第33話 楠木の跡目
正平二十三年(一三六八年)十二月三十日、その日の京は、鴨川の淀みも凍るほど、底冷えする寒さであった。
先の将軍、足利義詮の喪が明け、世継ぎの足利義満は、京の朝廷より征夷大将軍に任じられた。この日は大晦日、十二歳となる前日のことである。
内裏での将軍宣下の儀式が終わり、義満は幕府管領の細川頼之と、近臣の伊勢照禅(貞継)を伴って将軍御所に戻っていた。たくさんの火鉢で温められた部屋は外の寒さを忘れさせた。
義満の前には、紫紺の染衣を纏った尼が、将軍に臆することなく、まっすぐ目を向けて座っている。
「義満殿、おめでとうございます。さぞかし、宝筐院殿(足利|義詮)も喜んでおられることでしょう」
「母上、ありがとうございます。されど、将軍宣下は疲れました。この先もこのようなものかと思うと、あまり、めでたくもありませぬ」
少年らしく義満は、窮屈で退屈な儀式に対し口を膨らませた。
母と呼ばれた尼は義満の実母ではない。義詮の正室、渋川幸子である。今は髪を下ろし、大方禅尼と呼ばれるようになっていた。
義詮との間に生まれた嫡男、二代目千寿王は、五歳で夭折してしまい、その後、子を授かることはなかった。しかし、足利一門の貴種、渋川氏の家格の高さと、彼女自身の聡明さから、実子を失っても、その地位に陰りはない。義満の実母、北向禅尼(紀良子)を押しのけて、母として振る舞っていた。
「義満殿、貴方は千寿王に代わって足利家を継いだのです。亡くなった兄君を悲しませるようなことがあってはなりませぬよ」
そう言って、頼之に目配せをする。
「左様でございます。御所様、お若いとはいえ、全ての武家を従えて下知されるお立場。このようなことで音をあげていたのでは、この先とても務まりませぬぞ。まずはその手をお仕舞いください」
「やれやれ、武蔵守(頼之)も厳しいのう。御父上でもわしにそのようなことは言わなんだ」
そう言いながら、義満は火鉢にかざしていた手をそっと戻した。
「それと『わし』ではございません。将軍の威厳を保つためにも、御自分のことは『余』とお呼びくだされ。伊勢守殿(照禅)、行儀作法をしっかりとお頼み申しますぞ」
「照禅殿、この尼からもお頼みいたします」
「大方様、武蔵守様(頼之)、承知しております」
照禅は二人に目を配り、神妙に頭を下げた。足利尊氏・義詮にも使えてきた照禅はこの時、六十歳。他の者たちから一目置かれる存在であったが、禅尼も頼之も、その照禅に臆しなかった。
「武蔵守、判った、判った。もう、伊勢を責めるでない。余が改めよう……」
と言いながら、義満は姿勢を正して背筋を伸ばす。
「……ところで、武蔵守、全ての武家を従えてとそちは言うが、楠木はどうなったのじゃ」
「そのことであれば、ご安堵下れ。着々と進んでおります」
落ち着き払った顔で、頼之は口元を緩めた。
年が明けて正平二十四年(一三六九年)一月二日。楠木党は天野山金剛寺の南にある国見城から、幕府軍が撤退した赤坂に戻っていた。
正月を迎えて、正儀は急に思い立ったかのように、十五歳の嫡男、持国丸と、津田武信の遺児で猶子とした十四歳の正寿丸に元服の儀を執り行う。
正儀の舎弟、楠木伊予守正澄が、烏帽子親として侍烏帽子を持国丸の頭に載せ、頂頭懸を顎の下で結ぶ。
「持国丸、よい顔をしておるな」
「叔父上、ありがとうございまする」
微笑む正澄に、持国丸は神妙な顔で頭を下げた。
上座から正儀が書き物を掲げ、持国丸に見せる。
「持国丸、そなたは今日より、楠木小太郎正勝と名乗るがよい」
「はっ。父上、ありがとうございます。よりいっそう精進致します」
持国丸改め小太郎正勝は、期待に胸を弾ませた。母の徳子も目を細めて、我が子の成長を喜んだ。
通名の小太郎は、すでに正儀の嫡養子であった楠木正綱に太郎の名を与えていたからである。正綱が東条を出奔してからは、この正勝が楠木の跡目であることは、周知のことであった。
続いて、正澄が正寿丸の頭にも侍烏帽子を載せた。
続けて正儀は、新たな名を記した書き物を掲げる。
「正寿丸、そなたは今日より、津田六郎正信じゃ」
「はっ。ありがたき幸せ。それがしもいっそう精進致します」
広間の外からは、徳子の侍女、妙が正寿丸の母に成り代わり、元服の儀式を見守った。この時、すでに正寿丸の母は病で亡くなっている。二人の元服した姿を目にした妙は、我が子の元服かのごとく、感極まって涙を流していた。
その夜、正儀は家臣とともに、ささやかな宴を開く。
徳子は厨に入り、我が子のために手料理を作った。
「さ、奥方様が自ら御造りになった御膳でございますよ」
妙たち女衆が料理と酒を運んだ。
まだ六歳の正儀の娘、式子も皆の元へ料理を運ぶ。
「父上(正儀)、肴でございます」
「おお、これは式姫様自ら。この河内、恐縮至極でございます」
いつになく、正儀は陽気な姿を皆に見せた。
数日後、正儀は元服した嫡男の楠木正勝をはじめ一族と、河野辺正友をはじめとする主だった家臣を集める。
さらに、徳子や次男の如意丸ら家族までもが広間に呼ばれた。女こどもまで集められるのは異例のことである。徳子は先日の宴における、いつになく陽気な正儀の姿が気になっていた。
広間の上座から、正儀がゆっくりと皆の顔を見渡す。
「皆の者、よく聞いてくれ。わしは君臣和睦、帝と将軍が和睦し、南北朝廷が一つになり、戦乱の世を終わらせることこそが、武家にも公家にも、そして民百姓にも安寧をもたらす唯一の道と思うておる。我が父も兄も、帝への忠義を貫き討死した。わしとて帝への忠義はいささかも変わるものではない」
「兄者の忠義は、この四郎をはじめ、ここに居るものは皆わかっております」
ただならぬ正儀の様子に、舎弟の楠木正澄が思わず声をかけた。
「うむ、わしは忠義を貫くために、帝をも苦しめる乱世を終わらせたいのじゃ。今のままでは我が朝廷(南朝)は滅亡してしまうであろう。何としても、これを食い止めねばならん。されど、わしは帝(長慶天皇)より、幕府へ降ったと疑われ、行宮への出仕を禁じられた……」
一瞬、皆の顔を見回して、正儀が言葉を溜める。
「……これ以上、宮方(南朝)から和睦を実現することは不可能じゃ。わしは幕府の側から和睦を実現し、帝を京へお迎えしようと思う」
その言葉に、皆が驚嘆する。正勝を初めとするこどもらは、最初、父が何を言っているのか理解できなかった。一方、徳子は正儀の覚悟を薄々わかっていたものの、やはり、聞きたくはない言葉であった。
「何と、三郎兄者(正儀)は幕府に降ると言われるか。帝に疑われたからか。冷静な三郎兄者らしくないではないか」
皆が絶句する中、従弟の楠木正近が、眉を釣り上げて、正儀に詰め寄った。
