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No Title  作者: ころく
49/85

No.47 欠けた月 伍

 明るい世界に出たのは何日振りだろうか。日にちの感覚が無く、ただとても長い間、暗く光を閉ざした部屋に籠っていた気がする。

 今の時間が何時かは解らない。廊下の窓から見える太陽が高い所を見ると、大体昼ぐらいだろう。

 モユが憧れ、求め、好きだった色ある世界は、こんなにも眩しい。

 廊下に入ってくる日射しは暖かく、裸足で歩くタイルで出来た床はひんやり冷たい。何かを触れて、何かを思い、何かを感じるのも、久しく思える。

 色々な事を久しく思い、様々な事を久しく感じ、久々の事を、当たり前の事を。久し振りに実感する。


 ひたり、ひたり。部屋にスリッパが無かった為、裸足のまま広間まで歩く。

 廊下はえらく静か。外からは蝉の鳴き声は聞こえてくるが、事務所内からは音や声が聞こえてこない。もしかしたら、沙姫と沙夜先輩は帰ってしまったのかもしれない。

 広間に着くと、中には誰も居なかった。テレビも明かりも点いてなく、さっきまで人が居た気配すら無い。

 白羽さんとエドはさっき俺の部屋に来ていたんだ、自室に居る事も考えられる。 けど今は、沙姫と沙夜先輩の方が先だ。二人が広間以外に事務所内で居そうな所……。

 あるとすれば、給湯室かトイレ。あとは深雪さんや白羽さんの部屋に居る可能性もある。


「とりあえず、玄関に行ってみよう」


 玄関に行って靴があるかどうかを見れば、二人がまだ事務所に居るか居ないかが分かる。

 広間を通り過ぎ、廊下を曲がって玄関へ移動する。すると、玄関の方から人の声が聞こえてきた。

 少し足早になって向かうと、探していた二人がそこに居た。

 靴棚の方を向き、こちらに背中を向ける形で。沙姫は背を丸めて立っていた。

 後ろ姿を見て、泣いているんだとすぐ分かった。隣で寄り添う沙夜先輩の様子を見ると、沙姫を宥めているのも。

 その原因が俺だというのも、分かる。

 あのいつも明るく元気な沙姫を泣かせてしまった。いつも優しく落ち着いている沙夜先輩を、怒らせてしまった。その時は何も感じていなかったが、今になって罪悪感が胸に重くのし掛かる。

