No.57 一つの問い
「はっ!」
道場内に響く、気合の入った声。
互いの拳と拳が交差して、頬を擦り、片や前髪を掠る。
「ふっ! ほっ!」
「わわっ! っとととぉ!」
俺が放った突きを、沙姫を上体を反らして避ける。
攻撃を避ける動作で沙姫がバランスを崩し、一瞬よろけるもすぐに立て直そうとする。
が、その一瞬を俺が見逃す筈も無く。さらに追撃を仕掛け出る。
「ほれ、隙あり」
「あっ! ぶっ! なっ!?」
沙姫の体勢が整いかけている所に、右、左と掌底の連撃を繰り出す。
それを沙姫は焦った声をあげながらも、辛うじて躱していく。あの状態で一撃だけならまだしも、間を空けず放った二撃目も危なげながらもしっかり避けた。
反射神経もさながら、相手の動きもよく見ている。そして、それら全てを支えるその集中力。本当に脅かされる。
しかし、人には反射神経だけではどうにもならない事もある訳で。
「ほい、足元注意」
「へ……? あいたー!?」
掌底に気を取られているお陰で、沙姫は自分の足元には気が回っていなかった。
さらに、沙姫は体勢が崩れかけの状態。そこに足を軽く引っ掛けてやれば、相手は簡単に転んでくれる。
ずでん、と大きい音はしていても、しっかりと受身は取っている。
攻撃だけでなく、こういう防御面での技術も高いお陰で俺も思いっ切り組手が出来る。
「大丈夫か?」
「あーあ、また咲月先輩に一本取られちゃった……」
頭を軽く摩り、尻餅を付いたまま残念そうにしている沙姫。
俺は手を差し伸べ、立ち上がるのを手伝ってやる。
「ちょっと休憩するか。さすがにちょっと疲れた」
「そうですね。合間に飲んでいた麦茶も無くなっちゃいましたし、台所から新しい飲み物持ってきますね」
たった今まで組手をしていたというのに、沙姫はパタパタと走って道場から出て行った。
本当に食べ物の事になると元気な奴だよ、あいつは。
「けど、ま……俺もランニングの成果が出てきてるな」
グッパッと手の平を数回握り、まだ体力が残っているのを確認する。
少し前だったら完全にへばっていただろうが、今はまだ動き回れる程の余力がある。
こうして努力してきた事が形として出てくると、やっぱり嬉しい。
「とは言え、オーバーワークにはならないようにしねぇと。休憩休憩っと」
壁際に置いていたスポーツバックからタオルを取り出して、顔から滴る汗を拭き取る。
空気の入れ替えも含めてか、開けっ放しにされた道場の掃き出し窓。そこからたまに吹いてくる風が気持ちいい。
タオルを首に掛け、掃き出し窓の前に腰を下ろして一休み。
「体力は付いてきてても、こっちの方も鍛えないと……な、っと!」
手の平に意識を集中し、空気を燃やすイメージを頭の中で強く描く。
すると、間を空けずに現れ出る真っ赤な炎。
最近目覚めた、俺の個技能力。能力は具象化の炎。両手からのみ出せて、他の部位からは出す事は出来ない。
このスキルを使うには相応の精神力が要る。それに加え、俺はスキルを使用するのにまだ慣れていないのもあって、すぐにバテてしまう。
だからこうして、暇な時は少ない時間でもスキルを出して慣れさせている。
それに、精神力を使うといってもそれだけじゃない。同時に多少なりとも体力も消費する。解りやすく言えば、長時間勉強していると疲れるのと同じようなものだ。
「しっかし、こう暑い日に使っていると……夏には合わない能力だよなぁ」
自身の右手から盛り出る炎を見て、思わず呟く。
だって今日は猛暑日ですよ。それで炎って……暑苦しいってもんじゃないでしょ。
だけど、こうやって炎を出していても自分は全く熱くない。ほのかに温かく感じるくらいだ。
まぁ、炎を出している自分自身が熱がっていたら使う事なんて出来やしないからな。そんなんじゃ役立たずにしかなりゃしない。