「小七郎(正近)、誤解するでない。わしは帝に疑われたことに腹を立てているのではない。熙成親王が帝であろうと、寛成親王が帝であろうと、帝に対するわしの忠義に偽りはない。されど、和睦を実現させるため、今のわしの立場では動けることはなくなってしもうた。わしにとっては、このまま今の立場に甘んじて、幕府との戦を延々と続けて朝廷(南朝)の滅亡を見届けるか、裏切り者のそしりを受けても幕府に降り、幕府側から和睦を進めるかじゃ」
言い分は、皆、理屈ではわかっていた。しかし、南朝に背を向けるということは、楠木家にとって理屈ではなかった。
「兄者が幕府に降って、はたして幕府の中で何ができるというのか。今まで敵であった楠木の意見など、幕府の誰が聞くのじゃ。兄者の言っていることは、欺瞞ではないのか」
実の弟である正澄は、遠慮せずに厳しく言い放った。
正儀はじっと感情を押し殺す。
「四郎のいうことはよくわかる。そのように思われることは覚悟の上。されど、わしが幕府の中で何もできなかったとしても、楠木が宮方から離れること自体が和睦に繋がるのじゃ」
正澄は怪訝な表情を向ける。
「どういうことじゃ」
「楠木の名は我らが思うておるよりずっと大きい。楠木が幕府に降ることで、多くの宮方の諸将は迷うであろう。そして、幕府に降る者も出よう。幕府に降らなくとも、兵を出すことを躊躇する者も出て来よう。帝を担ぐ武将が減れば、帝に残された道は、和睦しかなくなるのじゃ」
「されど、兄者。それは一種の賭けじゃ。もし幕府が、力の亡くなった朝廷(南朝)を滅ぼそうとしたらどうするのじゃ」
正澄の懸念は晴れなかった。
「わしは、実際に幕府管領の細川頼之と会うて、帝を滅ぼそうとの考えがないことが判った。そもそも、そのようなことがないように、楠木が幕府の軍門に入るのじゃ……それと……」
「それと何じゃ」
「それと、万が一、幕府に帝(長慶天皇)を滅ぼそうとの動きがあれば、我ら楠木が命をかけて幕府と戦おうぞ」
兄の話を聞き終えて、正澄は大きく息を吐いてから一同に向けて語りかける。
「兄者の言うことは、楠木を正しい道へ導いているのかわからん。されど、わしは弟として、それが地獄へ続く道であっても、兄者に従い、支えようと思う」
「四郎(正澄)殿まで……」
従弟の正近は絶句する。沈黙が一同を包んだ。
「仕方がない……わしも従おう」
苦汁の表情で正近も同意した。
しかし、怒りに満ちた言葉を正儀に投げかける者がいた。正儀の次男、如意丸である。
「父上は将軍の家来になるのか。それは裏切り者ではないか。そのような父など、見とうはない」
数え八歳の如意丸は大声で正儀を謗った。そして、泣きながら広間からかけ出していった。
「殿、申し訳ございませぬ。すぐに連れ戻します」
徳子が立ち上がり、如意丸の後を追おうとする。
「行かずともよい。気がすむようにさせてやれ」
正儀の言葉で、徳子はその場に力なく座り込んだ。代わりに、妙が如意丸の跡を追った。
跡継ぎとして、上座で正儀の隣に座る嫡男の正勝が、正儀に向けて居住まいを正す。
「父上、それがしとて如意丸と同じ思いです。父上のお気持ちはわかりますが、将軍の家来になることは違うのではございませぬか。まして、幕府軍に攻められた後であれば、世間には、力に屈伏したようにも映りましょう」
如意丸の言葉が、楠木正勝の胸のうちを吐露させた。
見かねて、正澄が正儀に代わって口を開く。
「小太郎(正勝)、お前の気持ちはこのわしもようわかる。されど、兄者(正儀)は、この先の和睦の道筋が見えておるのであろう。われら身内が兄者の味方にならねば、誰が兄者を援けようか。信じて付いていこうではないか」
一人、京で育ち、遅れて楠木党に加わった正澄は、常に己が楠木のために何ができるか、考えて生きていた。それは、二十年も昔、兄、正儀と交わした約束であった。
若い正勝は、常に楠木党の融和に気を配ってきた叔父、正澄の言葉を重く受け止める。しかし、多かれ少なかれ、皆、正勝と同じく、割り切れない思いが心の中に渦巻いていた。
その夜、寝所で正儀は、寝間の支度をする徳子に語りかける。
「如意丸の様子はどうじゃ」
「よほど悔しかったようで、夕食も食べずに床に入ってしまいました」
「そうか……」
続く言葉が正儀には見つからなかった。
「お気に召されますな。まだこどもです。いずれ殿のお考えがわかる時が参りましょう」
徳子は無理に笑顔を作って見せた。
その気色を正儀が窺う。
「お前はどうなのじゃ。わしのことを許せるのか」
「許せませぬ……と言うたらどうなされますか」
そして、厳しい顔を向けて沈黙する。しかし、すぐに精一杯の笑顔を見せる。
「戯言にございますよ。私も四郎殿(楠木正澄)と一緒にございます。正しいか正しくないかはわかりませぬ。正直、聞きとうはない言葉ではございましたが……されど、地獄であろうと殿についていくだけにございます」
そう言うと、徳子は正儀に向けて優しく頷いた。
京の三条坊門第。将軍の元に出仕した細川頼之は、渡り廊下で前将軍の正室、大方禅尼(渋川幸子)に呼び止められる。
「これは、大方様。ご機嫌麗しく……」
「管領殿、今日はいかがなされましたか」
挨拶も終わらぬうちから、好奇心に満ちた瞳で禅尼が問い掛けた。
「は、御所様(足利義満)に、楠木との折り合いについて献言に参りましたところ」
「折り合い……それはどのように」
何かと政に口を挟む禅尼に、頼之は躊躇する。
「それは……まだ、御所様にもお話しておりませぬので」
「真面目な御方ですね。されど、義満殿はまだ子ども。管領殿を信頼していないわけではありませぬが、お一人の意見で政が動くようなことがあってはなりませぬ。伊勢守殿(伊勢照禅)ともよくお話して、大事を進めるようお願いします」
「は、承知つかまつりました」
頭を下げる頼之に、大方禅尼が口元を緩める。
「わらわが先代の室とならねば、頼之殿に嫁いでいたやも知れぬ仲ではありませぬか。今度、わたしにも世情をお聞かせ下され」
これに頼之は戸惑った表情を返す。
「それは親が求めた縁談。今は御立場が違います。どうか、お忘れ下され」
折角、投げ掛けた二人の思い出さえ往なされた禅尼だが、微笑みで応じる。
「まあ、わらわは忘れはしませぬよ。夫婦になることこそ叶いませなんだが、今度は父として、母として、共に義満殿を御支え致しましょうぞ」
そう言うと禅尼は振り返り、すうっと笑顔を消して、その場を後にした。
正儀は河野辺正友を連れて、四天王寺に出向いた。その御堂で正儀を待っていたのは、細川頼之の舎弟、細川頼元と、赤松光範であった。
頼元が御教書の入った文箱を正儀の前に差し出す。
「これが、楠木殿の幕府参来をお許しになった将軍の御教書にございます」
「これはかたじけない。慎んでお受け致します」
正儀は両手で文箱を持つと、頭の上で掲げ、仰々しく一礼をする。それから前に置き直し、文箱の紐を解いて中の御教書を広げた。