 近付いても、二人は俺に気付かない。距離はニ、三メートル。


「……沙姫」


 名前を呼ぶと、沙姫の背中がびくん、と動いた。


「咲月君」


 先に振り向いて、俺に気付いたのは沙夜先輩だった。

 しかし、俺を見るその目は、睨み付けるような冷たい視線だった。


「えっ……咲月先輩?」


 沙夜先輩が俺の名前を言ったのに反応して、沙姫もこっちへ振り返る。

 その顔は涙で濡れ、目は真っ赤。鼻水も垂らしてぐしゃぐしゃだった。


「わ、わっ……ちょ、ちょっと待って下さい! 今はその、あの……め、目薬を差していた所で!」


 ここに俺が居る事に、沙姫は一瞬驚く。が、自分が泣いていた事を思い出し、目を逸らして顔を隠す。

 今の泣き顔を見て、改めて思う。本当に酷い事をして、言ってしまったと。

 本当、俺は最低だ。


「沙……」

「何をしに来たの?」


 一歩。右足を出して、沙姫に近付こうとした時。

 それを遮るように……いや、遮ろうと。害敵から守り庇うように、沙姫の前に立って俺を睨む。

 当然だ。俺はそうされるだけの事をしてしまったんだから。


「ようやく部屋から出てきてくれたのは正直に嬉しいわ。けど……」


 細めていた目をさらに細め、高い目尻をさらに高く。警戒して鋭い目付きになる。


「まだ何か、言いに来たのかしら?」


 威圧するように俺を睨み、話す声はいつもより低く重い。

 自業自得とは言え、普段は優しい沙夜先輩なだけに、このような反応をされるのは正直ショックではあった。


「そう、だな……うん、二人に言わなきゃならない事がある」


 視線を沙夜先輩から逸らし、足元へと落とす。

 罰が悪そうに頭を掻きながら、言葉を返す。


「本当にすまなかった、ごめん」


 深く頭を下げ、謝る。


「沙姫に特に酷い事をして、酷い事を言ってしまった。謝って済むとも、許されるとも思っていない。けど、謝らせてくれ。本当にごめん」


 可能な限り頭を下げて、出来るだけ謝罪の意を見せようと。


「……本気で言っているの?」

「沙夜先輩にも迷惑を掛けてしまった。この通りだ」

「さっき貴方が沙姫にした事の後で、信じられると思う?」

「あの後、エドと白羽さんに色々言われたよ。情けない話だけど、人に言われて、人に諭されて……ようやく自分の行いに気付いて、自分が歩むべき道を思い出した」


 頭を下げて、首から垂れ落ちるペンダントの水晶が目に入る。

 己が決めた覚悟を、あの日決めた望みを、ずっと求め続けた願いを。

 今まで生きてきた理由を捨てて諦めてしまおうとしていた所を、踏み止めてくれた。


「皆も辛い事を本当は知っていながら、自分だけ被害者面してイジけていた。周りに迷惑掛けて、二人の優しさを無駄にして、厚意を無下にして……八つ当たりまでしてしまった」

「……」

「沙姫を傷付けてしまって、沙夜先輩が怒ったのも当然の事だ。自分勝手なのは解ってる。都合が良いのも知っている。けど、俺にはこうして頭を下げて謝るしかない。だから、本当にすまなかった」


 今の姿をエドが見たら、鼻で笑うだろうな。

 けど、ついさっきまでの部屋でイジけて不貞腐れていた姿に比べれば、今の姿は万倍マシだ。

 いや、イジけていた時の姿が情けなさ過ぎただけか。


「ちょ、ちょちょ! 咲月先輩、顔を上げて下さい! 姉さんも落ち着いてよ!」


 頭を下げていて顔は見えないが、声で沙姫が焦っている様子なのは想像出来た。


「さっきのは私が無神経な事を言ったからで……咲月先輩は悪くないですよ! 悪いのは私の方で……」

「いや、誰が見ても沙姫には非は無い。悪いのは俺だ。誰もがそう言うだろうし、俺もそう思う」

「そんな……咲月先輩はそれだけ辛くて、苦しんで、悩んでいたんです」

「辛いのは皆だった。沙姫も、沙夜先輩も。白羽さんも深雪さんも、エドも。それなのに自分だけが辛いように、自分の事しか考えていなかった。その結果、人として最低な事をしてしまった」

