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No Title  作者: ころく
37/85

No.36 約束

 日は沈み、空は黒いカーテンが掛かって暗闇が広がる。

 時刻は優に七時過ぎ。

 遊園地で遊び終え、今ようやくバスが駅前近くのバスターミナルに着いた。


「到着、っと」


 料金を払い、遊び疲れで重く感じる足を動かしてバスから降りる。

 街はビルやお店の看板が、イルミネーションのように光っている。空は暗くなっても、街は人工の灯りでまだ賑やかだ。


「はー、やっと着いたぁ!」

「モユちゃん、足下を気を付けてね」

「……うん」


 俺に続いて、沙姫と沙夜先輩、モユがバスから降りてきた。


「あー疲れたぁ」


 バスを降りるや否や、沙姫は肩を落として溜め息を吐く。


「腰を抜かして俺におぶられていた上に、バスで爆睡していた奴が何言ってんだか」

「むー! 私だけじゃなくてモユちゃんも寝てたもん!」

「お前、本当に高校生か?」


 自分を正当化する為にモユまで引っ張り出すな。

 でもまぁ、確かに疲れたたからな。寝てしまっても無理は無い。

 とは言え、全員寝てしまってはいけないので、俺と沙夜先輩は起きていたが。


「咲月君は電車に乗って白羽さんの所に帰るんでしょ? 駅まで一緒に行くわ」

「あ、はい。モユ、行くぞ」

「……うん」


 まだ眠たいのか、重そうな瞼を擦るモユ。

 はぐれないようにと手を繋ぎ、駅へと歩く。


「白羽さんと深雪さんへのお土産、クッキーなんかで良かったかしら?」

「いいんじゃないですか? 他に目ぼしい物は無かったんだし」


 カンパをくれた白羽さんと、深雪さんにはクッキーをお土産として買った。

 本当はもっとマシなのを買おうと思ったんだが、一番良さそうなのがそれしか無かった。

 ……と言うか、なんか今週一杯はうさバラし人形祭りらしく、グッズ商品の殆どがうさバラし人形で埋め尽くされていた。

 だから、遊園地にうさバラし人形の着ぐるみなんていたんだな。

 そんな訳で、無難にクッキーで落ち着いた。売店でお土産を選ぶ時、周りがうさバラし人形ばっかりだったので、終始モユが怯えっぱなしだったが。


「エド君には本当にお土産はいらなかったの?」

「へ? あー、はい。なんかあいつもクラスの友達とどっかに遊びに行くらしいんで、いらないそうです」

「そうなの?」

「はい。気にしなくていいって言ってたし」


 真っ赤な嘘だけどな!

 だーれがあんな奴に自腹切ってお土産なんぞ買うか!

 海水浴をハブにしたりする嫌な野郎にお土産を買う程、俺は八方美人じゃないんで。


「って、あ!」

「どうかしたんですか、咲月先輩? 急に声を上げて。忘れ物でもしたんですか?」

「あー、しくった……そんな所だ」


 渋い顔をして、頭をぶっきらに掻く。

 あーぁ、すっかり忘れちまってたよ。

 言い訳するつもりじゃ無いが、あまりにも遊園地での出来事が濃すぎて思い出せなかった。


「何を忘れたんです? 財布? 携帯電話? それとも本当はうさバラし人形と写真撮りたかったとか?」

「全部外れだ。特に最後のは大外れ、カスってすらいねぇ」

「じゃあ、何を忘れたんですか?」

「ぬいぐるみだよ、ぬいぐるみ。買おうと思ってたんだよ」


 横目で、手を繋いで隣を歩くモユを見る。


「まさか、咲月先輩って少女趣味だったとか……!?」

「へぇへぇ、いつもボケるのご苦労さん」


 遊園地での疲れがあってか、沙姫のボケをスルーする。

 つーか、そりゃ疲れるわ。このボケ担当を遊園地でおぶったりしたんだからよ。


「で、咲月君はどうしてぬいぐるみなんか買おうとしたの?」


 沙姫だと話がなかなか進まないと思ってか、沙夜先輩が横から入ってきた。


「実は今日の朝、モユの部屋に入る機会があって中に入ったんですよ」


 本当は勝手に入ったんだが、正直に話したらまた沙姫が話を逸らしそうだから省く。


「そしたら、物が何にも無い殺風景な部屋でさ。よく考えてみたら、モユが白羽さんの所に住むようになったのは少し前で、外に出られるようになったのも最近。そりゃ部屋を飾る物なんてある訳ない」


