瑠璃の異変
龍介がイギリスから帰る夏休み後半、竜朗が来た。
真行寺も仕事の段取りを組んで、大分前からイギリスで龍彦一家と合流しているし、龍介が帰る時には、真行寺が送って行くと、前々から決まっていたのだから、フランスに寄って、龍介と同じく剣道部の合宿の為に途中帰国する寅彦を連れて帰るにしても、竜朗が来る必要は無い。
何故来たかと言えば、一重に龍介としずか会いたさに他ならない。
会うなり、2人いっぺんに抱きかかえて、スリスリスリスリ!
龍介はともかく、もう40近いしずかにまでやるから、流石の真行寺親子も張り付いた笑顔でドン引きしているが、我関せずである。
双子は佳吾と、佳吾が連れて来てくれる執事とお手伝いさんに任せ、羽が生えてしまったかの様に、解放され切って、2人に質問攻めの喋り捲りである。
「お前…、仕事は…。」
真行寺に聞かれ、若干青くなって固まったが、直ぐにまた2人をスリスリスリスリ!
「全く…。ほったらかして来たな。風間君も可哀想に…。」
ここはヒースロー空港である。
竜朗が来ると言うので、龍彦も仕事が無かったので、出迎えに来たのだった。
あまりに凄まじい竜朗の喜び様に押されて気付かなかったが、亀一も来ていた。
「きいっちゃんは、どうしたの?」
龍彦に聞かれ、亀一も、噂に聞いたしずかをベロベロに可愛がるという竜朗の姿を目の当たりにして、呆気に取られていたが、やっと正気に戻った。
「あ、ああ!龍に直接話さなきゃならねえ事態だったから、しずかちゃんに会いがてら来たんですよ!」
しずかも龍介も、亀一の存在にはとっくに気づいていたが、竜朗に離して貰えず、ずっと気にしていた様だ。
漸く解放されるなり、亀一の所に来た。
「どした。なんかあったのか。」
「実は唐沢が…。」
「瑠璃がどうしたって!?なんですぐ知らせてくれねえんだよ!」
もう既に心配で真っ青になってしまっている。
「ほらあ。お前そうやって、凄え心配するからだよ。唐沢も、龍は心配し過ぎて、1人で帰って来ちゃうかもしれねえし、道中もそんな状態じゃ危ねえから、言わないでくれって言うからさ…。でも、早い方がいいかと思って、麗子ババアも金出してくれたし、先生が行くっつーから来てやったんだ。」
とか言いながら、しずかに抱きつく。
もう背丈はとっくにしずかより18センチは高く、168センチもあるので、亀一がしずかを抱き締めている感じだが。
「しずかちゃん、会いたかった。」
「ごめんね、きいっちゃん。双子っちのお世話してくれてるんでしょう?」
「吉行さんが居るから、そう苦労してねえよ。」
しずかは亀一から少し離れ、顔を見上げて微笑んだ。
「一泊してからフランス行くんでしょう?お礼に好きな所に連れてってあげるわ。」
「ん~とねえ…。」
デレデレしている亀一を乱暴に引っぺがしたのは、龍彦では無く、龍介だった。
「きいっちゃん!早く瑠璃に何があったんだか話せ!」
「んじゃほら。取り敢えず移動しよう。アフタヌーンティーは如何かな?」
龍彦に笑われながら言われ、漸く空港から出た。
結局亀一は車中では話してくれず、龍彦に失笑されながらしずかに必死にくっ付き、龍介は竜朗に抱えられて質問攻めに遭い、話せと促す事も出来ず、ホテルリッツのティールームで漸く話し始めた。
「実は唐沢が雷に打たれた。」
龍介の顔は真っ青を通り越して、真っ白な土気色の様な状態になり、倒れる寸前の様な状態になってしまった。
しかし、その顔色になってしまったのは他にも2人居て、真行寺と龍彦もそんな顔色になって、口々に言った。
「大変じゃねえかよ!龍介の嫁だぜ!?なんでさっさと言わねえんだ!」
と龍彦が言えば、真行寺も同様に言う。
「全くだ!見損なったぞ!きいっちゃん!」
「本当だよ!もう俺、すぐ帰る!」
龍介の心配症は遺伝である事が判明した。
しずかも深刻な顔になったが、3人よりは冷静だった。
「でもさっき、瑠璃ちゃんは、龍が心配するから言わないでって言ったって、きいっちゃん言ってたわ。命には別状無かったって事なのかしら?」
「その通り。命には別状無えの。ピンピンしてるぜ。お2人も落ち着いて聞いて下さい。」
瑠璃はその日もまた、母に頼まれた買い物をした帰り道だった。
