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No Title  作者: ころく
54/85

No.52 頼み事

8/23



 日付が変わるよりも少し前。外はとうに陽は落ちて暗く寝静まる。

 草むらからは鈴虫の鳴き声。リーリーと、風鈴とは別の夏の風流がある。

 そんな風流を聞きながら、コップにスポーツドリンクを注ぐ。

 日課であるランニングを終え、今は風呂上がりに給湯室に来ていた。


「んっ、んっ、んっ……げふ」


 並々とコップに注いだスポーツドリンクを一気に飲み干す。

 モユの件があって数日間ランニングをしていなかったが、昨日から再開した。

 さすがに体力が落ちているだろうと思っていたが、意外な事にそうでもなかった。幾らかの違和感や不調は感じたが、ランニングに支障を起こす程でもない。

 毎日休まず続けていた努力の賜物か。満足に身体を動かせるのは助かった。

 さらに、驚いた事がもう一つ。

 モユが死んだショックで俺が引き籠っていたのが、たったの五日だった事だ。

 飯も食わず不規則に寝て起きて。時間の感覚も生活のリズムも分からなくなっていた。

 てっきりもっと経っていると思っていたが、まさか一週間も経っていないとは驚いた。

 目が覚めて、また現実から逃げるように眠ってを繰り返し。寝て起きてを何度もしていたから、余計に日の経過を感じていたのかもしれない。

 けど正直、予想より日が経っていなかったのは助かった。


 次に行われるのが、最後のSDCになる。

 俺の願いを叶える為にも、約束を守る為にも。今以上の力が必要だ。

 最後のSDCがいつ行われるかは解らない。いつもと同じく、前以て黒い手紙が送られてくる筈。

 それまでに、出来る限りの鍛えないと。せめて、親父にしごかれて武術詰めだった頃位までには感覚を取り戻したい。

 それに、新しい力も入った。それを使いこなせる力も付けないとな。


「スキル、か……」


 今は長く使えない上に、実践で使った事が殆んど無い。

 唯一実践で使ったのは、初めてスキルが目覚めた時のテイルとの一戦だけ。

 まだ慣れていない状態では、実践で使うのは控えるべきだと考えるのが妥当か。


「付け焼き刃じゃ返って危ないよな」


 能力が炎なだけに。なんて、くだらない事を言ってしまった。

 だが、次のSDCまでに使いこなせれば、大きな戦力にもなる。使いこなせるかどうかは、俺と運次第か。

 コップを流し台のシンクに置く。コップだけを洗うのも面倒だし、明日の朝食で使った食器と一緒に洗うか。

 スポーツドリンクを冷蔵庫に仕舞い、電気を消して給湯室から出る。

 明かりの点いていない暗い廊下を、首に掛けていたタオルで頭を拭きながら歩く。

 しかし、本当にどうするか。次のSDCがいつか解らない以上、出来るだけ早く勘を取り戻したい。


 とは言え、組手を付き合ってくれていた沙姫にはもう頼めない。

 もしかしたら戦うかもしれない相手の調整に付き合なんて、敵に塩を送るような真似はしないだろう。

 ランニングや筋トレを続けるってのもあるが、やはりそれじゃ実践の勘は取り戻せない。

 実践に勝る経験は無い、と小さい頃に糞親父によく言われた。

 となると他を探さないといけない訳だが……そうそう組手をしてくれる相手なんて居ない。

 沙姫みたく立派な道場でしたい、なんて高望みをするつもりはない。

 出来れば互角、望めるなら俺以上に強い人と組手をしたい。相手が強ければ強い程、経験も高く勉強になる。

 都合良くそんな人が居るかと思うが、実は心当たりが一人居る。


「……駄目元で頼んでみるか」


 しかし、組手に付き合ってくれる確率は低いと言っていいだろう。けど、今言ったように駄目元だ。一応聞いてみよう。

 そして、考えている内にその心当たりが居る部屋に着く。

 事務所の一番奥にある部屋で、資料室の向かい――――そこは、白羽さんの部屋。

 ドアの隙間からは微かに光が漏れている。既に遅い時間だが、まだ起きているみたいだ。

 手の甲で、ドアをノックする。コンコン、という音が、静かな廊下には妙に響いた。


『開いているよ』


 中から返事がして、ドアを開ける。


「咲月君か。こんな夜更けに珍しいね」


 白羽さんは仕事机に置かれたパソコンに打ち込みをしていた手を止め、こちらへと向く。


「ん、ちょっとね。頼みたい事があって」

「頼みたい事?」


 部屋の中に入りドアを閉める。

 俺が頼み事をしたのが予想外だったのか、白羽さんは少しだけ眉を上げた。


「ふむ、私が出来る範囲で良ければ喜んで手を貸そう。それでその頼み事とは?」