 もう一度、隣のモユに目を向ける。

 すると、今度は俺の視線に気付いて、モユは無言で首を傾げた。


「だからさ、今日遊園地に行ったらぬいぐるみの1つでも買ってやろうと思ってたんだ」


 なのに、すっかり忘れてしまってた。

 けど、今になって思い出してみると、遊園地のグッズ売場にはうさバラし人形しかなかったような……。

 もしかしたら、ぬいぐるみを買いに行ってたとしても、モユが欲しがる物は無かったかも。


「そうだったの。モユちゃんも女の子だもの、ぬいぐるみとか欲しいわよね」

「なら、今から買いに行きますか!? まだデパートとか開いてる時間ですし!」


 まだ元気が有り余っているらしく、沙姫が何故か挙手しながら提案してくる。


「んー……いや、今度でいいわ」

「えー? なんでですかぁ?」

「朝から遊んで皆疲れてるだろうし」

「そんな事無いですよ! まだまだ元気です! 今からボーリングだって出来ますよ!」


 うん、それはお前だけだ。

 俺と沙夜先輩の顔を見てみろ。明らかに疲れの色が見えるから。


「まぁ、一番の理由は他にあるんだけどな」

「他?」


 そう言い、視線を隣にやって沙姫に目で教えてやる。

 そこには、眠たそうに瞼を擦っているモユがいた。


「あ……そうですね、今日は帰りましょうか」


 遊び疲れてすでに眠くなっているモユを見て、沙姫は微笑む。

 ぬいぐるみを買うにしても、モユがこれじゃ選べやしないだろう。


「本当に沙夜先輩達を送らないでいいんですか?」

「うん。別に真夜中って時間じゃないし、家までそんなに遠くないしね」


 遊園地からの帰りバス内でも話したんだが、帰りに沙夜先輩達を家まで送ると言ったら断られた。

 しかし、なんと言うか。一度断られたのに聞いてしまう。


「それに、眠そうにしてるモユちゃんを歩き回す訳にはいかないでしょう?」

「んー……いざとなったらおぶれば。沙姫よりは軽いだろうから余裕ですよ」

「ふふっ、でも遠慮するわ。早く帰って、モユちゃんを布団で寝かせてあげて」


 優しく微笑みながら、沙夜先輩はモユの頭を撫でる。

 いつも沙姫の世話を見ているからかな。

 こういう誰かの面倒を見るような沙夜先輩の姿が、凄く様になっている。


「あ、姉さんずるい! 私もモユちゃん撫でる!」


 対して妹は、いつまでもガキのままみたいで沙夜先輩が大変そうだ。


「モユちゃん、今日は楽しかった?」

「……うん。楽しかった」

「良かったぁ! また一緒に遊び行こうね!」

「……また?」

「そ、また!」


 沙姫は爛漫な笑顔で、モユに約束をする。


「……うん。また遊びに行きたい」


 モユは少し間を開けてから、こくん、と頷く。


「あーぁ、モユちゃんともお別れかぁ。楽しい時間は早く過ぎるって本当だなぁ……」


 沙姫は名残惜しそうに溜め息を吐く。


「確かに、今日はあっと言う間に終わった感があるな」


 さっき降りたバスターミナルも、つい数分前に遊園地行きのバスに乗った気がする。それだけ今日が楽しかったって事か。

 初っぱなからジェットコースターを連続で乗らされたり、極寒の部屋を薄着のまま歩かされたりして死にかけたりしたけど……。