夕方近くで、突然風が強くなりだしたと思ったら、雷を伴う酷い雨が降り出した。
近くのマンションの軒先を借りて雨宿りをしていると、自転車に乗った拓也も飛び込んで来た。
「あ、あなたは…。長岡君の…。」
「はい。弟の拓也です…。あなたは龍さんの…。」
潤む拓也の目に、首を捻る瑠璃。
「か、唐沢瑠璃と申します…。」
「唐沢さん…。龍さんを幸せにしてあげて下さい…。」
「は、はあ…。頑張ります…。」
瑠璃は拓也の気持ちなど知らないので、不可解極まりなかったが、一応そう返事をしておいた。
なんだか息が詰まりそうな雨宿りだったが、雷はかなり近くで落ちているし、1メートル先も見えない様なこの雨では、こうしているしかない。
なんとか雑談でもして息をしようと、瑠璃が話しかけた。
「拓也君、英、残念だったね。来年度の編入試験受けるのかな?」
拓也も合格間違い無しのはずだった。
しかし、試験当日、行きの電車の駅で、前を歩く巨漢の女性のピンヒールがポッキリ折れ、その女性が倒れた所の下敷きなってしまい、肋骨を骨折。
病院に運ばれ、気がついた時には試験は終わっていたという可哀想な事になってしまい、英1本で、他の私立は受験していなかったので、朱雀達と同じ地元の中学に入ったのだった。
「そのつもりだったんですけど、こっちものんびりしてて楽しいので、どうしようかなあとは思ってて…。」
「お友達とも離れなきゃだもんね。」
「そうなんですよね…。お兄ちゃんは仲良い人が英行ったからいいけど、僕は1人なんで…。」
「そっかあ…。それは嫌よね…。」
やっと会話が弾みだし、息も出来る様になってきた時だった。
雷が、一直線に空から拓也の自転車目掛けて落ちて来るのを見た瑠璃は、自転車を持っている拓也から自転車を離す為に、自転車を押した。
その時に雷が落ちてしまい、結局、拓也は無事だったが、瑠璃が自転車諸共雷に当たってしまったのだ。
「唐沢さん!うわあ、どうしよう!唐沢さん!大丈夫ですか!」
瑠璃は気絶してしまっている。
拓也はどうしたらいいか分からず、瑠璃を雨に当たらない所に引っ張りながら、優子に電話した。
優子が直ぐに救急車を呼んでくれ、亀一と2人で駆け付け、瑠璃の母に連絡したりして、そのまま病院について行き、処置が終わるまで、病院に居た。
「ああ、どうしよう…。僕を守る為に唐沢さんが死んじゃったりしたら、龍さんに会わせる顔が無いよ…。」
責任を感じて泣きじゃくる拓也だったが、瑠璃は精密検査までしたが、全く問題は無く、直ぐに気がつき、異常無しという事で帰された。
「本当に良かったわ…。でも、何かあったら、直ぐに言って頂戴ね?」
優子が念を押し、亀一も、
「龍の留守中、よりにも寄って、拓也を庇って貰って、お前になんかあったら、俺も龍に申し訳が立たねえ。本とに、どんな些細な事でも、異常があったら言えよ?」
と、言い含め、瑠璃と瑠璃の母を送って行き、3人も帰宅した。
異変が起きたのは、その日の夜中の事だった。
瑠璃は外から聞こえる叫び声で目を覚ました。
「にゃああ~!いい女じゃねえかあ~!嫁になれえ~!」
「この間、あの子にも同じ事言ってたじゃない!このドスケベ猫!」
「そんな事無いにゃあ!お前が一番にゃあ!」
「嘘つきにゃあああ!」
瑠璃は寝ぼけた頭で考えた。
ーこれはどう考えても、人間の言葉じゃないわよね…。
瑠璃の家は5階にある。
窓を開け、下を覗き見ると、確かに猫がじゃれている。
しかし、瑠璃の耳には、にゃあにゃあと、さかっている声では無く、ちゃんと言葉に聞こえている。
ー夢だ…。これはきっと夢なんだわ…。
しかし、容赦無く、今度は凄まじいヤクザな会話が耳に飛び込んで来た。
「てんめえ!ここは俺の縄張りだって言ってんだろうがよお!」
「ふざけんじゃねえ!ここは俺のシマにしたって言ったじゃねえかよ!出てけ、おらあ!」
「ふざけんなあ!てめえが出て行けえ!」
ーな、なんなの、これは…。どこにヤクザが…。
見ると、カラスが二羽、電線に止まって、じっと瑠璃を見ている。
「見てんじゃねえぞ、こらあ。」
「見世物じゃねえんだよ、ガキい。」
やはりカラスが言っている。
瑠璃は窓をビシャンと閉め、思わずしゃがみこんで、頭を抱えた。
ー何!?なんなの!?どういう事!?
