No.35 Haunted house
俺の心がポッキリと真っ二つに折られてから、更に五分後。
貝なんぞに目もくれず、出口まで全力ダッシュして外に出た。
途中であったドアは足で押し開け、沙姫達は置いて一人先にゴールした。リタイアじゃなく、ゴールです。ちゃんと出口から出たんだからリタイアじゃありません。
今はとにかく体温を上げる為に、ベンチに座って日光浴をしている。
あぁ、夏の熱気が暖かい。太陽の日差しが心地良い……。レンジでチンされるのって、こういう気持ちだったんだなぁ。
「咲月先輩、大丈夫ですかー?」
沙姫達も少し遅れて氷の水族館から出てきた。
「なんとか一命は取り止めたわ……」
膝の上に肘を置いて、項垂れたまま沙姫に返事する。
とにかく今は、日光浴するので精一杯です。
まだ身体の震えが止まらない。まぁ、鼻の痛みはなくなって呂律は普通に回るぐらいには回復したけど。
「本当に大丈夫、咲月君? 防寒着、今からでも借りてこようか?」
「あぁ大丈夫、大丈夫ですよ。生きて帰ってこれたんで、あとは体温さえ回復するだけですから」
沙夜先輩は優しいよなぁ、本当。今浴びている太陽光と同じくらい暖かいよ……。
「……匕」
ベンチに座る俺のTシャツの袖を、モユが引っ張ってきた。
普段周りに対して無関心な事が多いモユも、さすがに心配してくれるようだ。
「……三時」
「はい?」
また、Tシャツを引っ張って言う。
「……アイス」
まだ身体を震わせて唇が紫色の俺に、今聞きたくないワードトップスリーに入るであろう言葉を渡してきた。
「あ、アイス……ですか?」
「……うん、アイス。三時になった」
こくん、と。無表情で、無慈悲に。
それを今の俺に言いますか。ついさっきマイナス五度の世界で死にかけた俺に。
心配なんて全くしていなかったね、この子。
そのアイスを求める貪欲さ、そして自分の鼻がまだ冷たくて赤いのにアイスを愛す心。
もう呆れをお取り越して脱帽するしかねぇわ。
「今じゃないど駄目か?」
「……だめ」
「すぐ?」
「……すぐ」
「どうしても?」
「……どうしても」
Tシャツをがっちり掴んで、モユは一歩も譲らない。
「……わあったよ、買ってくるから待ってろ」
ガタガタ震える身体に鞭を打ち、ベンチから立つ。
そこでようやくモユのギブミー・アイス・ロックが外された。
モユはアイスの事になると退く事を知らないからな。結局俺が折れるしかない。
「なら私が買ってくるから、咲月君は座って休んでて。まだ震えてるじゃない」
「いや、自分で行けますよ。それに動いた方が早く身体が温まりそうですし」
寒さのせいで顔の筋肉まで固くなって、ぎこちない笑みで沙夜先輩に返す。
「じゃあ咲月先輩、私にもアイスお願いします!」
「お前もかよ。あの寒さの後によくアイスなんて食う気になれるな……」
「ほら、寒い冬にもアイスが食べたくなる事があるじゃないですか。あれと同じですよ」
なんでだ? 沙姫が言ってる事は無茶苦茶なんだが、妙に納得出来てしまう。
「沙夜先輩は? 食べたいなら買って来ますけど?」
「遠慮するわ。私は寒くて食べる気になれないもの」
沙夜先輩は腕を擦って、苦笑いする。
あんな寒い場所に行った後なら、普通はこういう反応をするもんだ。
アイスを食いたいと言うモユと沙姫が異端なだけで。
「買ってくるから少し待ってろ」
近くにあった売店まで少し覚束無い足取りで歩いて行く。
メニューを見ると、アイスはソフトクリームのバニラ、チョコ、それとバニラとチョコのミックスの三種類だけだった。
あ、そういや何味を食べたいか聞くの忘れてた。
まぁいいや。バニラとチョコを片方ずつ買って選ばせればいいか。
「すいません、ソフトクリームのバニラとチョコをください」
店員に頼むと、コーンの上にソフトクリームを器用に巻いていく。
そして俺は、待っている間も日光浴を忘れない。
かじかんで上手く動かせない手で財布から小銭をだして代金を払い、出来上がったソフトクリームを受け取る。
俺には暖かい直射日光や空気は、他の人にとっては項垂れたくなる程の暑さ。そしてそれは、ソフトクリームには天敵であり脅威である。
なので、モユの機嫌を損ねないように、ソフトクリームが形を保っている間にさっきいたベンチへ戻る。
