そういえば、石鹸どうなった?
翌朝。
俺は約束通り、ダリオの店に来ていた。
作業台の上には、昨日ロイドが一日使った背負い鞄。
少し土で汚れた二号試作品を前に、俺とダリオは昨日聞いた問題点を一つずつ確認していく。
「まず外側の収納」
「走ったら開きそうになる、だったな」
「ちゃんと閉じるようにしたい」
「ここは留め方を変えりゃ何とかなる」
次。
中の仕切り。
「大きい物を入れると邪魔」
「なら全部縫い付けるのはやめるか」
「外せるようにできる?」
「できなくはないが、そこまでやると手間が増えるぞ」
「…………じゃあ邪魔になりにくい位置にする」
「最近、諦めが早くなったな」
「金がかかるって分かってきたからね」
「成長したじゃねえか」
褒められた。
たぶん。
あまり嬉しくない成長だけど。
「次、片方の肩でも持ちやすくする」
「ああ。それは肩紐の位置を少し変えてみる」
「最後に、上の持ち手」
「これは簡単だ」
ダリオが鞄の上を指す。
「ここに短い革を付けりゃいい。背負わずに持ち上げるだけなら、それで十分だろ」
「それ!」
「お前が言ったんだろ」
「形になって説明されると急に分かる」
「便利な頭してんなあ」
呆れられた。
◇ ◇ ◇
直す場所が決まると、ダリオが作業を始めた。
外側の収納をほどく。
肩紐を外す。
仕切りの一部も縫い直す。
俺は横で見ながら、ときどき口を出す。
「持ち手、もうちょっと大きくてもいいんじゃない?」
「分かった」
「肩紐はこっち寄り?」
「今試してる」
「外の収納は――」
「レイン」
「何?」
ダリオが針を持ったまま、俺を見る。
「ここから先は俺の仕事だ」
「俺、何かできる?」
「縫えるか?」
「無理」
「革を扱えるか?」
「無理」
「じゃあできることは?」
「…………応援?」
「帰れ」
「またそれ?」
ダリオが吹き出した。
「冗談だよ。けど、ここからはほとんど縫い直しだ。急いでも昼過ぎ……いや、夕方近くまではかかる」
「そんなに?」
「お前が直したいって言ったんだろ」
「そうだけど」
「夕方にまた来い。それまで好きにしてろ」
「ここで見てちゃ駄目?」
「三分に一回『できた?』って聞かないならな」
「そんなに聞かないって」
「昨日五回聞いた」
「まだ覚えてたの?」
「うるさかったからな」
仕方ない。
職人の邪魔をして完成が遅れたら、それこそ意味がない。
「じゃあ夕方ね」
「おう」
「変なふうにしないでよ」
「誰に向かって言ってんだ」
「50リルの鞄を作った人」
「だったら信用しろ!」
笑い声に追い出されるように、俺は店を出た。
◇ ◇ ◇
「さて」
夕方まで。
暇になった。
昨日みたいに市場を見て回ってもいい。
ハンスのところへ行って商売の話を聞くのもいい。
ミラのところへ行けば、たぶんパンを買わされる。
「何しようかな……」
背負い鞄について考えるのもいいけど、今はダリオが直している最中だ。
だったら。
別の商品でも――
「…………」
商品。
今作っているのが。
第二の商品。
「…………第二?」
何か。
ものすごく大事なことを忘れている気がする。
第二。
ということは。
第一。
「…………あ」
足が止まった。
「石鹸」
思い出した。
◇ ◇ ◇
セラ。
薬師。
石鹸。
試作。
確認。
製造。
「…………」
やばい。
完全に忘れてた。
いや。
完全に、ではない。
頭のどこかにはあった。
たぶん。
きっと。
「忘れてたな……」
認めよう。
セラに石鹸の作り方を見てもらった。
そして、セラ自身でも少量試してもらうことになった。
結果を見てから、製造を任せられるか話す。
そこまで決めて。
俺は第二の商品探しを始め。
背負い鞄を思いつき。
ダリオのところへ行き。
試作品を作り。
ロイドに使ってもらい。
その改良まで始めた。
「…………」
石鹸のこと。
ほぼ考えてなかった。
「まずい」
俺は薬師の店へ向かって歩き出した。
途中から。
ちょっとだけ走った。
◇ ◇ ◇
薬師の店の扉を開ける。
「セラ!」
「遅い」
「…………」
入って。
一言目。
それだった。
セラは作業台の向こうで、乾燥させた薬草を束ねている。
「何が?」
「何が、じゃないよ」
