薄暗い四畳半と、壁をすり抜けてきた男
薄暗い部屋に引き篭もる孫と、壁をすり抜けて帰ってきたおじいちゃん。二人の不器用な四畳半の物語を、どうぞのんびり楽しんでいただければ幸いです。
遮光カーテンが固く閉ざされた、昼も夜もわからない四畳半の部屋。
それが、今の俺――佐藤蓮の全世界だった。
「……はぁ」
パソコンの画面に映る、WEB面接の不採用通知。何十通目かもわからないその冷淡な定型文を見て、俺は深く布団に潜り込んだ。
大学を卒業して、一度は就職したものの、人間関係に挫折してわずか3ヶ月で退職。それから半年間、俺はこの部屋から一歩も外に出ていない。コンビニの弁当を親がドアの前に置く。それを夜中にこっそり回収して生きる、ただの穀潰し。自分には価値がない。そう思い知らされる毎日だった。
その時だった。
「おい蓮。お前、相変わらず陰気臭い部屋に住んでんなぁ」
聞き覚えのある、やたらとハキハキしたダミ声が耳に飛び込んできた。
幻聴かと思って布団から顔を出す。そこには、俺の学習机の椅子にどっかりと腰掛け、ニカッと白い歯を見せて笑う老人の姿があった。
白髪を短く刈り込み、お気に入りの派手なアロハシャツを着た男。
「じ、じいちゃん……?」
わけがわからなかった。
だって、目の前にいる祖父・一郎は――2年前に癌で死んだはずだから。
「おう、じいちゃんだ。あの世の生活も飽きたからよ、ちょっとお前のツラ拝みに帰ってきたわ」
「は!? いや、意味分かんないんだけど! 幽霊!? 俺、ついに頭がおかしくなったのか……?」
「頭がおかしいのは今に始まったことじゃねえだろ。それよりお前、なんだその死んだ魚みたいな目は。カーテンくらい開けろ開けろ!」
じいちゃんが立ち上がり、窓の方へ向かう。そして、カーテンを掴んで勢いよく引いた。
――はずだった。
ガサリ、とも音がせず、じいちゃんの手はカーテンの布地をすり抜けた。
じいちゃんは「あ、忘れてた」と頭を掻いた。
「悪い悪い、俺もう実体がないんだったわ。物を持てねえんだよな」
「本当に……幽霊なのか……?」
「信じられないなら見てろ」
じいちゃんはニヤリと笑うと、そのまま後ずさりして、俺の部屋の壁にゆっくりと背中から埋まっていった。頭の先まで壁の中に消えたかと思えば、今度は天井から逆さまに顔を出した。
「ほれ、どうだ?」
「うわあああぁぁぁ! やめろ、ホラーすぎる!!」
俺が枕を投げつけると、枕は天井のじいちゃんの顔をすり抜け、ポスンと床に落ちた。
じいちゃんは不満げに天井から這い出てきて、また床に着地した。
「冷てえなぁ。せっかく孫が心配で化けて出てやったってのに」
「心配って……」
じいちゃんは、床に転がっている空になったコンビニ弁当のガラや、脱ぎ散らかした服をじっと見つめた。その目が、一瞬だけ、生前のあの優しい目に変わる。
「お前が部屋から一歩も出なくなったって、親父から聞いてよ。あの世の水晶玉で覗いてみたら、まぁ酷い生活だ。俺の自慢の孫が、こんなウジウジした顔で一生を終えるのを見てられるかよ」
「……放っておいてくれよ」
俺は体育座りをして、膝に顔を埋めた。
「じいちゃんには分からないよ。外に出るのが、人に会うのが、どれだけ怖いか。俺はもう、何をやってもダメなんだ。誰も俺のことなんて必要としてないんだよ……」
声が震えた。半年間、誰にも言えずに胸の奥に溜まっていた泥のような感情が、涙と一緒に溢れそうになる。
部屋の中に、静寂が訪れる。
幽霊だから足音もしない。だけど、じいちゃんが俺のすぐ目の前にしゃがみ込んだのが気配で分かった。
触れられないはずの手が、俺の頭の少し上に浮かんでいる。
「蓮。お前がダメな奴なわけねえだろ。俺が死ぬ前に、お前が作ってくれたあの不格好な卵焼き、めちゃくちゃ美味かったぞ。俺の胃袋が覚えてる。あんな優しい味が作れる奴が、ダメなわけねえ」
「……っ」
「俺は物を持てねえ。お前の背中を押してやることもできねえ。だからよ、お前が自分の足でそのドアを開けるまで、俺はここに居座るからな」
じいちゃんはそう言うと、俺のベッドの足元でゴロンと横になった。
触れることはできない。だけど、薄暗くて冷え切っていた俺の四畳半に、確かに、ほんの少しだけ温かい光が差し込んだような気がした。
心を閉ざしてしまった蓮の前に、まさかの姿で現れたファンキーなじいちゃん。
物を持てない幽霊のじいちゃんと、部屋から出られない孫の奇妙な共同生活がここから始まります。
これから二人がどんな時間を過ごしていくのか、じわっと温かい気持ちで見守っていただければ幸いです。
次回のお話も、どうぞよろしくお願いいたします。