戻ると、ベンチには女性陣が並んで座って待っていた。
「買ってきたぞ。バニラとチョコだ、好きな方を選べ」
ベンチに座るモユと沙姫の前に、買ってきたソフトクリームを差し出す。
「モユちゃんはどっち食べたい?」
「……チョコ」
「じゃあ私はバニラー!」
沙姫はソフトクリームを受け取って、チョコをモユに渡す。
「んー、おいしー!」
「……」
二人はソフトクリームを仲良く食べ始める。
……おい。震えながら買ってきてやったのに、ありがとうの一言も無いのかよ。
モユに至っては美味しいどころか何も言わねぇし。
「咲月君、座って」
ベンチの座っていた沙夜先輩が立ち上がって、席を譲ってきた。
「いやいや、沙夜先輩が座ってていいですよ」
「何言ってるの、咲月君、まだ唇が青いわよ。いいから座って」
腕を掴まれて、半強制的にベンチへ座らされた。
まだ唇が青いのか、俺。いや、さっきまでは紫色だったからな。少しはマシになったか。
「咲月先輩、一口食べます?」
ベンチに座って項垂れている俺に、沙姫が食べ掛けのソフトクリームを向けてきた。
「食う訳無ぇだろ。その凶器を俺の視界に入れないでくれ、頼むから」
俺は熱を外部から集めるのに必死なんだ。そんな視覚情報で体温を下げるような事はやめてくれ。
「そんなに寒いんだったら、温かい飲み物も買ってくれば良かったじゃないですか」
「……買いたくても売ってなかったんだよ」
季節が季節だからか、こんな真夏日が続く時期にホットドリンクなんて売っていなかった。
売っていた飲み物は全部冷たいのだけ。今なら白羽さんと一緒に仲良くホットコーヒーを飲める。おかわりも喜んで出来る。
クソ暑い日にホットコーヒーを飲むなんて一生理解出来ないと思っていたが、人生ってどうなるか分んねぇな。
後にも先にも、白羽さんの異趣に共感する事はもう無いだろうに、そんな時に限って飲めないとは。
いつも暑い日に美味しそうにホットコーヒーを飲む白羽さんを、異常な物を見るような目で見ていたからバチが当たったんだろうか。
一応謝っておきます。すんませんでした、白羽さん。夏にもホットコーヒーは必要だわ。
「咲月先輩、この後はどうします? どこか回ってみたい所ありますか?」
「あー? 氷が並ぶ氷点下の部屋以外ならどこでもいい」
項垂れたまま動かずに、沙姫に返事する。
さっきの氷の水族館に比べたら、最初のジェットコースター五回連続もマシに思えてしまう。
しかし、よくよく考えてみたら、ジェットコースターに5回連続で乗らせれて具合が悪くなったのも、今こうやってアイスを見るのさえ嫌な程に身体を震えさせているのも、全て沙姫のせいじゃねぇか。
後者はゲーム三本勝負で負けた罰ゲームだったってのは置いといて、だ。
顔は真っ青、唇は紫にして震えていても心配すらしてこない。更には一応先輩である俺がソフトクリームを買いに行ったのに、礼の言葉も無かった。
先輩後輩の立場を抜きにしても、これは余り失礼なんじゃないか?
目上の人を敬うのは世界の常識。それをしない沙姫には、それ相応の罰を与えるべきだと俺は思う。
敬う程の先輩として見られていないんだろ、と言われたら正論過ぎて何も言い返せないが。
正直言って、やられっぱなしは面白くないって事だよ。
いかなる球技にも、必ず攻守がある。片方が攻めたのなら、次はもう片方が攻めるのがルールだ。
なら、次は俺が攻める番じゃないか。
「ふっふんふー」
俺を死ぬ目に会わせた元凶は、隣で美味そうにソフトクリームのコーンを頬張っている。
しかも、語尾に音符マークが付きそうな位、上機嫌に鼻歌を口ずさんで。
俺は思うんだ。
どこかで楽をしている人間がいれば、裏で苦労をする人間がいる。
どこかで幸福で満たされている人間がいれば、影で不幸を嘆く人間がいる。
影で苦労をする人間も、裏で不幸を嘆く人間にも。
皆平等に、笑う権利はある。
――――そう、思う。
格好良さげな言葉を並べて並べているけど、つまり何を言いたいかと言うとね、俺にも笑う権利はあるって事ですよ。
その為にはまず、沙姫が嫌がったり、堪えさせたり出来るような環境かアイテムを見付けなければならない。
「うーん……」
項垂れていた頭を上げて、低く唸りながら腕を組む。
何か使えそうな物はねぇかな?
