名前を僕にください
コンコンとノックをする音が静かな病院の廊下に響く。
「はい、」
昔はよく聞いた声が聞こえる。今よりずっと冷たく、吐き捨てるような言葉で聞いていたこの声。今でも、この声に恐怖を覚えて、少し手が震える。ぐっと、扉を開け、まっすぐと父の方を見た。
「お久しぶりです、僕のことおぼえていらっしゃいますか」
窓を見ていた、父がゆっくりとこちらを向く。その目には、悲しいような、申し訳ないような顔をしながら、うっすら涙を浮かべていた。
「あぁ、大きくなったなと言っていいのだろうか。君に会えないまま、俺は死んでいくんだと思ったよ。」
昔とは違う痩せ細った体、覇気のない話し声、緩んだ口元、冷たくない目、何もかもが違う父がそこにいた。
「えぇ、あなたが死ぬまで、いや死んでからも会うつもりはありませんでしたよ。ついこないだまでは」
あぁ、やっと言えるここで過去とさよならをしよう。ずっと重たかった心の荷物を下ろしていこう。そう思って話の続きを待つ父の顔の方を見ると、静かに泣いていた。
「申し訳ない、ずっとずっとお前には謝りたいと思っていたんだ。今の俺は君に会う資格なんてとっくに無いのに最後に会いたいと思ってしまったんだ、」
点滴がたくさん繋がった腕で涙を拭いながら父は僕に向かっていう。
「知っていましたよ、あなたが僕に会いたがっていたのも、僕に対して申し訳ないと思っているのも、全部。今までのことはどれひとつ許そうなんて思っていません。だけど、ひとつ羨ましいと思ってしまったんです。人を愛せる父になっていることが。だから、最後に一度だけ僕の名前をつけた意味を教えてくれませんか」