 楽しい一日だったと思う。


「あら? 何かあったのかしら?」


 先を歩く沙夜先輩が言い、ふと視線を向ける。

 駅前の大通りに出ると、大きな人だかりが出来ていた。

 時間も時間で、街を歩く若者や飲み屋に繰り出すサラリーマンなど、駅前の人通りはまだ多い。

 だが、目の前の人だかりはそういうのでは無い。

 もっと別の、違うもの。


「っは、ぁ……あ、は、っは……」


 人だかりに近付くにつれ、息が苦しくなる。いや、息が上手く、出来ない。

 呼吸が乱れ、今自分が吸っているのか吐いているのか。

 息が出来なく、解らなくなっていく。


「やだ、姉さん、事故みたいだよ?」

「本当、壊れた車が車道からはみ出てる……交通事故みたいね」


 沙姫と沙夜先輩が人だかりの間を縫って、中央を覗き見している。

 辺りにはパトカーや警察官が慌ただしくして、救急車が入れる場所を確保している。


「は、っあ、ぁ……かっ、ふ、ぁ……」


 呼吸が熱い。

 息が苦しい。

 胸が痛む。

 視界はぼやけ、気持ちが、悪い。

 吐き気が、する。


「……匕、大丈夫?」


 俺の異変にいち早く気付いたモユが、Tシャツを引っ張って心配してきた。

 だが、それに返事をする余裕が、俺には無かった。

 あの時も、そうだった。周りは五月蝿い人達が沢山。

 好奇の目、哀れみの目、興味の目、同情の目、無関心な目。様々な感情が籠った目を向けはすれど、何もしない。

 被害者も加害者も関係無い。

 ただ喧しく、五月蝿く、ウザく、野次馬をするだけ。

 自分の好奇心を満たそうと、眺めているだけ。それが気持ち悪い。ただただ、気持ち悪い。

 気持ち悪さの余り吐き気を覚え、怒りの余り目眩が起きて。視界が真っ白になる程、腹立たしい。

 あぁ、駄目だ。色んな感情がごちゃ混ぜになって呼吸が上手く出来ない。


「あ、っはぁ、はっ……」


 視界もぼやけて、足に力も入らない。

 締め付けられるような痛みが、胸の中で走り回る。

 胸も熱い。熱くて苦しい。そして、痛い。

 立つ事さえままならず、地面に膝を着く。


「咲月先輩……? 咲月先輩、大丈夫ですか!?」


 周りの、人だかりの騒めきが五月蝿い。五月蝿過ぎて、耳が痛くなる。

 耳鳴りがして、それが頭に響く。脳が揺さぶられる位に、響く。


「さき――いっ! ――せん――い――」


 パトカーのランプが、人だかりを赤く塗っていく。

 まるで視界全て、映る物全てを赤くするように……。


「赤、い……あ、か……?」


 あか、アカ、赤、朱、紅。

 赤く染まっていく。何が?

 真っ赤に燃えて……大事な場所が、赤い炎で焼かれていく。

 紅く塗られていく、誰が?

 深紅に濡れて……大切な人が、紅い水に溺れていく。


「か、ぁ……っは」


 何度も思い出して、何度も思い返して、幾度と思い悔やんで……。

 あの日の、あの時の、あの出来事が、頭の中でフラッシュバックで再生されていく。

 雨が降っていて、なのに晴れていて……。

 月は無いのに、明るくて……。

 そんな夜にアイツは――――凛は、死んだ。

 死んだ……? 本当にそうか……?