ふと、ベットの上で一緒に寝ていたセーラを見ると、ムクっと起き上がった。
「どしたの、瑠璃ちゃん…。あたしまだ眠いんだけど、お散歩行くの?」
ーひいいい!セーラの声まで聞こえるー!
「ほら、そばに居てあげるから、もう一回寝なさいよ。後で起こしてあげるから。かもん。かもん。」
しかもセリフに合わせて、前足でベットを叩いている。
ーなんじゃこれはああああ~!取り敢えず寝よう!起きたら元に戻ってるかもしれないし!
しかし…。
「瑠璃ちゃん。起きて。ちょっとトイレ行きたいのよ。早くお散歩行きましょ。早く早く早く!」
取り敢えず、セーラに言われるまま寝てみたが、やはり聞き慣れない声で起こされた事で、セーラの声が聞こえている事が判明。
「うう…。セーラ…。」
「どしたの?悩み事なら後で聞いてあげるから、取り敢えずトイレ行かせて頂戴。」
「は、はい…。」
セーラに言われるまま顔も洗わずに家を出ると、今度は、木の上から声が聞こえて来る。
「ねえねえ、ここのマンションの2階の家さあ、いいよね。知ってる?」
「あ、知ってる!苺育ててるでしょ!?昨日も頂いちゃった!」
「あたしもー!今日も取りに行こうね!」
「ね!ネットも被せないで、バカな人間よね!」
「本とだよね!でもそのお陰で苺食べ放題だしい!」
「だねっ!」
ーチュンチュンかわいい雀さんと思ってたけど、こんなに性格悪かったんだ…。
お散歩中の顔見知りの柴犬に会う。
「おや、セーラさん。おはようございます。」
「おはようございます、ゴンスケさん。」
ーセーラとゴンスケさんは上品な挨拶で良かったわ…。
しばらく行って、今度はブルドッグに会う。
「お、セーラじゃねえかよ。」
セーラはこのブルドッグが嫌いらしく、いつもプイっとするが、今日もした。
飼い主とは挨拶し、別れると後ろからブルドッグの声が聞こえる。
「今日もいいケツしてんねえ。」
ーなんて下品でスケベなの!セーラが嫌うのも分かるわ!
思わず、セーラと共に瑠璃まで振り返り、ブルドッグ睨みつけてしまった。
飼い主が不思議そうに見ているので、慌てて立ち去る。
「セーラ、あの ブルドッグ、下品で嫌な奴だったのね!」
「そうなのよ!瑠璃ちゃんが分かってくれて嬉しいわ!」
しかし、こういう風にいい事ばかりでは無いし、何せうるさくて気が散る。
こうして見ると、意外と動物は多いらしく、しょっ中誰かの話を聞いている様な状態になってしまう。
ーううう…。セーラと話せるのはいいけど、このままじゃ困るわ…。
それに、歩いていて、突然カラスに、
「おい!そのスーパーの袋寄越しな!」
とか言われると、返事をしてしまったり、言い合いをしてしまったりして、かなり変な人にもなってしまう。
「お母さん…。どうしよう…。」
「それはちょっと普通の病院じゃダメでしょうね…。長岡さんに相談して、陸自の病院に紹介していただきましょうか。」
という訳で、瑠璃の母が優子に相談し、直ぐに寅次郎を紹介されて、行ってみたのだが…。
「あのー、脳の言語野の部分がですね、凄い活発に動いているのは分かるんです。でも、それだけなんですよねえ。雷に当たった事で、電流が流れ、脳にも間違った指令が行ってしまって、動物の言葉まで分かる位まで働いてしまっているんじゃないかとは思うんですが…。すみません。正直、治療法も何も、よく分かりません…。なるべく脳に栄養が行く様な食事を摂って、よく眠って、脳を休ませる様にして下さい。」
「ーと、こういう感じで、治療法は無く、唐沢は相変わらず、カラスのヤクザな会話やプレイボーイの猫の誘い文句を聞かされていると。」
命に別状は無くて良かったが、それはそれで苦痛だろうと、やはり龍介は心配した。
「とにかく…。それじゃ大変だ…。なんとか治す方法見つけようぜ…。」
「ああ。俺も拓也も申し訳なくて、なんとかしたいと思ってる。龍が帰国したら、仲間集めて、治療法探そうと思ってな。」
「うん。」




