣豪雹が、他は豪雹と同じく齢五十はとうに越えている武人だ。軍は一番上から、連合、衆、組、班、公刀衆と組織され、ここいるのは四國の連合頭と衆頭達だった。
そしてそれらを総括するのが総士だ。その者達の後ろには軍の色を表す差し色が施された簡素な具足を纏う従者が控えていた。更に五人、それぞれ色の違う威毛の大鎧を纏っているのは、赤が緋爪、青が瑠爪、緑が颶爪、黄が雷爪、黒が漆爪の名を冠する蒼龍軍精鋭部隊、五爪の将達だった。その五爪の顔触れは精悍ながら将には若いとサンに思わせた。
数年前の五爪城での悪夢の出来事をサンは思い出す。あのとき、蒼龍将は鬼を町に連れ込んだということになる。そんな強行に及んだということは、あのとき既に話し合いの希望は潰えていたのかも知れない。あの頃よりも切羽詰った今の状況で、果たして戦を止められるだろうか。
「これはこれは。久方ぶりであらせられる、龍人殿、お噂は兼兼」
豪雹の雷のように朗々とした声に、サンは背筋を伸ばした。
「久しぶりです。蒼龍軍総士」
サンの言葉が終わる前に、豪雹は炎魔を睨め付ける。普段から厳しいが、それが一段と獣じみたのを見て思わずサンは唾を飲んだ。その矢所の炎魔はというと、この状況を愉しんでいることを隠すことなく挑戦的な笑みを浮かべている。
「皇燕に名にし負う貴殿であろうとも、少しばかり勝手が過ぎる。國を抜け数十年、ひょこっと戻ってこられて、はいそれと昔のようになれるとは思うまい」
「燕ってのは巣に帰ってくるもんだ。だけどまぁ、正直にいうと、少しぐらいは期待してたさ」
炎魔はそう言ってサンの手枷を外した。その場にいた全員が張り詰め、五爪に至っては刀に手をかける。
サンもどういうことかと炎魔の顔をまじまじと見たが、炎魔は当然のような顔をしている。
「朱雀炎魔。貴殿はどちらの人間か」
「どちらもこちらもないんだなこれが。要は、ヴィアドラの道理を悖るあんたらに灸を据えてやろうって魂胆さ。さぁ龍人。お前が話せ」
サンはその意図を汲み取り一歩前に出る。
「烈刀士と話し合い、互いに歩み寄り、戦を回避するべきだ」
豪雹は一拍置いて机に身を乗り出すように手をついた。
「火蓋は切って落とされたもの。それも烈刀士によって。民の暮らしが富む、そのために元老院は成すべきことを成す。病んだ空気は変えねばならぬ。害を為すならば、己が体であっても切り取らねばな」
「争う必要がどこにあるんだ。烈刀士は守るために戦い、守られる民達は烈刀士へ感謝する。感謝とは行動だ、言葉じゃなければ心で思っていればいいものでもない。行動で感謝を示せるのがヴィアドラ人であり、それで未来を築いていくのが烈刀士と民の関係なんじゃないのか。民はおろか、元老院ですら烈刀士を軽んじている」
まだ無色にいたころ。蒼龍ノ國の民となったあのころですら、鬼の存在は炉端の語り草に過ぎず、烈刀士は伝記に出てくるような伝説であり、それが民の共通認識だった。鬼と命を懸けて戦っていることを、誰も知らず信じない。
「烈刀士は戦況辛く支援を厚くせよと申すが、民から削り取り苦しめるのは、それこそ本末転倒。何を守るゆえの戦いか。烈刀士が北で戦っている間、己が力を大事とする荘園同士が争い永き戦乱が訪れた。それを平らげなければ民に平穏あらず。ゆえに元老院は戦っておる。烈刀士は自尊心を満たさんと、貴殿の言う感謝とやらを求める。道理に悖るのはどちらか」
サンは一歩踏み出し、豪雹の言葉に割り込んだ。
「そうさせたのが、あんたら元老院なんだ。本来ならば民は烈刀士の存在を知っていて、感謝として行動を示す。荘園主の中にも烈刀士を支援している者はいる。それらが鬼との戦いの支援となっていた。だけど、元老院は荘園を平らげ、民の信頼を得るために人知れず北で戦う烈刀士の功績を元老院のものと認識させて、民からの支持を力として今の世を築いてきた。道理に悖るのはどちらだ?」
豪雹が息を大きく吸い、嗤う。
「では、問おう。荘園は数が増え、争いの戦火は民を巻き込み飛散する。土は穢れそれを耕す人も時も失われ、ヴィアドラの未来は、はて、未来はどうなることやら。そう憂いた先人達は発起し荘園を平らげ、地を治め、未来への礎を築いた。それを成したのは、烈刀士の先人達、ゆえに元老院のやることは烈刀士の望むことである。無論、そのことは知っておられましょう?」
豪雹はサンの開かない口を見て頷いた。
「烈刀士は学舎を設けておりませんでしたかな?」
卓から僅かな嗤いが流れた。