「……咲月先輩、まず頭を上げて下さい。これじゃ話しづらいです」

「……」

「上げて下さい。上げてくれないのなら、私は咲月先輩の話を聞きません」


 頭を下げたまま黙っていると、沙姫の鳴き声混じりだった声が真剣な声に変わった。

 普段の明るく周りまで賑やかにするような声ではなく、トーンの下がった落ち着いた声に。


「謝る謝らないの話じゃないです。私と話をしたいなら、頭を上げて顔を見せて下さい」

「……わかった」


 ゆっくりと、顔を上げる。


「やっと上げてくれましたね、咲月先輩」


 正面には、沙姫が立って笑っていた。


「謝るも許すも無いですよ。私は怒ってませんし、謝られたいとも思ってないです。ただ、その、あの……正直、さっきは少し泣いちゃいましたけど……」


 あはは、と頭を掻きながら苦笑いする沙姫。目は赤く、瞼は腫れぼったい。


「すまないと思っている。ごめ――――」

「ストップ、ストップです! だから謝らないで下さいってば!」


 また頭を下げようとすると、沙姫は胸の辺りで手をわたわたと動かして俺を止めてくる。


「咲月先輩がどれだけ辛かったのか、哀しんでいたのか、私は解ります。モユちゃんが居なくなって……私も姉さんも辛くて哀しいです」


 また泣きそうになるのを、沙姫は下唇を噛み、堪える。


「でも、私でこんなに辛くて苦しくて、胸が痛いなら……一番仲が良かった咲月先輩は、もっと辛いんだろうなぁ、って」


 言いながらまた、沙姫は涙ぐむ。


「そう思ったら、ほっとけなくなって。モユちゃんが居なくなって、確かに哀しいです。けど、あのまま咲月先輩まで死んでしまったら、って……凄く怖くなって」


 そして、堪えきれなくなった涙が、ポロポロと零れ落ちる。


「怖くて怖くて……また誰かが、大好きな人が居なくなっちゃうのが、本当に怖くて……」


 顔を隠すように、両手の甲で涙を抑える。

 大好きな人が居なくなる哀しさは、嫌という程解る。凛が殺されてしまったあの日、あの頃。そして、モユまでも死んでしまった。

 胸が痛く、苦しく、辛く、。哀しくて、切なくて、虚しい。

 モユが死んで……沙姫と沙夜先輩も哀しんでいた。泣いていたんだ。俺と同じで、俺と変わらず。

 俺があのまま部屋でイジけて引きこもり、生きた死人から本物の死人になっていたら……。

 人の死。その辛さ、哀しさ。それを俺は知っている。知ってしまっている。なのに次は俺が、人を哀しませる所だった。

 どれだけ辛くて哀しいか知っているのに、自分だけ逃げるように居なくなって。周りの事なんて無視し、自分だけの事しか考えないで。


「居なくなる哀しさ、会えなくなる辛さは痛い程解っていたのに……今度は俺がそうしてしまうところだった……」


 それに今、気付いた……気付かされた。


「沙姫、沙夜先輩も。本当に迷惑掛けて、心配させてしまった。すま――――」

「謝るのは無しですよ」


 涙を無理矢理止め、手で拭って。沙姫は笑う。

 少しぎこちなさが見えるが、いつものあの、明るく子供っぽい笑顔だった。


「……そう、だったな」


 その笑いに、笑顔に釣られるそうになる。


「じゃあ、謝る代わりに言わせてくれ」


 そして、沙姫の顔をじっと見て、目を見て。


「ありがとう」


 笑って、返した。

 いつ振りか、笑うのは。大分久し振りだと感じる。

 もしかしたら、笑ってる俺の顔もぎこちなくなってるかもしれない。


「困った時はお互い様、辛い時もお互い様ですよ」


 すると沙姫は、ちょっと照れ臭そうにまた笑った。

 今度のはぎこちなさが無くなった、元気な笑顔で。


「沙姫、お前ってさ」

「はい?」

「本っ当に優しいのな」

「んな、ななっ! 何ですか、いきなり!」


 顔を赤くして、慌て戸惑う沙姫。

 その様子が面白く、そして楽しく。つい笑ってしまう。


「いや、素直にそう思ってさ」

「わ、私はいつだって優しいですよ! 咲月先輩が今まで気付いてなかっただけです!」