「最後のSDCには恐らく、アイツと戦う事になるからな……」
燃え盛る炎を見つめ、その先に見据えるは白髪の男。
先輩の声。先輩の体。先輩の顔。しかし、その中身は別人。
コウと名乗る、先輩の中に巣食う別人格。二从人格という人体実験によって作り出されたモノ。
先輩の面影は残らず、激情を剥き出しにして、人を人とも思わず、破壊だけを楽しむ。
先輩を助けるには奴を倒さなければならない。人格による凶暴性と、実験による肉体能力の向上。
さらに奴は、破壊に特化した武器――――禁器を使ってくる。
「手札が多ければ、攻め手も増える。先輩を助け出せる確率が上がる」
右手を強く、強く握り締める。同時に、炎の勢いも増して形も大きく。
闘志も燃やし、交わした約束を思い出し、自分の願う想い人をもう一度。
「やってやるさ……!」
◇ ◇ ◇
「ん、ん……ん?」
パチクリ、と。二、三回まばたき。
道場の天井が視界に映っていて、ゆっくり身体を起こす。
「あ、起きた」
「起きた? ……あー、寝てたのか、俺」
横を見ると沙姫が座っていて、沙姫の言葉で自分がさっきまで寝ていたのに気付く。
少し頭がボーッとしていて、後頭部を搔く。
「姉さーん、咲月先輩が起きたよー!」
沙姫は立ち上がり、掃き出し窓から身を乗り出す。
すると、呼んですぐに沙夜先輩が外からやってきた。
「本当? 洗って干していた毛布があったから持ってきたんだけど」
「すんません、もう起きましたんで」
「まだ眠かったら空いてる部屋にお布団を敷くわよ?」
「いえいえ、大丈夫です。ばっちり目が覚めましたから」
いつの間に寝ていたのか。全く記憶がない。
組手をしてて体力を使ったのは確かだけど、寝ちまう程に疲れてはいなかった。
それなのに寝てしまってたって事は、スキルの使用で精神的疲労が原因だろうか。
やはり、まだ使い慣れるには時間が掛かりそうだ。
「じゃあ、今日の組手はこれぐらいにしますか」
「え? なんでだ?」
「咲月先輩、寝ちゃうぐらい疲れてたみたいですから。やり過ぎるのは危ないですし」
「いやいや、俺はまだまだ元気だぞ。寝てたのはあれだ、風が涼しくてついウトウトしちまったんだよ」
スキルの練習で寝てしまっていたみたいだが、それでもまだ体力は残っている。
寝ていくらか回復したのか、スキルで使った精神力からの疲労感も無い。
「でも、無理はしない方がいいわよ? 今日も暑くて体力の消費は大きいから。はい、麦茶」
「あ、ありがとうございます。沙夜先輩」
沙夜先輩はサンダルを脱いで道場に上がり、俺が寝ている間に持ってきていた麦茶をコップに注いで渡してくれた。
それを一気に飲み干す。やはり運動した後の水分はうまい。しかも冷えていると尚更。
「本当にキツくなったらちゃんと言うしさ。それに電車に乗って来たのにもう終わりってのも勿体無いし、もうちょい鍛えさせてくれよ」
「んー、咲月先輩がいいなら私もいいですけど」
「沙姫としては組手して痩せたいものねぇ?」
「ちょ、何言ってるの姉さんっ!? や、痩せるとか関係無いし!」
「え? でも昨日、三キロ太ったって泣いて言ってたじゃない」
「三キロじゃないし二キロだし! っていうか、太ってないですからね、咲月先輩!? 私は至って通常体型維持ですから!」
麦茶を飲もうとしていた所に、沙夜先輩からの一言。
沙姫はむせそうになりながら、大声で慌て出す。
「お、おう……そうか、また体重増えたのか」
「だから太ってませんってば!」
「そう大声出すなって。たかが五キロ太っただけだろ?」
「五キロじゃありません、二キロです! なんで増えてるんですか!」
「やっぱ太ったんじゃねぇか」
「咲月先輩の聞き間違いと私の言い間違いです! 太ってませんから! 太ってませんからっ!!」