ぐるーりと遊園地を見回してみる。
そうそう都合良く、簡単に見付かったりしな――――。
「んん?」
ふと、少し遠くではあるが、目を引く物があった。
いやはや、俺とした事が何をやっているんだか。
あるじゃねぇか。これ以上無い、飛びっきり最適なのが。ジェットコースターに並ぶ、遊園地の代名詞と言っても過言じゃないのがよ。
「沙姫、パンフレット貸してくれ」
「ふぇ? はい、いいですよ」
コーンを口に啣えて、リュックから取り出したパンフレットを受け取って広げる。
えっと、今俺が座ってる所が氷の水族館の近くだろ。そっから右斜めの方向だから……。
パンフレットの地図を眺め、ある物を探す。
「……あった」
隣の沙姫に聞こえない小さな声で呟き、地図に描かれていたアトラクションの一つを指差す。
そして、そこに書かれていた説明文を黙読する。
……ほほぅ、なるほどなるほど。こりゃ素晴らしい。
これはもう、神様がくれたチャンスとしか思えない。
「咲月先輩、どこか行きたい所でもあるんですか?」
ソフトクリームを食べ終え、沙姫が隣からパンフレットを覗いてきた。
「いやぁ、実はそうでよ。是非とも行きたい所があるんだわ」
沙姫の反応が楽しみで楽しみでしょうがなく、我慢しても笑みが出てしまう。
「ど、どこなんですか?」
俺の笑みが余程不気味に見えたのか、沙姫はたじろぎながら後ろに身を引く。
「んとな……ここだ」
パンフレットを沙姫に見せて、沙姫に仕返しするキーポイントであるアトラクションを指す。
そして、そのアトラクションというのが――――。
「お、おばっ、お化け屋敷ぃぃぃ!?」
そう。沙姫が今言ってくれた通り、お化け屋敷である。
遊園地に初めて来た俺でも、遊園地でお化け屋敷はメジャーだと言うのは知っている。
こんな沙姫を泣かせる為にあると言ってもいいようなアトラクションの存在を、俺はどうして忘れていたのか。
「や、やめましょう! 遊園地なんですから、もっと賑やかな所に行きましょうよ!」
「でもよ、ここのお化け屋敷は面白そうなんだよなぁ。学校をモチーフにしていて、廃校になった所から実際に使われていた机や椅子、黒板とかの道具を一部として使用してるみたいで本格的なんだよ」
「は、廃校……」
「パンフレットにも人気ベストスリーに入ってるって書いてるし、なんでも全国でも有名らしいぞ。ほら、テレビに取り上げられたってここに書いてある。こりゃ行くしかねぇだろ」
「そ、そんなに怖いんですか……?」
沙姫は隣のモユにしがみ付き、顔を青くする。
パンフレットに書かれていた案内文だけで、早くも泣きそうになるとは。
だが、お前の罪は重い。この程度で許されると思うな。
「沙夜先輩も行ってみたいですよね?」
「え? そうねぇ……そんなに有名なら行ってみたい気もするわね」
俺の意図に気付いてか、それとも本音なのか。
顎に手を当てて、沙夜先輩も賛同してくれた。
「モユもお化け屋敷、行きたいよなー?」
「……それ、楽しい?」
「おう。楽しいもんが見れるぞ」
午後の日課を食べ終わったモユに話を振ると、興味あり気な返答がきた。
その楽しいもんってのはお化け屋敷じゃなく、沙姫の事だけどな。
「……うん、行く」
モユも首を縦に振る。
「ね、姉さん! モユちゃんまで!」
これで三対一。俺の圧倒的有利。
「なんだ? 沙姫は行かねぇのか?」
「ぐぐぅ……」
反対派は沙姫だけだというのに、なかなか折れない。
それだけ恐怖系は苦手で嫌いなんだろう。絶叫系はケロッとしていたのに。
まぁ、怖いというカテゴリーは同じでも、細かなジャンルは別だからな。
しかし、このままで話が進まない。俺としてはなんとしても沙姫に一泡吹かせたい。
「あぁ、悪い悪い。沙姫はお化け屋敷、怖いから行きたくないのか。そうかそうか。モユは行くって行ってるのに、姉の沙姫は行かないのかぁ。そりゃあモユの方が姉っぽいって言われるよなぁ」