顔すら上げない。
「石鹸」
「あ」
セラの手が止まった。
ゆっくり。
俺を見る。
「忘れてたね?」
「忘れてません」
「じゃあ、いつ来るつもりだったの?」
「…………今日?」
「今思い出した顔で言うんじゃないよ」
怖い。
でも。
ちょっと笑ってる。
「ごめんなさい」
「素直でよろしい」
「結果、出た?」
「出てるよ」
「いつ?」
「三日前」
「…………」
「三日前」
「二回言わなくても聞こえたよ」
「三日も放っておいた人には二回くらい言っていいだろ」
何も言えない。
「なんで教えてくれなかったの?」
「なんで私があんたの家まで知らせに行くのさ」
「ですよね」
「こっちは仕事なんだよ。結果が気になるなら、自分で聞きに来な」
「はい」
正論しか飛んでこない。
◇ ◇ ◇
「それで」
セラは薬草を置くと、店の奥へ入っていった。
「こっち来な」
ついていく。
奥の作業台には、見覚えのある物が置かれていた。
「石鹸」
「そう。あんたに教えてもらったのを参考にして、私なりに試したやつ」
手に取ろうとすると。
「待った」
「何?」
「まず見る」
「…………はい」
「匂いは?」
「嗅ぐ」
「触るのは?」
「最後」
「よし」
なんか。
俺より扱いが慎重だ。
いや。
それが普通なのか。
「作ること自体はできたよ」
「本当?」
「ああ。ただし」
来た。
最近この言葉に敏感になってきた。
「そのまま大量に作って売る気はない」
「なんで?」
「前にも言っただろ。材料が毎回同じとは限らない」
セラは石鹸を指先で押しながら話す。
「灰も違えば、油も違う。状態を見ずに同じように作って、『前回うまくいったから今回も大丈夫』じゃ駄目だ」
「うん」
「それに、人の肌に使う物だ。売るなら、作った後の確認も必要になる」
前に言われたことと同じだ。
十個。
十五個。
俺一人で作って、一個ずつ様子を見るならまだできた。
でも。
百個。
千個。
もっと増えたら。
同じやり方では無理。
「でも」
セラが続ける。
「あんたの石鹸。商品としては面白いと思う」
「……本当?」
「汚れを落とす物はある。でも、日常的に手や体を洗うための物として、あの形で売ってる物はこの辺じゃほとんど見ないからね」
「じゃあ」
「条件が合えば、作ってもいい」
「よし!」
「話は最後まで聞きな」
「はい」
勢いで拳を握ったら怒られた。
◇ ◇ ◇
「まず材料」
セラが指を一本立てる。
「油は?」
「俺が買って持ってくる?」
「それでもいい。ただ、量が増えるなら私の仕入れ先から買った方が安くなる可能性はある」
「え?」
安くなる。
その言葉に。
俺の耳が反応した。
「どのくらい?」
「まだ分からないよ」
「調べられる?」
「食いつくねえ」
「大事だから」
「はいはい。次に仕入れの話をするとき聞いておくよ」
セラが少し笑う。
「次。灰」
「今はパン屋でもらってる」
「ミラのところ?」
「知ってるの?」
「この町、そんなに広くないからね」
そうだった。
「今の量ならそれでもいい。ただ、数を増やすなら安定して手に入る場所を探した方がいい」
「うん」
「最後」
セラが俺を見る。
「私の取り分」
来た。
一番怖いやつ。
◇ ◇ ◇
「いくら?」
「逆に聞くけど、あんた今いくらで売ってる?」
「ハンスにはまとめて卸してる。最初は十個で30リル。次の十五個は50リル」
「店では?」
「一個5リル」
「じゃあ私が作るなら、一個いくらまで出せる?」
「…………」
難しい。
材料費。
製造費。
俺の利益。
ハンスの利益。
石鹸一個5リル。
全員が利益を取ろうとしたら。
思ったより余裕がない。
「材料込み?」
「それも決めなきゃいけないね」
「うわ」
「商売するんだろ?」
「してるつもりだった」
「なら考えな」
セラが楽しそうに笑っている。
絶対。
俺が困ってるのをちょっと面白がってる。
◇ ◇ ◇
俺は木板を取り出した。
「まず、今までの材料費が一個1リル半くらい」
「ざっくりだね」
「父さんにも言われた」
「じゃあ、そこから作る人の手間が増える」
「うん」
「私が材料まで用意するなら、材料の値段も変わる」
「うん」
「それでハンスにも利益が必要」