「はは、そうだな」


 こんなやり取りも懐かしく感じる。


「って、咲月先輩! どうしたんですか、その顔!」


 今更ながら俺の腫れた左頬に気付き、沙姫が聞いてくる。

 まぁ、話していた内容が内容だっただけに、そんな事に気付く余裕が無かったんだろう。


「ん、あぁ……ちょっと、な」


 苦笑いしながら頬を指で掻こうとしたが、触ると痛むのを思い出して手を引っ込める。

 そこで、気まずそうに沙夜先輩が近付いてきた。


「ごめんなさい、咲月君……私、カッとなっちゃって」

「えぇ! これって姉さんがやったの!?」

「うっ……確かに力を込めてビンタしたけど、こんなに酷くなるなんて思ってなくて……」

「にしても加減があるって! 姉さん、一体どれだけ力を入れたの!?」


 珍しく沙夜先輩は沙姫に何も言い返せず、申し訳なさそうに小さく肩を縮ませる。

 普段と立場が逆になっている。もしかしたら、物凄く貴重な場面を見ているのかもしれない。


「あー、いいんです、気にしないで下さい! 俺はそうされても仕方無い事をしてしまったんです。むしろ、ビンタ一発で済んだのは軽い位ですよ」

「けど……」

「謝るのは無し、です。本当は謝るべきなのは俺の方なんですけど……沙姫に止められましたし、沙夜先輩は悪くないですよ」


 沙姫と沙夜先輩の間に入る。

 沙夜先輩をフォロー……と言うか、俺の方が悪かったのは明らか。誰が見ても満場一致で俺に非があると言うだろう。

 第一、沙夜先輩にビンタされたのは事実だけど、ここまで頬が腫れた原因はエドにある。沙夜先輩が罪悪感を感じる必要は一切無い。一切。


「ふふっ」

「あれ? なんかおかしな事言いました?」

「いえ、ごめんなさい。本当、咲月君も優しいなって」


 小さく笑い声を漏らして、俺が沙姫に言った言葉を真似して返してきた。


「でも、痛かったでしょう? こんなに腫れて……」

「こんなになった原因はエドのせいなんですけどね」

「エド君が?」

「まぁ、色々ありまして。だから沙夜先輩が気にする必要は無いです。悪いのは全てアイツですから」


 何度も同じ箇所ばかり殴りやがって……ま、気付けとしては役に立ったけど。

 って、よくよく考えてみたらエドの方が殴った回数一発多いじゃねぇか。

 なんかしっくり来ない部分があると思ってたらそれか。


「とにかく、冷やすか湿布貼らないと……」

「そうですよ、咲月。頬っぺが腫れてて喋りづらくないですか?」

「正直、少し喋りづらい。水とか飲んだら口の中が染みそうだな……」


 いや、でも口の中を切った感触や痛みは無いから大丈夫か……多分。


「そうだ! 咲月先輩、傷の手当てもそうですけど!」

「ん?」

「ご飯! もう何日もろくに食べてないじゃないですか! 部屋から出てきても栄養失調で倒れたら元も子もないですよ!」


 あっ! と大きな声を出すから何事かと思えば、飯の事か。

 いやまぁ、一食や二食抜いたんじゃなく、何日も食ってなかったからな。心配されてもおかしくないか。

 でも何故だろう。普段のイメージがイメージだからか、沙姫が食べ物の話をすると呆れというか、またかというか……変な脱力感が来る。


「そうよ、咲月君。何か食べて栄養を取らないと。本当に倒れちゃうわよ?」

「何食べます!? なんでも作っちゃいますよ、私!」


 沙姫、なんでお前はもう俺が飯を食う事が決定しているみたいに言ってんだ。

 生憎、今の俺は腹が一杯なん……。


「っと、そうだった。沙姫にもう一つ言う事があったんだ」

「なんですか?」

「肉まん、美味かった。ありがとな」


 若干腫れた頬が痛むが、無視して沙姫へと笑い掛ける。


「肉まん……って、あの私が買ってきた肉まんですか!?」

「他に何の肉まんがあるんだよ」

「だってあれ、床に落ちたヤツですよ!? それを食べたんですか!?」


 やはり沙姫は驚いたようで。目を真ん丸にしている。


「食った。四つ全部美味しく頂いた」

「でも咲月君、私が見た時は割れちゃったのもあったのが見えたけど……」