 そうじゃない、違うだろ? 本当は死んだんじゃない。

 そうだ、そうだよ……凛は死んだんじゃない。


 ――――俺が、殺した。


 俺が、大切な人を、自分で、殺したんだ。

 俺が、あいつを。俺が、彼女を。俺が、大切な人を。俺が、凛を

 俺が、俺が、俺が、俺が、俺が俺が俺が俺が俺が俺が――――。


「――匕ッ!」


 大きな声で名前を呼ばれ、ふと我に返る。


「あ、……」


 頭が痛くなる位に鳴っていた耳鳴りも、濁って霞んでいた視界も、全て元に戻っていた。

 まるで、全部嘘だったかのように、綺麗に消えていた。


「おい、大丈夫か? 意識ははっきりしてるな?」

「あ、ぁ」


 そして、元に戻った視界が最初に映したのは、沙姫でも沙夜先輩でも、モユでも無かった。


「エ、ド……?」


 俺の前にいたのは見覚えのある、金髪のいけ好かない顔。

 どこから沸いて出たのか、エドだった。


「やっと戻ってきたか」

「あれ……俺は何してた、んだ……っけ?」


 何がなんだか解らず、額に手をやって混乱する頭を落ち着かせる。


「そこの事故現場を見て、様子が可笑しくなったって聞いた」

「事故、現場……?」


 親指を立てて、エドが後ろを指した先を見る。

 そこには、ガードレールが壊れ、地面にはタイヤの跡と生々しい事故の様子が残っていた。


「そう、だ……俺、事故を見てたら気分が悪くなって、それで……」


 まだぼやける頭を、少しずつ整理していく。


「多分、お前は昔と重ねてしまったんだろ」

「昔……そうか、俺は思い出したのか。それで、気を取り乱しちまって……」


 落ち着き始めた頭が、段々と思い出していく。


「はは、情けねぇ……」


 額にやっていた手で、くしゃり、と前髪を握る。


「そうでもない。トラウマってのはそういうものさ。いや、なかなか克服出来ないから、トラウマと言うのか」


 エドはしゃがむのをやめて、立ち上がる。

 いつの間にか俺は移動させられていて、ベンチに座っていた。


「なかなか正気に戻らなくて苦労したよ。まだ戻らなかったら、もう一発ビンタしていた所だ」

「……さっきから妙に左頬がジンジンすると思ったら、てめぇか」

「気付けには外部からの刺激が効果的だからな。現にそうだっただろ?」

「……まぁな」


 いつもだったら倍返しにしている所だが、今回は完全にこいつに助けられた。


「それに、隣で心配してくれていたお姫様にも礼を言っておけ」

「お姫様?」


 エドに指を指され、右隣へと目をやる。


「あ……」


 そこには、目をうつらうつらさせながらも、俺のTシャツを掴んでいるモユがいた。


「悪い、心配させちまったな」


 そっとモユの頭に手を乗せて撫でてやる。


「あ、そう言えば沙姫と沙夜先輩は?」

「お前に冷たい飲み物を買いに行った。そろそろ戻ってくると思うが……」


 沙姫と沙夜先輩にまで手間掛けさせちまったのか……。

 はぁ、せっかく楽しい遊園地に行って来たのに、これじゃブチ壊しもいいとこだ。


「ところで、なんでお前がここにいるんだ? ……まさか、今日ずっと俺を尾行してた訳じゃないよな?」

「誰がそんな暇な事をするか。仕事で出掛けてて、用があったからダミーの方に少し寄ってきたんだ」

「ダミーって……あぁ、学校の住所を偽る為に借りた所だっけ」

「そして帰ろうと思って駅前に来たら事故が起きててな。気になって見に来たら、今にも倒れそうなお前を見付けたんだよ」


 本当に偶然、ここにいたのか。

 まぁ、そのお陰で俺は助かったんだけど。


「あ、咲月先輩が話してる!」


 缶ジュースを片手に持って、沙姫が沙夜先輩と戻ってきた。


「咲月君、大丈夫? 具合が悪かったなら言ってくれれば良かったのに……」

「あぁ、大丈夫ですよ。ちょっと目眩がしただけですから」