作戦は簡単。沙姫は意地っ張りで負けず嫌いな所がある。
わざとらしく挑発して、そこをちょこっと煽ってやれば……。
「~~~~~~ッ! 分かりました、分かりましたよ! やってやるです!」
ほらね、こうなる。
強気に放った言葉とは裏腹に、本当は怖くて動揺しているのか、最後の一言がなんか可笑しくなっているぞ。
なんだよ、やってやるですって。
「私だって、モユちゃんに姉らしく格好良い所を見せてやりますよ!」
ベンチから勢い良く立ち上がり、気合いを入れるように胸元で握り拳を作る。ただ、声は若干吃り、足は震え、目は涙目。
それのどこが格好良い所なのか、とツッコミたくなったが、せっかくの意気込みに水を差すのは悪い気がしたのでやめておいた。
「よーし、じゃ沙姫の覚悟が薄れる前に行くとするか」
俺とモユもベンチから立って、パンフレットを片手に歩き出す。
「咲月君、そのお化け屋敷はどこにあるの?」
「あっちですよ、ほら。鼠色をした建物が少し見えません?」
お化け屋敷がある方向を指差して、沙夜先輩に教える。
「そうだ、沙姫」
「はい」
「一つ提案があるんだけどよ」
「はい」
後ろでモユと歩く沙姫に話し掛けると、心の準備をしているのか、顔を強張らせて瞬きもせずに足元を一点に見つめていた。
自分に何かを言い聞かせるのに精一杯なのか、返事は全て『はい』の一言だけ。
たかがお化け屋敷なのに、追い詰められ過ぎだろ。いや、沙姫にとっては、されどお化け屋敷なのか。
うん。これでこそやり返し甲斐があると言うものよ。
「パンフレットだと、お化け屋敷は最大5人まで一緒に入れるらしいんだ」
「はい」
「だから、二人ずつに別れよう」
「はい……って、ぶぅぇぇえ!?」
沙姫はようやく反応を示して顔を上げ、仮にも女の子とは思えない声を出す。
「なんで、どうしてっ!? 一緒でいいじゃないですか! 仲良く皆で行きましょうよ!?」
余程予想外な事を言われたらしく、沙姫は必死に俺の腕を掴んできた。
「だってよ、皆一緒に入ったら怖さが減るだろ。だから、別れて少人数で行こう。その方が面白いだろ」
お前の反応がな。
自分以外の人が大勢いると、安心感で怖さが減ったりする。
それでは駄目だ。沙姫には存分に怖がってもらわないとな。
俺が受けた計百五十回転と極寒地獄の分、しっかりと味わえ。
「俺は沙夜先輩と組むから、お前はモユとな」
「へっ!? わ、私はモユちゃんとですか!?」
ちらりと、沙姫は手を繋いでいる隣のモユに視線を落とす。
「で、出来れば、その……咲月先輩か姉さんがいいかなぁ、なんて……」
沙姫は引き釣った笑みを浮かべ、胸元で両手の人差し指を合わせている。
「何言ってんだよ。さっきモユに格好良い所を見せるって言ってたじゃねぇか。それなのに別々になってどうすんだよ」
「え、あっ……そ、そうですよねぇ! 私ったら何言ってるんだろ! あ、あは、あはははっ!」
目を泳がせた後、誤魔化すように笑う沙姫。さすがに相方がモユなのは心許なく、不安なんだろう。
だがしかし、モユに良い所を見せると言ったのは他でもない本人。今更前言撤回なんて出来なく、沙姫は笑う反面、額には冷や汗が流れていた。
しかし、俺からすればモユ程心強い相方はいないけどな。
あいつが無表情を崩して怖がる姿が想像出来ない。なんせ、5回ものジェットコースターを全て一言も漏らさず、更には終始無表情で乗り切った強者だ。
前に深夜の神社で会った時に、幽霊だかお化けの話を振っても怖がる素振りを見せなかったし。
というより、お化けが何なのか理解していないで、何が怖いのかが解らないと言った方が正しいか。
「よーし、ペアは俺と沙夜先輩、沙姫とモユで文句無ぇな?」
「はは、ははは! もちろんですよ!」
顔面蒼白、涙目、冷や汗に声の裏返り。
すでにこんなんで、お化け屋敷に入ったらどうなる事やら。
顔面蒼白の次は何色になるんだろうな。真っ白あたりが一番濃厚か?