「実は、組手に付き合って欲しいんだけど……」

「組手? 私とかい?」

「あぁ、次でSDCが最後だろ? 出来るだけ万全の状態で挑みたいんだ」

「それは解るが……」

「今までは沙姫と組手をしてたけど、流石にもう頼めないしさ」

「確かに……戦う可能性がある相手となると厳しいだろうね」

「だから、他に当てが無くてさ。駄目元で白羽さんに頼みに来た」

「そうか。ふむ……」


 白羽さんは椅子の背もたれに寄り掛かり、視線を横に外し顎に手を当てる。

 やはり無理があったか。よくよく考えれば、こんな時間まで仕事をしているんだ。それだけ忙しい中、俺の調整に付き合うのは難しいだろう。


「解った、私でよければ組手に付き合おう。そう多く時間は作れないが、それでも構わないかい?」

「えっ!? いいのか!?」

「うん。君と私は手を組んでいるんだ、出来る限り協力するさ。それに、君が最後まで残ってくれれば、何かしらの動きを見せるかも知れないからね」

「動き……?」

「テイルさ。あの喋り好きが、絶好な話題を目の前に現れない筈が無い」

「あぁ、特大のイベントだからな。それに……」

「うん?」


「最後のSDCだ、俺を殺そうと必ずコウが出てくる。禁器を使うコウが出てくるなら、実験体の監視役であるテイルも来ると考えるべきだ」


 またあいつは、タバコを口に啣えて、人を馬鹿にするように笑みを浮かべ、遊びに来たみたいに現れるだろう。

 人とヒト。互いが壊し合い殺し合うのを楽しむ為に。


「テイルは今までのSDCでは姿を見せて接触する事があっても、戦闘になる事は無かった。恐らく、最後のSDCでも戦う事は無いと考えている」


 白羽さんが椅子を僅かに動かすと、キィ、と軋む音が鳴る。


「……が、相変わらず奴の考えは予想しかねる。警戒は怠らないようにしなければ」

「予想外の事態が起こるのを予想して、か?」

「矛盾しているが、その通りだ」


 言って、白羽さんは微笑う。


「少し話が逸れてしまった、組手の話だったね。明日からでいいかい?」

「助かるよ。早ければ早い程、それだけ鍛えられる」

「仕事があって一日中とはいかないが、そうだね……午前中に一時間だけ時間を作ろう。短時間で不満かもしれないが……」

「いや、十分だ。それに、こっちは付き合ってもらう身だ。文句なんかあっても言えねぇよ」

「では、時間が出来る三十分前には連絡を入れよう。準備は必要だろう」

「あぁ、頼むよ。仕事中だったみたいだし、用件が済んだから部屋に戻るよ」

「疲れを残さないよう、ゆっくり休むといい」

「ん、明日に備えないといけないしな」


 ははっ、と笑いながら言うと、白羽さんも微笑んで返してきた。

 白羽さんの部屋から出ると、暗い廊下。ドアを閉めると更に暗くなる。

 明るい所で話していたせいで、廊下がよく見えない。暗闇に目が慣れるのに少し待ってから、自分の部屋に戻る。

 部屋の中に入ると廊下と同様、自室も暗い。電気も何も点けていなけりゃ当たり前か。

 ハンガーにタオルを掛けて、ベッドに座る。


「さてと、締めのトレーニングをしますか」


 自分の右手を見つめ、グッパッと数回開閉する。


「すぅぅぅぅ、はぁぁぁぁ……よし」


 大きく息を吸い、ゆっくり吐く。気持ちを落ち着かせ、集中。

 そして、イメージ。生み出し、燃え出す映像を脳内で。


「ほっ!」


 声と共に、燃え出す右手。

 暗い部屋を照らす赤い炎が、自身の利き腕から放たれる。


「問題はこっからだな」


 左手でテーブルに置いてあった携帯電話を取り、時間を見る。画面にはデジタル文字で『23:48』と表示されていた。

 こうして寝る前に、スキルを使って慣らす練習をしている。

 日課のランキングを終えて風呂に入り、ベッドの上であとは寝るだけという状態。

 スキルを使えば精神的疲労がドッと来る。そりゃもう、動けない位に。

 ある程度加減すれば動けなくなる事は無いが、限界まで使わないと慣れるのに時間が掛かる。

 なので、動けなくなってもすぐ寝れるようにベッドの上でやるのがベストと答えを導き出した。


「昨日は六分だっけ?」


 日によってばらつきはあるが、大体五、六分が使用出来る目安。

 実戦で使うには短過ぎる上に、リスクも大きい。まだまだ慣らしが必要だ。


「とりあえず、目指すは十分だな」


 携帯電話の時間を見て、目標を立てる。短いようで長い十分。

 今日もまた、ぶっ倒れて眠りに就く姿が容易に想像出来る。



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