「将軍は、楠木殿を南方のときと同じく、河内国と和泉国、さらに摂津国住吉郡の守護職に任じられました。国司職も御家来衆を含め、従来の任国がそのままとなるよう、極力手を尽くそうと申されておる」
所領を伝える頼元に、正儀は深々と頭を下げる。
「これは過分な御配慮、痛み入ります」
「我が兄、細川武蔵守(頼之)は、楠木殿の御参陣をおおいに喜び、再会を楽しみにしております」
横から光範が口を開く。
「それにしても、楠木殿、よく御決心された。我が叔父、播磨守も、まさか楠木殿が将軍の元に参陣されるとは思いもよらなかったと申しておりました」
光範の叔父、播磨守こと赤松則祐は、かつて、大塔宮護良親王に仕えた近臣であったため、常に南朝のゆく末を気にかけていた。
「播磨守殿にまで気にかけていただき、かたじけのうございます。まさか、このような日がくるとは、それがしが一番驚いておりまする。されど、それがしが幕府に降ったのは、あくまで君臣和睦。京と南の朝廷を一つとし、帝と将軍の和睦を進めんがため。そのこと、くれぐれも管領殿(頼之)に、よしなにお伝えくだされ」
「楠木殿、もちろん承知しております。我が兄とて、それを望んでおりますゆえ楠木殿をこうして引き入れたのでございます」
約束を反故にされる気配がないことに、正儀は正友に向けて安堵の表情を浮かべた。
二月七日、四天王寺で将軍の御教書を拝領して、南河内の楠木館に戻っていた正儀の元に、河野辺正友が駆け込んでくる。
「殿、た、大変でございます」
ただならぬ様子に、正儀は胸騒ぎを覚える。
「又次郎(正友)、いかがしたのじゃ」
「殿、幕府が将軍の名の元に、楠木の幕政参与の御触れを出しております。河内・和泉・摂津の三か国に、楠木が幕府に降り、幕府の元で守護職に任じられたと……」
苦々しい表情を浮かべて、正友が話を続ける。
「……楠木一族の結束が固まるまで、しばらく、伏せておくとのことでありましたが、約束は反故にされたものかと」
腕を組んだ正儀が、軽くため息をつく。
「無理もないやも知れぬ。もともと幕府が楠木を味方に付けたのも、楠木が幕府に降ったと喧伝したいがため。いつまで伏せておくことは、例え管領殿(細川頼之)とて難しかったのであろう」
「されど、この先が思いやられます」
「もう後戻りはできぬ。もしかすると、管領殿が我らを後戻りできぬように仕向けたのかもな」
正儀は正友に、苦渋の表情を見せた。
続いて、舎弟の楠木正澄も飛び込んでくる。
「兄者、大変じゃ」
「幕府の御触れのことか」
「何じゃ、すでに知っておったのか」
「たった今、又次郎(正友)から聞いたところじゃ。楠木が幕府に参与したと、将軍の名の元に、御触れが出ているのであろう」
しかし、正澄は首を横に振る。
「兄者、それだけではないぞ。大和の越智家高殿の元に書状が送りつけられた。楠木が降参したからには、越智も続いて降参せよとの内容であったそうじゃ」
正儀と正友は、共に難しい表情で互いの顔を見合わせた。
「越智殿に送られているということは、南方の全ての武将に書状が送り届けられたと考えてよさそうでございますな」
額に手を当てた正友が、そう言ってふうっと息を吐いた。
これは正儀にとって厳しいことであった。楠木の幕府参陣を不服とする南方の武将が、兵を挙げて赤坂に押し寄せてくる可能性が増したということである。
しかし、正儀にはそれより心配なことがあった。楠木一族と家臣の結束にひびが入ることである。すでに正儀の次男、如意丸は、正儀に対してめっきり口数が少なくなっていた。嫡男の正勝とて、口にこそ出さないが、胸のうちに思いを溜め込んでいるであろうことはわかっていた。
幕府の御触れと南朝諸将への降服勧告の件は、徐々に館の中にも伝わる。館のあちらこちらでひそひそと話し込む者たちが増えていった。しかし、皆、正儀の姿を目に留めると、話をやめて罰が悪そうに立ち去った。
正儀の息子たちへも噂は伝わる。館の庭では、楠木小太郎正勝と津田六郎正信が、木刀で手合わせしていた。その二人を、如意丸が庭の石に座って眺めている。
「なあ、小太郎兄者(正勝)、楠木が幕府に降ったと知った賀名生の帝(長慶天皇)はどうするのであろう」
「如意丸、お前が心配することではない」
「帝が兵をもって討伐にくれば、兄者たちは戦うのか」
如意丸の問いに正勝は答えることができなかった。
だが、一方の正信は、木刀を手に躊躇なく答える。
「戦うさ。たとえ帝の軍であろうと、父上の命あらば」
「六郎兄者(正信)、帝に手向かえば逆賊じゃぞ。我ら楠木が逆賊と呼ばれてよいのか」
目を丸くする如意丸の問いかけに、正信は構えた木刀を降ろす。
「如意丸、楠木が逆賊というが、それは一方からみればであろう。他方からみれば逆賊ではない。幕府は幕府で京の帝(後光厳天皇)をいただいておるのじゃ」
そう言って再び木刀を構えた正信に対して、今度は正勝が木刀を下げる。
「六郎、そのようなことは如意丸とてわかっておる。されど我らが信じてきたのは後醍醐帝の御血筋じゃ。小七郎殿(楠木正近)のお父上(楠木正季)が言うたという七生滅賊。後醍醐帝にとっての朝敵を討つために……後醍醐帝の御血筋に我らは奉公して参ったのじゃ」
思慮深い正勝が感情を露にした。
再び正信は木刀を降ろす。
「では、小太郎兄者はどうせよと申される。帝の兵に囲まれれば、降服して開城されるのか。それとも父上を捕まえて、差し出せとでも言われるか」
「六郎(津田正信)、口に気をつけよ」
正勝は木刀を持って、無防備な正信に打ち込んだ。正信はすんでのところで木刀を構え直し、これを受け止めて押し返す。
「不意打ちとは卑怯なり」
今度は、正信の木刀が、正勝が構える木刀を打ち据えた。
二人は退くことなく、激しいつばぜり合いを行い、強く討ち合った。互いの木刀が相手の肩や腕を撃ち、双方が苦痛で顔を歪めた。
「兄者、やめてくれ」
如意丸が大声を出した。しかし、二人の意気は上がり、容易に収拾が付かない。
「何をしておる。二人とも止めい」
大声に一瞬、二人は肩をすくめた。二人の間に割り込んだのは義兄の篠崎二郎正久である。
「二人とも、どうしたというのじゃ」
問いただす正久の前に、如意丸が駆け寄る。
「わしがいけないんじゃ。帝の兵が攻めてきたらどうするかと聞いたから……」
強張った顔で如意丸が正久に訴えた。
「帝が兵を挙げても、お前たち二人が戦っていては世話はない」
「じゃが、二郎兄者(正久)だったらどうするのじゃ」
納得できない様子で正信が、正久に問うた。
「さあな、そのときにならんとわからん。一つだけ言えることは、わしらが争っている場合ではないということだけじゃ」
正久の言葉にも、正勝と正信は興奮冷めやらぬ様子で互いを睨んだ。そして、正勝は木刀をその場に投げ捨てて、館の中に入っていく。その後姿を目で追った正久は、溜息をついて、ゆっくりと木刀を拾い上げた。
