No.70 不格好だろうと
教室の窓の半分は破壊され、残された半分は無傷なのもあればひび割れているのも混ざる。
月明かりがある外よりも室内は暗く、壁が崩れ壊れた際に舞った土埃の臭いがして。
そして、空けられた大穴から差し込んでくる青白い月光を背に、白髪の狂敵は中へと入ってきた。
「さァて、二人っきりだ。ステージを変えて二回戦とイこうじゃねぇじゃねぇかァ!」
言いながら、肩に乗せていた禁器を動かし、先端が床へと落とされる。
静かな教室では妙に響いた、こつん、と小さく渇いた音。
「休む間も無いのはキツイな、なんて……」
足元を一瞬、チラ見して。
「言ってらんねぇよなッ!」
言い切ると同時に、手前にあった椅子を蹴り飛ばす。
蹴られた椅子は空を飛び、真っ直ぐにコウへと向かって行く。
「まァた小細工かァ!?」
しかし、禁器を軽く振るわれただけで椅子はひしゃげ、破損し、形を崩されて床に転がる。
こんな物でどうにかなるなんて、俺だって思っていない。
「そんなモンが効果あると……」
「思ってねぇよっ!」
「ッ!? チィ!」
そして、立て続けに机を蹴って押し出す。勿論、これも簡単にあしらわれるのは解っている。
だが、なりふり構ってられない。使えるものは使って、少しでもこの場を凌がなくては。
コウに近付かれて接近戦に持ち込まれたら、こんなボロボロの状態じゃ攻撃を躱すのは難しいだろう。
だから、距離を取れるように手短にあるものを片っ端から投げ付け、蹴り飛ばし、ぶつけてやる。
机や椅子は勿論、置き勉されていた誰かの教科書や筆箱、小物入れや分厚い辞書。しまいには賞味期限が解らない菓子パンまで。
「ウザってェなァ! 悪あがきもそこまでくると惨めだぜェ!?」
「く、ダメか……!」
必死に抗う俺を嘲笑い、コウの足がとうとう踏み出される。
こちらも後ずさりながら警戒するが、攻められたら一貫の終わり。
何か無いかと思考していると、右手に何かが当たった。
「ッ!? ほらよ、おまけだッ!」
それを直ぐ様、コウへ思い切り投げつける。
「だから意味無ェってんだよ!」
かしゃん、と。渇いた音を立てて破壊される。しかし、中から溢れ出たのは渇いた音とは逆のものだった。
禁器では破壊出来なかった中身が、コウの顔に降りかかった。
「なんだ、こりゃあ……水ゥ?」
顔に掛かった液体を手で拭い、コウはさっき割ったのが花瓶だったと知る。
その気を取られた数秒を、見逃さない。
「おぉぉぉりゃあ!」
転がっていた机の足を掴み、全力で投げ飛ばす。
十中八九、これも禁器で破壊されるだろう。だが……。
「懲りねぇな、テメェも!」
予想通り破壊される机。
そして、先程の花瓶と同様。机の中に詰まっていた教科書や文房具が、コウの眼前で散らばった。
「ッチ!」
人は目の前にいきなり何かが飛んできたら、条件反射で身を守ろうとする。
作り出された人格とは言え、コウも人の身。飛散した机の中身を防ごうと空いた左手を顔前に被せた。
「よし、今だ……!」
奴の動きが止まった隙に、走って廊下に出る。
どこかに身を隠し、まともに身体を動かせるまで回復させないと。
このままじゃ確実に奴に追い詰められて殺される。
「テメェ、逃がすかよッ!」
背中から聞こえてくる叫び声。
俺が逃げたのに気付き、コウの足音が追ってくる。
全力で走ってるつもりだが、ダメージが大きく速さが出ない。恐らく、コウの半分も出ていないだろう。
「待てやコラァ!」
「待てって言われて待つ奴がいるかよっ! けどまぁ……」
聞こえてくる声で、奴も廊下に出て来た事を察す。
「足は止めてやるけどな!」
そろそろかと頭の中で呟き、走っていた足を止めて振り返ると。