「あぁ、ありましたありました。拾えた分は食べたけど、あとで床に零れてた中身の餡は拭かないと」


 さすがに餡までは拾って食べれなかったわ。


「だ、ダメですよ、咲月先輩! 汚いのに落ちたのを食べるなんて!」

「でも美味かったぞ?」

「美味しいか美味しくないかの問題じゃなくて!」

「沙姫が作ってくれた料理……いくつも無駄にしちまったからな」


 今思えば、かなり勿体無い事をしていた。

 一人暮らしをしてから食べ物の有り難みを嫌という程知った。

 更に言うなら、沙姫の料理は美味い。その美味い料理を何食分も台無しにしてしまった。

 勿体無いお化けが出てきて怒られても文句は言えない。


「あ、そういえば昨日作ってくれた料理が手付かずでまだ部屋にあったな。あれもあとで食わないとな」

「だ、ダメですよ! 何か食べたいなら、私が新しいの作りますから!」

「前に俺が食べなかったのは全部捨ててたんだろ? いいよ、勿体無いし食うよ」

「えっ? いや、その、捨てようと思ってたんですけど……」

「へ? 違うのか? はっ、まさか沙姫、お前……いくら食い意地が張ってるからって……」


 呆れを通り越して感心し、さらに感心を通り越して可哀想なものを見るような目を向ける。


「ち、違いますよ! 私は食べてません!」

「私“は”? え、って事は……」


 沙姫の隣にいる沙夜先輩へと視線をやる。


「わ、私でもないわよ?」

「ですよねぇ」


 目が合うと、手を振りながら慌てて否定する沙夜先輩。

 まぁそうだよな。沙夜先輩が残飯処理をするイメージが湧かない。


「じゃあ他の誰かが食ったのか?」


 部屋に冷房が利いていたとは言え、夏真っ盛りのこの時期。半日以上も放置していたら悪くなっている可能性は高い。

 それを好き好んで自分から食おうとするチャレンジャーが、俺以外に居るとは。

 深雪さん辺りが食べてそうだな、性格的に。


「食べたのは……白羽さんです」

「あー、なるほど。白羽さんかぁ……って、白羽さん!?」


 一番予想から遠く、想像すらしてなく、意外な人物。


「はい。食べ物を粗末にするのは嫌いだ、って言って……」

「確かに、食べ物を粗末にしなそうなイメージはあるけど……」


 かと言って、誰かが残した飯を代わりに食う姿はあまり想像出来ない。と言うか、想像したくない。

 いつもビシッと決めて黒スーツ着こなしてる白羽さんが、残された飯を食うのはなんかいたたまれない。


「朝来ると、いつも食器が綺麗に現れて仕舞われてました」

「……マジか」

「私と姉さんが咲月先輩の部屋から料理を下げると、毎日持っていって食べてくれてみたいで」


 まさか白羽さんが食べてたなんてなぁ。

 悪くなってるかもしれない食べ物でも勿体無いと食べるなんて……子供の頃、親にしっかり躾られたのか。

 それとも俺や深雪さんみたいに、学生時代に苦労したクチだったりして。


「ん? じゃ結局、俺が食べなくても白羽さんがいるんだから、どっちにしろ料理は捨てずに食べられるんじゃ?」

「……あ」


 一文字だけの台詞を漏らして、が口を開ける沙姫。


「でも白羽さんが食っても大丈夫だったんだろ?」

「えぇ、まぁ」

「だったら食うよ。白羽さんにも悪いしな」

「でも……」

「今回だけだよ、今回が最初で最後だから。今度からはもう手も付けずに残したりしないからさ」


 困った顔をして、沙姫は小さく唸る。

 腹を壊さないよう心配してくれてるのは解るが、やはり勿体無い。

 それに白羽さんが食べて平気だった大丈夫だろう。刺身とかだったら完全にアウトけど。


「沙姫、諦めましょ。咲月君が相手じゃ、結局いつも私達が折れるんだから」

「そうだけど……」

「白羽さんが食べて大丈夫だったから問題無いと思うし」


 呆れ顔と言うか、諦め顔と言うか。それとなく溜め息を吐く沙夜先輩。

 あれ、なんか今の沙夜先輩の態度……沙姫が何かやらかした時のに似てるんですが?


