蹴鞠
「――これより、競技を開始します」
ある麗らかな昼下がり。
種々の花々が鮮やかに咲く彩り豊かな庭園にて、優雅な篳篥の音色と共に澄み切ったお声が響きます。中央では、華やかな衣装に身を包んだ数名の貴人達が綺麗な円を作っています。審判を務める男性の手には、上質な素材を使用した白い鞠――我が家を含む深く縁故のある八つの名家により、ただ今から『蹴鞠』という球技が始まろうとしていて。
さて、蹴鞠とはその名の通り、参加者が鞠を蹴り上げ落とさぬように繋いでいく球技です。優劣を競わず思い遣りを以て同じ時間を楽しむ――本来、蹴鞠とはそういう球技なのですが……ですが、私達の間では些か趣旨が異なるようで――
「…………くっ」
鞠が地面に落ちるやいなや、悔しさを滲ませる狩衣姿の男性。そのご様子は、和やかに球技を楽しんでいるという様子ではなく。というのも――私達の間にて行われる蹴鞠は、明確に勝敗を決することが先祖代々からの伝統となっているようで。
尤も、勝負とはいえ、高貴な身としてそれ相応の振る舞いをしなければならない、という規則も代々受け継がれているようでして。何とも抽象的で分かりづらいですが……つまりは、意図して相手を負かそうとする行為はご法度ということです。例えば、意図的に相手が返しにくいような方向に蹴り上げる、などの行為はご法度ということです。つまりは、相手を負かす、というよりは相手が自身の失敗により負けるのを待つ、といった感じになります。……まあ、それからそもそも勝負などしなければ良いのに、とは思ってしまいますが。
ともあれ、つまりは技術もさることながら、どちらがより集中力を保ち我慢強く続けられるかという、忍耐の勝負と申し上げても差し支えないのかもしれません。
「――本当に申し訳ありません、姫君」
「いえ、謝ることなどありません。本日もお疲れさまです、大将さま」
それから、数時間後。
縁側にて朧な月を仰いでいると、ゆっくりとした足取りでこちらへ近づき控え目に告げる男性。私の夫である大将さまです。これが、本日の蹴鞠にて敗れてしまったことに関する謝罪であることは尋ねるまでもないでしょう。尤も、敗れたと言っても最後の二人まで残りましたし、最後のお相手とも頗る健闘なさっていたのでむしろ褒め称えるべきでしょう。
さて、ここで簡略ながら経緯を。私は大納言の娘という高貴な身として生を享けました。なので、それ相応の教育を受け高い素養を身につけました。加えて、自身で申し上げるのも些か憚られますが、容姿においてもひときわ優れている私は、数多の殿方から結婚のお申し出をいただくことに。尤も、そういったことに関心の持てなかった私は全てお断りし、お父さまも私の気持ちを尊重し、望まぬ結婚を強いてさせようとはしませんでした。
すると、二年ほど前のある日のこと。いつから好意を抱いてくださっていたのか、大将さまからも結婚のお申し出をいただきました。そして、彼のことは以前から些か存じ上げていました。というのも、彼は以前から蹴鞠で素晴らしき戦績――具体的には三年ほど前まではいつも優勝、その後も本日も含めずっと二位という素晴らしき戦績を残していらっしゃいましたから。
さて、それまでは何方からのお申し出もお断りしてきましたが、この時ばかりは思案を重ねました。そして思案から数日後、ついに彼のお申し出を受けることに決めました。
「……ですが、今度こそは。あのような卑しい者に、これ以上の遅れを取るなど言語道断。これ以上、姫君とお父さまのお顔に泥を塗るわけにも参りませんし」
謝罪の後、忌々しさすらも窺える悔しげな口調でお話しなさる大将さま。ここでの『卑しい』とは、その者の身分の低いことを仰っていると解釈して差し支えないでしょう。誰の目から見ても、品格などに非難すべき点があるとは思えませんし。
そう、本日の優勝者である男性は中納言さまの従者であり、お世辞にも高貴な身とは言えません。なので、本日のような基本的に貴人のみが参加する催し物に、彼のような下賤の者を参加させるというのは通例ないことなのですが――そうまでして、中納言さまは勝利を優先なさっている、いうことなのでしょう。実際、三年ほど前の初めてのご参加以来、従者の彼は誰にも敗れたことがありません。なので、本日の、よりも本日《《も》》、と申し上げる方が適切なのでしょう。
「――ええ、それは頼もしいことです。今後とも、しかと精進なさってくださいね? 大将さま」
「はい、もちろんです! 今はただ、あの卑しい者にツキが巡っているだけ。従者ごときがにこの私に勝てるはずなどないことを、次こそは必ずや証明してご覧に入れる所存です」
ともあれ、そうお伝えする私。すると、パッと私の手を力強く宣言をなさる大将さま。……ええ、たいそう期待しておりますね、大将さま。