「咲月先輩、飲み物を買ってきたんですけど、飲みますか?」

「あんがと、貰うわ」


 沙姫から缶ジュースを受け取って、おでこに付ける。

 ひんやりと冷たくて気持ちいい。


「じゃ、匕も何とも無かった事だし、帰ろうか」


 その場を仕切るように、エドが言う。


「沙夜先輩と沙姫ちゃんは俺が送るから、匕は先にモユちゃんと帰ってろ」

「えっ、いいわよ、エド君。私達は自分で帰れるから」

「いいからいいから。夜道は危険ですから」


 断ろうとする沙夜先輩の背中を押して、半ば強引に連れていく。


「おい、エド!」

「お前も早く帰れ。モユちゃんもそのままだと風邪をひくぞ?」

「ぐっ……」


 確かに夏とは言え、いつまでもこんな所で寝かす訳にはいかない。


「わあったよ。ほらモユ、起きろ。帰るぞ」


 モユの肩を揺らして、寝ていたモユを起こす。


「……ッ! 匕、大丈夫?」


 パチッと目を開けると、思い出したかのように聞いてきた。


「ん、ちょっと立ち眩みしただけだ。もう大丈夫だって」


 モユの頭を撫でながら、大丈夫だと笑って見せる。

 それを見て安心したのか、モユは小さく肩で息をした。


「それじゃあ、咲月君。今日は楽しかったわ、おやすみなさい」

「はい、俺も楽しかったです。機会があったらまたどっかにでも」

「モユちゃんもお疲れ。帰ったらゆっくり休んでね」

「……うん」


 沙夜先輩の言葉に、モユは頷いて返す。


「咲月先輩、今日はありがとうございました! すっごく楽しかったです!」

「そりゃ良かった。俺はお前に振り回されて疲れしかねぇよ」

「むー! いいですよ、そんな事を言うなら、もう無料チケット貰っても咲月先輩は誘ってあげないですから!」

「冗談だって、冗談。楽しかったよ。薄着で-2度の世界はもう御免だけど、それ以外ならまた誘ってくれ」

「はい!」


 沙姫は全く疲れの色を見せない、いつもの元気な笑顔で返事する。


「モユちゃん、また遊びに行こうね!」

「……うん」


 沙夜先輩と同様、モユは沙姫にも頷くだけで返す。


「じゃ、姉さん。帰ろっか」

「そうね」


 沙姫と沙夜先輩は背を向けて、帰るべき家へと歩き出す。

 そこで、モユが口を開いた。


「……沙姫、沙夜」


 名前を呼ばれ、沙姫と沙夜先輩はこちらに振り向く。


「……ばいばい」


 そして、その二人にモユは手を振る。

 小さな手を、小さく動かして。


「うん! バイバイ、モユちゃん!」

「バイバイ。気を付けて帰ってね」


 沙姫は大きく手を振り、沙夜先輩は軽く手を振って返してきた。

 それを最後に、沙姫と沙夜先輩は振り返る事無く、エドに送られて帰っていった。


「んじゃ、俺達も帰るか」

「……うん」


 額に当てていた缶を離して、ベンチから腰を上げる。


「ほらモユ、手はこっちだ」

「……うん」


 モユはTシャツの袖を掴んでいた左手を離して、差し出した右手を握る。


「眠いか?」

「……少し」

「電車の中なら寝れるからな。少し我慢して歩いてくれ」

「……うん」


 モユの手を引いて、駅の中へと入っていく。

 まだ八時前だというのもあり、駅の中には人がまだ沢山いる。

 白羽さんの事務所がある赤尾町までの切符を二枚買って、自動改札機を通る。

 運良く、電車が出るまでの時間は十分も無かった。ただ、心配なのは椅子に座れるかどうかだ。

 俺はともかく、モユだけでも座らせたい。今も頻り目を擦っているところを見ると、大分眠いんだろう。

 座らせる事が出来れば、赤尾町に着くまでの十数分だけだが、寝させてやれる。

 電車、混んでなきゃいいな。




    *   *   *




「立花町と違って、こっちは暗いなぁ」


 赤尾町に着き、駅から外に出る。

 立花町の駅前とは違い、いくつも並ぶビルや煌めかしく光る看板も無く、人通りも少ない。