コウの姿は数メートル先まで迫っていて。まさか本当に止まると思っていなかったからか、僅かな驚きを見せた。
そして、俺は廊下に置かれていたとある物を掴み、ピンを抜いて持ち上げ。
左手で持ったノズルの先をコウへ向けて、右手でレバーを強く握った。
「流石にこれは壊せないだろッ!」
ノズルの先から噴射されるは大量の白煙。
俺が持っているのは消化器。廊下に常備されているのを思い出して使わせてもらった。
映画とかでよくある手だけど、まさか自分が使う日が来るとは思っていなかった。
だが、意外と馬鹿に出来ないもんだ。効果はバッチリ。廊下には白い煙幕が広がり、コウの姿を完全に覆った。
「クッ、てんめぇ……」
「よし……!」
これで奴の視界を完全に遮断出来た。
勢いが弱まってきた消化器を投げ捨て、床に落ちて甲高い音が廊下に響く。
この音で足音を消してもらい、この場から急いで離れる。
「くだらねェ真似してくれんじゃねぇか!」
白煙の向こうから聞こえる、コウの喚声。
水を掛けられた上に、煙を浴びせられて怒髪天になっているだろう。
しかし、生き死にを賭けた戦いに綺麗も汚いも無い。勝つ為には使える物は使って、利用出来る物は利用する。
正々堂々ではないが、間違いでもない。この戦いに於いては過程がどうこうではなく、結果が全て。戦って、勝って、生き残らなければならない。
コウが煙幕に足止めを喰らってる隙に、なるべく離れた教室に入って身を隠す。
教室のドアを閉め、廊下側の壁に背を預けて座り込み、静かに大きく息を吐いた。
「――――、――! ――――ッ!」
廊下から聞こえてくるコウの叫ぶ声。
何を言ってるかまでは聞き取れないが、声の様子からして苛立ち、怒っているのだけは分かる。
「あぁ、喉がカラカラだ……」
一口でいいから水が飲みたい。廊下に出れば水飲み場で飲む事が出来るが、それだとコウに見付かってしまう。
今は喉の渇きよりも、身体を休めて回復に務めるのが優先だ。
屋上にいたエドは大丈夫だろうか。さっき援護してくれたから死んではいないと思うが、無傷かどうかは怪しいところだ。
けど、今は自分の心配だ。いつまで見付からずに隠れていられるか解らないんだから。
目を瞑り、静かに呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。体の所々が熱く、熱を持った怪我が痛む。
大きく息を吸い、吐いて。全身に酸素が行き渡るように一息を深く。
「――――、――! ――――!」
耳に入る、遠くからの怒号。
俺を探して見付からず、苛立ちから周囲へと暴力を撒き散らしているんだろう。
怒号の中には、様々な破壊音が混ざる。
「ん? なんだ……?」
何か、気になる違和感。閉じていた瞼を開き、自分しかいない教室内を一瞥する。
コウの声は辛うじて聞こえる程度。まだ離れた所に居ると考えていいだろう。
なのに、何かを感じる。死に物狂いで生き逃げて、感覚が研ぎ澄まされてるのか。妙にざわつく胸中が気になる。
すると、段々と聞こえていた破壊音が大きくなって、目の前の机がカタカタと鳴り始めた。
「地震?」
浮かび上がる懸念から強い不安感に煽られ、思わず壁から背中を離してしまう。
そして、徐々に大きくなっていく音と、奴の声。
だが、音と声は廊下から聞こえてきていない。別のどこか、違う所から聞こえてきている。
「いや、まさか……!」
下ろしていた腰を上げて屈んだ状態で警戒する。
さらに音と振動は大きさを増し、声も聞き取れる程に近付き。
思考を働かせて行き着いた答えは、正解だと。
「おらァァ!」
答え合わせするように狂敵が、壁を破壊して現れた。
「こいつ、壁を壊して……!」
「ようやく見付けたぜ、咲月ィィィィッ!」