息子たちの様子を、徳子は館の影から息を殺して見ていた。正勝と正信の争う姿に、徳子は今の楠木党を見る思いがした。聡明な徳子をしても、どうしてよいかわからなかった。
帝(長慶天皇)が動座した賀名生の行宮では、正儀が幕府に降ったことに、上へ下への大騒ぎとなっていた。
内大臣の北畠顕能や、大納言の四条隆俊らの強硬派は、正儀の申し開きを信用していたわけではなかった。しかし、改めて幕府に降ったことが伝わると、やはり、驚きを隠せないでいた。
顕能や隆俊ばかりではない。宮中の者たちは、楠木を朝廷の守護神と思っていたところがあり、いくら厳しいことを言っても、正儀は南朝を離れることはないと甘くみていた。
正儀が幕府へ降ったことで、南朝の最初の難題は、河内国と和泉国の守護の後任をどうするかということである。内大臣の顕能は、正儀に断固とした態度を示すために、早く後任を決めるべきと朝議を開いた。
「楠木の後任は、和泉守(和田正武)をおいて他にない。関白様(二条教基)、早く御裁決いただき、和泉守を河内・和泉の守護にも任じていただきたく存じます」
大納言の隆俊は、列席した他の公卿など無視して関白左大臣、二条教基に詰め寄った。自らの元に参じた和田正武を河内・和泉の守護とすれば、朝廷での自らの地位も磐石である。
一方、正武自身は、七生滅賊の遺言に従って、楠木党を導ければそれでよく、自身の野望は露ほどもなかった。
「四条卿、まあ、待たれよ。他の者たちの意見も聞いてみようではないか。意見のある者は申されよ」
廟堂を仕切る教基に促され、大納言の阿野実為が口を開く。
「和泉守は楠木一門の重鎮なれど、楠木正成の血を引いているわけではありませぬ。河内・和泉の守護から正成の血脈が絶えることは、畿内、いや諸国の武将たちへの影響が計り知れないかと存じます」
実為の意見に、公卿たちがざわついた。仕来りを重んじる公家たちは敏感であった。
「その血筋が幕府に降ったから困っておるのです」
隆俊は苛立った。左遷を免れたとはいえ、実権を失った実為が、意見を述べること自体に嫌悪感を感じていたからである。
「阿野卿、楠木正成の血筋が残っておれば、四条卿とて和泉守の名を上げることなどありますまい。正儀の息子たちはいうまでもなく、舎弟の伊予守(楠木正澄)とその息子たちも東条で正儀と行動をともにしておると聞く。次に近い血縁といえば、正儀の従弟、飛騨守(楠木正近)であるが、これもしかりじゃ。結局、誰も居らぬではないか」
内大臣の顕能が、隆俊を援護して、実為をたしなめた。
「いや、居りまする」
実為の言葉に廟堂はざわめいた。実為と志を同じくする参議、六条時熙さえも驚いて、実為に視線を向けた。
苦々しそうに隆俊が実為に詰め寄る。
「そのような者、居るはずはなかろう」
「いえ、確かに居りまする」
自信ありげに実為は一同を見渡した。
この年の桜も散り始めた三月初め、思わぬ人物が賀名生の行宮に呼び出された。男が廟堂の下座から御簾越しの帝(長慶天皇)に向けて顔を上げる。そこには姿を消していた正儀の甥、楠木正綱の顔があった。
正綱は、正儀の兄、正行の嫡男である。楠木正成や正行から幼名の多聞丸を受け継いだ、真の楠木嫡流といえた。
和田正武を推挙した四条隆俊であったが、楠木嫡流の守護拝命には、さすがに異を唱えることはできなかった。
東条を出奔して姿を消した正綱は、大和、そして紀伊に赴き、しばらく放浪した。しかし、ゆく当てに困り、幼少の折に自分を養育した紀伊国橋本の橋本正茂を頼った。
驚いた正茂は、東条の正儀へ内々に相談する。これに正儀は、正茂に頭を下げて、正綱のことを託した。しばらく正綱を館に匿った正茂であったが、橋本本家、正高と相談して、嫡子を亡くした分家筋の嫡養子とする。もちろん、正儀も陰で動いていた。
泉南(和泉国の南部)にある橋本の分家に入った正綱は、名を橋本正綱と改め、その地で地力を養っていた。
「御簾を上げよ」
帝が側近を促すと、するすると御簾が巻き上げられた。
蔵人より、名乗りを求められた正綱は、尊顔を直視しないよう、顔を伏せたまま神妙に応じる。
「橋本太郎正綱、お召しにより、参内つかまつりました」
「橋本正綱、そちは裏切り者の叔父、楠木正儀と決別し、朕の元へ参じた。その心掛け、あっぱれである」
「ははっ」
「そちの名、正綱は、逆賊、正儀が付けた名であろう。朕がそなたに守護としてふさわしい名を与えよう」
そう言うと、帝は内大臣の北畠顕能に視線を送った。
促されて、顕能が書き物を掲げる。そこには『正督』の名が記されていた。
「これは、『まさただ』と読む。『正』は楠木の通字、そして『督』には過ちを取り締まり、ただすという意味がある。そなたは今日より、御上に賜った正督の名で、過ちを起こした正儀をただすのじゃ」
「はっ。謹んでお受けいたしまする。頂戴した名に恥じぬよう励みまする」
楠木正綱改め橋本正督は、帝から下された名を神妙に受けた。しかし、正儀への憎しみが籠った名に、正督は内心戸惑っていた。
続いて蔵人が奉書を掲げる。
「橋本太郎正督を正五位下、民部大輔とし、河内・和泉両国の守護たらしめん」
「ははっ。ありがたく拝命つかまつります」
正督は、宣下を畏まって受けた。民部大輔とは、土地や租税を扱う民部省の長である。
楠木家を捨てた橋本正督は、これまで、橋本の分家筋の養子に過ぎなかったが、この除目で本家筋の橋本正高はおろか、一気に楠木・和田一族をも従える立場となった。
「今日からは、そなたは民部大輔である。頭を上げよ」
関白、二条教基の声に正督は、そろりと顔を上げる。
「そなたは、楠木の名に復すつもりはないのか」
教基のみならず、多くの公卿が楠木の名を期待していた。南朝で楠木の名は特別な存在である。それだけ、正成・正行・正儀の楠木三代が残した功績は大きなものであった。
「それがしは一度、楠木の名を捨てた者にございます。それに、今や楠木は朝敵にございます。もし、それがしが楠木の名に復すときあらば、それは、朝敵の首を捕った後にございます。今は、橋本の養父に報いるためにも、守護職に橋本の名を刻みたく存じます」
迷う素振りを見せることなく。正督は言い放った。
「左様であるか……」
正督の強い意思を確かめると、教基も口を閉ざした。
育ての親とも言える正茂はすでに鬼籍に入っていた。その正茂のためにも、また養子として受け入れてくれた和泉の橋本家のためにも、橋本の名を受け継ごうというのである。
しかし、それは周囲への方便で、そこには正督の意地があった。楠木嫡流は、義弟の楠木正勝へ譲ろうと心に決めて東条を出奔していたからである。
「民部大輔、まったくもって見事な心得である。さすがは楠木正成の嫡孫じゃ」
大納言の四条隆俊は、正督の返答を聞き、味方に付けられると思ったのか、満足そうに頷いた。