「咲月君、少しやり過ぎじゃない? あの子、今にも泣きそうよ?」
心の中で笑っていると、沙夜先輩が小さな声で話し掛けてきた。
やはり、俺の目論見に沙夜先輩は気付いていたようだ。
「大丈夫ですって。あいつにはやり過ぎた位が丁度良いんですよ」
「そうかしら……」
沙夜先輩は心配そうな表情で、後ろの沙姫を横目で見る。
普段、何だかんだ言い合ったり手を焼いたりしていても、やっぱり家族。
沙姫を気に掛ける沙夜先輩のその様は、姉としての顔をしていた。妹を心配するのは、姉として当然か。
こんな姉なら俺も欲しいと思えたりする。
「なら沙夜先輩、少しばかり目を瞑ってください」
「え? でも歩きながらじゃ危ないわよ」
「大丈夫です。ぶつかりそうになったら教えますし、すぐ終わりますから」
「……うん、わかったわ」
沙夜先輩は恐る恐る目を瞑る。
「じゃ沙夜先輩、夏休みの初日を思い出してください」
「夏休みの初日ね?」
んー、と小さく唸って、沙夜先輩は少しだけ眉を寄せる。
「思い出せましたか? なら次は、初日から今日までの沙姫の生活を思い出してみてください」
「…………」
沙夜先輩から返事は無く、無言のまま。
だが、少しだけ寄っていた眉はどんどんと近くなり、眉間には皺が出来上がる。
加えて、米噛みがピクピクと動き始めた。
「目を開けていいです。一つ聞きますけど、まだやり過ぎだと思いますか?」
「……咲月君」
ギロリ、とまるで包丁を突き付けられたような鋭い眼光を放ち、沙夜先輩がこっちを向く。
やべぇ、マジで怖ぇ! 沙夜先輩ってこんな目付きすんのかよ!
「は、はい」
「……構わないわ、やっちゃって。むしろ、まだ足りない位だわ」
余程鬱憤が溜まっていたのか、沙夜先輩の目は完全に据わっていた。
沙姫、お前は一体どんな生活をしていたんだ……?
あの優しくて温厚な沙夜先輩があんな目をするなんてな……。
普段の印象とのギャップがあった分、テイルの威圧感並みに怖かった。本当に怖かった。
あと数秒長く見られていたら泣いていたかもしんない。
「沙姫ー。今沙夜先輩と話したんだけどよ、俺達が先に入っていいか?」
「い、いいですよ! どうぞどうぞ、どんどん先に入ってください!」
沙姫は一秒でもお化け屋敷に入るのを遅らせたいらしく、俺の頼みを快諾してくれた。
「咲月君、なんで私達が先なの?」
「理由は二つ。一つは先なら、後から入った沙姫の声……もとい、悲鳴を聞いて反応が知れるから」
沙姫に聞こえて目論見がバレないよう、こそこそ話で沙夜先輩に答える。
「そして、二つ。沙姫がお化け屋敷から出てくる時、どんな顔をしているか見たくないですか?」
「……見たい、見たいわ。見物以外のなんでもないわ」
沙夜先輩はその様子を想像して、笑みを浮かべる。
半べそ……いや、マジ泣きでモユにしがみついて出てきそうだ。自分よりも年下で小さい子供に、なんとも情けない。
想像だけでもう笑えるんだ、実際はどうなるのか楽しみでしょうがない。
「咲月君、なかなか策士ね」
「いえいえ、格好良くエンターテイナーと言ってください」
互いに互いを横目で見て、ククク、ウフフと笑いを交わす。
楽しく賑やかな遊園地で、周りからは可愛い子供の笑い声や女性の甲高い声が飛び交っている中、黒い笑いをしているのは俺達だけだろう。
今隣にうさバラし人形がいたら、これ以上無い位に似合っていると思う。
「とりあえず、お化け屋敷に行かないと始まんないですから、行きますか」
「えぇ、行きましょう」
向かうは正面に聳え立ち、暗い鼠色に塗りたくられてボロさを醸し出された建物。
一目見れば、廃墟をイメージしてしまう外装。見た目からして不気味だ。
「こ、こ、ここですか」
薄らと目に涙を溜めて、声を震わせてモユの肩を後ろから掴む沙姫。