「……うん、そうだよね。咲月先輩、今回だけですよ!」

「あぁ、次からちゃんと温かい内に頂くよ」


 渋々と言った感じ……じゃなくて完全に渋々だった、沙姫と沙夜先輩から許しが出た。


「って咲月先輩、脱線してますよ! 早く頬を冷やさないと!」

「っと、そうだった。給湯室に行って氷でも持ってくるか」


 頬を擦り、廊下を歩き出して給湯室に向かう。残した料理の話をしていてすっかり忘れてた。

 あと、白羽さん達とも話をしないとな。迷惑を掛けてしまった事を詫びて、この先の事……俺が思い出し、決めた想いと願い。

 俺が進む、道を。目指す先を。


「あ、でも……」


 一度立ち止まり、自分の二の腕辺りの臭いを嗅ぐ。


「どうしたの、咲月君?」


 すると、沙夜先輩が不思議そうに聞いてきた。


「そういや、風呂入ってなかったから臭うかな、と」


 ずっと部屋に引きこもってた間、一度も風呂に入っていない。

 季節が季節だから、大分汗臭いと思う。


「うーん、確かにちょっと臭いますねぇ」

「……マジ?」

「あはは、冗談ですよ、冗談!」


 沙姫がからかってきて笑っているが、気になってもう一回臭いを嗅いでみる。

 確かに、臭う気がする。いや、臭う。冗談でも臭うと言われたら臭う気がしてならない。


「……よし、まず先に風呂だな」


 決めた、風呂に入ろう。流石に臭いと思われるのは抵抗ある。

 それに汗でべたべたするし。


「でも咲月君、腫れた頬も冷やさないと……」

「風呂に入るついでに水で冷やしますよ」


 止めていた足を動かして、給湯室から自室へと向かう先を変更。

 タオルと着替えを持ってこないと。

 そして、廊下の突き当たり。部屋へ行こうと右に曲がろうとした時。


「うん?」


 左側。給湯室に続く廊下から声がした。振り向くと、そこに居たのは……。


「白羽さん」


 長い黒髪に黒スーツ。さらに黒いスリッパ。あと、おまけに手にはコーヒーカップ。

 中身は見なくても、まず間違い無くコーヒーだろう。湯気が出てるし。

 むしろコーヒーじゃなかったら何か間違いが起きたと言っていい。


「と、エドもか」


 その後ろに、エドも一緒に居た。


「部屋から出たようだね、咲月君。もう休まなくていいのかい?」

「あぁ、十分休んだ。情けない位、休んだ」


 嘲笑を浮かべ、白羽さんに答える。


「白羽さんに言われた通り、道から逸れ、今まで歩いた道を思い返して……更に続く道を見つめ、考え直したよ」

「ふっ、そうか。そして、部屋から出たという事は……また道を進む事を決めたようだね」


 小さく微笑む、白羽さん。特に驚きもせず、ただ平然と。

 まるで、最初からこうなる事を知っていたように。


「えっ、咲月先輩、なんの話ですか? 道……?」

「いや、こっちの話だ。気にしなくていい」


 頭の上にハテナマークを浮かばせながら、俺と白羽さんを交互に見る沙姫。


「白羽さんの言葉で踏み止まって考え直した。ありがとう」

「礼は要らない。私は例え話をしただけだからね。決意し再び立ち上がったのは君の意思で、強さだ。私は関係無いさ」

「そんな大層なもんじゃない。俺の意思よりも、遺志の強さだよ」

「……彼女達の、かい?」

「あぁ」


 白羽さんは少しだけ表情を強張らせる。

 俺の過去を知っている白羽さんは、当然凛の事も知っている。

 だから、白羽さんはモユだけでなく凛も含め、“彼女の”、と言ったんだ。


「それと……」


 白羽さんの後ろ。ずっと黙ったまま俺を見ている、エド。

 そいつに視線を向け、近付く。


「癪だけど、お前にも助けられた。ありがと……よッ!」

「ぐっ!」


 そして、思いっ切りブン殴る。右手で力の限り、加減なんて糞喰らえ。

 突然殴られ、当然予想もしてなく。エドは廊下の床に尻を着く。


「ちょ、ちょっと! 何をしてるの咲月君!」


