67、大惨事
どれくらいその場に立ち尽くしていただろうか?
ふと我に返って、当初の目的地であった調査室にノロノロと歩き出す。
……私も頭を冷やさないと。
ここ最近の寝不足も、さまざまな不安も全て私の判断を狂わせている。
焦りからか、言葉がきつくなった自覚はあった。
「ん? ユリオプスと、喧嘩でもしたの? そんな暗い顔してさ」
「……そんなんじゃないですよ」
調査室の扉を開けると、中で作業をしていたらしいクレオに声をかけられる。
なんでもないことのような彼の言葉に、なんとか返した声はあまりに力がない。
「そうかな? さっき、たまたま見ちゃったから」
「……え? 見てたんですか」
「うん。だって調査室の近くだし……通り道だから。ごめんね」
見られていた? 誤魔化す手もあったが、クレオの口ぶりからして本当に見ていたのだろう。
実際、通路で話していたのは私たちだ。こうして、素直に謝られては責める理由もない。
扉の前に突っ立っているわけにもいかず、目的も定まらないまま部屋の奥に進む。
「いえ、あの場所で話してた僕たちにも非がありますし」
「へえ? 君がユリオプスに構うのってなに?」
「調査班のペアですし」
「それだけじゃないのはさすがに分かるって」
ペンを置いたクレオが、当たり前のように問いかけた。
副団長信者の彼に、ユリオプスとの関係を素直に話すことはできない。
言葉を選ぶが、クレオも簡単に納得する気はないのか次の発言に目を光らせているようだ。
「教育係だったのはありますね」
「君さ、やっぱり、ユリオプスのこと誤解してない? 話せば分かる人って思ってそう」
今までのクレオの声よりも不気味なくらい平坦で、冷たいナイフの刃先のような鋭さを感じる響きに、息を呑む。
話せば分かる。たしかに、私はそう思っている。
全部は分かり合えなくても、話すことで変わる部分はあって欲しい。
「……誤解?」
「前の話の続きしよっか。君とユリオプスは違うって教えてあげる」
心臓がうるさいのか、頭の中がうるさいのか。嫌な焦りが、首筋を伝った。
ユリオプスの話はユリオプスから聞くべきだ。
彼に全てを話すつもりがあるかは別として、タイミングというものがあるはずだから。
「それは本人から……」
「ユリオプスは、アスター様の家を破滅させた元凶なんだよ」
「……え?」
私が言い終わる前に、クレオは淡々と言葉を被せた。
破滅とはなんだろう? ユリオプスが元凶?
違う、こんな話を聞いてはいけない。それなのに、この場から足が動かないのはどうして?
副団長は明確にユリオプスを嫌っている。その理由が、家を破滅させられた恨みなら憎悪は理解できてしまう。
でも、副団長だって、とんでもない計画を立てているはずで……。
「それで、ヴェルデ家はみんな死んだのに、たった一人生き残ってる。これってさ……どういうことだろうね?」
「何が言いたいですか?」
含みのある言い方をするとクレオは、ふふっと小さく笑った。
声が分かりやすく震える。取り繕わないと。でも、どうやって?
人懐っこさのあるクレオの笑顔が、空気に似合わず暴力的にすら見える。
「……アスター様はその悲劇の前に、亡くなったとされていたけどさ」
「え?」
話の全貌が掴めず、短く音が漏れた。
今の話は、副団長の計画を探るのに大切なはずだ。
それなのに、頭に入ってこないうえ、頭もまわらない。
「こうして、誰よりも高貴なまま騎士団の実質的なトップに立っている」
「……」
「ユリオプスとアスター様は格が違う。そして、君はアスター様に選ばれてる」
何も言えない私を気にもせず、クレオはつらつらと言葉を続ける。
そして、席から立ち上がって、静かに近づいてきたクレオの手が私の頬に伸びた。
ぬるい温度が私の頬に触れて、咄嗟に後ずさる。
「な、なにを……」
「違和感ない? 違うよね、君のいるべき場所」
私に向けられたクレオの笑みは、場に似合わないほどに人懐っこい。
一拍遅れて、そんなことない、と返す前に閉め忘れていたらしい扉が、キィと音を立てた。
「……カルミア? アンタ、今……ソイツからなにを、聞いて……」
扉の隙間から覗いた金糸すら、白く見えるほど顔の温度が抜け落ちたユリオプスの顔が目に飛び込んでくる。
途切れ途切れの掠れた声。何を映しているか分からない、空色が褪せた瞳。
分からない、どうしていいのか。そして、何が起きてしまったのかも。
「あれ? 今回は逃げなかったの?」
「……」
誰より先に声をかけたクレオの声は、世間話でもするような無邪気な音だ。
何も言わずに俯いたユリオプスが、背を向けた。
「……っ! ま、待って! ユリオプスくん!」
咄嗟に叫んで扉の方に駆け出す。去っていく彼を追って、扉を乱暴に開けた。
「……来ないでくれ」
廊下の奥に走っていったユリオプスが、私を一瞥してはっきりと告げた。
明確な拒絶の色に塗りつぶされた彼の瞳が頭から離れない。
「ほら、ユリオプス、逃げちゃったよ? カルミアさん」
「……直接聞きに行くので」
廊下の真ん中で立ち止まった私に、後ろから声をかけたクレオは私の横まで来ると肩をすくめた。
言いたいことはあるが、今は彼の相手をしている場合ではない。
……ユリオプスを追いかけないと。
「カルミアさんって、もしかして……わりと意地悪?