「なんでわざわざ二回言うんだよ。わかった、わかったよ。お前は太ってない。これでいいんだろ?」
「そ、そうです! それでいいんです! わかってくれればいいんです!」
「まぁ落ち着けよ。五キロ」
「二キロです!」
沙姫の奴、少し前にも太ったって言ってたのにまた太ったのかよ。
一体どんだけだらしない生活をしいていたんだか……。
「でも、気にすんなよ。俺も昨日、体重を測ったら二キロ増えてたし」
「もしかして、咲月先輩もおやつばっかり食べてたんですか?」
「それはお前だけだから。俺はそんな食っちゃ寝してないんだけどなぁ……」
ペシペシと腹を軽く触ってみるが、別に太った気配は無い。
そもそも、主食が野菜炒めの時点で太れる程のカロリーが摂取できてない訳で。
むしろ太る位に肉とか食べたい。焼肉とかもう随分と食べてないなぁ……。
「咲月君の場合、太ったんじゃなくて筋肉が付いたんじゃないかしら? なんだか、体周りが大きくなった気がするもの」
「そうですか? 自分ではそんな気はしてなかったけど……まぁ確かに、言われてみればそうかも。白羽さんと組手してるから、その成果かもな」
「咲月君、白羽さんと組手してるの?」
「そうなんですよ。俺から頼んで、一日一時間だけですけど。強くなるには、やっぱ強い相手とやるのが一番だから」
とは言っても、組手をすればするほど力の差を解らされる。
一発を当てるどころか、被っているハットに触れる事さえ出来ていない。
いつになったら宣言通りにハットを落とせるんだか。
「白羽さんとの組手ってどんな感じなんです?」
「やってる事は沙姫のと大して変わんねぇよ。違う点は俺の攻撃が未だに一回も当てられてない」
「ほぇー、やっぱり強いんですねぇ」
「そりゃもう。って、やっぱりってどういう意味だ?」
「白羽さんが戦う所は見た事無いですけど……なんて言うか、こう、雰囲気って言うんですか? 只者じゃない感が凄いじゃないですか、白羽さんって」
「あぁ、それは解る。解り過ぎる」
「だから、私も姉さんも直感でなんとなく、"ああ、この人は強い"って感じてたんです」
武術家の勘ってヤツか。武術を習っている者は実力に応じて、他者の力量を見定める事が出来る。
もっとも、白羽さんの場合は強過ぎて嫌でもそれを感じてしまうんだが。
言うなれば、野生の熊やライオンみたいなもの。戦った事は無いけど強さやヤバさは見ただけで解る。
「あー、でもこれで納得」
「ん? なにがだ?」
「今日の咲月先輩、妙に強いと思ったら白羽さんと組手していたからだったんですね」
「俺は特に実感はないけどな。そんな変わったか?」
「変わりましたよ! だって今日は私、ほとんど咲月先輩から一本取れてないんですよ!?」
「確かに言われてみれば……今日は沙姫に投げ飛ばされたり転がされたりした記憶はあんま無いな」
「前に組手した時よりも体運びとか重心の取り方とかが上手くなってますよ。あと特に、反応が段違いに速くなっててすぐに対処されちゃうんですもん」
「白羽さんの動きがクソ速いからなぁ……それに対応してたお陰で鍛えられたのかも」
物理的に速いってのもあるが、それよりも動きに無駄が無い。僅かなロスを削り、最短で行動に移る。
最小の動作にして最速の立ち回り。それは武術全てに共通する、強さの証の一つ。
未熟者ほど余分な動きが多く、強者になるほど無駄が無い。強い者と戦うと相手の動きが速く感じるのは、それが理由。
自分が無駄な動きをしている時に相手は無駄なく動くのだから、当然だ。
「筋トレとかと違って、組手は実践に近い形で練習できるから必要な筋肉と技術が付きやすい。白羽さんにイジめられた成果が出て来たって事か」
「あっ! じゃあ私も筋肉が付いたから体重が増……」