……おい。モユを前にして、自分は後ろに隠れるな。と言うか、身体の小さいモユの後ろじゃ隠れられてねぇ。
完全に建物の雰囲気に呑まれてへっぴり腰の沙姫を横に……いや前で、モユは顔色一つ変えずに平然としている。
沙姫、とても今のお前の姿じゃ姉には見えねぇぞ……あまりにも情けなさ過ぎて。
「じゃさっき言った通り、先に俺達が行くから。逃げずに後から来いよ」
「わ、分かってますよ! それに逃げないですよ、私は!」
モユの後ろでへっぴり腰のお前が言っても説得力ねぇよ。
「そんじゃま、お先ー」
「モユちゃん、また後でね」
入り口である、開けたままにされた錆び付いた鉄製の扉を潜り、薄暗い中へと入っていく。
はてさて、沙姫が一体どんな反応をするか楽しみだ。
ジェットコースターと氷の水族館での恨み、晴らさでおくべきか。
* * *
「きゃぁぁああ!」
「うわっうわっうわっうわっ!」
「ちょっと待って! タイム、タイムゥゥ!」
「出口はどこぉぉぉ!? もうやだぁぁぁぁ!」
* * *
一足先にゴールした俺と沙夜先輩。
お化け屋敷の出口前で、沙姫とモユが出てくるのを待っていた。
「沙姫、凄い叫んでたわね」
「そうですねぇ。喧しい位に沙姫“だけ”叫んでましたね」
「モユちゃんは大丈夫かしら?」
「確かに、あの沙姫の相手となると少し心配だな」
沙姫とモユが出てくるのはまだかと出口の扉を眺めながら、沙夜先輩と話する。
予想通りと言うか、期待以上と言うか……悲鳴を上げまくってたなぁ、沙姫。
対して相方のモユの声は全く聞こえてこなかった。
ま、こっちも予想通りではあったけど。
「俺達が出てから5分経ったな。そろそろか?」
携帯電話の時計を見て呟く。
「あ、出てきたわよ」
沙夜先輩に言われ、視線を携帯電話から出口へと移す。
薄暗い出口の奥から、ようやく二人が出てきた。
「……」
「……」
モユはいつものポーカーフェイスで、眉毛をピクリとも動かしていない。
で、沙姫はと言うとだ。
「く、くくっ……」
「ぷっ……わ、笑っちゃ駄目よ、咲月君」
その姿を見て、笑いを堪えるのに必死だった。
髪は少し乱れて顔は項垂れ、ぜーはーと息を切らせてモユの腕にがっちりとしがみ付いている。
身長差があるモユの腕にしがみ付くのだから、腰は曲がって杖を突くお年寄りみたくなっていた。
こんなのを見せられて、笑うなと言うのが無理。
「おー、やっと出てきたか」
笑いを堪え、なに食わぬ顔でモユと沙姫へと近づく。
「随分と楽しんでたじゃねぇか。なぁ、沙姫」
お化け屋敷は終わったと言うのに、まだモユにしがみ付いている沙姫に皮肉を言う。
「モユに格好良い所を見せ……く、くくっ……だぁーっはっはっはっ! 無理だ、我慢出来ねぇ!」
「だ、駄目よ、咲月君! 笑っちゃ……ぷっ、あははは!」
「んな事言ったって……くっく、くく……」
我慢が限界に達し、崩壊したダムの如く大声を出して笑ってしまう。
それに釣られて、沙夜先輩も腹を抱えて笑い出す。
「……もう、好きに笑ってください」
言い返してくる気力すら無いらしく、項垂れたまま返してきた。
恐怖のあまり硬直していた身体の力がやっと抜けたのか、沙姫は崩れるように地べたに尻を着く。
こりゃ大成功だな。俺が味わった苦しみを十分返せた。いや、むしろお釣りが出るくらいだわ。
「モユはどうだった? お化け屋敷、怖かったか?」
ようやく沙姫のしがみ付きから解放されたモユに、お化け屋敷の感想を聞いてみる。
まぁ、モユには聞くだけ無駄かな。
俺がお化け屋敷に入る前に見た表情と、今の表情が全く変わってねぇし。
お化け屋敷の仕掛けや脅かし役の係員よりも、隣で叫びまくっていた沙姫の方が怖かったんじゃねぇか?