奥に座った帝が、厳かに口を開く。
「民部大輔よ、裏切り者の正儀は、成敗せねばなるまい。さりながら、正儀の戦上手は朕とてよく知っておる。そなたであればいかに対するか。直答を許すぞ、答えてみよ」
いきなりの核心に、正督は戸惑った。正儀の傍で戦を叩き込まれた正督は、その知略をいやというほど知っていた。迂闊に、やる気だけを口にするのは躊躇われた。少し溜めて、慎重に口を開く。
「正儀は祖父、正成に匹敵する知略の持ち主。敵にするのは確かに難しいことでございます。されど、楠木は正儀だけではございません。そこに楠木の弱点がございます」
正督は、楠木館で一緒に育った義弟たち、それに叔父の楠木正澄や、楠木正近らの顔を浮かべた。それは、楠木の中で育った正督だからこそ、思いつく策であった。
幕府は、楠木を味方に付けたことで、南方の諸将に降参勧告状を送っていた。だが、楠木正成の嫡孫である橋本正督が河内・和泉両国の守護と成ったことで、様子見の諸将はこぞって南方に残った。正儀に同調して幕府に降ったのは、幕府の蚕食に晒される摂津国住吉郡の国人らと、大和の越智家高くらいであった。
さっそく正督は、帝(長慶天皇)の綸旨を受け、橋本本家の橋本正高、和泉守の和田正武ら南軍の諸将を率い、楠木討伐で赤坂城に向かうことになった。
橋本正督と轡を並べて馬を進ませているのは近臣の和田判官良宗。この度、大夫判官とも呼ばれる検非違使の少尉を任ぜられた。
良宗は正儀の叔父、美木多正氏の娘、倫子が紀伊の縁戚、和田宗実に嫁いで生んだ子であった。つまり、血の繋がりこそないが、正督の従弟である。橋本家に入った正督に、橋本正茂が橋本正高や正儀に諮って近習としていた。
「殿(正督)、大変なことになりましたが、本当に楠木の殿(正儀)を討つおつもりですか」
「主上(長慶天皇)の命が下ったのじゃ。是非もない」
険しい顔で正督は応じた。
そこに、土煙を上げて後より一騎の騎馬が、正督の元に駆け上がってくる。良宗は振り向いて馬上の主を確認すると、遠慮して後ろに下がった。
「太郎殿(正督)、東条をいかに攻めるか」
馬を並べたのは和泉守、和田正武であった。問いかけは、若い橋本正督を試しているようでもあった。
「叔父上(正儀)を正面から攻めても、勝てませぬ。新九郎(正武)殿も百も承知のはず。ここは、戦わずして勝つことを考えるべきかと存ずる」
正武はぎくりとする。まるで正儀と話しているかのようであった。
「して、その策は」
「まずは、叔父上(正儀)たちを遠巻きに囲み、楠木の者どもを籠城へと追い込みましょう。仕掛けはその後です。それは陣を張った後、追々と」
その落ち着き払った様子に正武は驚く。そこに居るのは、かつて自分が知っていた楠木正綱ではなかった。
正督は、何度も正儀に従って戦場に赴き、戦のやり方を学んだ。また、楠木の跡継ぎとして、正儀の薫陶を受けて育った。東条を出奔してからは、自らのいたらなさを悟り、ものの見方がいっそう大きくなっていた。
楠木討伐の軍勢が赤坂に到着する。対する正儀は討伐軍を牽制するために、赤坂城のある桐山の麓に兵を配置していた。
これに対して橋本正督は、軍勢を二手に分け、桐山を東西から取り囲み、楠木の兵を赤坂城の中へと押し込んだ。
赤坂では、討伐軍に追われた楠木の兵たちが続々と赤坂城の中へと逃げ込んだ。すでに正儀ら一族の者たちも、麓の館を捨てて山に登り、本丸(主郭)や二の丸(二郭)の陣屋に移っていた。
物見から戻った黒衣姿の聞世(服部成次)が正儀の前に座る。
「殿(正儀)、南方の旗印は逆さ菊水。和田と橋本の軍勢と思われまする」
正儀の傍らで、舎弟の楠木正澄が頭を掻く。
「周りを囲まれましたな。我らを籠城に追い込んでおるようじゃ」
「うむ、我らが降参するのを待とうということじゃ。和田と橋本は我らが一門。やはり、楠木とは遣りにくいのであろう」
腕を組んで正儀は呟いた。
「向こうが仕掛けてこないのは好都合。やはり、我らとて和田、橋本とはやりにくい。されど兄者(正儀)、こうして睨みあっていても埒が明かぬぞ。いかに追い返すかじゃ」
「四郎(正澄)、それなら手はある。我らが手をくださずとも、兵が引かざる得ない状況を作ることじゃ」
「それは……」
「圧倒する数で討伐軍を取り囲んでやる。それなら撤退しても、討伐軍を率いる新九郎殿(和田正武)の面子も立つであろう」
この期におよんでも、正儀は討伐軍に気を遣っていた。しかし、まだこの時点では、討伐軍を指揮するのは和田正武だと思っていた。
「幕府から援軍を乞うのか」
「そうじゃ、すでに右京大夫殿(細川頼元)とは、こうした事態も相談し、京の管領殿(細川頼之)にも話を通してある。すぐに援軍を差し向けるよう要請しよう」
兄の言葉に、正澄は仕方ないと思う反面、楠木一門同士の争いに、幕府軍が介入することが悔しかった。
「これより右京大夫殿(頼元)に書状を書く。聞世よ、使いを立てて摂津の右京大夫殿の元に向かわせよ」
「承知つかまつった」
正儀の書状は、聞世配下の素っ破によって、和田・橋本の兵たちに気づかれぬよう、摂津の細川頼元の館にもたらされた。そして、頼元からただちに、京の兄、幕府管領の細川頼之の元に届けられた。
三月十六日、幕府管領の頼之は、すぐに北摂津から赤松光範の軍勢を、続けて舎弟、頼元の軍勢を、河内国東条へと差し向けた。
その二人が率いる幕府軍は、東条の北端に位置する石川向城に陣を敷き、南軍と睨みあった。その数は橋本正督が率いる南軍の五倍にもなっていた。分裂した楠木一門の中で、正督が動員できる兵は限られていたからである。
幕府の援軍が到着する少し前から、赤坂城では異変が起きていた。諸将や兵たちが、正儀に隠れるようにして密談する姿が見られるようになった。
「いったい何が……」
正儀は、何か悪いことが起きている事を悟った。
舎弟、楠木正澄が青ざめた顔で、広間にいた正儀の元に現れる。
「兄者、寄手の大将が判った……」
そう言って、正澄がどかっと座る。
「……和田新九郎(正武)殿ではないぞ。太郎正綱じゃ」
「何、太郎じゃと」
さすがの正儀も二の句が継げなかった。
「最も今は橋本正督と名乗っておるようじゃ。その橋本正督が河内・和泉両国の守護に任ぜられたという」
「すでに太郎が拝命したというのか……」
正儀は天を仰いだ。正綱を楠木の跡目にしようとした正儀の願いは、奇しくも違う形で実現してしまったのである。
「して、なぜ、お前が知っておる」
「兄者、これを見てくれ」
正澄は懐から書状を取り出した。
正儀は、受けとると素早くこれを広げた。そこには、確かに正綱の文字があった。
書状には、楠木正成の嫡孫である自分が河内・和泉両国の守護に任じられたことの正当性。また、朝敵は正儀一人であって、叔父、楠木正澄にはこれまで通り、河内目代を任じるとあった。