 一緒に電車から降りた人が数人歩いているだけで、それ以外の人は見当たらない。

 駅前だと言うのに街灯が幾つかあるだけで、若者が集まるような店も仕事帰りのリーマンが寄れるような飲み屋も無い。

 赤尾町は街と言うより村に近く、これと言った娯楽施設は少なかったりする。

 それでも、スーパーやコンビニなどはある。だが、街として発展している立花町と比べれば明らかに見劣りする。

 電信柱も目立つし、たまに田んぼも目に入る。舗装されていない砂利道もあるしな。


「モユ、事務所まで歩けるか?」

「……うん」


 重たい瞼を擦りながら、モユは一度だけ首を縦に振る。

 電車は思っていたより空いていて、問題無く座る事が出来た。モユは椅子に座るとまたうつらうつらし始め、ついさっきまで寝ていた。

 電車の揺れが妙に気持ち良くて、俺も眠くなったりしたが我慢した。

 寝過ごして降りる駅を通過してしまう訳にいかない。


「帰ったら布団でぐっすり眠れるから、あと少しだけ頑張れな」

「……うん」


 モユと手を繋いで、白羽さんの事務所までの道のりを歩く。駅前から離れると街灯も無くなり、暗い道路が続く。

 空は今も晴れて、沢山の星が輝いている。月は殆んど欠けていて、細い三日月が浮かんでいた。

 辺りから聞こえてくる夏虫の鳴き声が、心を落ち着かせて暑さを紛らわしてくれる。


「綺麗な星空だなぁ……これだと明日も快晴かな」


 歩きながら空を仰いで、無数に散らばる星を眺める。

 欠けていて月が小さい分、星が一段と輝いて見える。

 空気の澄んでいる冬だったらば、もっと綺麗なんだろうな。


「……あ」


 夏虫の鳴き声の中に混ざって、一言だけの小さな声。

 瞬間、手を握っていた右手から感触がするりと消える。

 そして、どてっ、という擬音が聞こえてきた。

 咄嗟に後ろに振り返る。


「モユ、大丈夫か!?」


 そこには、躓いて転び、うつ伏せで地面に倒れているモユの姿が。

 すぐさま駆け寄って、身体を起こしてやる。


「……ころんだ」


 モユは目を擦りながら、まるで他人事みたいに無表情で言う。

 転んだんなら、慌てたり痛がったりしろ。

 まぁ、ジェットコースターやお化け屋敷でも顔色を一つも変えなかった奴だからな。

 転んだ程度で変えたりしねぇか。

 見た感じ膝を擦りむいてもいないし、怪我はしなかったようだ。


「……あ」


 俺が一安心していると、モユはまた小さな声を漏らす。

 鼻から赤い液体が出てき、顎へと伝い流れた。

 ぽたり、と。

 地面に丸く赤い染みを作る。


「モユ、動くな。そのままじっとしてろ」


 急いでズボンのポケットからポケットティッシュを取り出し、千切って小さく丸めたのを鼻に積めてやる。

 余ったティッシュで、鼻から流れていた血を拭き取る。


「これでよし。服に血は付いてないな」


 モユを立ち上がらせて、服に付いた土を払う。

 モユが履いているのは白いスカートだから、血が付いたら染みになる所だった。

 朝、駅前で配られていたポケットティッシュを貰っていてよかったぁ。


「他に痛む所あるか?」

「……ううん、ない」


 首を左右に振って、モユが答える。

 鼻から少しはみ出たティッシュ顔が、なんだか間抜けっぽく見えて笑ってしまいそうだ。


「とりあえずほれ、背中に乗れ」


 遊園地のお土産が入った袋は手首に掛け、しゃがんでモユに背中を向ける。


「また転んだら怪我するかも知れねぇし、なんだか足取りが覚束無いからな。おぶってやる」


 早く乗れ、と視線を送る。


「……うん」


 モユはゆっくりと俺の背中に体重を乗せてくる。


「よっと」


 モユの腿に腕を回して持ち上げる。


「うっわ……軽いなぁ、お前」


 あまりの軽さに、立ち上がった際に少し勢いが余った。

 沙姫の半分ぐらいしか体重が無いんじゃねぇか?