「……少し、怖かった」
「おぉ?」
なんと意外な事にあのモユが、珍しく感想を返してきた。
しかしだな、モユ。無表情で怖かったって言われても説得力が皆無です。
「……暗闇くて、怖かった」
モユは弱々しくて小さな声で言い、顔を落とす。
「あ……」
何やってんだよ、俺は。モユは暗闇い所が嫌いだってのによ。
自分の馬鹿さにやり場のない怒りを覚えて、頭を掻きむしる。
「ごめんな……嫌な思いさせちまったな」
ただ謝るしかなく、モユの頭に手を乗せて撫でる。
トラウマを思い出さされる苦しみは、嫌って程に解る。
謝ってどうなる物じゃないが、そうするしかない。
「……でも、楽しかった」
「そうか」
モユは落としていた顔を上げて、俺を見上げる。
そう言ってくれると、少しは助かる。
「……沙姫が」
「……そいつは良かった」
お化け屋敷が、じゃなくて、沙姫が楽しかったと。
お化け屋敷から出てきて、へこたれている今の沙姫でさえこの面白さだ。中を歩いている時はもっと面白かったんだろうな。
失敗した……沙姫と一緒の方が笑えたかもしんなかったな。
「咲月君、ここで話してたら邪魔になるから移動しましょ」
「あ、そうですね」
お化け屋敷の出口前で話していたら、出てきた他の客の邪魔以外の何でもない。
沙姫なんかは地面に座っちまってるし。
「ほら沙姫、移動するぞ」
地面に腰を着いて、項垂れたまま動かず喋らずの沙姫。
苦手なお化け屋敷で精神が摩耗し切ったのは分かるが、そろそろ立て。
「……た」
「ん? なんだって?」
小さい声でなんて言ったか聞き取れず、沙姫に近づく。
すると、がっちりと右手首を掴まれた。
「こ、腰が……抜けちゃいました」
「……は?」
ずっと項垂れて伏せていた顔をようやく上げ、沙姫は涙を浮かばせて俺を見る。
そして、一言。
「おぶって……」
泣いているのか笑っているのか判別出来ない、微妙な表情をして。
とりあえず言える事は、鼻水は拭け。
「ったく、良い歳で腰を抜かすなよ」
呆れのあまり、溜め息を吐く。
とは言え、動けなくなった沙姫をこのままにする訳にもいかない。
「ほらよ、乗っかれ」
沙姫の前で背中を向けて、しゃがみ込む。
「すいません、咲月先輩……」
「全くだ」
再度溜め息を吐き、背中に乗っかってきた沙姫を背負って立ち上がる。
「どこか座れる場所を探しましょ。咲月君が沙姫をおぶって移動する訳にもいかないものね」
沙夜先輩を先頭に、お化け屋敷から移動する。
確かに、ずっと沙姫をおんぶして移動するのは大変だ。何より、周りから好奇な目で見られる。
更には、家族連れで来ている子供に指を指されたりするし。
「……沙姫、大丈夫?」
隣を歩くモユが心配して、背中の沙姫に話し掛けてきた。
「大丈夫だよ! 少しびっくりしただけだから!」
沙姫は心配掛けまいと、元気に笑って答える。
いや実際、心配するようなもんじゃねぇんだけどな。
お化け屋敷で腰を抜かして心配されるなんて、情けないにも程がある。
「モユ、よーく見ておけ。これが沙姫の格好良い姿だ」
「ちょ、やめて下さいよ咲月先輩! モユちゃんに変な事を言わないで下さい!」
悪戯に笑って、背中の沙姫を見る。
「……わかった。よく見ておく」
モユは一度頷いてから、じいっ、と沙姫を見つめ始めた。
確かに俺はよく見ておけって言ったが、それはガン見し過ぎだ。
「み、見ないでモユちゃん……お願いだから」
モユの視線に耐えられなくなり、沙姫は俺の首筋に顔を埋める。
格好良い所を見せると言っておいてこの姿を見られるのは、穴があったら入りたい位に恥ずかしいだろう。
「……ところで咲月先輩」
「なんだ?」
俺の首筋に顔を埋めたまま、沙姫が小さな声で話してきた。
「あの、その……わ、私、重くない……ですか?」
「んー、若干」
「ッ! 私降ります! 離してください!」
沙姫は顔を赤らめ、背中で暴れだす。
「うわっ、おい! 落としちまうから暴れるなっての!」
「いいですから、自分で歩きます!」
「じ、冗談、冗談だっての! だから暴れるな!」
「……本当ですか?」
沙姫はようやく暴れるのを止めて大人しくなってくれた。
「本当だっつの。ふざけて冗談を言っただけだよ。前に言っただろ、気にし過ぎだってよ」
「でも……組手をしても余り体重減ってないんですもん」
「男の筋力なめんな、これ位なんて事ねぇよ。軽い軽い」
これでも子供の頃に鍛えまくったからな。
女の子を一人おぶる位、お茶の子さいさいですよ。
「それに、お前はまだ痩せてる方だろ、実際。引き締まったバストに、ふくよかなウェストをしてんだ。気にする必要ねぇよ」
「そ、そんな事無いですよ。私は……って、あれ?」
沙姫は何か気に掛かったらしく、人差し指を顎に当てて視線を上げる。
「それってペチャパイに出っ腹って意味じゃないですか!」
「ぐえっ、く、首を絞めるな……」
怒りを露にした沙姫に後ろから首を絞められる。
どうにか抵抗したいが、沙姫をおぶっていて両手が塞がっている為どうしようもない。
「……匕、ペチャパイってなに?」
「ん? ペチャパイってのはな、胸が無い事を言うんだ。解りやすく言えば沙姫の……ぐぐぇ!」
「モユちゃんに要らない事を教えないでください!」
手による首絞めが、今度は腕を首に回してネックロックにランクアップしてきた。
こ、これはさすがに厳しいぞ……。
って、モユ。お前は自分の胸を触って何をしている?