正儀は、深く息を吐く。
「城内の不穏な気配はこれであったか。主だった者に届けられたと考えてよいな」
「うむ、配下の組頭を問い正したところ、その者にも書状が届けられておった。驚くことに、それがしがすでに橋本正督に従うことになったと書かれていた」
書状は楠木党の要所要所の者たちに、効果的に届けられていた。楠木の内情をよく知る、正督ならではの手際のよさであった。
そして、橋本正督の書状は正儀の息子、楠木正勝にも届けられていた。
「太郎兄者(橋本正督)……」
書状を読んだ正勝は、赤坂城を取り囲む敵が、自らが慕った義兄であることに項垂れた。
一度流された噂は、堰を切って狭い赤坂城の中に広がった。
正儀は、重臣の河野辺正友とともに、城内の兵を見て回った。これまで味方であった和田や橋本の兵に囲まれた楠木の兵たちは動揺していた。そこに、討伐軍の大将が、かつては若殿と慕った楠木正綱こと橋本正督であるとわかり、完全に戦意を喪失していた。
「殿、太郎殿(正督)に、まんまとしてやられましたな」
「うむ、やってくれたな」
こういう形で敵対していなければ、正儀は純粋に橋本正督の成長を喜んでいたかもしれなかった。
正儀は赤坂城の櫓の上で、討伐軍を見下ろしながら考える。
「帝(長慶天皇)の和睦への御決意を促すためにも、ここは南方の軍勢に勢いづかせてならないところじゃ。極力、多くの諸将を幕府に誘い、四条大納言(隆俊)と北畠内大臣(顕能)を孤立させることこそが肝要なのじゃ。されど、太郎が守護を拝命したことで、それも難しくなった。楠木の縁者の者は、太郎を旗頭に、帝の元に残る者も多いであろう」
「左様でございますな」
正友も苦渋の表情であった。
士気の上がらない楠木の者や家臣を見て、正儀は、この先、楠木が南軍に抗うことが、はたしてできるであろうかと深く悩む。
「我が一門の支援が得られなければ、南方の地盤に奥深く食い込んだ赤坂城は、大海の浮島が波に削られるがごとく、一門の攻撃にさらされるであろう」
当初の正儀の策は、完全にあてが外れた。正儀は考え抜いた挙句、ついに一つの結論を得る。
赤坂城の本丸に建つ陣屋の広間に、正儀は、一族と主だった家臣を集めた。
上座に座った正儀が、ゆっくりと一同を見渡す。
「南軍の大将が太郎(橋本正督)であることがわかり、皆に動揺が生じていることは、わしもようわかっておる。ここでそなたたちの考えを聞きたいと思い集まってもろうた。遠慮はいらん。まずは皆の意見を聞かせてくれ」
「兄者、何も皆に意見を聞かなくとも……」
紛糾するのは必至である。舎弟の楠木正澄は正儀を止めようした。
「四郎(正澄)、よいのじゃ。わしは皆の口から意見を聞きたいのじゃ。小太郎(正勝)、まずはお前からじゃ。申してみよ」
いきなり名指しされて戸惑う正勝は、しばらく下を向いて沈黙した後、悩み顔を上げる。
「父上、本当に、太郎兄者(橋本正督)と戦わねばならんのであろうか。本当に我らは幕府に降らなければならんのであろうか」
「そうか……小太郎の考えはよう判った。次に小七郎(正近)はどうじゃ」
問われた楠木正近も、困った顔で唸る。
「ううむ、わしも小太郎が言うように、一門と戦ってまで幕府の配下となるのは……正直、気持ちの整理がついておらぬ」
そう言って、正近は正儀から視線を外した。
正儀は、正勝、正近に続き、主だった者の意見を一通り聞いた。命あれば、南軍とでも戦うと気勢を上げていた津田正信や、正儀を慕う篠崎正久でさえも、いざ、義兄の橋本正督と戦うとなると躊躇が生じていた。
唯一、舎弟の正澄だけが、正儀に同心していた。
「兄者、なぜ皆の気持ちを聞いた。聞けばこのような答えが返ってくるのはあらかじめわかっていたであろう」
「いや四郎、これは今後の楠木のゆく末に重要なことじゃ。小太郎、お前は、南軍に戻れるのなら戻りたいと思うのか」
もう一度、意見を求められ、正勝は意を決っする。
「はい、戻りたいと思います。わしは父上とは考えが違う。わしは父上が幕府に降ったこと自体、内心、承服しかねるものがあった」
「小太郎、止めよ」
傍らから正澄が声を張った。
「いや、構わん。続けてみよ」
正儀は続きを促した。
「父上は、自らが御推挙されていた熙成親王が帝とならず、寛成親王が帝になられたことに、反発しているように見えまする」
厳しい正勝の言葉に、一同ががざわついた。その様子は、多くの者が正勝と同様な考えを持っていることを示すものであった。
その様子を見て、正儀は頷く。
「皆の者の考えはよう判った。意見を直に聞いて、わしも決心がついた。さて、小太郎、こちらに参れ」
なぜ自分が呼ばれているのかわからないという顔で、正勝は上座の正儀の隣に座り直し、一同と対座した。
「皆、よく聞いてくれ。わしは家督をこの小太郎に譲ることにした」
突然の正儀の発言に一同は驚き、どよめいた。一番驚いたのは、正勝である。
「ち、父上、何を急に。御戯れを……」
困った顔で、正勝が隣に座る父の顔に目をやった。そこには、いつもと変りなく穏やかな表情を浮かべた父がいた。
「聞いてくれ。昨日まで同じ味方として戦った橋本、和田と対峙して、戦を躊躇する気持ちは、わしとてようわかる」
「……」
正勝は、まだ正儀の真意を量りかねていた。
「小太郎、お前は楠木の棟梁として、明日、太郎(正督)に書状を渡し、宮方(南朝)に戻るがよい。そのためには小太郎が家督を相続し、四郎とともに、楠木党を率いる必要があるのじゃ」
「兄者、いったい何を言うのじゃ。では兄者はどうするのじゃ」
正澄が声を荒げた。
「わしは、たとえ隠居したとしても、今更、主上(長慶天皇)は許してくれんであろう。それに、わしが帝の元に戻ってしまえは、何もかも今まで通りじゃ」
「では、兄者は……」
怪訝な顔で、正澄は正儀に詰め寄った。
「わしはこの城を出て細川殿(頼元)の陣へ駆け込む。そして、幕府の側から和睦を進め、必ずや帝を京へお迎えする。お前たちは、そのときまで、主上を奉り、御護りするのじゃ。そして、宮方(南朝)の立場で、和睦を勧めるのじゃ。よいな」
「兄者、勝手なことを言われるな。太郎(正督)が宮方の大将として立ったことで、兄者の策が狂うたことは承知しておる。されど、兄者だけ幕府に降って、何ができよう。兄者がそれでも幕府に降るというのなら、わしも供をしよう」
「四郎、お前の気持ちはありがたいが、わし一人で十分じゃ。わしがおらぬようになった後は、お前が楠木の要じゃ。小太郎の後見として、宮方に残ってやってくれ」
「いや、兄者一人を幕府方に残したままで、我らだけで宮方に帰参できようか。生きるも死ぬも楠木の一党、一緒ではないか」
「何も死ぬわけではない。今はこれが一番よい方法じゃ」
その意志は固かった。だが、正勝も切実に正儀に訴える。