 いきなりエドを殴り出した俺に驚いて慌てる沙夜先輩。

 沙姫なんかは何が起きたか頭が追い付いていない様子。


「さっきはお前の方が一発多かったからな。そのお返しとお礼だ」

「……あのままくたばるかと思ってたのに」


 エドは口元に手を当て、皮肉を言いながら立ち上がる。


「今のはちゃんと力が入ってたじゃないか」

「一発くらいまともなのを喰らわせないと、殴った回数が同じでも割りが合わないからな」

「面構えもマシになって、随分と男前になったもんだ」

「あぁ、どっかの誰かさんのお陰でな。お前もその男前にしてやろうか?」

「遠慮する。今のままで十分男前なんでね」

「はっ、自分で男前とかよく言えるわ」


 渇いた笑いをエドに向け、互いに互いの皮肉を言い合う。

 右手で作った握り拳をほどき、手首を回す。確かに今の一撃は手応えがあって、いくらか力の入りはマシになった。

 けど、やはり好調からは程遠い。数日間ろくに動かず食わずだったから当たり前だが、どうせだった飛びきりの一発を喰らわせたかった。

 身体の調子を元に戻すのに何日かは掛かりそうだ。


「あ、もしかして今のって……よく漫画とかである、本気で殴り合ってから友情を確認するヤツですか? 夕焼けが浮かぶ土手に寝そべったりする……」

「生憎、そんな感動的なもんでも無ぇし、こいつとの間に友情なんてのも無ぇよ」


 エドを親指で差して、けっ、と悪態をつく。

 こんな奴と友情を芽生えさせるぐらいなら、猛暑日に外で白羽さんとホットコーヒーを飲んだ方がマシだ。


「悪友みたいなものかしら?」

「沙夜先輩、悪友ですらないですよ。赤の他人以上、他人未満って感じです」

「それって結局他人じゃない」


 沙夜先輩はくすりと、苦笑する。

 親友でも友達でも悪友でも級友でも。エドとは間柄で“友”という文字は勘弁願いたい。

 理由、腹立つから。


「ふっ、どうやら咲月君の調子も戻ってきたようで何よりだ」


 エドとのやり取りを眺め、小さく微笑む白羽さん。


「あら、なんか賑やかね?」


 皆が話している中、俺の背後から声がした。声に反応し、廊下に居た全員が振り向く。

 すると、玄関から紺色のスーツを着た深雪さんがこちらへ歩いてきていた。

 って事は、深雪さんはさっきまで外に出掛けていたのか。


「久しぶりね、咲月君」

「はい、深雪さんにも迷惑掛けて……」

「そんな事無いわよ。でも咲月君、どうしたのその顔?」


 深雪さんは自分の頬を指差して、俺に聞いてきた。

 やはり目立つし気になるだろうな、この腫れた頬は。


「はは、やっぱ気になる?」

「それだけ腫れてたら、ねぇ?」

「そこの自称男前のせいでして」


 頬が腫れた原因を横目で見る。


「……ふん」


 対してエドは、すかした表情で鼻を鳴らす。

 見た感じ頬は腫れていない。残念ながら力が足りなかったらしい。

 身体の調子が戻ったら、もう一発殴ってやろうか。


「腫れてるだけで酷くは無いようだけど、手当てはしないと。まずはタオルか何かで冷やして……」

「いや、今からちょっと風呂に入ろうかと。その時に水で冷やすんで」

「お風呂? でも、昨日の湯は抜いちゃって沸かすには少し時間が掛かるけど……」

「ならシャワーだけでも。何日も風呂に入ってなかったんで、ちょっとさっぱりしたくて」


 髪だって洗ってないからべとべとだし。


「でも、調度良かった」

「うん?」


 沙姫、沙夜先輩、エド、深雪さん、白羽さん。

 ゆっくりと皆を見てから言うと、白羽さんは微かに眉を上げた。


「皆に話す事が……話さないといけない事がある」


 小さく息を吸い、吐いて。握る手には力が籠る。

 俺が進むと決めた道、叶えたいと望む願い……そして、交わした約束。


「少しだけ、付き合って欲しい」



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