 たまにスーパーで大量に買った時の荷物より軽いぞ。


「……沙姫は重かったの?」

「ぷっ、あっはははっ! まぁ確かに、モユよりは重かったな」


 思わず吹き出してしまい、笑い声を上げてしまった。

 モユは純粋に悪意無く聞いてきただけなんだろうが、それが余計に笑いを誘う。

 沙姫が別段重かった訳では無かったが、やはりモユと比べれば重くなってしまう。

 身長だって大分差があるしな。


「……匕」

「んー?」


 笑いも治まり、再び辺りが静かになった時だった。

 少し間を空けて、モユがおもむろに口を開いて名前を呼んできた。


「……匕は、凛を殺したの?」

「――ッ!」


 その放たれた言葉に、動かしていた足が止まる。

 胸の鼓動が高く、速く鳴り。息が苦しく、熱くなる。


「なん、で……それを……?」


 目を見開いて暗闇が続く道の先をただ見つめ、平然を装うにも声が微かに震えてしまう。

 モユが言った言葉は、俺を動揺させるには十分なものだった。

 十分過ぎて、否定する答えが頭に浮かばない程。


「……匕が倒れた時に呟いていたのを、聞いた」


 倒れた……あぁ、立花町の駅前で交通事故を見て、気が動転した時か。


「そう、か」


 モユに振り向く事も目を見る事もせず、ただ素っ気無く、一言だけをモユに返す。

 無意識に、俺は口にしていたらしい。それをモユに聞かれていたのか……。


「……ごめんなさい」


 俺の様子が明らかに変わり、モユは声のトーンを落として弱々しく謝ってきた。

 モユも、今のは聞いてはいけない事だったと感付いたようだ。


「いや……いい」


 また素っ気無く返して、止まっていた足を動かし始める。

 いつもだったらば、謝んなくていい、なんて苦笑しながら言ってやれただろう。

 モユがその事を、故意に聞いてしまったんじゃないのは解っている。

 けど、これだけは無理だった。

 それは俺の奥底を抉り、心のかさぶたを剥がし、傷を弄られる。

 俺のトラウマを……自分が犯した罪を穿り返されて、俺は相手に気を遣える程立派な人間じゃない。

 相手が何も知らない子供であっても、そんな余裕はなかった。

 俺はその子供よりも小さくて、弱い人間だから。


「……凛って人、前に匕から聞いた事がある名前」


 俺の背中で、モユ弱々しい声のまま話してきた。


「……遠くに行って、長い間会ってないって言ってた。それって、凛が死んじゃったから……?」

「――――そうだよ」


 下唇を噛む。

 また昔を思い出して気が動転しないよいにと、痛みで意識を留めておく。


「……本当に匕が、殺したの?」


 俺の肩に手を掛けていたモユの手に力が入り、Tシャツを強く握られた。


「あぁ、俺が――殺した」


 まるで自供するように、重い口を開いて……俺は答える。

 また足を止め、地面に転がる石ころを見つめて。


「……結果的にな」

「……結果、的?」


 少し間を空けてから、付け足すように言葉を呟く。


「あいつは、凛はさ……待ち合わせ場所で俺を待っている時に通り魔に襲われたんだ」


 目を瞑って、あの時の事を思い出す。

 今でも悔恨の念が心中で渦巻いている。

 凛が死んでしまった後悔と、凛を殺した通り魔への遺恨が重なり混ざり合って。


「通り魔から逃げ回ったらしく、凛の遺体が発見されたのは待ち合わせ場所から離れた所だった」


 奥歯を強く噛み締め、歯軋りを鳴らす。


「俺が……俺が待ち合わせに遅れたばっかりに、凛がしんでしまった。遅れなければ、俺が凛を守ってやれたかもしれない! 通り魔に襲われる事も、殺される事も! 今でも生きて、笑っていれたかもしれない!」