「父上、今は帝に許されなくとも、いずれ許される時が参ります。我らと一緒に宮方へお戻りください」
しかし、それは違うとばかり、正儀は首を横に振る。
従弟の楠木正近や猶子の篠崎正久・津田正信も、正儀を引き留めようと説得するが、正儀の意志を変えることはできなかった。
諦め顔で、正澄が大きな溜息をつく。
「これほど言うても兄者の考えは変わらんようじゃ。のう、小太郎、小七郎(正近)殿、もう行かせてやってはどうか」
正勝や正近は唇を噛んで沈黙した。重苦しい空気の中、正久と正信は下を向いた。
神妙に、正澄が正友に頭を下げる。
「又次郎(正友)、そなたは兄者の片腕。ともに参るのであろう。わしの分まで兄者をよろしく頼む」
これに正友は、身を正して座り直し、両の拳を床に着けて深く頭を下げる。
「承知つかまつりました。御舎弟殿の分まで、殿に奉公する所存にございます」
そんな二人の姿に、正儀は目頭が熱くなるのを覚えた。
その日の夜のことである。赤坂城の本丸を囲う木々が、微かな音をたてて揺れていた。風は少し冷たい。
正儀は陣屋の濡縁に腰を降ろすと、縦に長い袋から一節切を取り出す。そして、赤坂の地への名残を惜しむように、息を吹き込んだ。
嫡男の楠木正勝が、笛の音に引き寄せられるようにして、後に座る。
「父上、申し訳けございませんでした」
調を途切らせ、正儀が後ろを振り向く。
「どうした。神妙じゃな」
「それがしの言葉が楠木を割ってしまいました」
「一同を集めた時からわしの心は固まっておった。太郎(橋本正督)の出奔も止めることができなんだ。楠木を割ったのはお前ではない。このわしじゃ」
「聞いてよろしいですか」
少し視線を外して、正勝が言い難そうに口を動かす。
「楠木を割ってまで、本当に和睦が必要なのでしょうか」
問いかけに、正儀は夜空に輝く二つの明るい星に目をやる。
「京と賀名生に二つの朝廷がある。異常なことじゃ。これが動乱の原因じゃ。この動乱の責任は謀反を起こした足利尊氏ばかりではない。皆に責任があるのじゃ。そなたの祖父、正成とて例外ではない。どちらが間違っていて、どちらが正しいということを言うておるのではない。動乱が起きて、民百姓を苦しめたことに対する責任じゃ。されば、わしは正成の子として動乱を終わらせる務めがある……」
拳をぎゅっと握りしめた正儀は、正勝に視線を移す。
「……戦で宮方(南朝)を勝たせ、帝を京にお戻しできるのが最善である。だが、今や幕府との力の差は歴然。もはや京へ攻め上がる力はない。さすれば、幕府と和睦して、帝を京へお戻しするしかないではないか。じゃが、主上と四条大納言らは和睦を拒んでおる。このまま滅んでもよいような口振りじゃ。さすれば、わしに残された道は二つじゃ。このまま幕府を討たんとする帝の元で、最後まで幕府と戦い、後醍醐の帝の血筋を絶えさせるか、幕府に降ってむりやりにでも帝を京へお連れするかじゃ」
正儀は、胸の内の思いを熱く語った。
「父上のお気持ちはよう存じております。存じておりながら、父上の期待に添うことができませなんだ。阿呆な奴とお思いくだされ」
「人は理屈では動かん者よ。気にするな」
そう言うと、正儀は手に持っていた一節切の吹き口を、自らの袖でしごいてから正勝に差し出す。
「この一節切をそなたやろう。わしが幼いとき、そなたの祖父、正成の友人からもろうたものじゃ」
一節切は幼い日の虎夜刃丸こと正儀が、京の楠木屋敷を訪ねて来た足利尊氏にもらったものであった。正儀は尊氏のことを、父、正成の気の合う友人だと信じていた。正成も尊氏も互いを友と言っていたからである。だが、二人の間に通じる不思議な気脈を、幼い頃の正儀が敏感に感じ取ったからでもあった。
「ありがたく頂戴します。父上と思うて大事にします」
「それを父と思うな。形見ではないぞ。わしはまだ死なぬからな」
二人は静かに笑った。
一節切を手に正勝が下がって行くと、入れ替わりに、徳子が出て来て正儀の隣に座る。
「一節切、よかったのですか。大事なものでございましょう」
一節切の謂れを、徳子は正儀から聞いて知っていた。
「見ておったのか。出てくればよいものを……大事なもの……だからこそ、正勝に渡したかったのじゃ」
遠い昔を思い出すように正儀は答えた。
「伊賀(徳子)よ、此度のこと、勝手に決めてしもうた。勤王の志厚い新田四天王の筆頭、篠塚伊賀守(重広)の娘であるそなたには、弁解のしようがない」
「確かに驚きました。我が父というより、楠木の御父上様(正成)や兄上様(正行)に申し訳ない気持ちでありました。されど、殿は、逆に御父上様や兄上様の意志を継がれての君臣和睦なのですよね」
問いかけに、正儀はゆっくりと頷いた。
「此度のこと、私にも責任があると存じます。殿を新待賢門院様(阿野廉子)に引き合わせ、そのことが、熙成親王を御支えする契機となりました」
すると、正儀が徳子に向き直し、首を横に振る。
「いや、わしが願うたことでもある。伊賀(徳子)のせいなどと、一度も思うたことはない。それに、その新待賢門院様に、伊賀との間を取り持ってもろうた。伊賀が我が妻となったことは喜びであった」
正儀は徳子の肩に手をかけて、自らの方に引き寄せた。
「殿……」
徳子は正儀に寄り添って身を委ねた。
三月二十日の深夜。満ちた月が赤坂城を照らす。正儀が東条を離れる時がやってきた。城のある桐山を降り、東条の北、石川向城に布陣する細川頼元の元に駆け込もうというのである。ただし、橋本正督が率いる討伐軍に見つからないように囲みを突破しなければならない。
正儀に従ってこの地を離れるのは、河野辺駿河守正友、菱江民部大夫忠元ら近臣二十人であった。いずれも具足(甲冑)は身に付けず、身軽な格好をしている。音を出さないためであった。
見送りに集まったのは、徳子と嫡男の楠木正勝、舎弟の楠木正澄、従弟の楠木正近らを初めとする親族と、重臣たちである。
「左近(恩地満信)、彦太郎(神宮寺正廣)。そなたたちは譜代の家臣じゃ。小太郎(楠木正勝)を支えてやってくれ」
「承知つかまつりました」
「殿……どうか、御達者で」
恩地満信と神宮寺正廣は、辛そうな顔で正儀に頭を下げた。
不安げに、正勝は正友ら随行者たちの顔を見回す。
「父上(正儀)、このような少ない人数で大丈夫なのですか」
「闇に紛れて城を抜けるには、このくらいの人数の方がよい」
「されど、抜け出した後のこともありましょう」
「城を抜ければ、津熊三郎(義行)が兵を率いて参じることになっておる。心配は無用じゃ」
すでに津熊義行を交野に帰し、兵を集めさせていた。これからは、北河内の兵を頼りにしなければならなかった。
「兄者、落ちついたら、東条からも兵と金銀を送ろう」
「すまぬ、四郎(楠木正澄)」
正儀は、正澄が河内にやってきた日のことを思い出していた。都育ちの貴公子然とした弟が、よくぞここまで立派な武将に成ったものだと心底思った。