聞かないであげたほうがいいんじゃない? 君に知られたくなかったんだよ」
視界の横に映っていた彼に視線を向ければ、またあの含みのある琥珀色の瞳が細められた。
違う、ユリオプスはきっと他人から話されたことのほうが嫌だったはず……それとも、本当に知られたくないだけ?
「それでも……僕は、聞きに行きます」
ぐちゃぐちゃに絡んだ思考を振り払うように足を進める。
「……ま、それがいいね。ユリオプスも可哀想に」
嘲笑うようなクレオの声を背にして、もう一度走り出す。
……もう、かなり時間が経ってしまっただろうか?
それでも足を止めずに走り続ける。
長い廊下の突き当たりの先は分かれ道だ……彼は、どちらに行ったのだろうか。
「……あっ」
思考に気を取られたのがいけなかったのか身体が不意にバランスを崩した。
「いたっ……」
受け身は取れたものの、勢いを殺しきれず冷たい床に倒れ込んだ。
訓練や魔物との戦闘に比べたら大したことないはずの痛みが、妙にじんと痛む。
「大丈夫か?」
立ち上がろうとした瞬間、目の前に差し出された手を視線で辿れば、鋭い紫の瞳がこちらを見下ろしていた。
「……アスター……副団長」
「廊下を走るのは危険だ」
「すみません」
呼吸が整わない私から出た途切れた呼び名だったが、彼の表情は変わらない。
謝りはしたものの、この状況をどうしようか。
差し伸べられた手を掴めないまま、途方に暮れそうな頭を必死に動かす。
「ユリオプスを、追っていたようだな」
「……はい」
感情の読めない副団長の声に、誤魔化す手立てもなく頷く。
「嘘をつかなかったのは褒めてあげよう。賢くなったようだ」
「……」
「私を欺くのはやめたのか?」
甘くない声で問いかけた副団長は、差し伸べていた手を引くと、視線を合わせるように私の目の前にしゃがんだ。
「なにを言って……」
「私が怖いのだろう? 従ったふりをすれば誤魔化せると思ったか?」
……バレている。
なんとか誤魔化せていると思っていたが、甘く見すぎていたらしい。
油断したつもりはないが、彼は私を侮っているから大丈夫だと高を括っていたのも事実だ。
床が冷たいのか、自分の体温が下がっているのかすら分からない。
「誤魔化すつもりはありません」
「どんなつもりかは部屋で話を聞こう。それとも、ユリオプスを追うか?」
私の頬にクレオよりずっと熱い手が添えられた。私の返事などさらさら信じていないのだろう。
炎魔法で簡単に殺せるぞ、という脅しのようだ。
手の温度とは程遠い、冷たい声色は私に問いかける。
無理だ、誤魔化せない。
泳がされていたと今さら自覚したところで、どう返せばいいのか。
「……追っていいですか?」
全面的に副団長を騙すのはもう無理だろう。そして、疑問が湧いたのだ。
副団長の選ばせる気のない二択に反抗してみたらどうなるのかを。
「だめだな」
「ですよね」
ダメ元だが、ダメだった。
目の前の気配が僅かに、揺れた気がする。
想定外の発言だったのか、即答した割に副団長の表情に小さく困惑が見えた。
「君は随分、優しい性格のようだ。奴にも情が湧いたのだろう? 君の気持ちを否定するつもりはない。だが、現に君は、こうして傷つけられたと思わないか?」
「傷つけたのは僕のほうです」
困惑したのも一瞬で、副団長はいつものように支配構文を詠唱している。
……ここも少し反抗してみるか。
「なるほど。そうか、悪くない考え方だ」
「……え」
副団長は私の頬に触れたまま、口だけで笑みを浮かべる。
これは想定内だったのか、想定外だったのか分からない反応だ。
すると、副団長はさらに顔を近づけて口を開こうとする。
「調査班はやめて、私の補佐になるか?」
「え、嫌ですけど……あ、やべ」
混乱していたとか、寝不足とか、焦りだとか、言い訳は後からたくさん出てくる。
……そう、私は反射的に大失言をしたのだと、見たことないほど目を丸くした副団長を見て気づいたのだ。