 気付いていたら、叫んでいた。

 大声を上げて、自分が犯した罪を自分に言い聞かせ、戒めるように。


「全ては可能性の話でしかない。けど、助かるかもしれなかったと言うのも事実……だから、俺が殺したんだ。結果的に、俺が」


 凛の形見となってしまった紫水晶。今も首に掛けてある。

 たった一つの、俺が持つ凛が生きた……生きていた証。


「……違う。匕は殺してなんかいない」

「モユ……?」


 背中から、モユが言ってきた。

 Tシャツをまた、強く握って。


「……匕がSDCに参加している理由、わかった」

「え――っ?」


 モユの言葉に反応し、後ろを振り向く。


「……凛を生き返らせるのが、匕の願いだったんだ」


 赤茶い瞳で真っ直ぐ俺を見て話すモユ。

 暗い所でも、その特色な瞳は淡く光っていた。


「……あぁ、そうだよ。俺は凛を生き返らせる為に、S.D.C.に参加してる」


 もう一度あいつに会いたい。あの笑顔を見たい。

 くだらない事で喧嘩したり、しょうもない事で笑い合いたい。

 そして、謝りたい。


「俺はもう、大切な人がいなくなるのは……死んでしまうのは耐えられない。見たくない」


 ゆっくりと正面を向いて、再度、奥歯を噛み締める。

 自分が犯した過ちをも、苦く噛み締めて。


「……ごめんなさい」


 モユがまた、謝ってきた。

 背中に顔を埋めて、弱々しい小さな声で。


「なんだ? 今日はよく謝る日だな?」

「……ごめんなさい」


 顔を埋めてたまま、両手でTシャツを握り締めて。

 本当に小さな声で、モユは謝ってくる。


「もういいって、気にすんな。そもそも凛の事を聞かれたのは、俺のミスだしな」


 まだ多少、昔を思い出して気持ち悪いとも具合が悪いとも違う、嫌な感覚は残っている。

 それでも、モユにこれ以上気を遣わせないようにと、背中越しで笑って見せる。

 まぁ、モユは背中に顔を埋めたままだから俺を見ていないんだけども。


「そういや、お前には願いとかは無ぇのか?」


 口調もいつも通りに戻して、歩くのを再開させる。


「……願い?」


 モユはやっと顔を上げて、言葉を返してきた。

 重くなっていた空気を打破する為に、思い付いた事を聞いてみる。


「そうそう。お前の部屋って何も無いだろ? 願いとか、なんか欲しい物とかあったりしないのか?」


 この質問が思い付いたのは、モユの部屋には飾るような物が一切無かったのを思い出したからだ。

 結局、遊園地でぬいぐるみを買ってやるのも忘れてしまった。

 ここで欲しい物とかを聞いておけば、次に出掛ける機会があったら買いに行ける。


「……願いなら、ある」

「おっ、本当か? 一応言っておくけど、アイス以外でだからな」


 いつものパターンだと、ここでアイスという返答がくるのが容易に想像出来る。

 今回は先に手を打たせてもらいました。


「……」


 すると、モユは何も言わずに黙ってしまった。


「ははっ、もしかして図星だったか?」


 やはり予想が的中していたらしい。

 ワンパターンというか、モユらしくて笑ってしまう。


「……ううん。アイスとは別で、願いがある」

「なんだよ、ほら、恥ずかしがらず言ってみ?」

「……うん」


 後ろから、はぁ、とモユが小さく息を吐いた声が聞こえてきた。





「……今度はヒトじゃなくて、人間に生まれたい」




 モユが口にしたその願い。

 それを聞いた瞬間、時が止まったようだった。

 何を言っているのか、なんて言ったのか、頭がすぐに理解しない。

 ただ、何かがふつふつと、身体の内側から込み上げてくる。


「お前、何言ってんだ……?」


 出てきた言葉が、それだった。

 頭が理解していない状態では、これが精一杯。

 いや、本当は理解していた。聞いた時にすぐ、言っている意味が解った。

 けどそれを、俺は認めたくなかったんだ。それを認めたら、人としての、人間としてのモユを否定してしまうから。


「……そのままの意味。私は、次があるなら人間に生まれたい」

「――――ッ、!」


 ここで、込み上げていた何かが爆発した。


「馬鹿な事を言ってんじゃねぇ!」


 火山のように一気に、溜まった怒りが弾けた。


「お前は人間だ! 周りと同じで、誰とも変わらない、1人の人間なんだ!」

「……違う、私は――」

「違わねぇ! お前をヒトと呼んでいた奴はもういない! 誰がなんと言おうと、お前は人間だ! アイスが好きな、ただの人間なんだよ!」


 頭がカッと熱くなって、気付けば息が切れる程に叫んでいた。

 夜だろうが、外だろうが公共の場だろうが関係無い。

 そのふざけた考えを、願いを俺は……許せなかった。


「……うん」


 モユは俺の首に腕を回して、また背中に顔を埋める。


「もう二度と、ふざけた事を言うなよ」


 最後に罰が悪そうに言って、歩くのを再開する。


「……匕」

「なんだ?」

「……ありがとう」


 首に回した腕の力を、きゅっと強めてモユが呟いた。


「礼を言われる筋合いは無ぇよ。当然の事を言っただけだ」

「……うん」


 それで会話が途切れ、辺りには静寂が戻る。

 夏虫の鳴き声が聞こえてきて、空には沢山の星が光っている。

 街灯の無い、暗い道を歩いて事務所を目指す。

 さっき叫んでしまったからか、身体が熱くなって額に汗が浮かんでいた。


「……匕」

「ん?」


 ぽそりと、耳元近くてモユが呟いた。


「……匕は願い、叶えてね」

「あぁ。凛を生き返す事が出来たら……また遊園地にでも行くか」

「……うん、約束」

「約束だ」


 穏やかな声で話をしながら、歩みを進める。

 暗い暗い、先の見えない道を……ゆっくりでも確かに、踏み締めて。


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