「小太郎、帝(長慶天皇)をお守りし、根気よく和睦を働きかけよ。和睦を実現し、必ずや、再び楠木を一つにしようぞ」
「父上、承知つかまつった」
「兄者、お達者で」
頷きながら、正儀は二人の肩を叩いた。そして、その隣の徳子に顔を向ける。
「伊賀(徳子)、またそなたの元に戻ってくる。待っていてくれ」
「殿、必ずや本懐を果たされ、ここにお戻りくだされ」
涙をこらえて、徳子は正儀の目を真っすぐ見つめた。
その隣で、娘、式子が正儀を見上げる。
「父上、お達者で」
「うむ、式子も息災にな」
しゃがんで式子の頭を撫でながら、正儀はあたりを見渡す。
「如意丸は来ておらぬのか」
「あの子は、泣きながら寝てしまいました。殿がここを出て、幕府に参じるのがよほど悔しかったのでございましょう。されど、いつかは殿のお気持ちがわかる時が参ります」
「そうか……伊賀よ、如意丸のこと、任せたぞ」
徳子は無言でゆっくり頷いた。
正勝がぐるっと周囲に目を配る。
「父上、如意丸ばかりか、六郎(津田正信)も、二郎兄者(篠崎正久)も来ておりませぬぞ」
「小太郎、構わぬ。なに、今生の別れというわけではない」
正儀は穏やかな顔を正勝に返した。
菱江忠元が小声で注進する。
「殿、和田や橋本の兵に気づかれぬうちに、急いだ方がよろしいかと」
「うむ、判った。では、皆、達者でな」
そう言うと、正儀は月あかりのもとで、近臣二十人とともに赤坂城を下った。麓には、篝火が点在しているのが見える。正儀らは、極力、篝火が少ない方へ向かって降りた。
―― がさがさ、がさがさ ――
桐山を下ったところで、何者かが近づいてきた。正儀は手を横に伸ばし、一行の歩みを止める。皆、地面に屈み、息を殺した。
正儀は相手の気配を感じ取る。
(相手は……二人……か)
正友らに向けて、正儀は指を二本突き立てた。相手の息遣いが伝わってくる。近臣らが刀を抜いて構えた。
二組の男が正儀の前に立ちはだかる。すかさず、菱江忠元が切り掛かる。
「父上」
その声に忠元は、振り下ろした刀をすんでのところで止めた。目の前に現われたのは、篠崎正久と津田正信であった。
「父上、よかった、間に合って」
正信が肩で息をしながら、安堵の声を上げた。
「何をしておるのじゃ。なぜ、ここにおるのじゃ」
声を押し殺しつつ、正儀は険しい顔で、二人を追及した。
「父上、申し訳ございませぬ。六郎(正信)と相談し、我ら二人を一行に加えてもらおうと思いまして……」
「先に申せば、反対されると思い、こうして父上たちが出立した後、二郎兄者(正久)と追いかけて参りました」
「もちろん反対じゃ。帰れ。この先には敵がおる。生きて突破できるかわからんのだぞ。今なら引き返せる」
怒りを露にする正儀を前に、二人は首を横に振る。
「父上。わしと二郎兄者(正久)を連れて行ってください」
「お願いです、父上。わしらは小太郎(正勝)や如意丸と違って父上の猶子じゃ。父上が居なくなった楠木館に、われらが居続けるわけにはいかぬのじゃ。もともと父上に拾うてもらった命。父上とともに死ねるのなら本望でございます」
決意は固いようであった。
「殿、二人を連れていきましょう。ここで議論をしている時ではありませぬ。急がなければ、敵に気づかれてしまいます」
二人の気持ちを察したのは正友であった。正儀は苦悶の表情で、言いたいことを飲み込む。
「勝手にせい。さ、急ぐぞ」
踵を返した正儀が、先へと進んだ。
正友は、二人の肩を軽く叩く。
「よかったですな」
「又次郎殿(正友)、かたじけない」
正久は正信とともに頭を下げた。
一行は麓に降りて草むらに潜み、敵陣を突破する時機を計る。
「橋本・和田の兵が思うたより多い。見廻りの兵が戻ってくるまでの少しの間に、我らはここを走り抜けなければならん」
正儀は、敵として立ち塞がる兵を傷付けたくない。何と言っても一門である。
兵が正儀たちの前を歩き去った。
「よし、今じゃ。北に向けて走るのじゃ」
正儀の下知に、一行はいっせいに走りはじめた。しかし、走る人数が二十人にもなると、やはりそれなりの気配となった。
「何じゃ」
見廻りの兵が異変に気づいた。
「おい、誰かおらぬか。誰か来てくれ」
兵は声を上げながら、正儀たちの跡を追ってきた。草むらに散らばって伏せるよう、正儀が皆に身振りで合図する。
そこに二人の騎馬武者が駆け付けた。見廻りの兵は、松明を騎馬武者たちにかざした。そこには、橋本太郎正督と、近臣の和田良宗の顔があった。
「こ、これは殿。わざわざ、このようなところにお越しとは」
兵は恐縮した。
「どうした。何があった」
「はい、何やら人があちらから向こうへ走っていった気配がありました。人数は十人以上でしょうか。されど、気配が消えました。そのあたりに潜んでおるやも知れませぬ。お気をつけください」
「何、十人じゃと」
驚いて、正督は良宗とともにあたりを見渡した。そうしているうちに、他の兵も一人二人と集まってくる。
正督は、馬に乗ったままで辺りをゆっくりと歩いた。少し歩くと、草むらに気配を感じ、馬の足元を凝視する。すると、そこで誰かと目があった。義弟の篠崎正久である。二人の間に一瞬、沈黙が流れた。
続けて、正督はあたりに目を凝らす。何人かの気配を感じ取った。
「殿、探索はそれがしに任せて、陣にお戻りください。ここはそれがしが当たりましょう」
近臣の良宗が、向こうから正督に向けて声を張った。
馬の足元から顔を逸らした正督が、大きく息を吸う。
「こちらには誰もおらん。あっちを探してみよ。わしもすぐ戻る」
「殿、もう少し探してみては」
「ここには誰もおらんと言うておるであろう。ここで刻を費やしては、逃げられてしまう。早く向こうへ急ぐのじゃ」
「しょ、承知つかまつった」
いらつく正督に良宗は驚き、配下の兵を従えて、指示された方へと急いだ。
「次に見つけた時には容赦はせぬぞ」
足元に目を落すことなく、正督は、味方の兵を鼓舞するかのように大声を発した。そして、馬を駆ってその場を立ち去った。
「太郎(正督)……」
正儀は走り去る馬上の正督を目で追った。
石川向城に陣を敷く細川頼元のもとに、正儀らは何とか駆け込む。頼元は、深夜にかかわらず、虎口門で正儀を出迎えた。正儀が先に送った透っ波から、知らせを受けていたからである。
肩で大きく息をする正儀らを前に、頼元は安堵の表情を見せる。
「河内守殿(正儀)、よくぞ御無事で。我らの城に入れば、もう、大丈夫でござる」
「右京大夫殿(頼元)、このような刻限にかたじけない」
「さ、もう一踏ん張り。馬を用意しております。夜が明けぬうちに、四天王寺に向かいましょう」
その言葉に、正儀は硬い表情で頷いた。
そして、正儀ら二十人の一行は、細川頼元の兵百余騎に守られて、その夜のうちに四天王寺に入った。