「…………」
「そして、あんたも欲しい」
「欲しい」
「そこだけ元気だね」
「俺の商売だからね!」
セラが吹き出した。
「ははっ。まあ、そうだね」
しばらく二人で木板を見ながら話す。
いくらなら作れるか。
何個からならセラもやりやすいか。
材料をどちらが用意するか。
失敗した分はどうするか。
品質に問題があった場合はどうするか。
話せば話すほど。
決めることが増える。
「…………石鹸作ってた方が簡単だったな」
「じゃあ自分で作る?」
「それは嫌」
「即答だね」
「背負い鞄もあるし」
「背負い鞄?」
「あ」
そうだ。
セラにはまだ話してない。
◇ ◇ ◇
簡単に説明した。
第二の商品を探して。
荷物を抱えている人を見て。
背負い鞄を考えて。
革職人のダリオと試作品を作っている。
セラは黙って聞いていた。
「それで私のところに来るの忘れた?」
「…………はい」
「なるほどねえ」
「怒ってる?」
「別に」
セラは笑う。
「ちょっと呆れてるだけ」
「そっちの方が嫌だな」
「でも」
セラが作業台の石鹸を一つ持ち上げた。
「だから人に作らせたいんだろ?」
「え?」
「あんたがずっと石鹸を作ってたら、その背負い鞄とやらを考える時間はなかったんじゃないの?」
「…………」
確かに。
「一個作っていくら儲かるかだけ考えたら、自分で作るのが一番安い」
「うん」
「でも、自分で全部やってたら、一日にできることには限界がある」
「…………うん」
セラが石鹸を置く。
「私に金を払うっていうのは、石鹸を買うだけじゃない」
「じゃあ何を買うの?」
「あんたの時間」
「…………」
その言葉が。
妙に残った。
◇ ◇ ◇
自分の時間を買う。
前世では。
そんなこと考えたこともなかった。
金を払う。
物を買う。
それだけ。
でも。
誰かに仕事を任せれば。
その間。
俺は別のことができる。
石鹸を作っている間に。
背負い鞄を考えられる。
背負い鞄を作っている間に。
次の商売を考えられる。
「セラ」
「何?」
「お願いしたい」
「まだ値段決まってないよ」
「それはこれから決める」
「ちゃんと利益は減るからね?」
「…………」
それは嫌だ。
「その顔やめな」
「だって」
「自分で作らないんだから当たり前だろ」
「分かってるけど……」
「欲張りだねえ」
セラが笑う。
「まあ、商売するならそのくらいでいいのかもね」
なんだか。
少しだけ褒められた気がした。
◇ ◇ ◇
その日は、正式な値段までは決めなかった。
まずセラが、油を今より安く安定して仕入れられるか確認する。
俺はハンスに、これから石鹸をどのくらい扱えそうか聞いてみる。
作る数が分からなければ、セラだって製造費を決めにくい。
「仕入れ先に確認できたら話は進められるよ」
「分かった」
「その間に、ハンスのところ行ってきな」
「うん」
「今度は忘れるんじゃないよ?」
「忘れないよ!」
「石鹸を忘れた人が言ってもねえ」
「もう忘れないから」
「どうだか」
セラは笑いながら、俺の頭をぽんと叩いた。
「まあ、背負い鞄も頑張りな」
「うん」
「完成したら見せてよ。ちょっと気になる」
「欲しくなるかもよ?」
「値段次第だね」
「ロイドと同じこと言ってる……」
「そりゃそうだろ。金払うんだから」
やっぱり。
値段。
大事。
◇ ◇ ◇
店を出る。
石鹸。
忘れていた。
本当に。
かなり忘れていた。
でも。
そのおかげで。
少しだけ分かったことがある。
全部自分でやらなくていい。
むしろ。
全部自分でやらない方が。
もっといろんなことができる。
もちろん。
人に頼めば金がかかる。
俺の利益は減る。
「…………」
嫌だな。
でも。
その分。
時間が増える。
俺は腰の革鞄を軽く叩いた。
石鹸を作る時間で。
背負い鞄を売る。
背負い鞄を誰かに任せられるようになったら。
その時間で。
また次の何かを考える。
「これ……」
もしかして。
俺がやるべきなのは。
物を作ることじゃなくて。
「売れるものを考えることなのか?」
少しだけ。
商売のやり方が。
変わってきた気がした。
そして。
まだ夕方じゃない。
「…………ハンスのところ、行っとくか」
今度は。
忘れる前に。




