玉響
「――それでは、競技を開始します」
それから、一ヶ月ほど経て。
優雅な篳篥の音色と共に、澄み切ったお声が庭園の中に響きます。毎度のことながら、この音色とお声を聴くと胸の昂りを禁じ得ない私がいます。
その後、皆さん優雅な所作で鞠を蹴り上げます。勝負とはいえ、少なくとも表面的には相手を負かそうとするご様子は誰にもありません。事情をご存じない方から見れば、ただ和やかに蹴鞠を楽しんでいるだけのようにも映るでしょう。
それから、しばし経過して。残ったのは、いつものお二方――私の夫である大将さまと、中納言さまの従者であるあの男性のお二方です。そして、一時も目を逸らさずじっと見つめつつ――
「……あぁ、なんと愛らしい」
思わず、声が零れます。その麗しきお顔立ちも、みすぼらしき衣装でありながら気品に満ちたそのお姿も、主人のため懸命に球技に打ち込むそのご姿勢も……あの御方の全てが、なんと愛らしいことでしょう。
――あの御方を目にしたのは、三年ほど前。蹴鞠の会場は参加する家の持ち回りになっているのですが、奇しくも我が家にて催された日のことでした。綺麗な円を作る華やかな衣装の皆さんの中で、見るからに粗末な衣装の男性が一人――誰の目にも、明らかに異質な光景でした。
ですが、その衣装すらも上品に、更には華やかに映るほどに彼自身の魅力が際立っていました。後からお父さまにお尋ねすると、彼は中納言さまの従者とのこと。果たして、お世辞にも高貴とは言えない身分の御方で。
それでも、お父さまに申し出ました。あの御方と、是非とも契りを結びたいと。ですが、中納言さまのご子息であればともかく、従者では流石に身分が違いすぎるとのことで、私の申し出はあえなく却下されてしまいました。……まあ、そうでしょうね。ええ、もちろん分かってはいましたが。
それでも、あの御方を忘れることは叶わず。寝ても覚めても、胸の中にはあの御方のことばかり。結ばれないのなら、そばにいられないのなら、せめてなるべく長くそのお姿をこの目に焼き付けたいと強く願うようになりました。
そして、蹴鞠はそのための極めて希少な機会――ならば、蹴鞠をなるべく長引かせる必要があるのですが……ですが、あの御方は回を追うごとにますます上達なさっていて、ともすればすぐに勝負が着いてしまいます。なので、そんな彼に拮抗し得る方がどうしても一人は必要でした。それが、彼が参加するまではずっと優勝なさっていた、現在は我が夫である大将さまで。
尤も、本来であれば夫以外の男性をまじまじと見つめていたら不審に思われるかもしれません。ですが、このような場においてはそれは杞憂――なにせ、皆さん固唾を呑んで鞠の行方に集中なさっているでしょうから。そして、当の夫にしてもこのような一時も気が抜けない状況ゆえ私の視線など気にする余裕などありません。なので、この時間だけは心置きなくじっくりとあの御方を見つめることができます。
それでも、いつか勝負は決するもの。数時間もの蹴り合いの後、ついに鞠を落としてしまい悔しさを滲ませる大将さま。それでも、心中はどうあれすぐさま丁寧に一礼をするそのお姿は流石と申し上げるべきでしょう。そして、そんな彼に応えるように、あの御方も優雅な所作で一礼を……ああ、なんと麗しい。
……ええ、分かっています。どれほど長引かせていただこうとも、彼を見つめられる時間など人生においてほんの僅か。……ですが、それでも構いません。私は、十分に恵まれています。なのに、これ以上を求めるというのは流石に贅沢というものでしょう。なので、それでも構いません。ですが――
「――今後とも、しかと精進なさってくださいね? 大将さま」
――この玉響の幸せは、何があっても手放すつもりはありません。