先程まであった黒板は見るも無残に壊され、その床に散らばる破片。
コウはそれを踏み付け、開通した穴から隣の教室から入ってくる。
「ここまでの教室を全部破壊して来たのか!?」
「イチイチ探すよか、こっちの方が楽でいいからなァ!」
「無茶苦茶にも程があるだろ……!」
「鬼ごっこもかくれんぼも終いだ。俺がしてェのは殺し合いなんだからよォ!」
屈んでいた状態から立ち上がり、近くの椅子へと手を伸ばす。
予想よりも早く見付かってしまったが、それでもある程度の回復する事が出来た。
体も満足に動くし、動かせる。これなら充分戦える。まずは自分が動きやすい位置と間合いを取るべきだ。
馬鹿の一つ覚えだが、牽制に椅子を投げて隙を作――――。
「っとォ! 物投げはテメェだけじゃねェんだよ!」
俺が椅子を掴み取るよりも先に、コウが蹴り飛ばすは教壇。
放物線なんて緩さはなく、直線を描いて飛んでくる。
「おわっ!」
咄嗟に横に飛び、高速で襲ってくる飛来物を躱す。
教壇は壁に激突して床に落ち、もう本来の使い方が出来ない形になった。
「おーら……」
「ッ!」
「よっとァ!」
視界の外から入ってくる音声と、直感が知らせてくる危機。
このまま止まっていれば死ぬと察し、考えるよりも先に体が動く。
上半身を後ろに引いた瞬間、赤黒い棍が通り過ぎた。
「あっぶねぇ……なッ!」
お返しと言わんばかりに、側にあった机を押し蹴ってコウにぶつけてやる。
ここじゃエドの援護射撃は望めないし、何よりエドが無事かも分っていない。
しかし、外と違って校内は遮蔽物が多い。これなら禁器をブンブン振るえな――――。
「ッザってェなァ! あァ!?」
「ッ、そうだ……馬鹿か俺はっ!」
コウはぶつけられた机にイラつき、悪態をつきながら大きく振るわれる得物。
周囲にあった机と椅子は破壊され、吹っ飛び、床や壁にその破片を撒き散らされる。
それをバックステップで回避し、そして、自分の浅慮さに自戒する。
「壁をブッ壊す奴に、狭いも広いも関係無ぇだろ……!」
そんな考えは無意味、無駄だと。コウは壁、黒板、椅子、机。辺り置かれている物などお構い無しに。
まるで全部が豆腐だと思ってしまう位に易々と、辺りの物を破壊しながら禁器を振り回す。
「オラオラオラオラッ! 隠れて回復したんだろォ!? 逃げ回ってんじゃねェよ!」
「回復しても、当たったら即死じゃあな……!」
校内なら有利に戦いを運べるかと思えば、結果は逆。
奴は校内など意にも介さず、ブンブンと好き勝手に禁器が振り回す。対して俺は、散乱する大量の物に制限されて機動力を奪われてしまう。
確かに教室ならば少しは広いが、それでも多くの机や椅子がある。そのせいで回避する方向も限られ、行動の自由度が狭くなってしまった。
だが、悪い事だけでは無い。辺りに物が大量にある分、それを利用して防御にも使える。使える、が……。
「学校の備品を壊しまくりやがって!」
「それを投げてくるテメェが言ってもなァ!」
投げて、蹴って、ぶつけて。あるもの使えるものを手当たり次第に利用して、逃げ主体で立ち回るも。
大量にあるとは言え、物には数がある。さらには使えば使う程、コウによって破壊されていく。
加えて、場所は教室。一つの空間としては広いが、リーチがあるコウと戦うには狭い。
教室内は破壊された沢山の物で散らかり、机が綺麗に並んでいた数分前とは全く違う景色が広がる。
そして、床に破壊物が一つ追加された時に、変化に気付いた。
「ッ、さっきから邪魔臭ェ!」
「……ッ!」
俺が投げた椅子を、禁器のひと振りで壊した瞬間。
コウが一瞬、苦味を味わったような表情になったのを見逃さなかった。
しかし、それは突然でも意外でもなく。俺にはその理由に心当たりがあった。