「それはないな」
「それはないわね」
バッサリと否定する俺と沙夜先輩。
お前の増えた体重は贅の限りを尽くした肉と書いて贅肉ですから。ルビを振るなら贅肉ですから。
「いいもん。今日の組手で痩せ……んんっ! 鍛えればいいんですから」
「なんでそこまで頑なに誤魔化すのか……」
「乙女のプライドです!」
「やっすいプライドだな」
休憩中だってのに騒ぐ沙姫に多少の疲れを感じつつも、この騒がしさに慣れてきている自分がいる。
たまには騒がない日があってもいいとは思うが。
「あっ、咲月先輩、アイス食べます? ジュースと一緒に持ってきたんですよ」
「お前なぁ……痩せたいって言ってる傍からアイス食うのかよ」
「だってぇ、沢山買い込んじゃって。いつまでも置いてて冷凍庫を圧迫するのも困りますし」
「ったく、なんで困るくらいに買い込んでんだよ?」
「えっ? あ、その、それは……」
俺が聞くと、沙姫は言葉を詰まらせて視線を落とした。
明るかった雰囲気は消えて、表情には陰りを見せる。
「……モユちゃんにね、食べさせてあげようと沙姫が買っていたのよ」
「沙夜先輩……」
沙夜先輩は俯く沙姫の隣に座って、床に置かれたお盆からアイスを一つ取る。
袋に薄らと出来ていた結露の雫が、ぽつりと一粒だけ床を濡らした。
「……そっか、ありがとな。沙姫」
「いえ……」
沙姫は俯いたまま。少し小さくなった声で、一言だけ返事した。
「咲月先輩、一つ……聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
沙姫が両手で持つコップに力が入り、中に入っている麦茶が小さく揺れる。
声もさっきと同じで小さいままだが、けど重みは増して。
「モユちゃんの事は、白羽さんから聞きました。咲月先輩と一緒に居た理由とか、なんで白羽さんの所に住んでいたのか……あと、モユちゃんが生まれてきた経緯も、聞きました」
小刻みに震える沙姫の手。
その感情は哀しみに悔しみ。泣きそうになってるのを必死に耐えて、手だけじゃなく声も震えて。
「全部を知ったのはモユちゃんが亡くなった後で……そしたら、もっと遊んでれば良かったとか……! 沢山おいしい物を作ってあげれば良かったとか……! もっともっと、もっともっともっともっと! お話してれれば良かったって!」
沙姫は顔を上げ、俺を見る。
目は赤く涙目。ぐし、と道着の袖で鼻を拭った。
「いつもそうなんです。私、馬鹿だから……いつもいつも後になって後悔ばっかりして……会えなくなってから思い知らされるんです」
「沙姫、落ち着いて」
「……モユちゃんは、楽しかったでしょうか?」
沙姫の言っている事、沙姫の気持ちは……俺の心に強く刺さる。
俺も分かるから。いつも後悔する事が。後悔して成長せず、また後悔する事を後悔してしまう。
「咲月先輩、教えてください。私達と出会って、一緒に遊べて……モユちゃんは、幸せだったでしょうか?」
「沙姫、やめなさい……!」
「私が遊びに行ったり! くだらない話をしたり! 遊園地で歩き回らせたりしなければ! もしかしたらモユちゃんはまだ、生きていられたかも知れない……!」
「沙姫っ!」
「それでもモユちゃんは……! 私と会えて良かったって、幸せだったって、思っ、て……言っ、くれ、る……で、しょうか……?」
耐えていた涙はとうとう目頭から落ちて、溢れる感情で言葉を詰まらせる沙姫。
この問い掛けに、なんて答えればいいのか。
なんて考えるよりも先に、俺は沙姫に言葉を返していた。
「あいつは幸せだったよ」
嘘偽りの無い、本当の言葉。
気を遣ったその場しのぎの言葉でもない。自分が思った、心からの本音。
それが、これだった。
「――――なんて、俺は言えねぇなぁ」