「……匕、私も沙姫と同じでペチャパイ?」
数回自分の胸をぺたぺたと触って確認してから、モユがTシャツを引っ張って聞いてきた。
「大丈夫だぞ、モユ。お前は沙姫と違ってまだ未来があるからな」
「どういう意味ですか、それは! 私にだってまだ未来はありますよ! それにモユちゃんよりも私の方が若干大きいです!」
「モユ相手に対抗意識持つなよ。しかも、子供相手に若干大きいとか……って、悪かったからそれ以上強く絞めるな! マジで苦しい!」
「咲月先輩が失礼な事ばかり言うからです! 私にだって密着すれば当たる程度はありますよ!」
「……それが哀しい事に、全く当たってないんだな。これが」
今おぶっている沙姫が後ろから首に手を回してネックロックをしてきてるが、背中に沙姫の身体がくっついても柔らかな感触が何時まで経っても来ない。
「んなっ!? 咲月先輩、セクハラです!」
「お前から振ってきたんだろうが!」
「ふん、いいですもん! 私だっていつかは大きくなるんですから!」
「まさに、無い物ねだりってか」
「上手くないですよ!」
俺のくだらないジョークにツッコミながら、ギリギリと更に首を絞める腕の力わ強くする沙姫。
「……沙姫」
「ん? なに、モユちゃん?」
「……がんばれ」
「うわぁぁぁぁぁん!」
ちょっ、これ以上強く絞めるな!
そろそろ離してくれないと意識、が……。
「はいはい、いつまでもコントやってないで行くわよ。周りから見られて恥ずかしいったらありゃしないわ。あっちに座れる所あったから」
「へっ? あ、あははー……お騒がせしましたぁ」
沙夜先輩に言われ、沙姫が辺りを見回してみると、家族連れやカップルからなんだなんだと好奇の眼差しが向けられていた。
ようやく沙姫は自分達が注目されていたのに気付いて、恥ずかしげに頭を小さく下げる。
「さ、咲月先輩、早くここを離れましょう!」
「……」
「あれ? 咲月先輩?」
返事が無いと、不思議に思って沙姫が聞き返す。
「とりあえず、首から腕を離してあげたら? 咲月君、顔が真っ青よ?」
「えっ? わっ、ごめんなさい!」
未だに俺の首を絞めている事を思い出して、沙姫は慌てて固めていた腕をほどく。
「っぶはぁーっ! はぁ、はぁ! し、死ぬかと思った……」
閉ざされていた気道がやっと解放され、酸素を体内に摂取しまくる。
「……大丈夫ですか、咲月先輩?」
「お前な、そんなに元気があるなら自分で歩け!」
「あ、あはは。そうしたいのは山々なんですが……まだ腰が抜けているらしく、足に力が入らなくて」
沙姫は後頭部を掻いて、気まずそうに笑う。
「ほら、早く行かないと空いてる席を誰かに取られちゃうわよ」
「そ、そうですよ。咲月先輩、ほら、あっちに行きましょう!」
「ったく、先輩使いが荒い奴だな。モユ、間違っても沙姫みたいに育つなよ」
「……沙姫みたいに?」
言うと、モユは自分の胸を確認するように数回触れて。
「……うん、がんばる」
何かを決意するみたく、こくん、と頷いてモユは答えた。