「ほらよ!」
「さっきから馬鹿みてェによォ!」
残り少なくなった貴重な椅子を投げ、言うまでもなくそれは禁器で破壊される。
だが、当然それは予想通りで、目的は他にあった。
背後にあったカーテンを力一杯引っ張り、レールのフックから無理やり引き剥がして。
それを直ぐ様、奴へと投げた。
「ッ! 目隠しのつもりかァ!?」
いきなり視界に入り、広げられた異物に不快感を表すコウ。
邪魔でしかないカーテンを禁器で振り払い、遮られていた視界がクリアになると。
「どこに行きやがっ……」
「こっちだ、スカタンッ!」
「ッ、チィ!」
カーテンに視界を遮られ、気を逸らされた隙に、奴の側面へと回って机を投げ付ける。
死角からの投擲。コウからすればいきなり目の前に現れたように見えるだろう。
禁器を横に薙ぎ、飛来した椅子は奴に触れる事無く弾き落とされた。
そして、それを狙っていたと、そうする事は想定した内だと。
薙いだ事で伸ばされたその腕に向かって、すでに俺は走り出していた。
「な、にィ……!?」」
こっちの行動に、コウは驚きの顔を見せた。
気付けば俺が目の前に居たのと、今まで逃げていたのが急に攻めてきた事。
奴が急いで対処しようとするも、遅く。既に俺は、奴の右手首を掴んでいた。
「ふっ!」
右手は手首で、左手は二の腕。相手の右腕が伸びきった状態を維持しながら、斜め下へと引っ張る。
そして、梃子の原理によって力での抵抗は無意味になる。
腕押さえと言われる関節技。合気道や日本柔術にある技で、相手の腕を肘と手首を掴んで取り押さえる。警察の逮捕術にもある技の一つ。
抑えている右腕に力が入る感覚が手の平に伝わるも、コウはされるがまま、うつ伏せで床に倒された。
「テメェ……っづ、ぁ!」
さらに倒してすかさず、奴の手首を内側に捻る。
コウは電気が走ったような痛みに表情を強ばらせ、緩まる手の力。
カラン。そんな渇いた音が鳴り、コウの右手からとうとう禁器が手放された。
「よし……!」
禁器を手放したのを見計らい、うつ伏せになっているコウの首に素早く腕を回す。
回した右腕を左手腕を使ってガッチリと組み、コウの首を絞め付ける。通称、裸絞め。
腕を使って相手の頸動脈を絞め、脳への血流を遮断する技。
「か、っふ……ぐ、う……」
首を絞められ、短い呼吸を繰り返す。その顔は赤くなっていく反面、血の気が下がっていく。
このまま決まれば、脳が酸欠を起こして気を失う。そうすればあとは……。
「ぎ、っい、ぐ……!」
失いかけの意識をなんとか保ち、傍にある禁器を拾おうと。
身体を引きずらせながら、必死に右手を伸ばす。
「させるか、よ……!」
しかし、そんな事を俺がさせる筈がない。横目で距離を確認し、強く蹴るは教室の壁。
蹴った勢いで床を滑り、禁器が落ちている場所から離れる。
距離はそんな遠くなくていい。コウが禁器に届かない距離さえ稼げれば十分だ。
「このまま静かに終わろうぜ、コウ……!」
「ク、ッソ……が……ァ」
さらに腕の力を込め、強く絞め上げる。
コウの口から小さく声が漏れ、勢いも張りも無い。
首を絞めている腕を振り切ろうとするも、力が入らないのだろう。奴の利き腕である右手は小刻みに震え、掴んでくる力もそれほど強くなかった。
先程、奴が一瞬見せた苦痛の表情の理由はこれだ。俺がしつこく攻撃したのに加え、エドの銃撃も喰らっていた奴の右腕は、とうにボロボロで限界が近付いていた。
少しずつ攻撃していた効果が、ようやくここで現れてくれた。
「っは、ァ……が……」
俺の腕を掴んでいたコウの右手の力は弱まり、次第に掴む事も叶わなくなり。
そして、だらん、と。腕だけじゃなく頭も、脱力するように床へと落とした。