「龍人殿。まずは理解していただこうか。今しがた貴殿が語ったその歴史は、あくまで烈刀士からの視点であることを。掻い摘んで申し上げるが、烈刀士の始まりは鬼と人、人と人が戦う戦乱の中であった。当時、元老院は規模が小さく、軍などありはせん。あるのは少ない刀衆のみ。刀衆は他の刀衆に道理を説き、傘下に置いた。その中に傍若無人な輩達がいた。その者の中心は命の末裔、神の力を授かった者である」
神の力。ヴィアドラの神話だ。北の山の向こうから怪我をした白き鶴がやってきた。人はこれを助け、鶴は人に力を授け、戦い方を教え、道理を説いた。人は鶴を神と崇め、神の名を冠して己をヴィアドラの民となった。神のほとんどは民と交わり命となった。その子供達は人でありながら、神の力を、すなわち気の力を扱える存在として武を誇りとし、モノノフと呼ばれ慕われた。
サンは、死鬼の記憶で見た荒々しい刀衆達を思い出す。彼らは、守るために戦う信念を持っていたが、貫くあまり傍若無人と思われていたのだろう。
「命の末裔である刀衆はそれこそ一騎当千。ヴィアドラを平定し鬼との戦いに備えるのが道理であったにも関わらず、傍若無人な刀衆は元老院に耳を貸さず、こともあろうか勝手に烈刀士と名乗り鬼との戦いに明け暮れた。元老院は真打である彼らを失い、平定するには民を一層味方につける必要があった。ゆえに、烈刀士の武勲を一つの道具として扱ったまで。そもそも、烈刀士が誉れ高き集団となったのも、彼らの蛮行を元老院が繕ったからである。咎めることはできん」
サンは地面に落としていた目を上げて豪雹を見た。
死鬼は元老院から死刑を言い渡されていた。度重なる逸脱行為などがその理由となっていたが、果たしてそれだけだったのだろうか。それならば、そんな男が纏める烈刀士になぜ民は感謝するのか。
「だけど、民は鬼と戦う烈刀士を崇めた。民はその働きを目で見て感じていたからこそ感謝していたはずだ。烈刀士を認めたいたんだ。元老院の口添えだけじゃないだろう」
「それもまた、一つの真実であろう」
「だったらなぜ、今も鬼と戦っている烈刀士を蔑ろにする。あんたは民のためと言うが、元老院という自分の居場所を守ることしか考えていないんだ」
「さよう」豪雹の答えに、その場の皆が豪雹を見る。「守るために戦う。家族であろうと、友のためであろうと、それを守りたいと思う己が心のために戦う。己が傷つくのを防ぐために戦うのが人。己のためにしか人は動けん。それがしはヴィアドラを想う。それゆえ、これからの未来のために帝国と和を結ぶ」
軍の者達も、然りと目を伏せた。
「帝国の万象帝技があれば、烈刀士のように類稀なる秘術の力なくとも同等の力が扱えよう。そうなれば、烈刀士が雛鳥の如く喚く人員不足も改善されよう。万象帝技は民の生活の基盤も変える。井戸から水を汲み上げる必要もなくなれば病の根も減り、下水を引けば町に蔓延る疫病が減り、赤子が死なずにすむ」
烈刀士に代わる力を手に入れる。烈刀士はもはや不要と、そういうことなのか。
「なら、烈刀士はどうなる。烈刀士と共に発展した氏族はどうなる」
豪雹が声を上げて笑う。
「氏族がどのような連中か知らぬと申すか。命の血を継ぐ者ではあるが、それゆえに驕り孤立した者だ。ヴィアドラの民ではあらぬ。己が信念で戦うことを選んだにも関わらず見返りを求める烈刀士と、血に驕り族で孤立する氏族。類はなんとやら」
豪雹の言葉に、他の将達も忍び笑った。
「そうか、理解した。歴史がどうとか関係ないのか」
蒼龍将もそうだった。信念を剣にのせて闘い知った蒼龍将も、やはり自分のためだったのだ。
「己を正義で偽り標榜する。互いの内を知らず、知ろうともしない。心の対話なくして和が生まれるはずもないわけだ」
「心の会話? 片腹痛い。切れ者でなければ信念も黄銅並か。戦神は、かなしいかな、斯様な者を選ぶか。もはやヴィアドラに戦神はおらぬ。ならば一層、元老院がヴィアドラを導かねばならん」
サンは漸く悟り、黒い海に沈んでいくような気分だった。心と心の向き合いなど、夢物語なのだ。魂をのせた剣での闘いによって今まで相手の心を知ってきた。だからこそ歩み寄ることができた。日々の暮らしに揉まれながら他人を想う、ましてやその本心まで想うことなどできはしない。心の声を上げることは己を曝すことであり、それが傷つけられるということは死に等しい。そしてそれは他者の心を斬る覚悟もなければならない。
面とむかって、腹を割って話す。なんて、遠いんだ。
肩に手をかけられ、その手を見る。労うように一度強く握った炎魔は、どこか同情のようなものを湛えている。
「世の中こんなもん。剥き出しじゃ、渡れないってこった」




